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第二章 追放

 ダイズたちは静かに通りへと降り立った。こんな遠くまで来たのは初めてだった。平べったい建物には、窓とドアが唯一の模様のように等間隔で作られていた。ここいらは労働者たちの住居地区で、今はみな工場へ働きに出ているのだ。その住居を背中にすると、すぐ目の前にドームの壁がそそり立っている。建物の屋上より少し上まで灰色の壁があり、外はまったく見えない。太陽の光はドームに降り注いでいるが、人間に害のある物質は一切遮断され、ドームは完全に密封されている。

 このドームが、だれによって、いつ、どんなふうに作られたのか、どのように維持されているか、ダイズたちはまだ何も教えられていなかった。


 出口の前には数人の大人たちがいた。ひとりだけ灰色のシャツを着けている者がいる。彼が追放されるのだ。ダイズは彼の顔をじっと見つめた。 

 ミス・ジンジャーと同じくらいの年だろうか、その顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。AP追放部の指導者がひとり、管理者のふたりが男のそばについているが、誰もひとこともしゃべらない。

 ダイズは追放される男に聞いてみたいことが山ほどあった。毎日何を作っていたのだろう。なぜ仕事を放棄したのか、仕事はそんなにつらかったのか。

 だが口を聞くことは許されていなかった。

 だいたいここにいることでさえ、ほかの階級の人間たちにはできないことだった。指導者として生まれたものに与えられる、特権のようなものなのだ。


 ミス・ジンジャーは、APの長官と話し合っていた。それから軽くうなずき、ダイズたちを並ばせた。男が長官の前に立たされると、判決文が読み上げられる。そして一呼吸おいて、「追放を命ずる!」と、最後の言葉を長官が言い終わった。

 ダイズはごくりとのどをならす。いよいよドームのドアが開くのだ。外が見られるかもしれない。男の行く末より、外のようすに興味があった。

「だれか、最後のドアまで行ってみたい子はいますか? 今日は特別に許しましょう」

 ミス・ジンジャーが生徒たちを見回していった。さっとダイズが手をあげた。それを見たミズナも手をあげる。ほかの何人かも、おずおずと手をあげはじめた。

「ダイズ、あなたに行ってもらうわ」 

 ミス・ジンジャーはまっすぐダイズを見つめる。ダイズは前に出て、放射能防護服を制服の上から着た。管理者のふたりも同じものを着る。男だけがそのままのかっこうだ。ダイズは外の世界は未だに危険な状態なのか、もし危険ならば、この呼吸器内臓の防護服は地球を滅ぼした放射能を遮ることができるのか、見当もつかなかった。


 灰色のドームの壁にドアがあった。指導者が長官の了解を得てドアの横にあるセンサーに手をかざす。すると、ドアが左右にゆっくりと音もなく開いていった。そこからは長い廊下が見えた。男を引き連れ、ダイズたち四人は廊下へと進む。自分の呼吸する音がやけに大きく聞こえているのに気づく。荒い息だった。四人の後ろでドアが閉まっていく。

 このまま戻れなくなったらと、ダイズは一瞬後ろを振り返った。男は抵抗もせず、もうひとつのドアに向かって歩いている。管理者のふたりは慣れたようすだ。外への最後のドアにやってきた。ふたりが順にボタンを押す。どうやらふたり揃わないと、開かないようだ。ひとりがやっと通れるくらいのドアが開き始める。

 ダイズは思わず息を止めた。すきまからしずしずと外の世界があらわれる。 

それはいいようもないほど色鮮やかな世界だった。狭いドアからだったが、教室のコンピューターでしか見たことのない景色がもっと鮮烈に広がっている。ドームの中よりもまぶしい日の光が降り注ぎ、赤茶色の大地が見える。ドームのある場所は高台にあった。高台からなだらかな斜面が下へと向かっている。はるか向こうには、高い山々を背に、こんもりした森のような緑が見える。建物は見えない。あるのは静寂に満ちた、一度消滅し、生き返った「自然」だった。


 ああ、本当にこんな世界があったのだ!


 マスクを取り、ドアから出たいと思った。さまざまな色に満ちたこの世界の空気を吸ってみたい! 匂いをかいでみたい! 音を聞いてみたい!

