死にたがりの勇者と、終わらない月曜日
「死んでもやり直せる」。
ゲームなら、それは便利な機能です。
ですが、もし痛みがそのまま残り、精神が磨耗してもなお、強制的に月曜日の朝に引き戻されるとしたら?
それは希望ではなく、終わらない拷問です。
今日の相談者は、世界を救うことよりも、シフトを上がる(死ぬ)ことを切望する勇者様です。
左目の視野が、また欠けた。
今度は下半分だ。足元が見えない。まるで自分の足場が崩れ落ちているような錯覚に陥る。
俺、相馬レンは、足元の感触を確かめるように床を強く踏みしめ、次の相談者の資料に目を落とした。
『相談者:アルベル(勇者)』
『同伴者:ロイド(従者)』
勇者。この世界における希望の象徴だ。
だが、予約表の備考欄には、受付嬢の震える筆跡でこう書かれていた。
『※相談者の精神状態、極めて不安定。従者は待合室にて待機』
ドアが開く。
入ってきたのは、黄金の鎧をまとった青年だった。
だが、その顔に英雄の覇気はない。目の下にはどす黒い隈があり、頬はこけ、焦点が定まっていない。鎧の重さに耐えきれず、引きずるように歩いてくる。
「……勇者アルベルです。助けてください」
開口一番、彼は言った。
「もう、死にたいんです。でも、死なせてくれない」
俺は眉をひそめた。
「死なせてくれない? 回復魔法が優秀すぎるということですか?」
「違います。『死に戻り』です」
アルベルはガタガタと震え出した。
「魔王軍との戦いで、俺はもう百回は死にました。首を刎ねられ、内臓を食い破られ、毒で溶かされ……そのたびに、時間が巻き戻るんです。セーブポイントの朝に」
彼は頭を抱え、悲鳴のような声を上げた。
「痛みが消えるわけじゃない! 記憶も消えない! 焼けた鎧が皮膚に張り付いて剥がれない熱さも、喉に牙が刺さって声が出ないまま噛み砕かれる感触も、全部残ってるんだ!」
俺は息を呑んだ。
異世界ファンタジーでよくある「死に戻り」の能力。
だが、それは本人にとっては「地獄の月曜日が永遠に繰り返される」のと同義だ。
彼は世界を救うために戦っているのではない。ただ「シフトを上がりたい(死んで楽になりたい)」のに、システムがそれを許さないのだ。強制労働だ。
「……聖剣が、俺を縛り付けているんです。あいつが俺を『適合者』だと認識している限り、俺は死ぬことすら許されない」
俺は眼帯の下で、左目を開く。
――『解析』開始。
激痛と共に、アルベルの魂を見る。
酷い。
原型を留めていない。何度も引き裂かれ、そのたびに無理やり粘着テープで継ぎ接ぎされたような、ボロボロの魂だ。
そして、彼の腰にある『聖剣』。
輝く刀身の奥に、無機質なシステムコードが見える。
『適合率:低下中』『燃料:枯渇寸前』『代替バッテリーを検索中』
これは聖剣ではない。
ただの「燃料(魂)を食って動くシステム」だ。
正義の心など見ていない。より若く、より純粋で、より魔力が高い(スペックの良い)燃料があれば、誰でもいいのだ。
そして、俺は部屋の外――待合室にいる「従者ロイド」の気配を探った。
壁越しに見える彼の魂は、眩いほどに輝いている。
「勇者になりたい」という無垢な憧れと、アルベルへの盲信。
……完璧な、新品の電池だ。
「アルベルさん」
俺は眼帯を戻し、冷たく告げた。
「聖剣との契約を破棄する方法はあります」
「本当か!?」
「ええ。システムは、より高性能な宿主を見つければ、そちらに乗り換えます。つまり、あなたの代わりに『勇者』を引き受ける人間がいればいい」
アルベルの顔が強張った。
「誰かに……この地獄を押し付けろと言うのか?」
「外にいる従者の少年、ロイド君。彼はあなたに憧れていますね?」
「……ああ。あいつは田舎から出てきたばかりの、いい奴だ。俺みたいになりたいって、いつも目を輝かせて……」
アルベルは言葉を詰まらせた。
彼に背負わせるのがどういうことか、理解したからだ。
