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第三十一話「痛み」


 雷と閃光が何度も衝突し、その度に土煙が上がる。周辺にあった木々は、吹き飛ばされたサラさんを受け止めた衝撃で折れ、電光によって焼け焦げていた。もはや最初の頃の静かな森の面影などどこにもなく、嫌な喧騒で満ちていた。


 サラさんは地面を転がっても尚、鞭を手放さず、歯を食いしばって立ち上がる。口の端から滲む血を手の甲で乱雑に拭き取ると、すぐに体勢を立て直した。僕達の身体中、至るから滲み出た鮮血が、人間と魔物の王との力量差を嘲笑うかのように知らしめる。


『どうした……我には傷1つ付いていないぞ?』


 ラズリオンの尻尾が、ゆらりと楽しげに揺れる。その愉快そうな様子に、サラさんの口から、溜め息混じりの言葉が漏れた。


「ッ……ワンワン鳴いてる所申し訳無いけど、私はニア君と違って、獣の言葉は分からないの。ごめんなさいね!――――疾雷走の詩(ケレリタス・ロルカ)!」


 瞬間、雷を纏ったサラさんのスピードが数倍にはね上がる。僕の目には、残像すらも捉えることが出来ない。ラズリオンもまた、先程までサラさんが居た場所をじっと見詰めているだけで、動こうとはしなかった。


『……どんなに速くなろうが、所詮虫は虫だ』


 直後、ラズリオンの死角に現れたサラさんが、その寝首をかこうと鞭を構え小さく口を開いた。


「……雷爪の詩(ウングラ・ロルカ)


 その言葉と共に、バチバチと音を立てて振り下ろされた鞭。その先端から生まれたのは、雷で出来た巨大な爪だった。それがラズリオンの首元に狙いを定める。


 チャンスだ。僕がそう思った時だった。


『ヴァウッ!』


 吠え声が上がったかと思うと、キーンと言う音と共に、すぐに衝撃波がやってきた。一瞬の事で訳が分からなかったが、自分の眼前に迫り来る数えきれない薄桃の光に、全身の血の気が引いていくのが分かった。


「……ッ、桜狼の咆光(ラズリオン・ハウル)!」


沈黙の水鏡(ミューア・サイレシア)!」


 僕とシイナ君も迫り来るラズリオンの攻撃を相殺する事に必死で、加勢なんて夢のまた夢だった。サラさんの出してくれた二匹の雷鳴獣(トゥルエノ)達が、僕達に降りかかる攻撃の大半を肩代わりし、死角から襲い来る攻撃に食らい付いていく。ラズリオンの斬撃を身に受ける度、雷鳴獣(トゥルエノ)の体が弾け飛んで消えていく。

 

 永遠とも取れる戦闘で、息が肺の奥で軋む。その場に居た人間の息遣いだけが、ただ荒くなっていった。


 混ざり合った土と血の匂いが、もう誰の物なのかも区別できなくなった頃、僕は勝ち目が無い事を理解した。いや、最初から分かっていたのかもしれない……それでも、分かっていても尚、食らいつくしかなかった。


 サラさんがどれだけ雷を振るおうが、ラズリオンの巨体は微動だにしない。跳ね返ってきた一撃が、容易く僕達の身体を裂いた。薄い皮膚に、熱が走る。視界が一瞬、白く弾けた。


「……っ!」


 降り注ぐ衝撃と余波。その一つ一つが致命傷になり得る中で、僕達は必死に防御魔法を張り続ける。


 だが、それも限界だった。


「この、命を弄ぶ……ケダモノめ」


『……何だと?』


 僕の呟きを聞いたラズリオンの全身の毛が、みるみるうちに逆立っていく。


『……貴様達が、それを言うのか?』


 低い唸り声を上げた瞬間、ラズリオンの放つ殺気が格段に跳ね上がった。尾が唸りを上げて薙がれ、サラさんと対峙していたはずの魔狼は、地面を蹴ったかと思うと、一瞬にして僕の目の前にやって来た。瞬間、その大きな前足が僕の身体を直撃する。


「――ガハッ!」


 空気が、肺から強引に引き剥がされた。


 咄嗟に受け身を取ろうとしたお陰で、なんとか即死は免れたものの……バキバキと嫌な音が鳴る。


 地面に叩きつけられた瞬間、喉の奥からこみ上げるものを抑えきれず、僕は激しく嘔吐する。口から溢れたのは鉄臭く、赤黒い物だった。あまりの衝撃に視界が滲み、脇腹で聞こえた鈍い音と共に、痛みが遅れて爆ぜた。


