幽霊と菊池
「おい菊池、最近噂になっている幽霊知ってるか?」
「幽霊? 知らないな」
「どうやら全身が真っ白な幽霊が近くにある公園で突如現れるらしいぞ」
俺は、工藤の前では幽霊の話に興味のある振りをしていたが、心の中では馬鹿らしいと思っていた。もう俺達は高校生なのに、現実に存在するわけもない幽霊の話で盛り上がるなんてと呆れていたのだ。
しかし、どうやら盛り上がっているのは工藤だけではないみたいで、クラスのあらゆるところからその幽霊の話で盛り上がっていた。幽霊を見たと言っている者もいれば、羨ましがって自分も見たいと言っている者もいる。どうやら多くの者が幽霊が気になっているようであった。
人の噂も七十五日と言うし、どうせこの幽霊の話題もすぐに収まるだろうとこの当時は楽観的に考えていた。
しかし、2・3ヶ月で収まると思っていた噂は途絶えることなく、幽霊を見たという者が続出。勿論高校ではスマホは持ち込み可能なので、写真を取ったり、動画を回りしたりする者もおり、中にはネット上にアップする者もいた。その写真や動画には、白い服は浮いて映っているものの、肝心な女の顔や身体は映っていないのだ。最初は合成だと思っていた人も多かったが、色々な人が様々な場面で幽霊をアップする度にやはり幽霊は存在すると主張する人がどんどん増えていったのだ。そんな中、ある日工藤がいつもに増してのテンションでこんなことを報告してきた。
「おい菊池、どうやら久保や森田も幽霊を見たらしいぞ。と言っても遠くからだったらしいからハッキリとは見てないらしいがな」
「久保も森田も見たのか!?」
この時驚きの態度を取りながらも、久保や森田って誰だっけと疑問が過っていた。でもまあ、元々社交的でないため、きっと彼らは工藤の友人であって、俺の友人ではないのだろうとあまり気にすることはなかった。
しかし、この時から俺は少しずつ違和感を感じるようになった。あれから工藤は、定期的に彼の友人や同級生が幽霊を見たと話すようになったものの、殆どの人が記憶にないのだ。ここまで人を覚えるが苦手だっけと少し疑問に思いながらも、毎回彼らのことを知っているかのように、幽霊のことに対して驚きの態度を取っていた。
「おい菊池、さっきな幽霊を見たんだよ。まじで驚いた」
「はあ?」
この言葉を工藤から掛けられたのは、幽霊が噂されてから半年後であった。工藤はとうとう幽霊を見ることが出来たと今までにないほどのテンションの高さだったものの、今度の言葉を発する時は一気に顔を顰めていた。
「聞いて驚くなよ。幽霊の顔がなんと、ゆうなさんにソックリだったんだよ」
「ゆうなさん? 怨霊として残っているとでもいうのか!? でもまさか……」
俺はいつものように知っているかのように驚いていたが、よく分からない怨霊という言葉まで発していた。そして何やら思い当たりのある反応をしていた。そんなことあり得るはずもないのに。
しかし、今までと違って彼女のことを何故か聞き覚えあるような、何か引っかかりを覚えたのだ。今までこんなことは無かったため、無性に気になって仕方がない。そんな中でも、彼女が誰と工藤に聞けないまま話は終わってしまった。
俺は家に帰ると、今までしたことがなかったにも関わらず、アルバムや写真を漁って「ゆうな」という女のことを調べ始めた。本当は工藤に話を聞こうと思っていたのに、バイトがあるからと即座に帰られてしまい聞くことが出来なかった。勿論明日話を聞けば良いだけの話なのにも関わらず、どうしても気がかりになり、自分の手で調べようと決めたのだ。工藤が、下の名前で呼んでいたのには引っかかりを覚えたが、どうせ同じ同級生だろと推測したのだった。しかし、何人か居てもおかしくない名前なのにも関わらず、誰1人ヒットしなかった。今まで工藤が言っていた人物は全員ここに載っているというのに彼女いないなんてあり得ないと何度も見直すもそれは徒労に終わってしまった。
