第5話「理由」
「ねぇ、なにしてるの?」
彼女のことを好きになるのに、理由など要らなかった。
容姿でも性格でも人柄でもない。彼女の存在そのものに慎次キセイは恋心を抱いたのだ。
「ねぇってば。ひとりでお城なんか作っちゃって……ともだちは?」
小学生の頃。近所の公園でキセイが小さな砂の城を1人で作っていると、突如として彼女は声を掛けてきた。
「……いない、けど」
キセイは昔から人付き合いが苦手だったため、友だちもほとんどできたことがない。
だからこそ独りぼっちのまま過ごしていて、この日もいつも通り公園で時間を潰していたのだが――。
「じゃ、ともだちになろうよ! 私と!」
「へ?」
たくさんの子が自らの友人たちと楽しく遊んでいる公園内で唯一独りぼっちのキセイを見つけ、声を掛けてくれた。
彼女自身にも友人が大勢いてその子たちが他の遊び場へ行こうとする中でも、彼女はキセイの答えを待ってくれた。
「ともだち……なりたくないの?」
腕を伸ばし、砂場の上で座り込むキセイへ手を差し出す。
「え? いや、その……」
「ん? ほら!」
この時。慎次キセイは初めて家族ではない人間と手を繋ぎ、そして――。
「よし、それじゃあ今日から私たちはともだちねっ!」
初めて、真文ユリンに恋をしたのだ。
▽ △ ▽
「ユリン、頼む! 目を覚ましてくれ!」
想い人である真文ユリンが獣そのものへと成り代わり、キセイは彼女に押し倒されていた。
「がぁぁッ、ぐぅァァっぎゃァァ!」
牙も爪も通常より鋭利に変貌しけたたましい咆哮をあげながらも、彼女だった者は目の前にいる人間を傷つけるため暴れ続ける。
「っく! どうすれば……」
邪神アツマによって黒い石で狂暴化させられたユリン。
聞いた説明では、彼女が理性を取り戻すのは不可能とのこと。だがそれでも、キセイは微かな希望を見出だしたくて――。
「っ、ごめん!」
ひとまず一度ユリンのことを蹴飛ばし、体勢を立て直す。
キセイはそのまま足を動かし彼女から距離を取って、合間に打開策を考えようとする。
「何か……なにか良い案は……」
触れると邪神をも殺せるかもしれない特殊な力を得られる、黄色や黒色の石。
その1つに彼女は触れさせられた。だから獣に成ってしまった。
そもそも、あのような石などキセイからしてみれば予想外の何物でもない。
魔法――アツマが『神能』と言っていたものは邪神にしか使えず、人間が扱えるようになるなど考えたこともなかった。
だが確かにあれらをキセイも扱えれば、邪神を殺す手段が見つかるかもしれない。自死させる他に、壊す選択肢が生まれてくるかもしれない。
しかしそんな石の1つはアツマに持っていかれ、もう1つの『ハズレ』はユリンの物になり――。
「ギャ、がァァぁあッっ!」
獣と成ったユリンは手と足を使い四足歩行でキセイを追いかけ、殺意を込めた瞳と咆哮を向けてくる。
そこに彼女本来の優しさは何も残ってなく、邪神の言う通り理性が戻る可能性など無いに等しいと直感で分かる。
「ぐっ!」
認めたくない。認められない。
真文ユリンがこんなことになるなど、認めたくないに決まっている。
「なんで、どうしてこんなことにっ!」
キセイは走りながら歯を食い縛って叫び、拳を握る。
「いつもそうだ! オレの大切な人たちが不幸な目に合っていく! 父さんも母さんもアイリもユリンも! なんで皆ばかりが……っ! どうしてオレじゃないんだ!?」
自分が死ぬことで自分の大切な人たちが幸せになるなら、キセイは問答無用で自死を選ぶ。
自分の命の軽さなど、皆の命と比べれば天秤に掛けずとも明白なのだから。
「オレを殺せよ! オレを傷つけてくれよ! なんで……どうしてっ!」
そんなことを叫びながらキセイは走り、かなりの距離を駆ける。
「っ!」
すると突如として、目の前に2つの人影を発見する。
――邪神たちに全てを壊され世紀末と化した世界だ。普段は自分以外の人間を見つけるのも容易じゃない。
1ヶ月に数回だけ家の周りで見知らぬ人を見つけ、会話も交わさず素通りするくらい。
そんな『数回』が今この最悪な状況の中で訪れ、キセイは声を掛けようとする。
「おい、そこの! 今すぐ逃げろ! ここは危ねぇぞ!」
背後でユリンが咆哮をあげ続ける最中。キセイは目の前の人影にそう言葉を投げ掛けるのだが、そこにいたのは――。
「っ!?」
2人の小さな子どもだった。
小学校低学年ほどの男の子と女の子が手を繋ぎながらこちらを見つめ、怯えていた。
「何してんだ! こっちを見るな! いいから逃げるんだ!」
