「都合のいい奴」の請求書
異世界転生しましたが、チートで無双もしなければ、魔王も倒しません。
元公務員の主人公がやることは、王都の片隅での「人生相談」だけです。
ただし、ここで処方される解決策に「きれいごと」は一切含まれません。
誰かを蹴落とし、何かを犠牲にし、法と倫理の隙間を縫ってでも「現状を解決したい」人だけ、お入りください。
※本作には、残酷な描写や、現代の倫理観とは異なる解決策(鬱展開・ビターエンド)が含まれます。用法・用量を守って正しく絶望してください。
羊皮紙にインクが滲む匂いだけは、前世の役所と変わらない。
窓の外からは、行商人の怒声と馬車の車輪が石畳を削る音が聞こえる。
俺、相馬レンは、羽ペンの先をインク壺に浸しながら、こめかみの鈍痛を堪えていた。
この世界に転生して得たものは、言語の壁を超えて相手の「本質」を読み解く『解析眼』というスキル。
失ったものは、健康な左目と、この世に対する希望だ。
スキルを使うたび、左目の視界がノイズ混じりに歪んでいく。最近では、文字が虫のように蠢いて見えることすらある。
「……で、相談というのは?」
俺は痛む左目を眼帯で隠し、右目だけで目の前の男を見た。
王都の裏路地にある『冒険者ギルド別館・生活相談所』。
聞こえはいいが、要はギルドが抱えきれない「食い詰めた冒険者」のガス抜き施設だ。
相談者の男は、安っぽい革鎧を着ていた。年齢は二十代半ば。頬は痩せこけ、手には無数のあかぎれがある。
「あ、あの……俺、もっと評価されるべきだと思うんです」
男は名をガンツといった。Dランクパーティ『暁の牙』の荷持ち(ポーター)兼雑用係だ。
「俺がいないと、あいつらダンジョンに潜ることすらできないはずなんです。なのに、いつまで経っても俺は『便利な奴』止まりで……どうしたら、彼らに認めさせることができるでしょうか? もっと筋トレして、前衛に出られるようになるべきですか?」
よくある勘違いだ。
俺はため息を飲み込み、眼帯の下の左目を開いた。
――『解析』開始。
グヂュリ、と脳の裏側をスプーンで抉られるような感触。
世界の色が反転する。
ガンツの背後に、赤い糸のような『因果の線』が見えた。それは彼から伸びて、王都の酒場で笑っているであろうパーティメンバーへと繋がっている。
だが、その線は「信頼」ではない。「搾取」のパイプだ。
俺は吐き気を堪えながら、事実だけを抽出する。
「ガンツさん。結論から言います。筋トレは無意味です」
「えっ? な、なんでですか」
「あなたが『便利すぎる』からです」
俺は羊皮紙にさらさらと図を描いた。
「あなたのパーティにおけるあなたの価値は、銀行の預金のようなものではないんです。むしろ『生鮮食品』に近い」
「はあ……食品?」
「評価経済の残酷なところですがね、他人のために尽くせば尽くすほど、それが『当たり前』になると、感謝の利子はつかないどころか、マイナスになるんです」
かつて読んだ本の内容を、この世界の言葉で翻訳する。
「あなたが今日やった親切は、明日には忘れられる。むしろ『昨日はやってくれたのに、なぜ今日はやらないんだ』という負債に変わる。あなたは彼らに奉仕し続けることで、自分自身の価値を『無料の道具』まで暴落させてしまった」
ガンツは口をぽかんと開けていた。
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「交渉です。『認めてくれ』という感情論ではなく、『契約』として」
俺は彼に具体的な台本を渡した。
荷持ちとしての業務範囲の明確化。消耗品費の立替拒否。そして報酬の固定給化。
今の彼には市場価値がある。他のパーティに行けば、もっとマシな待遇で雇われるはずだ。
その時の俺は、まだこの世界の「理不尽」を甘く見ていた。
◇
三日後。
ガンツが再び相談所を訪れた。
その顔は、三日前よりも酷い状態だった。左目は青く腫れ上がり、唇は切れ、片足を引きずっている。
「……どうしました」
「……殴られました」
ガンツは力なく椅子に座り込んだ。
「相談員さんの言う通りに言ったんです。契約を見直してくれって。そしたらリーダーが、『誰のおかげでメシが食えてると思ってるんだ』って……」
「暴行を受けたんですか? なら、衛兵に」
「無駄です。リーダーは、この地区のギルドマスターの甥なんです」
俺は息を止めた。
ギルドマスター。冒険者ギルドにおける絶対権力者。
「それに、俺が『抜ける』って言ったら、『裏切り者リスト』に載せるぞって脅されました。そんなリストに載ったら、王都中のギルドで仕事が受けられなくなる」
「……では、冒険者を廃業して、この街を出て独立すればいい。荷運びのスキルがあれば、行商人の手伝いくらいは」
「できませんよ!」