広げたアルバムや写真を片付け、元の場所に戻そうとすると、その隣に違うアルバムを見つけた。これも身の覚えのない物であったが、何故か既視感を感じて自然と手に取ってアルバムを開いていた。すると、桐山優奈という1人の少女を発見したのだ。しかし、ここで分かったことは彼女は同級生ではないということ。このアルバムは中学校の卒業アルバムではなく、なんと大学の卒業アルバムであり、彼女は大学を卒業した成人女性だったのだ。何故こんなアルバムがこの家にあるのか全く分からなかったが、それと同様に新たな人物に目を引かれた。それは下の名前は違うが、苗字は同じ菊池で、そして何より自分にかなり似ている人物だ。きっともう少し年を取ったらこんな感じの雰囲気になるだろうかと思いつつも、どうも気がかりに思えた。
全く何故このアルバムがあるのかは未だに理解出来ないが、取り敢えず知りたかった「ゆうな」という女性の情報を得ることが出来たので、取り敢えず先ほど開いたアルバムを元の位置に戻した。
それにしても何だろうか、この頭の痛みは。先ほどの優奈という女性と自分にかなり似ている菊池という男性のことを考えれば考えるほど、頭の痛みがどんどん強まっていく。もう本来なら考えるのを止めたいのに、勝手に想像が働いて思考が止まることがなく、ただ強まっていく一方。何だかとても大事なことを忘れているように感じられる。また、その大事なことを今必死に思い出そうとしているように感じられる。こんな感情に至ったことがなくて吐き気すら感じてしまう。だけどこの状況をどうにかしないといけないと、2人のことを考えている片隅でどうすれば良いかと考えたところ、何故か幽霊に会いに行こうという考えが思い浮かんだ。 そもそも工藤が、幽霊が優奈という女性に似ていると言い始めたから調べたことだ。これは理にかなっていると思うと、脳から勝手に外に出ろと命令を下され、もう夜9時過ぎているのにも関わらず、咄嗟に家を出て幽霊が出たとされる公園に向かったのだった。
流石に遅いせいかこの時間帯は、誰もいなかった。そういえばよく出ているのは朝方だと工藤が言っていたことを思い出した。朝に出ると言うのであればわざわざ今すぐここまで来る必要がなかったということになる。折角何か掴めるかと思ったのに、そのことに気づいてしまい肩を落とした。仕方がないから帰ろうとした時、後ろから声を掛けられたのだ。
「裕太くん?」
「ゆう……な……?」
振り向くと肌も服も真っ白な、それでいて身体は透けた女性が居た。そのため一発で噂の幽霊であると分かったものの、どうやら彼女は自分のことを知っており、また俺も勝手に彼女のことを戸惑いながらも呼び捨てで優奈という名前を呟いていたことに戸惑いを覚える。しかし、同時になんだか一瞬安堵するも、今度はさらなる頭の痛みが襲ってきた。また何かを無理矢理思い出そうとしているよう強い痛みだった。
「もしかして、祐介なの?」
「違う……俺は菊池裕太のはずだ……」
何故か彼女から自分とは違う名前を呼ばれるし、それも何故か強く否定して祐介ではなく裕太だと主張していた。しかし、何故かしっくりこなくて、また頭にさらなる痛みが走った。
「ねえ、祐介なんでしょう。お願いだから裕太くんに取り憑かないで、私の元に来てよ」
取り憑いている。取り憑いている。取り憑いている。
取り憑いている。取り憑いている。取り憑いている。
取り憑いている。取り憑いている。取り憑いている。
衝撃的な言葉に頭が何度も反芻して、その言葉から離れられない。また、これ以上ににないほどの痛みが頭に襲いかかってきた。
「貴方は菊池祐介。今貴方は、貴方の弟である菊池裕太くんに取り憑いているのよ。ねえ、思い出してよ。私のこと忘れたの?」
荒げた声で発せられた言葉を聞いて、ようやく俺は自分が一体何者なのかを思い出すことが出来た。その正体とは、少し前に階段から転げ落ちるという事故で亡くなった幽霊だった。死ぬ前の1年前にどうしても受け入れることが出来ない事故により、自分の精神は壊れ果ててしまい、全てを忘れようとしていた。そして、それは亡くなった時にも受け継がれてしまい、無意識の内に10歳年下の弟の裕太に取り憑いて、あたかも何も無かったかのように裕太に成り切ろうとしていたのだと気づいた。そして、今泣き崩れている彼女の存在も今ハッキリと思い出した。
「優奈……本当にごめん」
彼女の名前は桐山優奈。俺の婚約者で、最愛の人だ。そんなとても大切な人のことを忘れてしまったのには、彼女が不幸な事故で亡くなってしまったことが原因だった。
