36.イアンの覚悟
私はエレノア嬢のところから、逃げるようにして帰ってきてしまった。
ショックだった。
《当家から断れる立場ではありませんので》
エレノア嬢の放ったこの一言は、私の胸に思い切り突き刺さったのだ。
私は勘違いをしていた。
エレノア嬢が私を拒否しない事に、今までの3年間が許されたものだと思い込んでいた。
しかし、それは間違いだった。
それはそうだ。エレノア嬢の立場では、王族の私を拒絶する事など出来ない。
私はそれに付け込んで、仲良くなった気でいたのだ。
これからエレノア嬢とどう向き合えばいい?
やはり、エレノア嬢にしてみれば、私との婚約は不本意なのだろうか?
「殿下」
「……」
「殿下」
「……」
「イアン殿下!」
ハッ!
「あぁ、なんだ。オーウェンか。どうした?」
私は平静を装いながら、そうオーウェンに聞く。
「いや、全然平静を装えてませんから。
こちらがどうしたのか聞きたいです」
オーウェンは相変わらず、ズバズバと言いたいことを言って来る。
「オーウェン、私はこれからどうエレノア嬢に接すれば良いと思う?」
そう聞くわたしを見て、オーウェンは目を丸くする。
「今まで上手くやってきたではありませんか? 何かありましたか?」
そう聞いてきたオーウェンに、先程エレノア嬢が言った一言を教える。
「あー。なるほど。それは少々痛い言葉ですねぇ。今までの殿下の気持ちは、まるで伝わってなかったようですもんねぇ」
グサっ!
「お前は……私の胸の傷に塩を塗り込むような真似を……」
私は胸を押さえながら、オーウェンを睨む。
しかし、オーウェンは全く意に介せず、平然と更なる言葉で私にトドメを刺そうとしてきた。
「このままなし崩し的に、結婚に持ち込もうとしたイアン殿下が悪いのでは?
殿下の気持ちをハッキリと令嬢に伝えた事はありますか?
令嬢の気持ちを確かめた事はありますか?」
「好意を持っている事は前に言っている! だから、ちゃんと向き合いたいっていう事も同意を得ている!
私の色のドレスをプレゼントしたり、毎日花束も贈ったではないか!」
そう言った私を、最低なものを見る目でオーウェンは見てくる。
「あー、それ、全部殿下の一方的な想いの押し付けですよねぇ?
私の知る限り、令嬢から何か気持ちを伝えられた事はないのではありませんか?
それとも、これからもそうやって、自己満足なやり方で、相手の気持ちを無視し続けるつもりですかねぇ?」
にこやかにそう話すオーウェンだが、目が笑ってない。これは静かに怒っている時の顔だとな、長年行動を共にしてきた私には分かった。
「お前は……。
誰もそんな事は思ってはいない!
ただ、その……彼女の気持ちを確かめるのが……」
“怖い”など、言えない。
私はこんなにも臆病であったのか?
武芸や魔法技術に優れ、鬼神とさえ呼ばれる程の強さを持っていると自負してきた、この私が!?
「え? なんです? 気持ちを確かめるのがの次は?」
「お前……本当に嫌な奴だな!
怖いんだよ! 彼女の気持ちを確かめるのが!」
そう叫んだ私に、オーウェンは満足気に頷いた。
「イアン殿下は、恋愛に関してはかなりヘタレですもんねぇ。
でも、怖くてもしっかりと令嬢の気持ちを確かめないと。
その為にも、ちゃんと選択肢を与えてあげないとダメですよ」
「選択肢?」
「今のファクソン伯爵令嬢は、政略結婚だからこそ、そんな言葉が出てしまうのです。
彼女に拒否権などないのですから。
だからこそ、彼女自身が殿下と向き合う事が嫌なら、婚約解消しても構わない、無理やり結婚する事はしないという確約をしてあげるのはどうでしょう?」
「え……」
そんな確約をして、万が一、彼女が私から離れていってしまったら……。
そして、万が一、ギアス殿と婚約してしまったら、私はどうすればいいのだろう……。
「オーウェン……もしそれで彼女が私から逃げてしまったら……」
不安そうに、そう言う私に、オーウェンは優しく言う。
「これはあくまで提案の一つです。嫌ならそんな事しなくても構わないのです。
もっと時間をかけて、ゆっくりと、ファクソン伯爵令嬢の気持ちが殿下に向くように、これからも心を込めて殿下の気持ちを伝えて行けばいいのですよ」
彼女を手放したくない。
これからも自分の気持ちを伝えていけば、いつかは彼女にも、この想いが伝わるはず。
しかし、一方で先程オーウェンに言われた事が心に引っかかっている。
彼女には拒否権がない……か。
彼女を縛っている事は否めない。
このまま、なし崩し的に結婚に持っていく事だって出来るが……。
「ダメだよな……」
うん、ダメだ。
これでは彼女の意思が尊重されない。
私は彼女に、心から笑ってもらいたいから……。
「明日、エレノア嬢に会ってくる」
「ここのところ、ほぼ毎日通っておられますが」
オーウェンの嫌味をスルーし、私は伝えた。
「会って、婚約解消してもいいと伝えてくる」
「ん? え? はい?」
「いや、いっそ婚約解消して、一から始めることにする!」
「ちょっ! 早まらないで下さい! 何でそんなに極端なんですか!」
そう叫んでいるオーウェンを無視して、わたしは決意した。