好きな人の好きな人を、私は好きになれない(おまけSS追加)
「遠々の親戚がね、来週編入してくるんだ。同い年だから面倒みてくれなんて言われたんだけど、異性だし結構面倒な頼みだよね」
と、何の気もない雑談としてぽろりとクロード様が零した。
週に一度、同じ図書委員の係として二人で受付を任されている私たちは、並んだ受付席で多くはない雑談をする。週に一度を1年と3ヶ月共にした私たちの仲は、良いというほどじゃない。
クロード様はその整った顔立ちと穏やかな性格で女生徒の人気は高いが、目立ちたがり屋ではないため密かなファンが多い。私もその一人、というかファンというには過大な憧れを抱いていた。
けれど短くない期間を一定の距離感で、判を押したように規則正しく過ごしてきて今更どうやって下心を出せばいいのかわからない。
今日も定型の笑顔を浮かべて「そうなんですか」とゆっくり相槌を打つ。心臓は、ドッドッと嫌な音の立て方をしていた。
親戚で同い年の異性の編入生、の、面倒を見る。
「編入生ということは優秀な方なんですね、私も仲良くなれるかしら」
思ってもいないことを言うのは得意で、感情と反対の笑顔を浮かべるのは癖だ。クロード様は静かな笑みを浮かべながら、手元の本をゆっくり捲る。
「ならなくていいよ、あれは山猿みたいなものだから」
「やっ………」
山猿?
あまりのいいように、目を見開いて固まってしまうと、したり顔でクロード様が笑う。綺麗な顔だ。けど、少しイタズラなその顔は最近やっと見せてくれるようになったもの。
「俺もね、親戚という括りがなければ遠巻きにするくらいの奴なんだけど、まあ親からお目付け役を言われたからしょうがないね。できれば王都の礼儀やマナーを教えてやってほしいなんてさ。……ま、婚約者もいないし、暇つぶしくらいに考えて気楽にやるよ」
「…………クロード様は、婚約者様がまだいらっしゃらないですものね」
「うん、うちは結構のんびりしてるから、俺の好きにさせてくれるし。俺、婚約は思いが通じ合ってからの方がいいんだ」
そういって、クロード様はまた手元の本に目を向けた。
侯爵家次男だからそこまで婚姻を急かされる立場ではないというクロード様は、昨今の婚約事情にしては珍しい恋愛結婚を望む方だ。婚姻から結ばれる人間関係ではなく、人間関係から結ばれる婚姻関係に憧れているらしい。
彼のご両親がそうで、この学院で出会い、お互いを望んで結ばれたといつだったかに教えてくれた。この学院だったら貴族しか入門資格は与えられないので、多少の身分違いはあり得るかもしれないが、婚約自体に無理が出ることはない。
ゆっくり恋をする相手を探せたらいいなと思ってるよ、と穏やかな顔で語った彼に私は恋したのだ。何も行動には起こせないくせに、伯爵家三女でまだ急ぐタイミングじゃないから、と私の婚約を進めようとする親を言いくるめて、ずっと密かな恋を続けてる。
進むことも諦めることもできず、ずっと二の足を踏んだ恋だ。
本音と建前。
貴族であるなら誰しもが使い分ける。私は少し、建前にかける割合が高いのだと思う。理想となるような淑女になれと、躾に厳しい母に言われ続けていたからかもしれない。
今日もうまく、彼にアピールできず、当たり障りのない会話しかできない自分の臆病さに、掌を握りしめた。
◇◆
「山猿……」
「プリシア様?何かおっしゃいました?」
渡り廊下から見える光景に、思わずぽつりと零してしまうと、同じく移動教室へ向かう一団となっていた一人の令嬢が振り返る。それに笑みを返しながら「なんでもありませんよ」と誤魔化した。
それでも、気になってもう一度、気取られない程度に庭を見た。――山猿と、それを追いかけるクロード様を。
山猿ことジェニー嬢は、編入してきてから二週間で瞬く間に時の人となった。何せ規格外なのだ、山猿は。庭園の木に登るし、芝生を見つければ寝転がる。虫を採取し、蛇をぶん回す。廊下を走り回って教師に叱られ、校舎の屋根を登って反省文を書かされていた。不良崩れに喧嘩を売られれば素手で勝ってしまい、学園人気の高い令息たちは彼女を珍獣扱いしおもしろい女だと称した。