俺たちは大学生の頃に出会い、それから優奈と付き合うようになり、お互いに20代後半に差し掛かったから結婚しようというところまで来ていた。その時に優奈の胃に癌が見つかったのだが、幸いなことにステージ0であり、簡単な手術で完全に除去出来ると聞き、お互いに早く見つかって良かったと喜んでいたのだ。そんな普通なら成功する手術。しかし、なんとこの時の麻酔医師が半寝したことにより、麻酔量を間違えてしまい、優奈はそのまま帰らぬ人となってしまった。
手術が失敗したとは言え、元々誓約書がある以上、殆ど慰謝料も取れずに落胆した。そして何よりも全く反省の色すら見せず、寧ろこっちが被害者みたいな態度を取った麻酔医師をどうしても許すことが出来なかった。そのため、弁護士の力も借りてどうにかしようとしたが、少しマシになっただけで、結局自分の力ではどうすることも出来なくて、何もかもに嫌気が刺してしまったのだ。そして、その嫌気から精神が完全に病んでしまい、とうとう優奈を忘れるまで至ってしまったのだった。
「こっちこそごめんね。先に行っちゃって。でも、祐介のことが心配だったから成仏出来てなかったんだ」
「優奈は殺された立場なのに謝るな」
「そうだね。ありがとう、色々手を尽くしてくれて。本当に最後まで懸命にしてくれて嬉しかったよ」
「どうしていつも優奈はそうなんだよ。怒るということを覚えろよ……」
優奈はいつも前向きで、相手を責めることはしない。どんな時でも励ましてくれるのが優奈で、そんな優奈は俺の光だった。だからこそここまで意気消沈したというのに、幽霊になっても全く変わっていないところが、間違いなく優奈である証だと、自然と腑に落ちてしまう。
「私だって怒っているんだからね。もうこんなに早くに私のところ来てさ」
「こっちだって不本意だったけどな」
「それは分かっているけれど……。でも、もう幽霊になったなら、一緒に成仏しよう。裕太くんの身体も返してあげなきゃ」
確かに今もまだ裕太の身体に憑依している状態だった。本当にごめんと裕太に届かない声で謝りながら、そっと裕太の体から抜ける。すると、裕太はすぐに自分の意識を取り戻し、なんでこんなところにいるんだと叫びながらも、早く帰らなきゃと直ぐ様家に帰って行った。
「祐介、確かに今日は裕太くんの身体と意識を乗っ取っちゃったみたいだけど、普段は裕太くんの意識で行動しているからあまり影響はないわ」
今までずっと裕太を乗っ取っていたのではないかと思っていたため、これからの裕太に何か変なことが起こらないか不安だったのだが、優奈に大丈夫だと言われて安堵した。また、今までは意識がそれぞれ分かれていたから、自分の思っていることと違う行動をしていたのだと分かると、優奈の言っていることは本当なのだと確信し、それがさらなる安心に繋がった。
それにしても、工藤以外の名前に誰も聞き覚えが無かったのは、裕太の友人や同級生で、俺の友人や同級生では無かったから。工藤のことを知っていたのは、裕太の1番の親友であり、彼がしょっちゅう遊びに来て、たまに自分も彼と話したり遊んだりしたことがあるから違和感が無かったのだと気づく。当然アルバムが異なるのは違う人物だから。それでいて顔が似ていたのは単に兄弟だからだ。今までの違和感がようやく全て分かりスッキリした。それと同時にやはり意識や身体は今日以外乗っ取っていなかったとは言え、裕太に取り憑いてしまったことには申し訳無い気持ちでいっぱいになってしまう。しかし、裕太に憑依していたことで優奈のことを知ることができ、無事に優奈にも会うことができ、また自分の気持ちを整理することが出来たので、裕太には感謝してもしきれないほどの気持ちでも満ち溢れ、誰にも届かない感謝の言葉、ありがとうと呟いた。
もうこれ以上俺達がここにいるわけではないと悟り、俺は彼女の手を取って言葉を掛ける。
「優奈、それじゃあ行こうか」
「うん」
これから俺達は然るべきところに向かう。本来なら子どもを育てて家庭を築いていたのだろうと思うと悲しいが、それでもこれからは彼女とずっと共にいられると思うと心が軽くなり、彼女に向かって笑みを浮かべた。