子どもだと分かった矢先にもう一度キセイは叫び、注意をする。
だが肝心の2人は声を掛けてきてくれる青年の背後にいる獣の姿を見た瞬間、怯えて腰を抜かしてしまう。
「ね、ねぇ……なにあれ。お兄ちゃん、なにあれ。怖い……」
「し、知るかよ。なんなんだあの化け物!」
兄妹と思わしき2人は地面に座り込み互いに抱き合うだけで、歩くことができない。
「っ!」
そんな状況を察したキセイは足を止め、これ以上2人に近づくことを止める。
そうしてユリンの方を向き直し、服の中に腕を伸ばす。
「ど、どう……すれば」
獣が迫ってくる。
地を駆け、キセイだけでなくその背後の兄妹すらも襲う勢いで血眼になりながら向かってくる。
「くそ……クソっ!」
選択に時間を掛けてはいられない。
獣が初めに襲うのはキセイだと思うが、そのキセイが少しでも抵抗すると分かった瞬間に次は兄妹の方へ向かうだろう。
そして本能のままに傷付け、最悪の場合は2人の命すらも――。
「っぐ!」
ここからまた別の場所に逃げている時間も無い。
そんなことをすれば、獣の標的が最初から兄妹に移り変わってしまうだけ。
「なん……で」
迫って、迫って。
あと数秒で答えを出さないといけなくなった、その瞬間――。
「お兄ちゃん、死なないで」
――背後から声が聞こえ、慎次キセイは刃を握った。
もはやその行動に、理由など要らなかった。
▽ △ ▽
「そういえば昔の話なんだけどさ、ユリンってなんでオレに声を掛けてきてくれたの?」
「え? なんのこと?」
「いやほら。オレたちがいちばん最初に出会った日。オレがひとりで砂遊びをしてたら、声かけてきてくれたじゃん」
「……あー、あれね。懐かしいなぁ。あそこから私たちの仲も始まったんだっけ」
「そうだな。あそこからだな」
「……ふーん」
「ん? なにその反応」
「いや? なんでも? 本当に忘れちゃってるんだなぁって。キセイのバカ」
「唐突な罵声!? 急にどうした!? 忘れてるって……なにを?」
「なーんでも。で、あの時に私が声を掛けた理由を知りたいの?」
「そ。だってオレたち別にあれ以前で面識とか繋がりも無かったのに、なんで独りぼっちのオレなんかに声を掛けてきてくれたんだ?」
「……んー。別に理由は無いかな」
「――は?」
「そのまんまの意味。キセイに声を掛けたのに理由なんて無い。というか、そんなもの要らなかったし」
「要らないって、どういう……」
「ふん。ほんっとキセイのバカ。もういいもん。しばらく話してあげないから」
「え!? いや本当に今日どうした!? なんかいつもと感じ違くない?」
「その理由は自分の胸に聞いてみて!」
「胸? ……オレ、なんか無意識の内に変なこと言っちゃったのか? だとしたら謝るからさ。なんで謎に怒ってるのか、ヒントだけでも教えてくれよ!」
「ヒントなんてあげないから! 自分で考えて! そして分かったら答えを教えて。その時……私の答えもちゃんと教えてあげるから」
――この会話の翌日、邪神たちが世界中を襲いキセイとユリンの家族は無惨に殺された。
そして、ある日を境に2人は共に住み始める。
互いの傷を舐め合うように。互いの空白を埋め合うように。
互いが互いに抱える想いを、いつか伝えれたらと願いながら。
▽ △ ▽
こうするしかなかった。
それ以外に無かった。
理由など要らなかった。
そう、信じたかった。
「ねぇ……大丈夫?」
背後から声が投げ掛けられる。
兄妹の妹の方から心配の眼差しを向けられ、兄の方からは感謝の眼差しを向けられる。
「お兄さん、助けてくれてありがとう。本当の本当に……ありがとう!」
小さな兄妹は互いに抱き合っている。
目の前にいる唯一の家族が無事なことに安堵し、涙を流しながら頬を緩めている。
「――――」
そんな中。その兄妹を救った青年は持っていた刃から手を離し、地面へ跪く。
そうすると息をしなくなった目の前のモノも重心を崩し倒れ、青年へもたれかかってくる。
獣だったそれは、心臓に刃が突き刺さりながら血と涙を流している。
「――――」
青年は獣だったそれを抱き、同じように涙を流す。
叫ぶことをせず声を押し殺しながら泣き、一通り彼女のことを脳裏に焼き付けたと思えば。
「ユリン、見ててくれ」
何も無い虚空を見つめ、声を出す。
「石はまだあと4つある」
邪神が言っていた特殊な石の話。それらを思い出し、強き決意を抱いて――。
「邪神の全てを、オレたちがぶち壊してやる」
復讐者は動き始める。