前代未聞の令嬢、そのくせテストの成績はピカイチでまさかの学年首席なのがまた癪に障る。バカと天才は紙一重というのを私は彼女で学んだ。
二言目には「私、田舎育ちなので!」と宣う彼女を、クロード様は日々追いかけ回してる。彼女の突飛な行動を諌め、四方に謝罪回り。全力で振り回されている。
今も、彼は怒鳴りながら山猿を追いかけてた。全力の疾走、全力の怒鳴り声、全力の怒り。
そこに、クールで穏やかな貴公子と言われたクロード様は見る影もない。
しかし私は知っている。彼が山猿を怒っているばかりじゃないのを。好意も確かにあることを。
呆れながらも最後は笑う彼は、今まで見たこともないリラックスした表情をしていた。家族に向けるような、気安い顔。
週に一度の図書室当番での雑談も全て山猿の話題に塗り潰され、困った顔の中には親しみもある。楽しそうですね、といえば少し顔を赤くしながら嫌そうにする、年相応の彼。
なんだそれ、と思った。
じゃあ学園で婚約者探しなんかする必要なかったのに。親戚同士で勝手に宜しくやってればよかったじゃないか。
責める権利などどこにもないのに、不貞腐れた私が心の中で叫ぶ。
と、一介の委員仲間程度の私が思う程度のことは、ファンの皆さんだって当然思うわけで。
学園に来てはや1ヶ月経ったある日、めでたく山猿はクロード様ファンに目をつけられて校舎の裏庭なんてコテコテにもほどがあるシチュエーションで呼び出されていた。多勢に無勢というやつである。
マナーがない、礼儀もない、同じ学園で息を吸うのさえ腹立たしい、周りの迷惑を考えろ、親戚という笠を着てクロード様に手を煩わせるな、ぶりっこ、男好き。凡そ、そんなことを詰られている。
山猿はチャラチャラした女集団に囲まれてものすごくちっちゃくなってた。代わる代わる浴びせられる罵倒を真正面から受けて顔を青くしてる。学園で好き勝手に闊歩して大きな口を開けて笑ってる快活さはどこにもない。
正直、いい気味だと思った。
ルールも空気も守らないからだ。後からきた異物の分際で、自分を曲げずに好き勝手やるからだろう。当然、そんなものは潰されて然るべきだ。
私はたまたま現場に通りがかった通行人。見なかった振りをすれば加害者にはならない。そのくせ、気に食わない女が粛清される様を見て溜飲を下げられる、またとない絶好のポジションだ。
ふん、と内心鼻で笑い、通り過ぎようとした。した、のだけれど。
――ジェニーはね、バカでうるさくてどうしようもない女だけど、本当のバカではないんだ。意外に人の気持ちに敏感なところもある。本気で嫌いになることはないかな。
だから、彼女に嫌がられようと、本当に傷ついたり恥をかく前にマナーや礼儀を覚えさせてやんなきゃいけないんだけど。と、そう言って笑った、クロード様の顔が浮かんでしまった。
もう一度、山猿の顔を見る。
山猿の顔は、ずっと強張っていた。詰る女たちの顔を一人ずつ見つめては、取り返しのつかないことをしてしまった、という絶望的な顔をしている。
この理不尽な場こそその拳で蹴散らせば、彼女は本当に山猿だったろう。けど、彼女がその拳どころか、反論一つしないのは囲まれた女たちの行動がクロード様への恋心に起因しているからというのが、わかったからだろう。
自分の行動が人の恋心に多大なダメージを与えたのを、思い知ったのだ。クロード様と遠慮のない近い距離を当然のように享受しているその言動全てが、彼女たちを傷つけたことを後悔している。例えそれが見当違いの八つ当たりだろうと、人の痛みに真摯に向き合ってしまったのだ。
山猿のそんな葛藤は、顔に全部出ていた。
意外に私は、山猿の生態を理解してた。うるさいから、目立つから、……クロード様と一緒にいるから。ついつい目で追ってしまっていた私は、一方通行に彼女を理解してた。
息をついて、一歩踏み出す。
「多勢に無勢はよくないんじゃないかしら?」
言いながら、山猿を背に庇う。
突然現れた私に、集団が動揺した。ついでに山猿も。けどすぐに、ひっこみがつかなくなっているボスっぽい女が私を鼻で笑う。
「その方があまりに礼儀のない行動が目立ちますので、親切に忠告しただけですわ。あなたには関係ないですわよね、プリシア様?」