ガンツが悲鳴のように叫んだ。
「宿に泊まるにも、部屋を借りるにも、ギルドの身分証がいるんです! ギルドを追い出されたら、俺は今日から路地裏で寝るしかない。保証人のいない人間に、誰が仕事をくれますか? パンひとつ売ってくれない!」
俺は言葉を失った。
詰んでいる。
物理的な暴力と、社会的な包囲網。
彼はもう、あのパーティに戻るしかない。報酬を半分にカットされ、奴隷のように扱われる日々に。
「俺……もう、一生あいつらのサンドバッグとして生きるしかないんですかね」
部屋の空気が鉛のように重くなる。
俺の中で、何かが冷たくあざ笑う声がした。
――正論なんて役には立たない。
――毒には毒を。理不尽には、より大きな理不尽をぶつけるしかない。
俺は再び眼帯を外した。
激痛。視界の左側がノイズで埋め尽くされ、ガンツの顔が髑髏のように歪んで見える。
一つだけ、道があった。
だがそれは、ガンツの魂を汚し、俺自身の倫理観も焼き尽くす道だ。
「……ガンツさん」
俺の声は震えていた。
「彼らと和解する方法はありません。逃げる場所もない。なら、あなたが『上』になるしかない」
俺は引き出しから、一枚の申請書を取り出した。
手が微かに痺れている。これを使わせたくない、という本能的な拒絶だ。
『従属使役者登録申請書』。
平たく言えば、奴隷を所有するための書類だ。
「え……?」
「リーダーはあなたに『荷持ち』を求めている。なら、あなたが荷物を持つ必要はない。『荷物を持つ誰か』を用意すればいいんです」
「どういう、ことですか」
「奴隷を買いなさい。安い、亜人の子供でいい」
ガンツの顔が引きつった。
「ど、奴隷なんて……そんな金ないし、それに、それは人の道として……」
「金なら、ギルドの『装備購入ローン』が使えます。名目は『自律歩行型運搬具』として申請すれば通る。私が書類を偽装します」
俺は早口でまくし立てた。感情を挟めば、自分が何を言っているのか理解してしまい、吐いてしまうからだ。
「あなたが奴隷に荷物を持たせれば、あなたの手は空く。手が空けば、剣が持てる。剣を持って魔物と戦えば、あなたは『戦闘員』としての実績を作れる。数字さえ出せば、ギルドもあなたを無視できなくなる」
「で、でも、その奴隷は……もしダンジョンで死んだら……」
俺は奥歯を噛み締め、口の中に鉄の味が広がるのを感じながら、その一言を吐き捨てた。
「消耗品です」
部屋の温度が、氷点下まで下がった気がした。
ガンツは震える手で申請書を見つめていた。
彼の中の良心が、生存本能の前で悲鳴を上げ、そして押し潰されていくのが見えた。
「……これで、俺は強くなれますか」
「なれますよ。少なくとも、もうただの荷持ちじゃない」
「そう、ですよね。俺が悪いんじゃない。世界が悪いんだ」
ガンツは震える手で羽ペンを取り、サインをした。
カリ、カリ、という音が、俺の心臓を削る音のように響いた。
彼の目から光が消え、代わりに暗く澱んだ「覚悟」が宿る。
それはかつて彼を虐げていたリーダーと同じ、他者を踏みつけにする者の目だった。
◇
ガンツが帰った後、俺は洗面器に胃の中身をすべて吐き出した。
鏡に映る自分の顔は蒼白で、左目は充血して真っ赤だった。
俺は彼を救った。
その代償として、見知らぬ亜人の子供が一人、鎖に繋がれることになる。
「……クソみたいな世界だ」
口をゆすぎ、再び席に戻る。
次の相談者がドアをノックしている。
俺は眼帯をきつく締め直し、営業用の薄い笑みを浮かべた。
「はい、どうぞ。お入りください」
ドアが開く。
入ってきたのは、恰幅のいい商人風の男だった。
その手には鎖が握られており、足元には首輪をつけられた獣人の少女が、怯えた目で俺を見上げていた。
「いやあ、この商品について相談があるんだがね」
商人は少女を気にする様子もなく、懐から一枚の契約書と、品質保証のタグを取り出した。
「関節の動きがどうも渋くてね。これ、初期不良ってことで返品できるかな?」
足元の少女は、自分が話題になっていることすら理解できず、ただ床の木目を虚ろに見つめていた。
俺の視界が、ぐらりと揺れた。
これが現実だ。
俺がさっき書類の上で許可した地獄は、ここではただの「事務処理」として回っている。
俺は胃の奥からせり上がる酸っぱいものを飲み込み、静かに言った。
「……承りました」
お読みいただきありがとうございます。
第1話、いかがでしたでしょうか。
主人公のレンは、決して聖人君子ではありません。かといって悪人でもありません。ただ「事務的に、最も効率の良い解決策」を提案しただけです。
その結果、誰が泣くことになろうとも、書類上は「解決済み」です。
ガンツはこの先、あのアドバイス通りに成り上がっていくことでしょう。足元の鎖を見ないふりをして。




