第ニ話 「負け犬」
「うわぁ、広い」
帝国機動隊本部の中って想像してた何倍も広くて、そして大きかったらしい。まるで要塞みたいで、正直……腰が引けるかも。
「よし、気合い入れるぞ!」
深呼吸をすると、少しだけ緊張が解れるような気がした。
僕の胸には受付のお姉さんに貰った、101番のバッジがキラリと光ってる。
凄い倍率を勝ち残った証明でもあるそれが、誇らしい。でもその数字は補欠の証なんだって目に見えるから、ほんの少しだけ恥ずかしい気もする。
「受験会場は、と」
目的地を探していた時だった。酷く耳障りな言葉達がどこからか聞こえてきた。
「おい負け犬。さっさと帰れよ!」
「犬は犬らしく尻尾巻いて逃げな」
聞いていて気持ちの良いものじゃない。一体何が?
僕が声の主を見つけた時、そこには一人の子を三人で取り囲んでいる少年達の姿があった。見るからに友達との悪ふざけって感じじゃないよな。
凄く嫌な感じがする。
「なにあれ」
その光景が信じられなくて、僕は思わず心の声が溢れる。
囲まれている少年は胸ぐらを掴まれているのに、まるで他人事のように空を見上げていて、それが凄く奇妙に見えた。
あの子、あんな状況で怖くはないのか?
白いふわふわの髪、顔なんて精巧につくられたお人形みたいで……本当に生きてる人間なの?
でもその表情はなんだか凄く冷たくて、感情が読めない。
『100』のバッジ――僕と同じ受験者なのか。
「ここはお前みたいなのが来て良い場所じゃないんだよ。分かったら今すぐ帰れ」
胸ぐらを掴んでいた黒髪の少年が、吐き捨てるように言った。
あの人達、まるで正反対だ。白い子は儚げで、今にも消えてしまいそうな感じがする。でも黒い彼の方はサラサラの髪に圧倒的な存在感。儚さとは反対の、人の目を惹きつけるオーラがある、美しい顔の子だった。
「おい聞いてんのか?」
何も答えない男の子に腹を立てたのか、彼は更に強くグイッと引っ張った。白い髪の男の子は、なされるがまま、一切の抵抗を見せない。
どうして彼は抵抗しないんだろうか?
「何とか言えよ!」
もう一度ガクッと揺さぶられた時、空を見上げていた彼の顔が揺れる。鮮やかな赤色の、でもどこか濁った瞳と視線があった。
その目はスラムで良くみる、生きることも立ち向かう事も、何もかも……『全て』を諦めている人間がする目をしていた。
もしかして――今まで誰も助けてくれなかったから、だから彼は僕を見つけても、傍観者の1人だと思って『助けを求める事』をしないのか?
もしそうだとしたら……今この瞬間、深い絶望の中にいるのかもしれない。
その虚ろな瞳に、ただ立ち尽くしている僕の姿がぼんやりと映る。
それは駄目だ。怖いけど止めなきゃ。
このまま見過ごしたら『見て見ぬふり』と言う行動で彼の心が傷付く。それって暴力を振るおうとしてるアイツらと何も変わらないじゃないか。そしたら父さんみたいな格好いい人にはなれない。
僕の中で、いつかの父さんの言葉がよみがえる。
『いいかニア。誰かを救うヒーローになるには、まず目の前の困ってる人から救うんだ。そしたらいつか沢山の人を救える、カッコいいヒーローになれる』
『どうすれば父さんみたいになれるの』って尋ねた時に、こっそり教えてくれた秘密。
そうだ。僕は皆のために戦った、父さんみたいにカッコいい人になるんだから。目の前のあの子から助けよう。
「ちょっと、やめなよ!」
反射的に飛び出すと、二人の間に割って入る。勇気を出したは良いけど、ちょっとだけ怖い。
「なんだお前?」