「親切に、ね。ではこんな人気のないところじゃなく大衆の目があるところで堂々と詰め寄ればいいでしょう?こんなところで囲えば、いかにも後ろめたいといってるようじゃない?」
「ッうる、さいわね!あんただってこれまではクロード様に一番近いとか言われてたわりに、結局その女にあっさり隣を取られたくせに!」
「…………あら?私、クロード様に一番近いなんて言われてましたの?照れてしまいますね」
くす、とわざとらしく笑えば、ぐっと息に詰まるのが面白い。
私がクロード様に一番近かった女かどうかは置いといて、このボス気取り女は自分が一番ではなかったと自ら認めたのだ。
結局、その程度の女だ。私に山猿は排除できないが、この女は排除できる。同じ土俵に立っていて、尚且つ私よりもバカだから。
なんだかジャンケンみたいだな、と思いながら私はさらに笑みを深めた。
「品位を下げますよ。恋心であるなら、どう攻撃してもいいのだという考えは」
それだけ言って、そっと山猿の手を取って集団から遠ざかる。
そのまま無言で山猿と校舎へと歩いて行く。山猿はだいぶ混乱しているようであるが、はっとしたように立ち止まる。
「あ、あの!助けていただいてありがとうございます!」
「……お礼は結構ですよ。大したことじゃありませんから」
「じゃあ、何かお礼に奢らせていただく、とか、させていただきたいです!」
山猿と向き合うと、その大きな瞳をどこか不安げに揺らしていた。
山猿は、やや幼い顔をしてはいるが、クロード様と血縁であるだけあり美少女なのだ。それもまたクロード様に想いを寄せる者たちに嫌われる一つの要因である。もちろん、私にも。
「私も、貴方が好きではありません。だからお近づきになりたくない。………失礼しますね」
山猿はいつもどストレートだ。だから、それを真似するよう本音を投げる。笑顔も消して。
呆気に取られた山猿が固まってるうちに、淑女の仮面を被り直し、「では」と言いながら山猿を置き去りにした。あそこであるなら、きっとその内クロード様が通りがかって山猿を回収する。
そんなこと、よく知ってるくらい二人を観察する癖がついてた。
……ああ!愚か!愚か!愚か!
あの集団も私も!この山猿も!全てが全て愚か!
何もかもが悔しいような、悲しいような、怒り出したいような、形容し難い負の感情がワーッと頭の中に溢れる。
誰もいないことを確認した校舎の片隅、私は蹲ってうーうーと唸ったのだった。
◇◆
――だというのに、あれ以来、何故か山猿に懐かれてしまった。
「プリシア様ぁ!私にまたお茶の飲み方教えてくださぁい」
「……ジェニーさん、淑女は突進してこないものですよ」
「えー、えへへ。そうですかねぇ。王都の女の子たちは歩き方まで綺麗ですもんね、あ、でもプリシア様が一番綺麗です!あんな歩き方、私もできるようになりたいなぁ」
そう言って、締まりのない笑顔で山猿が私の隣に並ぶ。全く貴族子女らしくない、だらしのない顔だ。
そもそもお茶ってなんだ、きちんと紅茶と言え。この山猿のおねだりがうるさすぎて確かに一度、二人きりの茶会の席を設けたが、マナー以前にカモミールティーとセイロンティーの違いもわからない酷い有様だった。置いたお菓子もバクバク遠慮なく食べるし、大口開けて笑い、裏表ない会話しかできない。王都の貴族であるなら、そこらへんの五歳児の方がよほどマシであった。……まあ、呆れることも多々あるが、全く楽しくなかったわけではなかったけれど。
「私、あんまマナーとか興味ないっていうか、どうせ将来自領に引きこもる予定だし礼儀作法とかほどほどでいっかなーとか思ってたんですけど、プリシア様に出会って、キレーな人だなぁって。だから、プリシア様みたいになれたら素敵って思ってます。よかったらコツを教えてください!もっとプリシア様のこと、いっぱい知りたいし、一緒にいたいです!」
「………ずっと、クロード様が貴方の礼儀作法にはご進言してたじゃないですか。今更?」
「えー、だってクロードはうるさいだけだし。男だし。その点憧れの女の子って感じです!プリシア様は!」
少し可愛くなってきたとも思っていない!こいつは敵!
