第三章 エストラゴン総統
ミス・ジンジャーは生徒たちが席に着くのを黙って眺めていた。その表情からはなにもうかがえなかった。物腰にも特別いらだったようすはなく、どんな話がAP長官となされたのか見当もつかない。
ダイズは一心にミス・ジンジャーを見つめた。だがそれに答えてくれるやさしいまなざしはなかった。心を落ち着かせようと深呼吸を何回かする。ミズナの視線が痛い。
もしかしたら、ほかの生徒たちも興味津々なのかもしれない。顔には出さないけど、競争相手がひとり減るわけだし。
教室は静まり返っている。ミス・ジンジャーはゆっくりと席のまわりを歩いていく。
「今年は創世百年の記念すべき年です。昔風にいうなら二三四七年、ドームは百年前と変わらず、わたしたちを守り、生活の安定を図ってくれています。ドームなくしては、わたしたちの命は保障できません。四万人の命がかかっているのです。わたしたち指導者の役目とはドームの安定と維持、そして住民の命をおびやかす、違反者に対してすみやかに対処することです。今日、わたしたちは追放が執行されるのを見学しました。どうだった、ダイズ?」
突然指名され、背中を伸ばす。一瞬ためらったが、あわてず「正当な執行でした」といった。ダイズは冷静さをつくろい、たんたんと起きた事実を述べた。男が自分を外の世界へ引っ張り、除染されなければならなかったことも話した。
「うかつでしたね。管理者や労働者には十分気を付けるように。今回は記録に残らないように処理しておきました。あなたたちはドームを担っていく指導者候補生ですから」
一呼吸置いて、ついでにというふうに「外はどんなでした?」と聞いた。
顔には微笑んでいるような表情が浮かんでいる。
ダイズはじっとミス・ジンジャーの顔を見つめ、真意を計ろうとした。
「ええと……コンピューターで見た世界が広がっていました。まぶしかったです」
感動を閉じ込めて答えた。目はミス・ジンジャーに注いだままだ。
「ありがとう」
その声にはあてがはずれたような失望感が漂っていた。少なくともダイズにはそう感じられた。どういってほしかったのだろう。試されているのかとも思えた。
「外は汚染された世界です。一見美しく、なんの危険もないように見えるのですが、放射能の危険性はまだ消えてはいないのです。追放された人間たちが外の世界で生きているのかどうか、わたしたちには知る由もありません。それでいいのです。わたしたちが守っていくのはドームです。ここ以外に住む場所はありません」
ミス・ジンジャーはひとりひとりの表情を確かめていった。どの顔もしっかり見返している。
胸の奥深くにいつも漂っている感情が頭をもたげてくる。ダイズは両手をぎゅっと握った。ドームでの息苦しい生活や情報が制限されていることへのいらだち、子どもたちを監視している指導者への不信。それでもここ以外に住む場所がないという現実。
ダイズの心は騒ぎたち、迷路に迷い込んだようにあちらこちらへと揺れつづける。外の景色を見てしまったことが、不満と疑念を一層ふくらませたのかもしれない。
唇をかみ、目をつむった。まずは話を聞かねば、それからゆっくりと考えてみよう。そう自分に言い聞かせた。
「最高指導者エストラゴン総統が、このドームの成り立ちをお話ししてくださいます。聞き漏らさないように、すべてを頭に入れるのですよ」
大きなテレスクリーンのスイッチが入った。画面いっぱいに、総統の顔が映し出される。骨ばった細い顔にいく筋もしわが刻まれている。夜の放送の時よりリラックスしているのか、唇は緩み、笑っているようにも見える。だが目は鋭く、相手をおびえさせる冷酷さを帯び、正面を見据えていた。
なぜ直接、ここに来て話さないの? 簡単には会えない、それほど偉い人物なのだといいたいのかしら。
ダイズは腹が立った。
総統が話し始めた。
「諸君! われらと共に仕事を始める年が近づきつつある。今までの君たちは教育を与えられるだけの、ほんの子どもだった。これからは違うぞ。このドームの存続維持が、君たちの手にも委ねられるわけだからな。しっかり勉強してくれたまえ」
一瞬、間をおいてから再び口を開く。
「さて、ここからは指導者となる者だけに与えられる情報だ。管理者たちにも伝えてはならない。それが規則だ。彼らには彼らにふさわしい話をしてある。まずわたしに向かって規則に従うと宣誓してもらおう。破った者は追放となることを忘れないように。たとえ指導者候補生だとしても、その罪はまぬがれない」
ミス・ジンジャーは総統の合図を受け、端から立ち上がるよう指示した。
ひとりずつ立ち上がり、右手を胸にあて宣誓をした。スムーズに、全生徒の宣誓が終った。鼓動がどくんどくんとダイズの胸の奥から聞こえる。
指導者たちしか知らないこと。一体どのくらいのことが隠されているの? それらを知るためには宣誓だって、なんだってする。
総統の言葉が続いた。
「はるか昔、二一三〇年代のことだった。地球は地殻の大変動により、各地にマグネチュード九クラスの地震が何回も起こり始めた。その四~五年前から予兆はあったのだ。もちろん被害を最小限に抑えるための準備はちゃくちゃくと行われていた。
だが、地球全体で起こるほどの規模だということは、ほんの一握りの人間たちにしかわかっていなかった。彼らにできることはあまりなかった。各国の指導者たちが耳を貸さなかったのだ。その頃までに、世界各地で地層処分された高レベル放射性廃棄物の数は増え続けていた。廃棄物の処分方法は未解決のまま、地下には廃棄物が押し込まれていったというわけだ。地層処分は一番安全だということになっていた。だが地球規模の地殻変動にはなすすべもなかったのだ。人間の知らぬ間に、廃棄物の容器は地震のたびに破損し、地下に放射能は染み出していった。人間たちが気づいたとき、そのころの地球には国が二百余りあったが、自国の利益を守ろうと、各国のいがみ合いがさらに増幅していった。そして、二一三八年、世界は戦争という泥沼へはまり込んでいった。戦争は一週間も続かなかったという。各地で核兵器が使用されたのだ。地球上の生命は、死に絶えたといわれている」
総統はここまでいうと、グラスに水を注ぎ一気に飲んだ。ごくりとのどをならしたのはダイズだけではなかった。水の供給量は決まっていた。だからダイズはいつもゆっくりと味わって飲むのだ。なんというぜいたく。このちょっとした総統の行動に違和感をおぼえる。