 折れた。


 そう理解した瞬間、立ち上がるという選択肢が消えた。頭がグラグラと揺れる。


「ニア君!」


 僕の名を呼んだ一瞬の隙。サラさんは、致命的な判断ミスを犯してしまった。


『消えろ』


「っ!?」


 僕に駆け寄ろうとしていたサラさんの元へ現れたラズリオンは、くるりとその体を回転させ、尾をサラさんの体にぶつける。サラさんは背中から、僕の近くにあった木に叩きつけられた。幹が音を立てて折れ、土煙が舞い上がる。


 それを見届けたラズリオンは、ゆっくりと僕の方へと向き直った。


「サラ、さ……」


 声をあげるだけで、電流のような痛みが身体を駆け抜ける。ズシリズシリと、一歩ずつ歩み寄る死神を、僕は必死に睨み付けた。


「僕は……お前を、絶対に……――許さない!」


 涙で滲む視界の端、僕とラズリオンの間に誰かが立ち塞がるのが見えた。眩む視界の中で見えたのは、両手を広げてたつシイナ君の後ろ姿だった。


「どう、して……逃げ……!」


 早く逃げて、と叫ぼうにも僕の喉からはかすれた声が出るだけだった。シイナ君は震える足を必死に奮い立たせ、何とか踏ん張っているようで、その姿が僕の心を締め付ける。


「ニア君を、サラさんを……これ以上、傷付けるな!」


『去ね』


 ラズリオンの瞳がシイナ君に狙いを定めた、その時だった。


「……良くやったわシイナ君、 そのまま出せるだけの水膜で自分達を守りなさい!」


 サラさんの声が、戦場を裂く。


『まだ生きていたのか……? 凄まじい執念だ』


 意表を突かれたラズリオンは、声のした方へ顔を向けた。


揺らめく水の衣アクエル・ヴェスティア!」


 その一瞬のチャンスに、反射的にシイナ君が動く。僕達を囲うように、水が盛り上がったかと思うと、それは半球状のドームを形作った。


 木陰から立ち上がったサラさんは、片足を引き摺りながらフラフラと僕達の側までやって来る。血に濡れ、呼吸もままならないその姿に、ラズリオンが一瞬だけ目を細める。


 サラさんは背後に迫る死神の事なんて気にも止めず――水のドームに両手を当てた。


「……大丈夫。お姉ちゃんが、必ず守るからね」


「サラさん!? 何して、早く中に――!」


 シイナ君が震える声でそう呟くと、サラさんは優しく微笑んだ。


「……守護雷光の詩クストーディア・ロルカ


 呟くような声と共に、サラさんは残された魔力のすべてを注ぎ込む。水膜が青白い光を帯び、雷が走る。僕達の側に居た二匹の魔獣も、水の膜に飛び込んでドームと1つになった。


「や、だ、いやだ……嫌だ、サラさん!」


 必死に叫ぼうとする僕の心とは裏腹に、身体は言うことを聞いてはくれない。


 戦場の経験が無い僕にだって分かる。これは、対抗手段を捨てた選択だ。生き残るための攻撃を捨て、ただ僕達を守るためだけに使われた力。


『何をするのかと思えば……やはり愚かだ』


 次の瞬間。


 ラズリオンの一撃が、サラさんの身体ごと水膜を貫いた。響き渡る轟音と共に爆発が起こる。その衝撃波が、ドームの近くにいたシイナ君と、サラさんの身体を宙へと舞わせた。


「……っ」


 サラさんは地面に打ち付けられると、ゴロゴロと僕の目の前に転がる。後方に吹き飛ばされたシイナ君は小さな呻き声をあげた後、何も聞こえなくなった。最悪の想像が僕の頭を駆け巡る。