口元がムニムニと動きそうなのを堪えて、私はさもしょうがないと思えるようなため息をつく。
ニッコニコの笑顔と共に伸ばされた手は、仕方ないから取ってあげた。
学校一の問題児が、クロード様ではなく今度は私に付き纏ってると言われるようになるのは割とすぐだった。
追い払っても追い払っても、ニコニコ笑顔で突進してくるものだから多少懐柔されつつあるのは自覚している。
山猿があまりにしつこくねだるから、マナー教師もどきまでやってあげた。頭がいいだけあって、山猿は効率よくするすると物事を学習する。所作が綺麗になって行く。
まあそれでも野山を駆け回り、頬を土で汚していたりはするけれど。――それが、彼女の良さだと言われればそうなのだろう。
しかし彼女は自然に帰る以外の市街遊びに関しては、誰よりも私を誘うようになった。曰く、女友達が欲しかったが、なかなかできなかった反動らしい。学園の人気どころの令息から珍獣扱いされている山猿は、女子評判が著しく低いのである。
こんなところ行ってみたかった、プリシア様といけて本当に嬉しい!
屈託なく言われると悪い気はしない。断る頻度はどんどん下がってしまい、そうなるとたまにクロード様も同行する日も出てきた。これだけは、嬉しい誤算だったけど。
クロード様は私と山猿の組み合わせを面白そうにみつつ、私にだけ何か小さな贈り物やお菓子を贈ってくださることがしばしばあった。曰く、ジェニーのお守りに対する迷惑料、とのことである。そう言われると複雑に思えるが、好きな相手からの些細なプレゼントほど嬉しいものはない。もらった髪飾りをぎゅうっと握れば、クロード様は目を細めて笑う。
「……まあでも、今となってはプリシア嬢がジェニーを気にいるのもなんとなくしっくりくるかな」
「そう、ですか?周りにはいないタイプですが」
「だって、案外君、ちょっと単純というか。だから悪意のないジェニーと相性がいいんだろうな」
「……………褒めてませんね?」
「いや、新しい一面が知れて楽しいってことだよ。俺には淑女の君しか見せてもらえなかったから、少しジェニーが妬けるな」
なんて、そんなふうに言いながら彼は私の手から髪飾りを取って、そっと私の髪に宛てがった。まるで王子様のような卒のなさに、顔が赤くなる。
情けない顔を見せたくなくて伏せてる間に、騒がしく山猿が図書室にやってきた。
大声を出すな!とうんざりしながら怒鳴るクロード様の顔は、やはり私には向けられない気安さが滲む。それを見て、少し頬の熱を冷ますのだった。
さて。私から近寄っているわけでもないが、山猿との交流が増えると、おもしろくないのはそれまで山猿を構ってた令息たちである。
最早学園内ではよく見る取り合わせとなった私と山猿、そしてクロード様の前に彼らはぞろぞろとやってきた。私ばかり睨みつけて。
女の敵は女だが、男の敵は女なのだ。理不尽である。山猿のせいでこういう対峙の場が増えている。
ため息をつきたい気持ちを抑え、私は笑みを浮かべて「何か?」と穏便に聞いてやった。無視してやりたいが、食堂の一角で堂々と私たちの前に来たのだ。生徒会所属だの、騎士所属だの、親が王宮勤めだの、立場ばっかりビッグネームの令息たちなので、うんざりしながら外面の顔を嵌める。彼ら曰く、私のような子女たちは「面白みのない女」らしい。ああもう、そう断ずるバカたちとは関わりたくもないのに。
「プリシア嬢。貴方はジェニーを最近独り占めしていて困るな」
「ジェニーさんから有難くもお誘いいただきますので」
「しかもジェニーにマナーやら礼儀作法だの教えてるんだろう?しかも淑女の嗜みだなんだとつまらない茶会の席まで。あまりくだらない女子の型にジェニーを当て嵌めないでくれないか?」
「ジェニーを変えて、俺らからの関心を削げると思ってんじゃないの?性悪な考えだよね」
やっぱバカかこいつらは。
と、言いたい口をなんとか閉じる。自分たちで言っていてその言葉のおかしさに気づかないんだろうか。マナーや礼儀作法がないから学んでる、それの何が悪いという。というかクロード様にしたって、それを学ばせてやってくれと山猿の実家から依頼されているくらいなのだ。お前らこそ山猿を自分たちの珍獣枠に収めたいだけだろう。
