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Chapter3. 救世連盟⑤


 トルヴォサウルスは捕食した獲物を飲み込みこもうと頭部を上げる。



「……見なかったことにしましょう」

「待てよ」


 トルヴォサウルスの前頭骨を覆う皮膚が切り裂かれて血の噴水が上がる。開いた切創からユークリウットが這い出るとミルファの横に飛び移った。


「臭い……臭いですよユークさん!」

 ミルファが鼻をつまんで血まみれの隣人から遠ざかる。


「オアアアアアアアアッ!」


 激痛に悶えるトルヴォザウルスは地面を激しく転げまわる。周辺の木々がメキメキと音を立てて押しつぶされていった。


「黙らせるか」

 枝葉から飛び降りたユークリウットは右手の先に光の剣を出現させてトルヴォサウルスの腹部を突き刺した。巨体が串刺しの状態から逃れようと四肢を暴れさせるが、程なくして息絶える。


「危うくトルヴォサウルスの餌になるところだった」

 武器を消失させたユークリウットは安堵の溜め息を吐く。

「何ですかそのトルヴォなんとかって?」

 膝を曲げて真下を眺めるミルファがそう質問した。


「恐竜の名前だよ。恐竜の分岐群(ぶんきぐん)の中にスピノサウロイデアという分類があるんだが、その分類は基盤的なスピノサウルス類と、特殊化したメガロサウルス類の二種類に分かれていて、あのトルヴォサウルスはメガロサウルス類に属する大型(おおがた)獣脚類(じゅうきゃくるい)なんだよ」

「何を言っているのかサッパリです。呪文ですか?」

「……そうだな。一般人には恐竜学なんて分からないからな」

「その言い方はまるで私が無知みたいじゃないですか」

「実際知らないだろ?」

「初めて聞いた話題だから勉強してないだけです」

「それじゃあこれから勉強するっていうのか?」

「まあ、ユークさんが心の底から(こいねが)うならやってあげないこともないですが」

「そうか……なら、いつか教えてやるよ」

「な、何かいつもと態度が違いますね……」

 ミルファはどこか嬉しげだったユークリウットを(いぶか)る。


「そろそろ行くか?」

「その前に体を洗ってください。この辺に水場ないですかね」

「足元に支流が見えるから近くに沼があるんじゃないか」


 二人は支流を頼りに道を昇る。しばらく進むと、樹林の奥に木漏れ日が落ちる広い沼を見つけた。

 沼の上澄みの水は透明度が高く、小魚が泳いでいる姿も見えた。


 ミルファは沼の奥にいた恐竜の集団をまじまじと眺める。太い首を持ち、体が鱗で覆われた全長四米の四足恐竜イスキガラスティアが群れを成して(たたず)んでいた。


「何かいますね。襲ってくる系の恐竜ですか?」

「雑食だが口が小さいから人間みたいな生物は食べないぞ」

 イスキガラスティアの群れはクリッとした双眼で二人を静かに眺めていた。

 ユークリウットは沼に張り出た岩の上に立ち、麻袋と一冊の本を置いた。


「服を洗えばいいんだろ?」

「そのまま入ればいいのでは?」

 ミルファはユークリウットを沼地に蹴り落とす。水面を叩く音にイスキガラスティアの群れが鋭く反応したが、何をするわけでもなく二人をじっと眺めていた。

 全身を濡らしたユークリウットは立ち上がると前髪をかき上げた。


「お前、本当に滅茶苦茶だな」

「ユークさんは目の前に腐乱死体があったらどうします? 私なら捨てるか埋めます」

「そんな物と一緒にするな……水が冷たい」

「ちゃんと全身浸かった状態で千数えてくださいね。いーち、にーい」

「鬼か」

「鬼じゃなくてミルファです」

「はいはい」


 ユークリウットは全身を沼に浸ける。泳いで水深の深いところに移動すると、水中で体を何度か回転させて全身の汚れを落とした。


「ユークさん、これ何ですか?」

 ミルファは岩の上に置いてあった本を手に取る。


「それは親父の遺品だ」

「……ごめんなさい。勝手に触れて」

「構わないさ。図鑑を兼ねたただの日記帳だからな。中も見ていいぞ」


 ミルファは本の頁を捲っていく。

「これ、すごいですね」

 ミルファは感嘆を漏らす。本には数多くの生物の他、恐竜とドラゴンの特徴や生態系、特殊能力、進化論などの情報が事細かに記されていた。


「ユークさんのお父さんって何者ですか?」

「親父のことはあまり知らないんだ。俺が知っているのは親父が村の長をしていたことと、恐竜とドラゴンに詳しかったこと。あとはジベス=ローヴェルという名前だけ」

「シベスって……もしかして救世連盟にいた学者のジベス=ローヴェルですか?」

「おそらくそうだろう。村じゃただの物知り爺さんだったけどな」

「だからドラゴンの倒し方とか知ってるんだ……でも、ジベス=ローヴェルって悪い噂もあるんですよね。十数年前に学者たちと一緒に連盟を脱退したし」

「脱退……か。おそらく、その後にニュエルホンをつくったんだろうな」

「人間、マシン・ヒューマン、竜人で構成された村でしたっけ。本当に平和だったのですか?」

「世間と比べれば長閑(のどか)な村だったと思うぞ。奴隷とか、差別とか、殺伐としたものとは無縁だった。ただ、七年前に俺一人を残して村が滅んだからもう拝むことはできないけどな」