「私、は……絶対にこの子達を、守る……ケモノなんかには、奪わせない……!」


「サラさん、もう、逃げ……て!」


 立ち上がったサラさんを見たラズリオンは、無言のまま沢山の光を作り出した。


 僕達の間を風と共にフワリ、と通り抜けた桃色の光は、優しくサラさんの身体に触れたかと思うと、肉がはぜた。


「――やめてッ!」


 目の前で飛び散るサラさんの血は、まるで薔薇の花びらのように――鮮やかに舞う。


「――サラッ!」


 後ろの方から誰かの叫び声が聞こえたような気がしたけれど、僕は目の前の出来事で頭がいっぱいいっぱいだった。


 サラさんが無言でその場に崩れ落ちるその瞬間を、僕の目はゆっくりととらえていた。


 また、まただ。


 僕のせいで、誰かが死んでしまう。大切な人が……僕のすぐ、目の前で。それだけは駄目だ。嫌なんだ。皆を守りたかったはずなのに。もう誰も失いたくない、ただそれだけなのに。


 ザワリと僕の身体が熱くなる。心臓が、強く脈打った。


 お願い。お願いだから、誰か助けて。かわりに僕が出来る事ならなんだってする。


 僕の心臓が更に強く鼓動を響かせていく。


 誰でも良い、誰でも良いから……皆を助けて。お願い……――――父さん!


 僕の必死の叫びに答えるかのように、『何か』が目を覚ます感覚がした。直後、誰かの声がすぐ耳元で聞こえる。


『ニア、聞こえるかニア。良く聞きなさい。私も余り力が残っていない……だから、上手に使うんだよ』

 

 途切れ途切れで聞こえた、その謎の声に導かれるまま、僕はただ叫んだ。


「……英雄の咆哮(ガロウズ・ハウル)!」 


 強く脈打つ心臓から、振り絞られた最後の力が、見たこともない魔法を発動させた。




◇◇◇◇◇





【数刻前・キール班】


「全員、隊陣を崩さず、攻撃の手を休めるな。隣の奴の魔法が終わったタイミングで撃て!」


「「「了解!」」」


 キールの呼び掛けと同時に、次々と繰り出される魔法。円形の陣を取り囲むように、あちこちで土煙が巻き起こる。


 次々と倒れていく魔物の死体の山を見て、『もしかすれば』と言う淡い希望を抱いた彼らだったが、時間の経過と共に、数の暴力が生み出す、理不尽なまでの現実を叩き付けられる事になる。


「……クソッ……ターニャはまだか!?」


「副隊長、余りにも敵の数が多すぎます……!」


「皆落ち着け、今は目の前の敵に集中しろ……ターニャを信じるんだ!」


 最初は機動隊が優勢かに思えた戦局だったが、倒しても倒しても次々と迫り来る敵を前に、数刻で異常が出始めた。それに最初に気が付いたのはギルアだった。


「……ッ……んだ、これ?」


 ツウッと自分の鼻から生暖かい液体が流れる感覚に気が付き、ギルアは手を伸ばす。触れた指先を見ると、赤黒い血が目に入った。


「……は?」


 敵の攻撃は当たっていないはずなのに、目の奥が焼けるように痛んだ。ギルアの瞳は真っ赤に充血したかと思うと、血のような涙が今にも溢れそうになっていた。


「ねえギルア、目が真っ赤だよ! 大丈――……グフッ!?」


 隣に居たメイがギルアの異変に気が付き、心配の言葉をかけようとした瞬間……今度はメイの口から赤黒い血が溢れる。メイは咄嗟に自分の口をおさえたものの、指の隙間からボタボタと溢れ落ちる血が腕をつたい、服に染みを作っていった。


「……ヴッ!」


「は!? おいメイ、しっかりしろ!」


 痛みに耐えかねたメイの体が崩れそうになり、ギルアは咄嗟に体を支える。


「コラそこ、攻撃を止めるな!」


 その様子に気が付いたレンリの声が響いたが、彼女もまた、目から血のような涙を流していた。


「なっ、今は攻撃なんて、それどころじゃ――」


「……俺なら、大丈夫だよギルア。皆必死に戦ってるんだ。俺も、頑張らないと……!」


「無理すんな、馬鹿!」


 二人のやり取りを聞いていたミズハが、浅い息を吐きながらサポートに回る。メイとギルアが戦闘に戻ったのを確認してから、ミズハは口を開いた。


「今、私達は連続して魔法を使うって言う、身体に過大な負荷をかける事をしてるの。その血は、オーバーヒートした身体が、悲鳴をあげてる状態……でも今誰かが抜ければ、その穴から一気に殲滅される可能性がある。だから、辛いと思うけど……お願い、頑張って!」