ああ嫌だ、話すと低脳が移りそう。なんでこいつら、学園人気高いんだろう。世の中顔の良さでもカバーできないものってあると思うけど。
という本音を、グッと堪えて膝上に合わせた掌をぎゅうっと握りながら小さく口を開く。
「ジェニーさんご本人が変わりたいというのに邪魔するというなら、それはあなた方のエゴではないのですか?」
「なに、」
「無責任な鳥籠の中に入れたいだけなのでは?」
令息たちが黙る。私に言い返されると思ってなかった顔だ。
そりゃ普段はおとなしめな態度を全面に押し出してるが、貴族の娘が言われっぱなしで黙っているわけはない。毒には毒を返すくらいの気概は常に持っている。
ジェニーが拳を握り、クロード様は何か援護をしようかと待機しているのがよくわかる。こんな奴ら、私だけで大丈夫ですからねという笑みで二人を見る。それをみて、苦し紛れにどこぞの令息がハッと嗤う。
「ご大層なこと言って、君ってずっとクロードのことが好きなんだろ?結局ジェニーをダシにクロードと懇意になろうとしてるだけじゃないか。君が一番腹黒いね」
その一言に、カッと、体の芯が燃えそうになった。
羞恥ではない、怒りである。
こんな腹立ち紛れに、八つ当たりで、自分の恋情を暴かれ、しかもこの場にはクロード様がいる。私が伝えてもいない気持ちを、勝手にクロード様に伝えられる。――この上ない、屈辱だった。
唇が震えた。
こんなつまらない場で、踏み躙られたことに悔しさで泣きそうになる。けれど、頬を内側から噛んで、衝動を堪えた。
息を呑むような気配がしたクロード様とジェニーの方は見ることができなかった。代わりに、とびきりの淑女の笑顔で、令息を見返した。
自分から喧嘩を売ってきたくせに、まっすぐ見返す私に令息はたじろぐ。
「貴族ですもの、本音と建前はありますわ。人と付き合うきっかけが、打算に塗れることもあります」
「ほ、ほら!認めんだな!」
「ただ、ジェニーさんに限ってはそれがないから、ここまで付き合ったんでしょうね。あなた方と同じで」
笑顔を消して、令息を見る。
山猿はバカだ。けど、この令息たちとは種類の違うバカ。健全で、逞しく、素直。
自分のことをジェニーと呼んで欲しいとずっと強請ってきた。慣れないから無理だと何度も断ったのに、それはもうしつこかった。妥協案として、さん付けに落ち着いたのだが、呼び名一つで、彼女はそんなに?というほど喜んだ。その割に、私のことも呼び捨てでいいと言ったのには「憧れの人だから無理です!」ときっぱり断ってくれたが。ちょっと腹が立った。
と、そう。山猿は、……ジェニーは、付き合うとついつい人を油断させる魅力がある。私みたいな打算まみれの人間でも、損得なしに付き合わせる魅力があるのだ。
「貴方の今の発言は、ジェニーさん本来の魅力を無視しています。私はとっくにジェニーさんに絆されて、彼女を友達と思ってる。私にないものを持っている彼女を尊敬している。そして、彼女も私に対して礼儀やマナーがあることを尊敬すると言ってくれた。だからお教えしただけです。それは、そんなに複雑なことでしょうか?」
そこまで言い切ってから、少しだけ、クロード様とジェニーの方を振り返った。二人は同じような顔で、呆気に取られている。少しだけ、笑えた。
いつのまにかシンと静まり返っていた食堂の中、私は動き出す。「失礼しますね」そう言って、一人で食堂を出た。
出るまでは、なんとかいつもの私を装えたと思う。けれど、廊下のヒヤリとした空気に触れてからはダメだった。全力で走り抜ける。ああ、山猿の悪いところがうつってしまった、と頭の片隅に思う。
そのまま、庭園に出た。
いつだったかに、クロード様とジェニーを見かけた場。ジェニーはその時も何かクロード様に怒られていて、でも最後には二人で笑い合っていた。
何があったかは詳しくは知らない。でも、そんな二人が羨ましくてしょうがなかった。
ぼうっと庭園のベンチに腰掛けていると、息を切らしたジェニーが前に立った。プリシア様、と言われ、のろのろと顔を上げる。相当情けない顔でもしてたのか、ジェニーが息を呑んだ。何か言われる前に、口を開いた。