いきなり割り込んだ僕を見て、黒髪の彼はあからさまに不快そうな表情で睨んでくる。鋭い目つきが僕を獲物かと見定めているみたいだった。
「ギルアさん、こいつのバッジ101番ですよ」
「本当だ、シイナと同類かよ。底辺が増えただけじゃねぇか!」
後ろの二人がクスクスと笑ってる。僕の数字を見た途端に馬鹿にしてくるとか……凄く嫌なやつらだ。後ろの彼『シイナ君』を守って正解だった。
僕はこう言う“理不尽”が一番嫌いだ。
「101? おい。ラッキー入試の雑魚は引っ込んでろ。邪魔するんじゃねぇ。怪我してぇのか?」
ギルアの声が一層低くなる。その時、僕の背中をぎゅっと掴む感覚があった。
後ろを見ると、鮮やかな朱色の瞳が不安げに揺れている。そこには、先程までは無かったはずの僅かな光が見えた。
顔に出ていないだけで、彼はちゃんと感情を持つ人間だった。その事実に何だかじわりと胸が温かくなる。僕の中の勇気の灯火が、さらに強く燃え上がる。
「確かに僕はラッキーかもしれない。でも無抵抗な子を3対1で囲む方がよっぽど負け犬だろ! この子は君達みたいな奴らに、当たり前に傷付けられて良い子じゃない!」
僕の言葉が癇に障ったのか、ギルアは一瞬目を見開いた後、恐ろしい剣幕で唸るように叫んだ。
「……ハッ、上等だ。吠えるしか能がない雑種が、“なんも知らねぇ癖に”しゃしゃり出て来やがって。キャンキャンうるせぇその口、今すぐ黙らせてやるよ!」
「確かに僕は何も知らない、でもこれは間違ってるって事はわかる!」
僕の言葉にギルアの目が鋭く光り、拳がきつく握りしめられ「もういい。とりあえずお前は黙れ」と、拳がふりあげられた、その時だった。
「ピイイイッ!」
甲高い笛の音が響く。その場にいた全員の動きが止まった。
「おいそこの連中、何をやってるんだ。さっさと会場へ行きなさい!」
試験官らしき大人が駆け寄ってくると、舌打ちしたギルアは忌々しげに僕を睨みつけて、吐き捨てるように言った。
「本当にラッキーなやつだな、お前。おい101番。俺は借りは返す主義だ、覚えとけよ」
足早に去る彼の背を追うように、残りの二人も去っていった。どうやら無事に嵐は過ぎ去ったみたいだ。
安堵と共に、僕の身体から力が抜けていく。
「怖かった……でも君が無事で良かったよ。シイナ君だよね。君は大丈夫?」
僕が振り返り「名前合ってる?」と尋ねると、白髪の少年、シイナが遠慮がちにこくりと頷いてくれる。
「……ありがとう。君は?」
彼はほんの少し眉を下げて、僅かに微笑んだ。
「僕はニア。君と同じ最終試験の受験生だよ」
僕の言葉に「よろしく」と短い返事が返ってくる。
「ねぇ、さっきのって」
僕が彼から事情を聞こうとした瞬間、会話を遮るようにまた笛の音が鳴った。
見るとさっきの試験官が急げと指をさしていた。相当ご立腹のようだ。
「大変だ、急ごうシイナ君!」
「うん」
僕たちは一緒に会場へ駆け出した。
◇◇◇◇
先程笛を吹いていた試験官は、走り去る受験生の後ろ姿を見て呟く。
「さっきのは適性・体力テスト共に一位のギルアと100人中最下位のシイナか。そして」
男はパラパラと手元の資料をめくる。
「ニア・ガウロ。融合適性数値が前代未聞の100%と出た少年。100か……まるで魔物そのものだ」
ニアの資料には『要注意』と言う真っ赤な判が押されていた。それを見た男は一人静かに言う。
「危険だと反対の声が多い中、何故ルーカス隊長はあんな子供をゴリ押ししたんだ? まぁ、あの様子だと……恐らくこの数値もたまたまエラーが出ただけ、だろうな」
自分の適性数値が100%だと知らない少年は、遠くで無邪気に笑っていた。