第七話 「彼は新人です、水槽被ってます」
「新人隊員は1列に並べー!」
薄曇りの空の下、整列を促す声が響いていた。帝国機動隊本部、その中庭に並ぶのは、熾烈な最終試験を乗り越えた新人たちだ。
そう。今日は、いよいよ帝国機動隊員としての初出勤の日。まだ入隊式だけだけど。
僕は帰宅組だったから、試験の後、寄宿舎に残った皆とは初めて顔を合わせる事になる。無事だとは聞いていたけど、大丈夫だったのかずっと心配だった。
僕は整列の列の後方から、周囲を見渡す。
「あ、いた……ギルアに、メイ君だ。2人とも元気みたい」
知っている顔があるだけで、肩の力が抜ける。皆、本当に無事だったんだ。
「あ、ニア君ー! こっちおいでよ」
僕に気が付いたメイ君が僕を呼んでくれる。
「メイ君! 僕の名前なんで知ってるの? 試験の時、結局自己紹介出来なかったのに」
「マツリカって人に教えてもらったよー」
相変わらず、優しそうな目で微笑んだメイ君は、「他の人の名前も聞いたんだー」とピースして言った。
「あそこ、先発組か?」
「本当だ。『ナイトメア』に『インフェルノ』だ」
「『ラズリオンの幼体』もいるぞ」
ヒソヒソと周りの子が囃し立てているのを聞いて、僕は肩を落とした。
……わざわざ幼体って言わなくても。
メイ君もギルアも、そんな凄いのと融合してたんだ。聞く間も無かったから、知らなかったや。
「融合から目が覚めたら皆の姿が無くて、凄く心配したんだよ」
僕がメイ君を見上げて言うと、彼は優しく微笑んだ。
「俺とギルアは君より目が覚めるのが早かったからねー。それにシイナ君も」
「馴れ馴れしくするんじゃねぇよ」
「えー。冷たいなー、僕達共に死を乗り越えて一夜を共にした仲でしょ?」
「たまたま同じ宿舎だっただけだろ! キショイ言い方するんじゃねぇ!」
メイ君がギルアの肩に腕を回すと、ギルアはそれを振り払って怒鳴った。
僕の知らない間に、この二人に何があったんだろう?
いつの間にかこんなに仲良くなってるし。
「ねえ、シイナ君はどこ? さっきから姿が見えないんだ」
僕がずっと会いたかった人。彼はどこにいるんだろう?
次々と並ぶ合格者の顔を見ても、白髪の少年の姿はどこにもなかった。
試験の時マツリカさんは確かに、彼は融合に成功したって言ってたのに。
「え、なにあれ?」
その時、誰かの小さな声が漏れた。
その声に誘われるように、僕達も視線を入口へと向ける。
現れたのは、異様な姿のシイナ君だった。
彼は銀白の髪を揺らしながら、一歩また一歩と、列へと近づいてくる。
その頭には透明な球体。
水が満たされた球体の中、空気の泡がコポコポと弾けていた。まるで魔魚を飼う時の金魚鉢だ。
「え、シイナ君?」
僕は小さく息を呑んだ。ギルアも一瞬、目を見開き、シイナ君の足元に視線を走らせる。だが、彼はいつも通り歩いているようだ。
「融合、まだ完全じゃないのか」
一瞬で察したのか、ギルアがボソリと呟いた。
「キュー」
僕の目の前まで来た彼は、とても可愛い声で鳴いた。僕にはそれが『おはよう』に聞こえる。
「おはよう、シイナ君」
だが、その異様な姿は新人たちの注目を集め、ざわつきを呼ぶのは避けられなかった。
「はいはーい、静かに静かにー」
ふわりと場に割って入る声がした。
軽薄な声とともに、マツリカさんが現れる。ちゃんとした制服姿だが、飄々とした調子は変わらない。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん、ね? これも立派な融合のかたちって事で、かっこいいでしょ? 水中ヘルメットくん」
「嫌、かっこよくはないけど……」
と誰かが呟いた。
そこに、重々しい足音とともに大勢の隊員達が現れる。
「これより、入隊式を執り行う。第6部隊、隊長ジルだ。総員速やかに整列せよ!」
厳しい声が響き、場の空気が引き締まった。
気が付けば僕達の横には、先輩隊員達の姿があった。
新人の顔合わせって事か。皆、雰囲気が鋭い。
「これから一年間、貴様らは“見習い”として、訓練と座学を繰り返す。魔生物への知識と、融合体としての力の扱い、何より仲間との連携を学べ! 独りで戦うな、それが死に繋がる」
重く、鋭い言葉が降り注ぐ中
「コポコポ……コポ……」
シイナ君の水槽から、控えめな呼吸音が響く。
それを見つけたジルさんの目が見開かれた。
「……おい。マツリカ」
「ハイ!」
「何だ『これ』は?」
ジルさんはシイナ君を指差して言う。ビシッと敬礼したマツリカさんは、勢い良く答えた。
「彼は新人です! 水槽被ってます!」
「いや、そうなんだが、そうじゃないんだ」
「あ! えっと、融合が未完成です!」