「……クソッ!」


 ミズハの言葉を聞いたギルアが、瞳に怒りの色を灯す。ギルアの手に先程よりも更に強い魔力が集まるのを感じ、ミズハは思わず大きな声を出した。 


「ちょ、君、今の私の説明ちゃんと聞いてた!?」


「うるさい、分かってる! デカイ魔法で少しでも量を減らせば、次が来るまでの間、体を回復させる時間が増えるだろうが!」


「うるさ……って、理論上はそうだけど、でもこの数なら次なんてあっという間に来ちゃうよ!」


「鬱陶しいんだよ、とっとと死ね!――消滅の黒霧(ネクス・ヴェルタ)!」


 ミズハの言葉に返事もせず、ギルアは高出力な魔力を撃ち込んだ。瞬く間にギルアとメイの前にいた魔物の姿が塵となって消えていく。しかし、余りにも強力な魔法の負荷が、ギルアの身体中の血管を限界まで膨れ上がらせ、皮膚が薄くなった箇所から、ブシュッと言う音と共に、血を吹き出させた。


「ねえギルア、無理しないで!」


「黙れ、お前は少し休んでろ! 次だ次、さっさと纏めて消えろカス!――消滅の黒霧(ネクス・ヴェルタ)!」


 けたたましい爆音と共に、次々と魔物が消し飛ばされていく。その音を聞きながら、キールは今回の任務決定時に、サラと交わしたやり取りを朧気に思い出していた。


『皆、今度の実務演習は気合いを入れて頑張りましょう!』


 (あの時僕は、確か……新人の為にサラさんの貴重な時間が減ってしまうのが嫌だって思ったんだよな。そしたらあの人は、そんな僕に気が付いて……何て言ったんだっけ?)


 キールの頭に、その時のサラの困ったような優しい笑顔が浮かび上がる。


『あのねキール。彼らはきっと、私達の希望の光になってくれるわ。だからこそ、何があっても私と一緒に新人君を守ってね。頼んだわよ!』


 (ああ、そうだ。確か僕はサラさんに『頼まれた』んだ。新人達を守ってって……なら、サラさんの命令は絶対守らなければいけない!)


 その眩しい笑顔が、瞼の裏に焼き付いている。どんなに辛くても、キールはサラの顔を思い出すだけで頑張れた。なるべく他の隊員の負担を減らそうと、この中の誰よりも必死に攻撃し続けているキールの体は、とうに限界を向かえていた。それでも尚、手は止めない。


 元来、生真面目な性格であるキールは、サラ不在のこの場で、全員の命を預かる者としての責任を取らなければと、自身に強く言い聞かせていた。それが限界を超えたキールをこの場に繋ぐ『唯一の執念』だった。


「……新人達は、隊長の……僕達の、光だ……良いかお前らっ――死んでも、守れッ!」


 口からどれだけ血が溢れても、そんなのは些細な事だ。


「「「了解!」」」


 第8の隊員達は皆、限界のその先へと足を踏み入れていた。気持ちはただ1つ。自分達の敬愛する隊長の「信念」を守るため。それだけだった。


「はぁ……はぁ。聖なる星屑の(セラ・ルー)――……ッ……ゴフッ……う゛ぅ、あ゛ぁ゛!」


 次に限界を迎えたのはリュミエだった。その口からは赤黒い血が溢れ出る。耐えがたい苦痛にへたり込んだリュミエの姿を見た一匹の魔物が、その絶好の機会を逃すまいと、飛びかかった。