 一瞬も目を閉じたいとは思わなかった。声も出ないほど体が震えた。涙が不思議とあふれてくる。泣くなどとは思いもしなかった。

 その時だ。景色にみとれていたダイズはぐっと腕をつかまれ、外に引っ張られた。あわてふためき、身をよじった。男の手がダイズの防護服をはぎ取ろうとしている。ふたりが男に飛びかかった。ダイズは地面に倒れ、動けなかった。男は動きの鈍いふたりの間をすり抜け、叫びながら丘を走り下って行った。ふたりはダイズを起こし、急いでドアの中へ入る。

「なんてことだ!」

 ひとりがマスクの中からそう叫んだ。

 男は振り向こうともせず、一心に走っている。足跡がくっきりと残っているのがダイズの目に焼きついた。

 ドアが静かに閉まっていった。三人は急ぎ足で廊下を戻る。 

ひとりが「除染する! 念のためだ」といった。

 ダイズはうろうろと廊下を歩き回った。息もできないくらい心臓が苦しい。起こったことがあまりに突然で、目の前がくらくらした。乱暴に扱われることなど生まれて初めてのことだ。

 しばらくすると、除染剤が廊下の壁から噴射された。あたりは水浸しになり、ダイズは何も見えなくなった。ドアが開き、除染係の女がふたり入ってきた。あっという間にドアがしまり、三人のまわりに囲いが作られた。

「脱ぎなさい」

 女がせかすようにダイズをにらみつける。

 除染が終ったのは、それから十五分ほど経った頃だった。洋服はすべて処分され、新しい制服が用意されていた。やっとドアが開き、ミス・ジンジャーの前に立っていった。

「申し訳ありません」

 ミス・ジンジャーはやさしく肩に手をかけてくれた。

 管理者たちがダイズへの文句を指導者にいっているのが聞こえてきた。ダイズは長官に何かいわれるのではないかと、内心ひやひやしていた。子どもたちはその場に張り付いたままだ。指導者と話し合っていた長官がミス・ジンジャーのそばにやってきた。口を開いた瞬間、さえぎるようにミス・ジンジャーが管理者たちに叫んだ。

「身分をわきまえなさい! ダイズは指導者候補生ですよ。長官、あのふたりの処分を」

 長官は驚き、言葉が出てこない。ふたりの男はぎょっとしてあとずさった。

 ミス・ジンジャーの腕をうやうやしく取ると、長官はみなから離れたところへ連れて行った。ダイズの引き起こしたことが、さらに大きな事件となるのか。ダイズは話し合うふたりのようすを見守っていた。

これがわたしの望んだ刺激?

 ダイズは自嘲気味に顔をゆがめた。確かにあのドアの向こうの世界を見てしまった今、何かが胸の中で芽生えたと感じる。あの先には野原が広がり、木々や草木が茂り、小川が流れていたりするのだろうか? 動物たちが暮らしていたりするだろうか? 追放させられた人間たちが生きているなんてことがあるのだろうか?


 ハッとして、ダイズは現実に舞い戻った。

 責任を取らされたら……

 ダイズの顔が不安にくもった。

 ミス・ジンジャーはするどい目で長官と話していた。

 やがてふたりの長官はそれぞれエアカーに向かって歩き出した。

 生徒たちもあとにつづいた。事件はミス・ジンジャーのおかげでひとまず解決したようだった。


 帰り道、車内は行きと同じように、だれもなにもしゃべらなかった。ミズナが聞きたそうにダイズを見つめている以外、興味を示す者はいなかった。

 ぜったいにしゃべるものか。

 口をキッと結んで、ひたすら外を眺め続けた。

 ドームの灰色に沈んだ景色を見てなどいなかった。垣間見た外の世界を記憶に焼き付けるため、もう一度すべてをていねいに思い起こしていた。体の力を抜き、息を整えて目をつむる。

 外の世界は、かつては人間たちに支配された世界だった。

 今生きている人間たちのほとんどは、そんなことさえ知らないでいる。ドームがすべてだと思い込んでいる。しかし、本当にそうなのだろうか。疑問が次から次へと、わきあがってくるのを抑えられなかった。 

 

 ミス・ジンジャーに助けられたことさえ、素直に喜んでいいのか迷っている自分がいる。なぜこれほどまでに手をさしのべてくれるのだろう。なにか魂胆があるのか? それともダイズが好意を抱いているように、彼女も同じ思いでいてくれている証なのだろうか。そう思ってしまっていいものか、ダイズには判断できかねた。だがもしそうならば、自分と同じようにミス・ジンジャーも異端者にならないだろうか。

 まさか! 

 ミス・ジンジャーは次期総統にふさわしいと多くの指導者がいっている。そんなひとが異端者のわけがない。だから信用しきってはいけない。ダイズの心の片隅で警鐘がなりだす。これからはもっと注意深く生きていかねば。

 だが汚点として記録されたらもうおしまいだ。ミス・ジンジャーがどう処理したのか、確かめる必要がある。どこに落とし穴があるかわかったものではない。ダイズは体が芯から冷たくなっていくのを感じていた。

 エアカーが静かに学校のビルの屋上に降り立った。

 ミス・ジンジャーを先頭に、生徒たちは教室にもどっていく。授業の始まりだ。


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