「残酷な話ですが」
俺は淡々と、悪魔のロジックを並べる。
「憧れは、契約に一番向いています。疑うことを知らない信仰心は、呪いを譲渡するための最高の潤滑油になる」
俺は机の上の水を一口飲んだ。
「選んでください。このまま精神が崩壊するまで死に続けるか、彼に『夢』を与えて、あなたが降りるか」
アルベルは苦悩した。
だが、百回の死の記憶――肉が焼け、骨が砕ける痛みのフラッシュバックが、彼の良心を凌駕した。
生存本能が勝ったのだ。
「……呼んでくれ。ロイドを」
その声は、犯罪者のように震えていた。
◇
ロイドが入室してきた。
まだ十五、六歳だろうか。純朴な少年は、憧れの勇者に呼ばれて頬を紅潮させている。
「ロイド。お前に……この聖剣を託したい」
アルベルは嘘をついた。いや、事実の一部だけを伝えた。
「俺はもう戦えない。お前こそが、真の勇者にふさわしい素質を持っているんだ」
「ぼ、僕がですか!? でも、僕なんてただの村人で……」
「聖剣が選ぶのは身分じゃない。高潔な魂だ」
アルベルは震える手で、腰の聖剣を外し、ロイドに差し出した。
ロイドは恐る恐る、しかし感動に打ち震えながら、その柄を握った。
カッ!
部屋が強烈な光に包まれた。
ロイドの身体が浮き上がり、神々しいオーラを纏う。
「うおおおお! 力が、力が溢れてくる!」
少年は歓喜の声を上げた。自分が物語の主人公になったと信じて。
だが、俺の左目には違う光景が見えていた。
光じゃない。
聖剣から伸びた無数の黒い触手が、ロイドの全身に突き刺さり、彼の生命力を貪り食い始めている。
キーン、という耳鳴りが、歪んだ笑い声のように聞こえた。
『新規デバイス接続完了』『適合率:最高』『同期開始』
システムが歓喜している。
古びて使い物にならなくなったアルベルを吐き捨て、瑞々しい若肉を手に入れたことを喜んでいる。
光が収まると、そこには新たな勇者が立っていた。
そして、その横には、憑き物が落ちたように顔色の良くなった元勇者が、へたり込んでいた。
「……やった。抜けた。俺は、助かったんだ」
アルベルは自分の手を見て、涙を流していた。
それは安堵の涙であり、同時に少年を地獄へ突き落とした罪悪感の涙でもあった。
「行きましょう、アルベル様! 僕が魔王を倒します!」
何も知らないロイドが、無邪気に笑う。
その笑顔の裏で、これから彼を襲う無限の「死」が、口を開けて待っているとも知らずに。
◇
二人が去った後、俺は窓のブラインドを下ろした。
ロイドの輝きが、今の俺には眩しすぎたからだ。
俺は、ババ抜きのジョーカーを引かせたディーラーだ。
アルベルを救うために、未来ある少年の人生を消費した。
ズキン。
左目だけでなく、頭全体が割れるように痛む。
限界が近い。
俺の身体もまた、酷使されすぎて悲鳴を上げている。
「……まだ、壊れていない」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
鏡の中の自分を見る。顔色は死人のようだ。
「壊れる『許可』が下りていないだけだ」
そう。
俺もまた、この「異世界役所」というシステムに組み込まれた歯車の一つに過ぎない。
代わりが来るまで、あるいは完全に焼き切れるまで、俺は働き続けなければならないのだ。
あの勇者と同じように。
俺は震える手で痛み止めを煽り、次の地獄への準備を始めた。
お読みいただきありがとうございます。
新しい勇者が誕生しました。
ロイド少年は、これから数百回、数千回と殺されるでしょう。ですが、今はまだ何も知りません。その無知こそが、アルベルにとっての救いであり、聖剣にとっての最高の燃料です。
夢見る若者が、疲れた大人たちの尻拭いをさせられる。
悲しいかな、これもまた一つの「社会の縮図」ですね。
さて、レンの身体も限界です。そろそろ、ツケを払う時間が近づいてきました。




