第1話 - 前編「はじまりの日」
「はぁっ……っ! はぁ、っ!」
息を切らし、汗を流し、それでも走る。
黒髪かつ割れかけの眼鏡をかけており、つい先ほど転けたことで打撲し頬から一筋の血を流すとある学生服姿の青年――慎次キセイは、崩壊した街を見上げながら全力で走っていた。
家に帰るため。家族を探すため。
「くそ! なんでこんなことに……っ!」
唐突な出来事だった。
いつものように自身が通う中学校で授業を受けていると、何の前触れもなく窓の外から人々の悲鳴と強烈な破壊音が聞こえてきたのだ。
一瞬、戦争でも起きたのかと思った。しかし事態はそれよりも最悪だった。
そのまま授業は中断。教師が混乱し教室から逃げ出したためクラスメイト全員がパニックへと陥り、皆がその場から離れていく。
家に帰るため、避難所の体育館に逃げ込むため走る。
だが既に遅い。
学校も彼等によって占拠されており、クラスメイトは殺された。
外見はキセイたち人間と大差の無い何十もの彼等から逃げようとしたのだが、それでも只の中学生である者たちは逃げきれず死んだ。
四肢を捥がれる者。
体中を腑分けされる者。
脳を弄くられる者。
体に電気を流される者。
体を焼き尽くされる者。
高所から地面へ叩き落とされる者。
強靭な力、かつ特殊な魔法のようなもので自身の体から電気や火を発し空をも飛ぶ彼等により――皆がそれぞれの残酷な殺し方で殺された。
クラスメイトも、隣のクラスの人も、担任の先生も、授業の先生も、校長先生も、給食のおばちゃんも、登下校中によく出会うおじさんも、近くの小学校から逃げようとしていた女の子も。
千差万別、老若男女問わず殺された。
「ちく……っしょ! は、ぁっ、あぁ! なん、でっ!」
そんな中。キセイはなんとか学校から難を逃れ、家に帰り家族の無事を確かめるため走っていた。
昨日まで穏やかだった街並みが壊れていく様を見ながら。人々の阿鼻叫喚が耳元に響き渡りながら。
「頼む……! 父さん、母さん、アイリ!」
慎次キセイには3人の家族がいる。
父親、母親、そして今年で齢が12となる妹のアイリ。
近所でも有名になるくらい仲が良く、キセイ本人からしてみても自慢の家族だ。
そんな3人と共に住んでいる我が家へ向かい、向かって――。
「なっ!?」
その我が家は、呆気なく燃やされていた。
走りついた先で業火に包まれる家を見て、キセイは絶望の瞳を浮かべる。
表情を曇らせ、地面に膝を付こうとした瞬間。
「お兄ちゃん!?」
突如として真横から声が響いてくる。
それは聞き馴染みのある声で、キセイはすぐさま振り向くと。
「っ、アイリ!」
そこには、常時であれば笑顔が取り柄のかわいらしい妹である慎次アイリが頬に涙を流しながら立ちすくんでいた。
「アイリ! よかった……無事だったか!」
キセイは急いで駆け寄り、妹の頭を撫でる。
「ケガは無いか!? あいつらに何かされたとか……」
「ううん。それはない。私は大丈夫」
兄の心配に対しアイリは首を横へ振り、無事を証明する。
だがそれとは相反し、瞳から零れ出る涙は止まる気配を見せない。
「父さんと母さんは? どこにいるか知ってるか?」
アイリを抱き寄せ頭を撫で続けながら、キセイは純粋な疑問を投げ掛ける。
そう。例え家が焼かれたとしても、家族さえ無事ならまだ未来がある。
壊れた思い出も、また新しく作り直せばいい。
そんな想いから発せられた疑問を聞き、アイリは更に大粒の涙を流し始めたと思えば。
「しん……じゃった」
「は?」
「お父さんもお母さんも……私を庇って……あいつらにっ!」
「っ!」
絶句する。
キセイは呆気に取られ、その訃報を受け取る。
「――――」
言葉が出ない。突然のことで涙すらも出ない。
信じられないといった表情だけを浮かべ、脳裏に家族の仲睦まじい思い出を甦らせ――。
「ヒヒヒ。おいおい、ここに遊びがいのありそうな良いオモチャがあるじゃねぇか」
その時だった。
今度は真後ろから聞き馴染みのない声が響いてきたので、キセイとアイリは即座に振り向いてみせると。
「……若いな。だがまぁそっちの方がたくさん遊べるか」
そこには、この街を崩壊へもたらした張本人である悪魔そのものの1体がいた。
「っ、なん……なんだ。なんなんだよ、お前たちは!」
キセイは叫び、その者に問いかける。
「あぁ? 俺たちは邪神だよ。邪神」
「じゃしん……だと?」
「そうだ。オマエたち人間より遥かに優れた存在、邪神だ。いわゆる神様ってやつだな」
「っ!」
奇抜な赤髪で瞳も赤く、だがやはり身体の外見自体は人間と変わりのない――自称『邪神』の男に対し、キセイは歯を食い縛る。
そしてアイリを抱きながら睨みもつける。
「なにが神様だ。この街を滅茶苦茶にしやがって! お前たちのどこが神だ!」
「ヒヒヒ。良いねぇ。吠えるねぇ。もっとたくさん吠えろよ。その方が殺しがいがある」
「っな!」