「貴方が憎いんです。裏表なく、クロード様と付き合える。自然な姿で隣立てるでしょう?」
ジェニーが、何か言いかけて、結局何も言わずにおずおずと隣に座った。
「いいなぁ、ジェニーさん」
ぼろりと涙が落ちた。
そうすると、ジェニーが私の手を握った。ぎゅうっと容赦のない握り方は、ジェニーそのもののようだ。裏表なく、いつでも全力。私は廊下なんて、今日初めて走った。
「きれい、です。たまらなく。プリシア様は……涙の一粒まで綺麗です……」
ジェニーがポツリと言う。
なあに、それ。そう言って笑おうとしたら、横から腕が伸ばされてた。そのまま、抱き込まれる。ひゅっと息を呑んだのは、その香りが好きなものだったからだ。
「羨む必要なんてない。俺は必死に理想を追い求め、努力してる貴方が綺麗だと思う」
そう、首筋に埋まった顔。小さな声だったが、耳元に落とされるよう言われた言葉は十分に聞こえた。
体が、震えた。熱をもつ。
彼が少し、体を離して二人で向き合った。彼が、クロード様が困ったように笑う。その頬は、いつもより赤かった。
あんな場で、他人の言葉で無遠慮に暴かれた思いを、彼は改めて聞きたがっているのだ。そして、それを引き出す勇気を今、彼は口にしてくれた。
言葉を促されるままに、私は熱に浮かされるように口を開いた。
「あの、………私、貴方が、クロード様が好きです」
「うん」
クロード様はもう一度、うん、と言ってそれから私をぎゅうぎゅうと抱き込んだ。耳元に「俺も君が好きだ」と声を落とされて、倒れそうになる。自覚があるくらい、全身が真っ赤になった。
そんな私を、幸せそうにクロード様は見つめた。
「君から好意を感じることがあった。けど、君は本音を隠すのが上手で、なかなか素直にならなかったから、俺も踏み込んでいいのかわからなかった。できれば、君から一歩踏み込んでほしいとずっと思ってたよ」
「……クロード様が、言ってくれてもよかったじゃないですか」
「これでも侯爵家だからね。少し強引にすれば、大抵の家は丸めこめられるから、在学中に間に合わなければ侯爵家として君の家に婚約の打診をしようと思ってたよ。でもそうすると、君が絶対に断れないことも知ってたから、できれば合意の下、両思いで婚約を結びたかったんだよ」
……ん?
なんだか聞き流しそうになったけれど、それだと合意じゃなくても最終的には婚約は結んでいたようにも取れる。いやでも、クロード様は恋愛結婚に憧れていたはず。そんな不穏なことはしない、よね?
私が固まったのが伝わったのか、「浮かれて喋りすぎたな……」と言いながらクロード様は咳払いした。クロード様は、私を覗き込むように見つめとろけるように笑う。
「俺と、結婚を前提に付き合ってください」
そう言われて、なんだか気になることも残ったけれど、私は潔く流されることにして「はい」と返事をしたのだった。
「……あ、そういえばジェニーさんがいつのまにかいませんね?」
「意外に、ジェニーは空気を読むんだよ。あと多分、食堂のバカどもが許せなくて殴り込みにいったんじゃないかな」
「……なるほど……」
涙で赤くなった目元が恥ずかしくて、熱を冷ますまでは庭園を散歩しようかと言われ、クロード様と庭園を回る。秋の花が咲く庭園は様々な花の匂いがして、風が吹くと気持ちが良かった。
目を眇めて庭園を見渡していると、横から視線を感じる。クロード様がじっと私を見下ろしていて、その視線の強さに思わずたじろいだ。
「な、なんですか」
「いや、綺麗だなと思って」
少し笑いながら、なんでもないことのようにクロード様が言う。また顔が熱くなる。
「ジェニーと俺は、昔から好きになる人が似てるんだ」
「そ、うなんですか」
「あと、勘違いしないで欲しいんだけどジェニーを恋愛感情で好きになったことは一度もないよ。あんなのと結婚したら日々血圧が上がって、体がもたない」
そう言ったクロード様が少し屈んで、私の顔へ近付く。え、と思う隙もなく、そのまま自然に私の唇に、彼はキスした。あまりに自然すぎて、固まって反応ができない私に、クロード様が心底嬉しそうに笑った。
「俺はもっと、ちゃんと恋愛したい。静かに庭園を見て回って、本の話を落ち着いてして、いつまでも手を繋いで、それで、ずっと相手に恋してたい」
