表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

鏡の中の幽霊と、最後の審判

どんなサービスにも、対価が必要です。

他人の人生を安易にリセットし、歪めた代償。その請求書は、忘れた頃に、一番高い利子をつけてやってきます。


今日の相談者は、いません。

第7話は、相談員レン自身への「監査」と「精算」のお話です。

朝、洗面台の鏡を覗き込んだとき、違和感があった。

 右半分は酷い顔色をした俺が映っている。だが、左半分が映っていない。

 鏡が割れているわけではない。俺の左目が、もう「自分」を認識できなくなっているのだ。そこにあるのは、砂嵐のような灰色のノイズだけ。


 俺、相馬レンは、洗面台の淵を両手で掴み、吐き気を堪えた。

 味覚はとうに消えた。聴覚も怪しい。常に遠くで、金属を擦り合わせるようなキーンという音が鳴り響いている。

 身体ハードウェアの寿命だ。

 『解析眼』の酷使による脳の焼き付き。俺はもう、ただの肉の塊になりかけている。


 冒険者ギルド別館・生活相談所。

 いつもの席に座るが、今日は予約表がない。文字が歪んで読めないのだ。

 だが、ノックの音は聞こえた。

 いや、ノックなどあったか? 気づけば、客はすでにそこに座っていた。


「……ひどい顔だな」


 男が言った。

 チャコールグレーのスーツ。首には社員証。手には缶コーヒー。

 この世界には存在しない服装だ。

 それは、転生前の俺――「日本の公務員だった頃の俺」だった。


「幻覚か」

 俺は掠れた声で呟く。

「末期だな。ついに脳みそがショートしたか」

「いいや、監査に来たんだよ。お前の業務内容の」


 スーツの男は、蔑むような目で俺を見た。

「お前は効率的に処理してきたつもりだろうが、現場じゃ変な噂が流れてるぞ」

「……噂?」

「ああ。例えば、お前が最初に担当した荷持ちのガンツ。あいつが率いるパーティで、奴隷の反乱が起きたって話だ。無理な使い潰しが祟ったらしい。リーダーだったガンツは、寝込みを襲われて喉を……」


 やめろ。

 俺は耳を塞ごうとしたが、指先に力が入らない。


「それから、昨日の勇者交代劇。新しい勇者になった少年ロイドだが、最初の遠征で『壊れた』そうだ。なんでも、敵を見るなり笑い出して、味方ごと魔法で焼き払ったとか。聖剣の出力に脳が耐えきれなかったんだな」


「黙れ……俺は、彼らが望む通りに……」

 反論しようとしたが、口がうまく回らない。

 唇が勝手に引きつり、言葉が唾液と一緒に垂れ落ちる。


「望む通り? 誰の?」

 幻覚の俺が笑う。

「お前は『解決』なんてしていない。ただ、臭いものに蓋をして、別の場所にゴミを移動させただけだ。それを『コンサルティング』だの『人助け』だの呼んで、自分を正当化していた」


 男が身を乗り出した。その顔は、鏡で見た俺と同じ、左半分が欠損していた。


「お前は人助けがしたかったんじゃない。自分の有能さを証明して、このクソみたいな世界で『生きている価値』を感じたかっただけだ。他人の人生をダシにしてな」


 ドンッ!

 俺は机を叩こうとしたが、手が滑って突っ伏した。

 視界が明滅する。

 違う。俺は、ただ生き残るために。システムの中で最適解を。

 思考がまとまらない。ノイズが脳を埋め尽くす。

 怖い。

 自分のやってきたことが、すべて「悪」だったと断罪されるのが怖い。


「……逃げるなよ」

 幻覚の声が遠くなる。

「精算の時間は、もう来てる」


 その時だった。

 

 バンッ!!

 本当の音が、部屋を揺らした。

 ドアが乱暴に開け放たれる。

 入ってきたのは、幻覚ではない。武装した王都の衛兵たちと、神官服を着た男たちだ。


「相馬レンだな!」

 衛兵隊長が叫ぶ。

「国家転覆罪、および聖遺物不正譲渡の容疑で拘束する! 貴様の部屋から押収した『予約台帳』と、勇者交代の儀式記録、筆跡が一致したぞ!」


 俺は、床に這いつくばったまま、ぼんやりと彼らを見上げた。

 証拠は固められていたのか。

 聖遺物不正譲渡。昨日の勇者の件か。

 やはり、教会も国も、勇者のすり替えには気づいていた。泳がされていたのだ。勇者が壊れた責任を、すべて俺になすりつけるために。


 神官の一人が、一枚の羊皮紙を突きつけた。

 告発状だ。

 視界が霞んで文字は読めない。だが、その整然とした筆跡には見覚えがあった。

 ――エリック。

 かつて俺が、「書き方」を教えた相手。

 彼もまた、教会に忠誠を疑われたのだろう。身の潔白を証明するには、かつての共犯者おれを売るしかなかったのだ。

 魔女を売るための文章を教えた俺が、今度はその教え子によって売られたのか。

 

 ハハ、と乾いた息が漏れた。

 なんて美しい因果だ。

 俺が撒いた毒が、世界を一周して、俺の喉元に戻ってきた。


「……抵抗する気か!」

 衛兵が剣を抜く。


「……いいや」

 俺は残った右手を、ゆっくりと差し出した。

 恐怖はなかった。

 むしろ、安堵していた。

 もう、決めなくていい。もう、誰も救わなくていい。

 この「逮捕」こそが、俺が待ち望んでいた「業務終了の合図チャイム」だったのだ。


「手続きを頼む」

 俺は、元公務員としての矜持を込めて、最後の指示を出した。

「書類仕事は得意なんだろう? 俺の名前を決裁欄に書く手間だけは、かけさせないでくれよ」


 ガチャン。

 冷たい手錠の感触が、俺の火照った手首を冷やした。

 その冷たさだけが、今の俺にとって唯一の、確かな「救い」だった。

お読みいただきありがとうございます。


ついに年貢の納め時です。

かつて「他人を売って生き延びろ」と教えた相手エリックに売られる。これ以上ないほど美しい因果応報ですね。師匠冥利に尽きるというものでしょう。

しかし、レンにとって冷たい手錠は、拘束具ではなく、終わらない労働から解放してくれる「退職届」でした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