邪神の言葉を聞いた瞬間。キセイは何かを決したと思えば、即座にアイリを背中でおぶり走り始める。
「っ、お兄ちゃん!?」
「アイリ、逃げるぞ! このままじゃオレたちも――」
だがその逃亡は遅かった。
「逃がさッ、ねぇよ!」
邪神は逃げ去るキセイたちへ一瞬で追い付き、そのまま自らの足で蹴り上げる。
「ぐっ」
上げられたキセイはアイリを空中で離してしまい、勢いのまま2人は別々の地面へ落下する。
「あ、……アイ……リ」
腕を動かし地を叩き、なんとかして立ち上がろうとする。
キセイはその身を起こし、邪神から妹を守るためどうにか心と体を奮い立たせるが――。
「泣けるねぇ」
「っ!?」
目の前にいる妹は、既に邪神によって捕まっていた。
「お兄ちゃんの頑張りに俺も泣けちまうよ。しくしく」
その強靭な掌でアイリの喉元を掴み、わざとらしい憐れみの赤瞳でキセイの顔を眺めている。
「てめぇ! 離しやがれぇ!」
叫ぶ。キセイは心の底から声を発し、邪神に言葉を投げ掛ける。
「それ以上アイリを傷つけてみろ……ただじゃおかねぇぞ! ぶっ殺してやるからな!」
「おーおー。おっかねぇ。ほんとにオマエのお兄ちゃんは怖いやつなんだな、アイリちゃん。目付きも鋭いし」
「ぐっ! ……な、なんなんだ。お前らの目的はなんなんだよ! というかお前らはなんなんだ!!」
「あ? んなの俺だって知らねぇよ」
「――。――――。――は?」
あっけらかんとした様子で答える邪神に対し、キセイは自分の耳を疑う。
何を言えばいいのか分からなくなる。
「いや、実は人間界を襲う理由とか目的は俺も聞かされてねぇんだよ。……まあ一応、邪神たちを束ねてるタナトって名前のやつがいて、そいつにはちゃんとした理由や目的があって人間界を襲い始めたらしいが……俺たちはそれを教えてもらってない」
「――――」
「いわば、ただの便乗だな」
「――。……なんでお前らは襲うんだ。どうして人を殺すんだ」
「え? いや、それは楽しいからだろ」
「……は?」
「何の抵抗もできない人間を圧倒的な力でねじ伏せる。痛みを与え絶叫させる。これ以上の娯楽がこの世にあると思うか? だからタナトに便乗してオマエたちで遊ぶ。ただそれだけだ」
「――――」
何の感情も浮かばない。
憎しみも怒りも悲しみも、慎次キセイの中には溢れてこない。
唯一何かあるとすれば、それは『混乱』だ。
この理不尽な生き物に対して混乱を抱く。それが今、キセイにできる最大限の反応。
「と、いうわけでオマエの妹も殺させてもらう。長話をするのは趣味じゃねぇからな」
「っ、待て!」
キセイは立ち上がる。精一杯立って足を前に進め、邪神へ自らの手を届かせようとするが――。
「お……っ、にぃ」
未だ首を掴まれたままのアイリは口を開き、そして。
「お兄ちゃん、死なないで」
それだけを言い残し、抗いようのない『炎』に包まれた。
「ヒヒヒ。良い遺言じゃねぇか」
アイリを燃やした張本人である邪神は笑いながらそう呟き、突如として腕から炎を発生させた。
その炎でアイリの体を丸ごと包み込み、地面へ捨て去る。
「あい、り……」
焼かれた体は一瞬で黒く染まり焦げきってしまう。
五体の原型を留めず顔も見えなくなり、かつてアイリだった体はもはや何か分からなくなる。
「それじゃ次はお兄ちゃんを……っと、言いてぇとろこだが」
かと思えば今度はキセイの方へ向かってきて、邪神は腕を伸ばす。
アイリと同じく再び燃やし尽くしてしまうかに見えたが、いきなり腕に纏っていた炎を消して。
「おい。俺を見つけてみろ」
キセイの顔を掴み自身の瞳を見つめさせ、強い口調で言い放つ。
「人間、オマエはまだ弱い。きっと殺そうと思えばすぐにでも殺せるだろう。だがそれじゃあつまらない。俺は壊れにくいオモチャが欲しいんだ。何回壊そうとしても壊れない、強靭なオモチャが」
「――――」
「聞いてんのか? ……ま、いいや。とりあえず俺の名前はアツマだ。覚えたか? 顔もよく見ろ。そして脳に刻み込め。妹を焼き殺した憎き相手のことを」
「――――」
「殺しに来い。強靭なオモチャとなって、俺を退屈させないほどに」
そう言い告げ、邪神はキセイから手を離す。
どこか退屈気なため息だけを吐き、そのまま立ち去ろうとした瞬間。
「……殺してやる」
キセイは邪神の腕を握り返し、今度は自らで自身の顔を掴ませる。
そうして邪神――アツマの瞳を真っ直ぐに見つめ。
「オレの名前は慎次キセイだ。覚えとけ。どこまでいってもお前を追い詰め殺す。どこに逃げようと殺す。お前だけじゃなく邪神全員を殺す。1体残らず根絶やして殺す。何があっても殺す。どんなことが起きても殺す。絶対に殺してやる。殺す」
額に青筋を浮かべ、とても只の人間からとは思えない覇気を放つ。
確かなる意志をもって。強き決意を抱いて。
「邪神の全てを、オレがブチ壊してやる」
他の人間たちの悲鳴。そして邪神たちの狂喜が街中に響く中、慎次キセイは言いきってみせた。
復讐の始まり。その火蓋を切るように。