◇◆
男たち数人でたった一人の女性を囲んで、あんな形で恋心を踏み躙った。それはジェニーの心象はもちろん、あの場にいた女子生徒全員に嫌悪感を抱かせて、件の令息軍団は以前とは打って変わり、針の筵のような学園生活を歩んでいる。ざまあみろだ、と思いながらも、今日もそこまでの言葉は紅茶と共に飲み込んだ。
クロード様とは正式に婚約を交わした。
婚約を結んでからも、クロード様はジェニーを優先する……なんてことは全くなかった。ジェニーがどこで問題を起こそうと、あれそれとクロード様を市街遊びに誘おうと、それはもうこざっぱりと全てを断ってた。ジェニーのお兄様がちょうど留学から帰ってきてお役御免ということで、ジェニーの手綱はそちらに押しつけた、もとい、返したらしい。
今までは婚約が決まってなかったから面倒を見ていたが、婚約者がいるのなら不安にさせるような不誠実な真似はしないとクロード様とジェニーの両家の親にキッパリと言ったとのこと。それを聞いて、我儘な婚約者だと言われなかったか顔を青くしたが、全くの杞憂だとクロード様は笑った。むしろ、いままでありがとうとごく円満に話は終わったし、ジェニーのお兄様はそこまでクロード様に迷惑をかけていたことにジェニーに青筋を立てて説教をしたらしい。ジェニーが心の底から怯える数少ない人らしいので、ぜひ山猿を人里になれた猿くらいの矯正をしてほしいと心から思った。
「って言いながら、ジェニーのマナー教師は続けてるんだね……」
「一度受け入れてしまった以上、責任がありますし、ジェニーさんのお兄様にも改めて頼まれまして……」
一度受け入れた野生動物をそのまま野に返すのは忍びない。それだけである。
しかしクロード様は不満顔で、ティースプーンで紅茶をくるくるとかき混ぜている。じとっとした視線を、対面の私に向けた。
「面倒見がいいところも好きだけれど、俺との時間が少なくなるのは寂しいよ」
んんっ、と変な咳が出た。
婚約者になったクロード様は、私に甘い。デレデレドロドロである。一分の疑いもなく、私に対しての扱いは『好きな女の子』への態度だ。分かりやすい。
ジェニーに対しての扱いは本当に身内用というか、最早飼育員の態度だったんだなと思う。ものすごくぞんざいなのだ。一時は羨ましがった私だが、今この私を大事にしてくれている彼の態度を思うと、ああいう態度をされたいとは流石に思わなくなった。気安さと、容赦のなさは違うものだ。
けど、それでも。
彼がジェニーを心から嫌っていない理由もよく分かる。悔しいけれど、なんだかんだと私もジェニーが嫌いではないのだから。
「まあでも、私も彼女に学ぶことは実は多いです。……あの、天真爛漫さは私にはない可愛らしさだと、思います」
「俺の婚約者は努力家で可愛いよ」
「………………恐れ入ります」
「君は誰より、自分に厳しい。でももう少し、自分の優しさや高潔さに自信を持つべきだよ」
彼が、私の頬に触れた。赤くなった顔を隠したくて伏せたのに、彼はそのままそっと私の顔を上げさせる。
「俺の好きな人を、もっと好きになってね」
そういって、クロード様は行儀悪くもテーブルから身を乗り出して、実に軽快に私の唇を奪うのだった。
(好きな人の好きな人を、私は好きになれない/end)
【おまけSS(10/20追加) ※クロード視点】
最初は、そう。
所作が綺麗な子だと思ったんだ。それで、なんとなく目で追うようになった。
そんなに不躾にならないようにと見ていた筈なんだけど、視線に鋭いのか、彼女は――プリシア嬢はある時不思議そうに「何か御用でもありましたか?」と聞いてきた。勘付かれたことに驚きながら、正直に「所作が綺麗だなと思ってつい見てたんだ」という。プリシア嬢は何度か瞬きしてから照れくさそうに笑った。それが、想像していたよりも可愛い顔で、少しだけ動揺してしまう。
「母が独身時代、ガヴァネスとして働いていた職業婦人でしたから。躾には厳しかったんです」
「職業婦人……」
「母の時代には珍しかったと聞いてます。母は子爵家の出でしたが、当時は領地が災害に見舞われ、財政が傾いたものですから、自分の結婚など諦めて必死に働いたと言っておりました」