「そ、そうか」
周囲の隊員たちが耐えきれず、肩を震わせはじめる。
ジルさんの顔がひきつり、マツリカさんが「ちょ、ちょっと静かにしよ?」と笑いながら手を振った。
渦中の張本人、シイナ君はと言うと相変わらずボーッとしているだけだった。
「お前達、笑うな」
咳払いをした後、静かに、だが鋭くジルさんの声が響いた。一瞬で空気が変わる。
「入隊式を続ける。名前を呼ばれた者は返事せよ」
ジルさんが短く告げ、空気がようやく再び流れ始めた。
「ギルア・ルーヴェント!」
その瞬間、空気が一段と重くなる。
「はい」
「メイ・マクレガン!」
「はい!」
順番に名前が呼ばれ皆が返事をしていく。
先輩隊員達の値踏みするような鋭い視線が、痛い程に突き刺さっていた。
「ニア・ガウロ!」
「はい!」
「シイナ、はご覧の通りだ! お前は挨拶はしなくて良い!」
「……キュー」
一瞬場が凍ったが、それ以降特に問題はなく、入隊式は無事に終わりを告げた。
でも僕だけは知ってる。シイナ君がこっそり『ラッキー』って言ってた事を。あれは絶対そう言ってた。
「はーい、じゃあ新人君達は座学棟A―2に行きましょうねー」
マツリカさんがどこから取り出したのか、小さな旗を振りながら僕達を先導する。その後を着いていこうとした、その時だった。
「ニア・ガウロ、君は残ってくれ。ついて来て欲しい所がある」
ジルさんがそう告げたとき、僕の心に不穏な予感が走る。
何だろう? なんで、僕だけ?
少しの不安を抱えながら、僕は曇り空の下、ジルさんの大きな背中についていくのだった。
◇◇◇◇
コンコンコンとノックの音が響く。
僕が連れていかれたのは、いかにも偉い人がいるであろう部屋だった。
「失礼します。ニア隊員をお連れしました」
ジルさんに促され、部屋の中に足を一歩踏み入れた僕は、脊髄反射で身構えた。
部屋の中には、中央に車椅子に乗った人物がいて、周囲を隊長達であろう人物達が囲んでいた。ルーカスさんの顔もある。
「えっと」
僕が予期せぬ状況に困惑していると、ジルさんがバタンとドアを閉めた。退路を、塞がれた。いや、逃げる気はないけども。
「いきなり呼び出してすまないね。私は、マシュー・サイベリアンだ。帝国機動隊の最高指揮官を任されている」
車イスのその人は、とても穏やかな口調で話すと、僕を見るなり微笑んだ。
一見すると気の弱そうな顔立ち。けれど、その目は違う。穏やかさの奥にあるのは、猛獣のような眼光。戦場を何度も見た者にしか宿らない、静かな狂気。
「この通り、私は足が悪くてね。是非君とお話がしたいから、良ければもう少し近くに来てはくれないだろうか?」
「……はい」
マシューさんの穏やかな口調と、周囲からの威圧と言う相反する状況に僕は戸惑いながら彼の近くに行く。
「あの……僕、何かしましたか?」
その空気に耐えられなくて、僕は恐る恐るたずねる。
「ん? あぁ、違う違う! 沢山人がいるせいで驚かせてしまったようだね。すまない」
マシューさんは僕が怯えている事が分かったのか、周りの隊長達に「威圧をやめなさい」と注意してくれた。
隊長達も、無意識で出てしまっていたようですぐに空気が軽くなる。意図的か、無意識か、まだ何人かは殺気が残ってるようだけど。
「今日は君を直接見て確かめたい事があったんだ。その上で、話さなければならない事が」
「確かめたい事?」
「あぁ、たった今君の顔をみて確信に変わったよ」
「?」
僕の頭に沢山の疑問符が浮かぶ。
「君の父親は……デイモンド・オルフェスで間違いないようだ」
「え?」
マシューさんは、突然どうしたのだろうか。僕の父さんはデオ・ガウロだ。デイモンド・オルフェスなんて人知らない。
突然告げられた謎の人物の名前に、僕は一瞬反応が遅れた。
「えっと、違います。僕の父の名前はデオ・ガウロです」
僕の言葉を聞いたマシューさんは、少し寂しそうに微笑んだ。
「いや、デイモンドだよ。私のかつての親友であり、相棒だった人だ」
彼はゆっくりと胸ポケットに手を差し入れる。取り出されたのは、折れやシワで年季の入った、一枚の写真だった。
「……これは、若い頃の私と、君の父だよ」
写真の中には、今の僕と同じ年程の、若き日のマシューさんと父さんらしき人物が写っていた。
けれど、その瞳も背筋も、僕の知る「デオ・ガウロ」とはまるで別人だった。
「え? これ、父さん? どうして……」
突然の事に戸惑った僕を見て、マシューさんは宥めるように話す。
「少し長くなるけど、君には聞いて欲しいんだ。デイに……君のお父さんに何があったのか」
そう言うと、マシューさんは目を瞑り、一つ一つ思い出しているかのように語り始めた。