「リュミエさん!」  


 すぐ隣に居たキールは、自身の体を盾にすぐにリュミエに覆い被さる。


『グァアアァアア!』


 魔物の雄叫びと共に迫り来る大きな爪に、自分の最期を悟ったキールは、ぎゅっと目を瞑り、精一杯の抵抗で片腕を突き出した。


「ちょっとー……僕の可愛い弟に、あんま意地悪せんといてくれへん?」


 酷く聞き覚えのある声がしたかと思うと、眼前に迫っていた魔物の気配が遠くなる。


「……兄、さん……?」


 驚いたキールが恐る恐る瞼を開けると、そこにはわざとらしく頬を膨らませて、魔物の頭を鷲掴みにするヘクセンの姿があった。


 彼は魔物を軽く持ち上げると、「えい」と気の抜けた声を出す。言葉の軽さとは裏腹に、途轍もない力が込められた拳は、そのまま魔物の頭蓋を粉砕した。


 ヘクセンは飛び散った魔物の欠片で自身の顔が汚れても、そんな事などさほどの興味もない、とでも言うかのように、いつもの胡散臭い笑みに戻る。


「どしたんキール、えらい男前になってるやん?」


 いつもなら不快に感じていたその腑抜けた顔を見た途端、キールの視界がボヤけていった。


「すまない、遅くなった」


「ルーカスさん!」


 先程まで疲労で憔悴していた隊員達の目に、ルーカスのたった一言で、光が宿っていく。


「うっ……サラ隊長、が、一人で死神と……ニア君とシイナ君の姿も、見えません……申し訳、ありません!」


 涙ながらに必死に言葉を紡ぐキールの側に身を屈め、視線を合わせながら、ルーカスは労うようにその肩に軽く手を置く。

 

「あぁ、良くやった。もう大丈夫だ。私がすぐに行く――ヘクセン、テオ、時間が惜しい。ここは任せても?」


 ルーカスはすぐに立ち上がると、真っ直ぐに森の方を見つめる。


「うん、任せて。これくらいなら余裕だから……――救護班は負傷者の治療をすぐに開始して! 残りは戦闘体勢を、一匹も逃すな!」


 テオの言葉に、ルーカス達と共に来た他の隊員達がすぐに動き始める。


 隊長達を含め、一気に現れた機動隊員達のただならぬ殺気におされたのか、魔物の群れは一歩も動かず、こちらの様子を静かに伺っているようだった。


「僕達もサクッとここを片付けたら、すぐに追いかけるわー!」


 ヘクセンはまるで準備運動をするかのように、手首を軽く振った。


「頼んだ。健闘を祈る」


 それだけ告げると、ルーカスはすぐにサラ達の元へと駆け出して行く。マツリカは軽く会釈をし、すぐさまその背を追った。


「ほな時間も勿体無いし……テオ君、どっちが早く終わらせられるか勝負しよか?」


「断る。俺、勝てない勝負はしない主義だから」


 ヘクセンの言葉を軽くあしらった後、テオは辺りを見回した。その瞳は冷静にこの状況を観察しているようだった。やがて小さくため息を漏らすと、気だるげに口を開いた。


「……て言うかあんたさ、皆が怖がってるから――さっさとその怒りを魔物にぶつけてきたら?」


 テオの言葉にピクリと反応したヘクセンは、軽く背伸びをすると、同じように小さくため息をついた。


「はぁ……やっぱりバレてた? 我慢せなって思ってたんやけど、キールのあんな顔見せられたら、やっぱりアカンなー」


 そう言った瞬間、ヘクセンの出す空気が一気に重くなる。先程までのにこやかな表情とは一変して、そこには表情の抜け落ちた冷たさがあった。刺すような視線を魔物の群れに向けると、ヘクセンは冷たく吐き捨てるように言う。


「僕な、ちょーっとだけブラコンやねん。だから手加減できんくても――堪忍ね?」


 沢山の獣の唸り声に混じり、誰かの唾を飲む音がなった。




◇◇◇◇




 ニア達の元へと急ぐルーカスとマツリカの行く手を阻むように、沢山の魔物の残党が待ち構えていた。


「……邪魔をするな。桜光の吹雪(ニクス・フロラ)


 ルーカスの魔法により産み出された沢山の光が、舞い踊るように駆け抜ける。瞬間、音もなく魔物の身体が刻まれていった。


『グァアァアアァア!』


「マツリカ、絶対に俺から離れるなよ」


「うん、わかった!」


 断末魔をあげながら崩れていく塊達には目もくれず、ルーカスはただひたすらに走り続けた。すぐ後ろを付いていくマツリカは、その圧倒的な力に畏敬の念すら抱いてしまう。


 やがて木々が焦げた匂いが強くなった頃、二人は少し開けた場所にたどり着いた。凄惨な森の姿に、そこが“現場”であるとすぐに悟った二人は、禍々しい威圧感の元へと視線を向ける。


