無限収納という名の墓標
異世界転生の定番スキル「亜空間収納」。
容量無限、重量無視、時間停止。これほど便利な能力はありません。
ですが、少し考えてみてください。
その「亜空間」とは、一体どこにあるのでしょうか?
もしそれが、使用者の「魂の容量」を切り売りして作られたスペースだとしたら?
今日の相談者は、王都の闇を詰め込みすぎた、哀れなゴミ箱のお話です。
左目の視界から「赤」が消えた。
朝、林檎を齧ったときに気づいた。右手にある林檎は灰色で、左目だけで見るとまるで石塊のように見えた。
『解析眼』の代償は、確実に俺の五感を蝕んでいる。視神経が焼き切れるのが先か、脳が情報の奔流に耐えきれずパンクするのが先か。
どちらにせよ、俺に残された時間は長くない。
冒険者ギルド別館・生活相談所。
本日の相談者は、俺と同じ「渡り人」――つまり、地球からの転生者だ。
『相談者:ケンジ(運び屋)』
『相談内容:原因不明の身体の不調について』
ドアを開けて入ってきた男は、ヒョロリとした体格の若者だった。
黒髪に黒目。ジャージのような奇妙な服を着ている。この世界にはない素材だ。彼が「特典」として持ち込んだものだろう。
だが、その歩き方は奇妙だった。
何も背負っていないのに、まるで巨大な岩でも担いでいるかのように、腰を深く曲げ、脂汗を流しながら一歩ずつ進んでくる。
「……ッス。予約したケンジです」
「どうぞ。お掛けください」
「いや、座ると……立てなくなるんで、このままでいいッスか」
ケンジは壁に手をつき、荒い息を吐いた。
「相談ってのは、この『重さ』についてなんスよ」
「重さ? 腰痛ですか? なら治癒術師のところへ」
「行ったよ! でも『異常なし』だって言われるんだ。俺のスキルは『亜空間収納』だぜ? 重量制限なし、容量無限のチートスキルだ。荷物の重さなんて感じるはずがねえんだよ」
彼は苛立ちを隠そうともせずに言った。
転生者特有の選民意識。自分は特別であり、この世界の理には縛られないという傲慢さ。かつての俺もそうだった。
「俺、最近『裏の仕事』で結構稼いでてさ。王都の貴族とか商人から頼まれて、色んなもんを運んでるんだ。誰にも見られず、絶対に証拠を残さない輸送。俺の独占市場さ」
ケンジは歪んだ笑みを浮かべた。
「でも、最近どんどん身体が重くなる。寝てても、風呂に入ってても、何かが俺の上に乗ってるみたいなんだ。……なあ、これって呪いか?」
俺はため息をつき、眼帯に手をかけた。
同郷のよしみで警告してやりたいが、現実は甘くない。
――『解析』開始。
脳髄を貫く激痛。左目の視界がノイズ混じりの灰色に染まる。
ケンジの身体を見る。肉体的な異常はない。筋肉も骨格も正常だ。
だが、俺の感覚がおかしい。
鼻孔を突く、強烈な鉄の臭い。腐った肉と、古い血の臭気が、ケンジの背後から漂ってくる。
視界のノイズを調整する。彼の背後にある空間の歪み――「亜空間」への入り口を覗き込む。
最初に見えたのは、暗闇に浮かぶ小さな「指輪」だった。宝石が外され、血に濡れている。
次に見えたのは、「子供の靴」。片方だけ。泥と煤で汚れている。
そして、その奥にある巨大な影の正体を認識した瞬間、俺は嘔吐感を堪えて口元を押さえた。
山だ。
死体の山だ。
数百、いや数千の死体が、亜空間の中で腐敗もせず、時間停止したまま積み上げられている。
兵士、老人、子供、亜人。
拷問の痕がある者、毒殺された者、疫病で死んだ者。
王国の権力闘争、口封じ、隠蔽工作。それら全ての「結果」が、この空間に廃棄されていた。
「……ケンジさん」
俺は眼帯を戻し、震える声を押さえつけた。
「あなたが運んでいる『荷物』、中身を確認したことはありますか?」
ケンジの目が泳いだ。
「は? ねえよ。クライアントの秘密厳守がプロの流儀だろ。それに、収納しちまえば中身なんて見えねえし」
「本当に?」
俺は畳み掛けた。
「一度も、見たことはないんですか? 布の隙間から見えた赤い染みや、中から聞こえたはずの小さな嗚咽を」
ケンジの顔色が白蝋のように変わった。
「……い、一度だけ」
彼は絞り出すように言った。
「麻袋から、子供の手みたいなのが出てて……泣き声が聞こえた気がした。でも、報酬が金貨十枚だったんだ。だから俺は、見なかったことにして収納った」
確定だ。彼は被害者じゃない。共犯者だ。
金のために、思考停止を選んだのだ。
「見えなくても、繋がっているんです」
俺は冷徹に告げた。