「その村で何があったんですか?」

「その詳細を知る事も含めて俺は今、とある人物を探している」

「……そうですか」

「今度は俺から質問していいか?」

「お断りします」

「俺は答えてやっただろ?」

 ユークリウットは気だるそうな顔のミルファを無視して話を続ける。


「キュエリ=フェイプラインはどこにいる?」


「……なぜユークさんがその名を?」

「親父が死ぬ間際、その本を渡せと言った相手がそいつなんだ。そいつが連盟から離れてこのアリメルンカ大陸へ渡航したことを知って追ったはいいが、いかんせん情報不足でね」

「私もユークさんとそう変わりませんよ。えーと、二十三歳の若さで連盟の研究機関の一つを一任された天才博士。確か、一ヶ月前に助手と失踪したとか言っていたかな。あ、それと、年代的にユークさんのお父さんと同輩だった時期があるかも」

「親父の?」

「博士は五歳の頃から連盟で研究員をしていたらしいので。まあ、おそらくですが」

「そいつを見つけることが連盟の目的の一つらしいな」

「もしかして私たちの話を聞いてました?」

「連盟の施設内に隠れていたときそんな話を耳にした」

「機密も何もあったものじゃないですね」

「単刀直入に聞くが、連盟の目的は何だ?」

「博士の捜索と、この大陸にあるらしいとある場所へ向かうのが目的らしいですけど」

「人間共を開放する連盟が教義よりも優先することがあるとはな」

「昔はもっと違った組織だったんですけどね」


 ミルファは小さくため息をついた。


「この本を渡すことがユークさんの目的みたいですが、達成したらその後はどうするんですか?」

 ユークリウットの目がふいに点になる。

「どうしました?」

「この七年、親父の遺言を果たすことしか考えてなかった……まあ、今はそれを果たすことが俺の人生だ」

 ユークリウットは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


「そろそろ行きましょうか」

「服を乾かす時間は?」

「空を飛んでいれば勝手に乾きますよ」

「他人事だと思いやがって」

「他人事ですから」


 岩の上に跳んだユークリウットはミルファから本を取り上げる。水分を大量に含んだ衣服を絞ったあと身にまとい、麻袋を担いだ。


「先に行きますよ」

 ミルファは両足に空気孔をつくり、圧縮空気を使って跳び立った。

「本当に行くんだな……」

 ユークリウットは光の粒子を両足に宿して出発する。

 移動するミルファの後方では、くしゅん、と寒そうな声が響いた。


 

 ユークリウットとミルファはしばらく移動を続けて、昨日訪れた村の近くに到着した。

 太陽は南中をすぎて西の空に傾き始めていた。


「ユークさんはここで待機していてください」

「正面からは止めとけよ。木に登って周囲を警戒しながら村に行け」

「何故です?」

「村が妙に静かだ」

 ユークリウットは木々に隠れた村の方を睨む。人の気配はなく、周辺の生物さえ物音ひとつ立てないため、まるでそこだけ切り取られたような妙に静けさが漂っていた。


「ユークさんもしかして静寂が怖いんですか?」

「そういうわけじゃないんだがな……付いていこうか?」

「ご心配なく。私は何ものにも動じない心の持ち主なので」

「あっ、幽霊」

「ふえぇ、どこ、どこですか、早く追い払ってユークさん!」

「嘘だよ」


 ミルファは咳払いをした後、右手を剣に変形させる。


「冗談だよ。待てよ。刃先を分子運動させるな」

「まったくもう。静寂に怯える腰抜けは大人しく待っていてください」


 ミルファは木の幹を蹴って駆け上がり、樹林の上を跳んでいく。


「……大丈夫かね、あいつ」

 ユークリウットの顔つきが真剣なものに変わると、警戒を一層強めて地面を進む。村を支配していた竜人がいなくなったことによって人間たちが逃げ出したのか、ドラゴンや恐竜などの大型生物に襲われたのか。村は湿地帯の奥にあり、村の裏は山嶺に囲まれている。もしも人間が村から脱出したのなら道すがら見つけていてもおかしくはないが、ここまで遭遇することはなかった。



「――っ!」

 考えを巡らしていたユークリウットがふいに左へ見向く。

 影を落とす木々の向こうから一人の女が飛び出してきた。

 女は両刃の剣に変えた左手でユークリウットを狙う。

 ギイン、と硬質な音が響く。

 ユークリウットは右手に出現させた光の剣で斬撃を弾くと、後ろに跳んで、女と距離をとった。艶のある長い黒髪。顎の整った輪郭と、威圧感のある切れ長の目は超然とした印象を放つ。長身の若い女で、その左手の得物の刃先が激しく振動していた。


「お前が犯人か?」

 女は体の各部につくった空気孔から吸気を行いつつ、ユークリウットに尋ねた。


「何だと?」

「やはり竜人というべきか、随分と非道なことをする」

「何を言っている?」

「竜人に語る事など無い!」

 女は体勢を低く構える。

「聞く耳持たず、か……!」

 ユークリウットは左手の先からも光の剣を出現させて戦闘態勢に入る。

―――――――――――――――――――――――――――――


「え……」

 先行していたミルファは木の上から村の全景を眺めると絶句した。

 村内に生活音の類は無く、家屋がことごとく破壊されていた。

 村の至るところに血の痕跡が存在し、その地面には、四肢をバラバラにされた人間の死体が大量に転がっていた。






※イスキガラスティアは現在だと哺乳類の仲間説が一般的ですが、ディキノドン類に属していて恐竜説もあるので、ここでは恐竜として描いてます。

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