 二人の目に飛び込んできたのは、死神の光によって、仲間の体が切り刻まれる瞬間だった。


「サラ!?」


 ルーカス達がすぐにその場に駆け出した時、地面に這いつくばっていたニアから、高出力の魔力の気配がした。


英雄の咆哮(ガロウズ・ハウル)!」


 その言葉と共に現れた淡い薄桃色の光が、吹雪のようにニア達の周りを包み込む。それは先程シイナが作ったドームよりも遥かに巨大で、とても温かく優しい光の集合体だった。


『これは!?』


 周りを高速で回転する桜吹雪のようなその光は、反射的に出されたラズリオンの攻撃を、瞬く間に相殺していく。


『……この、光……は……』


 警戒していたはずの光に近寄って来たラズリオンは、その光に戦意を喪失したのか、ただぼうっと光を眺めるだけだった。


「サラさんッ!」


 ドームの中に居たニアは慌ててサラの側に這いずり寄ると、彼女を抱き抱える。苦しそうにヒューヒューと喉をならすサラの口からは、大量の血が溢れていた。


「何、して……早く、逃げ」


「おいサラ、しっかりしろ!」


「……ルー、カス……君? 良かっ、た……間に、合っ……」


「サラさん、喋らないで!」


 駆け寄ってきたルーカスが、流れ続けるサラの血を止めようと、自分の上着を脱ぎ、必死にサラの脇腹へ当てる。サラは僅かに眉間に皺を寄せると、虚ろな目でニアへと視線を戻した。


「ルーカス君、変わります。シイナ君を運んで貰えますか?」


「……あぁ。頼んだ」


「マツリカさん、ルーカスさん、サラさんを……サラさんを助けて! お願いします、お願いだから……」


「ニア君、落ち着いてください」


 泣きじゃくるニアの腕の中に居るサラの姿を見たマツリカは、思わず言葉を失った。


「……そん、な……」


 マツリカの目に写るサラは、どれ程の医学の知識があったとしても、もう救う事は叶わない状態だった。彼女は血を流し過ぎており、寧ろ今、辛うじて意識がある事が奇跡に近いとさえ、思った。


 サラはじっとニアを見ているようで、どこか遠くを眺めている。彼女の目に浮かぶ涙と、小さく吐かれる息、そして少し開かれた震える口から微かに漏れる空気の音……それらがサラの苦痛を物語っていた。


「サラ……痛みを取ります。よく、頑張りました。貴女のおかげで、皆は無事です。だからどうか……安心してください」


「あり、が、とう……マツ、リカ」


「……常世の安らぎ(クワイエス・アルバ)


 マツリカの光がサラを包んだ瞬間、サラの表情が和らいだ。瞬きの度に、サラの頬を涙が伝っていく。その体は相変わらず震え続けていた。


「……ナ、ギ……ナギ、ど、こ?」


 サラはゆっくりと視線を動かし、小さく呟く。震える手が、必死に何かを掴もうと、空を切った。その姿に、マツリカは唇を強く噛み締め、ニアの手を引き寄せ、サラの手に絡ませる。


「マツリカ、さん?」


 混乱する様子のニアに、マツリカは俯きながら静かに告げた。


「ニア君……私は今から君に、とても残酷なお願いをします。でもサラにはもう時間がありません。どうか、聞いてください」


 マツリカのその神妙な面持ちに、ニアの瞳が大きく揺れる。


「サラは今、愛する人――ナギさんの幻影を見ています。だから貴方は、ナギさんとしてサラの心が休まるように……側に居てあげてください。シイナ君の処置を済ませたら、私達もすぐに戻ってきます」


「そ、んな……」


 ニアはマツリカの言葉の意味に気が付いた。だからこそ必死に頭を動かす。何か、何か方法があるはずだ、と。きっとサラを救う手立てが必ずある、と思った。だがニアの願いとは裏腹に、サラから溢れ出た血は、絶えず服に赤い染みを作っていく。それがどうしても悲しくて、罪悪感と沢山の後悔に押し潰されてしまいそうだった。