「………それは、苦労しただろうね」
「でもその縁で父と出会ったと聞いています。だから、ひたむきに取り組めば報われるのだと、母はよく言っています」
「素敵な教えだ」
本心から言えば、花開くような笑顔を彼女は見せてくれた。
控えめでおとなしく、淑女の規範だと言われるようないつもの一線引く態度とは違う、彼女の素が出た笑い方だ。どくり、と誤魔化しようもなく心臓の鼓動を感じる。
家族が好きで、誇りなのだろう。彼女の身内というのは、彼女のこんな顔を自然に見られるのか。
ただの委員仲間だと思っていた彼女にはっきりと興味を抱いたのは、この時だ。
それから、彼女のことを気取られない程度に眺める日々が続いた。
そうすると些細な彼女の様子に気づく。
爪の先を触るときは緊張している。掌を握るときは激情を堪えている。怒りを覚えた時にはほんの僅かに眉間に皺を寄せたり、本当に愉快なことがあっても一瞬視線を逸らすことで笑いの波を堪えてしまう。
真面目でおとなしいと言われるその内には、たくさんの感情を秘めていた。必死に自分を律して、理性的であろうとしているのだ。それはとてもいじらしく感じられた。
同時に、いつも他者には一線引いた先。理想的な淑女であるプリシア嬢のことをもっと知りたいと思った。あどけない無垢な彼女を、もっと見たい。
理性的で所作が綺麗だと思ったから彼女を見つめたのに、彼女の本当を知りたいと思うのは、倒錯的とも感じたけれど。
「綺麗な状態で椿が庭園に落ちてたから」そう言って、椿の花を渡す。
彼女は目をぱちくりとさせてから、ほんの僅かに色づいた頬を緩めながら「ありがとうございます、とても綺麗……」と椿の花を両手で包み込んだ。大切な宝物を扱うような所作は、やはり美しい。
***
「もしかして私、体良く使われたの?恋の起爆剤的な?」
「まさか。ジェニーをどうにかしろって伯母さんに泣きつかれてしょうがなくだよ」
ジェニーは疑わしげに俺を見る。鈍そうに見えて、意外に人の感情の機微に鋭いところがある又従兄妹に少し眉を顰めた。
心外だ。というより、むしろ。
「本当だ。……できればジェニーじゃなく、俺だけの力で彼女の本音を引き出したかったし」
納得しないジェニーに仕方なく本音を語る。
ジェニーは目を瞬いてから、ようやく納得した風に何度か頷いた。
「私、なんでこんなにクロードが学園内でモテてるのか、よくわかんないだよね。子供っぽいところもあるし、執着心も強いし。なんか周りに穏やかな貴公子だと思われてるのが解せない」
「そりゃ俺にだって外面はある。どうでもいい相手にいちいち本音は見せないさ」
「プリシア様には?」
「……………彼女には、格好つけてるだけだ。本音を見せてない、ともちょっと違う」
そもそも王都に来てからのジェニーのはしゃぎっぷりもとい、奇行には本気で振り回されていた。形振り構ってられなかったし、本当だったらあんな風に怒鳴る姿なんて彼女には見られたくはなかったのに――と。この際だから文句を踏まえて付け足せば、ジェニーは不貞腐れた俺をしげしげと眺めながら「不治の病は末期だね」と呆れて言うのだった。
(end)
*** *** ***
プリシア:ツンデレ先がジェニーに向きがち。クロードから椿をもらったときは、花言葉を考えて少し悶々とした
ジェニー:学園の誰より足が速い。プリシアの下にいつも忠犬の如く駆け寄る
クロード:ジェニーが男じゃなくてよかったと心から思っているが、女でも結局妬いてる。恋愛結婚に憧れてるだけあり、花言葉などはよく知ってる
ジェニーの奇行、最初は「庭園の木に登るし、芝生を見つければ寝転がる。」で留めようと思ってたんですが、ちょっとインパクト薄いなと思って足したら、感想で「本当に山猿」的感想をちらほら頂いて笑ってしまいました。付け足してよかったです。
本編だと大分ジェニーの方が目立っているので、蛇足のクロード視点でした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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