「『亜空間収納』は、別の次元に部屋があるわけじゃない。あなたの魂の容量の一部を切り裂いて、空間を拡張しているんです。つまり、あなたは自分の腹の中に死体を詰め込んでいる」
「腹の中……?」
「物理的な重量はゼロでも、精神的な『質量』は消えない。あなたが感じている重さは、数千人の死者の無念であり、絶望そのものです」
俺は指を突きつけた。
「あなたは『運び屋』じゃない。王都の『生きた処分場』にされているんだ」
ケンジはその場に崩れ落ちそうになり、慌てて膝を支えた。ガタガタと歯が鳴る。
「じ、じゃあどうすればいい! 誰かに引き取ってもらえないのか! 魔法使いとか、教会とか!」
「無理ですね。これほどの怨念を引き受けられる器なんて、あなた以外にいません。誰かに渡した瞬間、その人間は発狂して死ぬでしょう」
希望を提示して、即座に潰す。
逃げ場を塞がれたケンジは、縋るような目で俺を見た。
「だ、出せばいいのか? 全部吐き出せば、楽になれるのか!?」
「出せますか?」
俺は問いかけた。
「今ここで、数千の死体をぶちまければ、あなたの身体は軽くなるでしょう。ですが、その瞬間、あなたは王国の全権力者から指名手配される。国家反逆罪、あるいは大量虐殺の犯人として。即座に処刑です」
ケンジの呼吸が浅くなる。
吐き出せば社会的に死ぬ。持ち続ければ精神が死ぬ。
「そ、そんな……俺はただ、楽して稼ぎたかっただけなのに……俺はチート持ちなんだぞ……」
「選択肢は二つです」
俺は、いつものように残酷な二択を提示する。
「一つは、全てを吐き出して処刑台に登ること。魂は救われますが、命はありません」
ケンジは激しく首を振った。
「もう一つは?」
「このまま運び続けることです。ただし、人間であることを諦めてください」
俺は彼に近づき、耳元で囁いた。
「自分は人間ではない。ただの『高性能なゴミ箱』だと、心の底から思い込むんです。感情を捨て、罪悪感を捨て、機械になりなさい。中身が死体だろうがゴミだろうが関係ない。そう認識を書き換えれば、重さは消えます」
それは、人としての死を意味する。
だが、肉体を生かすためには、心を殺すしかない。
ケンジは涙を流しながら、しばらく嗚咽していた。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。その目からは、光が完全に消えていた。
「……俺は、プロだ」
彼はうわ言のように呟いた。
「俺は優秀な運び屋だ。どんな荷物でも運ぶ。誰も俺の代わりはできない。俺は……特別なんだ」
自己催眠。
そうすることでしか、今の自分を肯定できないからだ。
彼は自分の心を殺し、空っぽの器になった。
「……そうです。あなたは特別な存在です」
俺は嘘をついた。それが、今の彼にできる唯一の鎮痛剤だった。
ケンジは、入室した時よりもさらに深く腰を曲げ、地面を這うようにして出て行った。
その背中には、彼にしか見えない数千の死体がしがみついている。
彼は一生、その重さに耐えながら、王都の闇を吸い込み続けるのだろう。
いつか、その魂が完全に圧し潰されて、彼自身が「誰かの荷物」になるその日まで。
◇
彼が去った後の部屋は、ひどく寒かった。死臭の余韻が鼻に残っている。
俺はコートを羽織り、窓の外を見た。
灰色の空。灰色の街。
ふと、窓ガラス越しに、通りの向こう側に人影が見えた気がした。
黒いローブを目深に被った男が、じっとこちらを見上げている。
目が合った瞬間、男は人混みの中に溶けるように消えた。
教会の監視者か、それともギルドの密偵か。
あるいは、ケンジの背後にいた死神が、次は俺に目をつけたのか。
「……ああ、そうか」
俺は自分の手のひらを見つめた。
左目だけじゃない。
右目の視力も、落ち始めている。
俺もまた、他人の不幸や秘密という「荷物」を、この身に溜め込みすぎたのかもしれない。
ケンジのことを笑えない。
俺もまた、相談所という名の「処分場」の管理人なのだから。
背筋に冷たいものが走るのを感じながら、俺は次の相談者のファイルを手に取った。
まだ、俺は壊れていない。
まだ、働ける。
お読みいただきありがとうございます。
ケンジは救われました。
彼はもう、背中の死体の重さに怯えることはありません。なぜなら、自分を人間ではなく「高性能な焼却炉」だと認識し直したからです。
心を殺せば、痛みは消える。現代社会でもよくある処世術ですね。
さて、レンの右目も霞み始め、窓の外には監視者の影が見え始めました。破滅の足音が聞こえてきます。