 ニアの瞳からポタポタと溢れ落ちた水滴が、サラの頬を静かに伝っていく。


「ナ、ギ……泣、かな……で? ごめ、ね……お姉ちゃん、ヘマ……しちゃ、た……の」


 その言葉に、ニアの目が見開かれる。サラの手を強く握ると、ニアは慌てて答えた。


「サラさんは、何も悪くない! 僕が、全部僕のせいで……だから、貴女は――!」


 ニアの言葉が聞こえていないのか、サラは構わず続けた。


「あんな……っ、ふ……偉そ、な……こと、言った……のに……だめ、ね……ほん、とう……」


「違う、違うんです……サラさん、謝らないでください! 悪いのは僕だ、貴女じゃないッ!」


 ニアの瞳から、止めどなく涙が溢れ落ちる。


 サラは繋いでいた手を、そっとニアの顔に近付けると、優しく頬に手を添えた。ニアはその手が離れないようにと、優しくサラの手に自分の手を重ねた。


 暖かいサラの手の温度が、まだ彼女がここに確かに居ると、僅かにニアを安心させる。


「……ナ、ギ、笑っ……て? 貴方が、泣くと……私、凄く、悲し……の」


 その言葉に、ニアは嗚咽をこらえ、精一杯の笑顔をサラに見せる。


「……っ……ほら、ちゃんと……笑ってる。だから……だから、死なない、で。お願い、居なく、ならないで……サラさん。お願いだから……!」


 サラは震える親指の先で、ニアの口の端を撫でた。その姿を見た時、ニアは自身が今サラに出来る、唯一の事を悟った。


「守って、くれて、ありがとう……サラお姉ちゃんッ!」


 その言葉を聞いたサラは、瞳を潤ませながら、優しく微笑んだ。それはニアが今まで見たサラのどの笑顔よりも美しく、慈愛に溢れていた。


「うれしい……ナギ、あい……して……」


 そのか細く優しい声は、途中で途切れてしまった。


 ニアの頬を撫でていた手が、力無く滑り落ちていく。トサ、と小さな音を立てて落ちたその手は小さな砂煙をあげた。


「サ、ラ……さん?」


 ニアに残されたのは、サラの手の平が頬に残していった血の痕と、僅かな体温だけだった。でもその体温すら、急速に熱を失っていく。


 空気の震えさえ、凍りつくような静寂。さっきまで頬に確かにあったはずの熱が、まるで嘘のように、冷たい風にさらわれていく。


 その『温度の差』だけが、彼女がもういないことを証明していた。


「ねえ……サラ、さん?」


 ニアの呼び掛けにも、もう返事は返ってこない。


 すぐ側で二人を見守っていたマツリカの嗚咽が、小さく漏れた。ルーカスもまた、涙こそ見えないものの、その顔には影が射し、強く握られた拳からは、ポタポタと血が落ちていた。


「こんなの、こんなの酷すぎるよ……」


 マツリカの瞳から溢れる涙が、ポタポタと地面を濡らす。ルーカスは静かに「分かってる」とだけマツリカに言うと、そっとニアの側に身を屈めた。


「ニア君……思うところは沢山、沢山あるだろう。でも今は、生きている者達だけでも、無事に帰還する必要がある。まだ心の整理が付かないのも分かる、でもいつまでもここには居られない。分かるね?」


 ルーカスの言葉はハッキリと聞こえているのに、ニアはその言葉の意味が理解出来なかった。ただ、とても静かな気がするのに、同時にぐわんぐわんと耳鳴りがうるさい感覚もしていた。


「君の結界の解除と同時に、すぐに私とマツリカがラズリオンの気を引く。ラズリオンに幻惑魔法をかけたら……早急にこの場を離れよう。良いね?」


 近くにいるはずのルーカスが、ユラユラと揺れている。その奇妙な感覚に混乱していたニアだったが、『ラズリオン』――その単語だけは、ニアの頭にしっかりと残った。


「……ラズリオン、ラズリオン……そうだ、全部、全部アイツが奪った。僕の全部を……!」


「……ニア君? 駄目だ、落ち着け!」


 ブツブツと小さく呟くニアの異変を察知したルーカスが、ニアを抑えようとした瞬間だった。


「……あ、あ、ぁああああぁああ!」


 ニアの喉から、張り裂ける程の絶叫が轟く。その声はまるで獣の雄叫びのようで、ルーカス達は一瞬身構えてしまう。


「え……これって!?」


 驚くマツリカの瞳に写るのは、薄墨だった髪の毛が、瞬く間に淡い薄桃色へと変わっていくニアの姿だった。


 その姿はまるで、すぐ側に居るであろう“死神”の風貌と重なってみえる。


 ルーカス達に、嫌な緊張が走った。


「……不味い。マツリカ、絶対に阻止するぞ。あれは長くもたない」


「う、うん。でももし……失敗したら?」


「その時は――俺が殺す」


 美しかった光の結界が、ボロボロと崩壊していった。

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