3.殿下の後悔
エレノアは伯爵家に戻ってくると、両親への挨拶もそこそこにすぐに自室に向かった。
後ろから、
「また会ってもらえなかったみたいだな……」
「あなた、イアン殿下との婚約は解消出来ないの?」
「うちから断れるわけ無いだろう」
などの両親の会話が聞こえてくる。
毎回王子妃教育の後のお茶会をイアン殿下にすっぽかされているのは両親も知っている。
だから、帰ってきた私にいつも心を痛めてくれているのだ。
いや、本当にこっちの世界は面倒だわね。
イアン殿下も結婚したくないなら、さっさと解消してくれればいいのに!
我が身可愛さで王妃に楯突くことが出来ないなら、覚悟を決めてそれなりの対応をしなさいよね!
イライラしながら自室に入った私に、そば付きのメイドのマリンが迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、エレノア様。
心が落ち着くハーブティーをご用意しておりますよ」
そう言ってにっこりと笑ってくれるマリンを見て、ようやく一息つく事が出来た。
「マリン、いつもありがとう」
ハーブティーを飲んで、気持ちを落ち着かせる。
「私疲れたから少し休むわ。
マリンも休憩してきて」
「かしこまりました。何かあればお呼び下さいませ」
マリンはそう返事して静かに部屋を後にした。
マリンを下がらせた私は、一人になってから考えを整理し始めた。
まず、私は本当に転生したようだ。
前回の時は28歳で死んで、今は19歳。
「人生経験は合わせて47歳ね」
自分で言って自分で笑える。
日本人だった頃は、ただ平凡に生きてきた。
なんの取り柄もない、恋人もいない寂しい人生。
そして今の私は伯爵令嬢であり、この国の第二王子の(相手にされてない)婚約者。
でも、考え方はだいぶん前世の私よりになっていた。
「よくある乙女ゲームの世界かな?
でも乙女ゲームはやってなかったし、その関連の小説もそこまで読んでなかったから、この世界が乙女ゲームか小説の世界なのかも分かんないや。
でも、イアン殿下はいかにも攻略対象って感じだから、立場的には悪役令嬢っぽい?
知らない間に断罪されたら、どうしよう?」
しかし、分からないものは、どうしようもない。
どちらかと言うと、恋愛物より冒険者が主人公の異世界アニメやファンタジー小説などを好んで読んでいた。
その中でも魔法を使った話が大好きで、魔法無双した話に夢中になったものだ。
今の私は、魔力はそこそこあるのに、魔法技術が足りない。
どうせなら、レベルアップなんかやってみたいし、ちょっと恐いけど、魔物も倒したい。
「せっかくの転生なんだから、この際、好きなように生きてもいいかな?
魔法や武術を習って、強くなりたいし。
そうだ! よくある異世界物語みたいに、前世の記憶を頼りに何か発明してみる?」
変な方向に考えが走っている事も否めないが、テンションが上がっている今、その考えが止まらない。
もし、魔物を狩るくらい強くなったり、何か発明してお金持ちになったら、結婚しなくても一人で生きていけるかも。
「取り敢えずは、チート能力とかないか確認したいな。
ステータスオープン! なんちゃって」
よく異世界ものにある、目の前に自分のステータスが表記された画面が浮かんでこないか試したけど、何も出てこない。
「うん、ですよねー。
まぁ、気長に魔法の練習でもしますか……」
少しテンションが下がりながらそう呟いた。
「そろそろ30分経ったかな?」
今日はまた王子妃教育があり、終了後の婚約者との恒例のお茶会だ。
いつもは2時間程待ってから帰っていたが、前世の記憶が戻った今、その2時間はとても無駄な時間に感じた。
かといって、恒例行事を力のない伯爵家の娘がいきなりボイコット出来るわけもなく───
せめて形だけでも待ってから帰ろうと、自分の中で30分と時間を決めたのだった。
「さて、帰りますか」
今日もイアン殿下は姿を現さない。
先週倒れた時に、不本意だが医務室に連れて行ってもらったので、お礼状は出しておいた。
その上で今日も来られないのは、明らかに拒否を示している証拠だ。
なら、義理は果たしたので、この辺で退散しよう。
早く帰って魔法の練習の続きがしたい!
そんな思いで、王宮をあとにした。
「帰った?」
ちょうど30分過ぎてからお茶会の場にやって来たイアン殿下は、疑問の声を上げた。
「どういう事だ?
王子妃教育の後は茶会があると聞いているが?」
お茶会の後片付けをしていた王宮メイドにそう聞くと
「はい、待っておられました。
つい先程、帰られましたが」
との返答が返ってきた。
「あぁ……来るのが遅かったのか……」
と、イアンは独り言ちる。
すると別のメイドが、
「いつもは2時間はお待ちになっていらっしゃいましたが、本日はお早めのお帰りでした」
と言ってきた。
「え? 2時間!?」
「……はい」
イアンがビックリしてそう聞き返すと、周りのメイド達は、気の毒そうな表情をしながら頷いていた。
お茶会をすっぽかしたのは一度や二度ではない。
自分が来なかったら、適当に諦めてすぐに帰るだろうと思っていた。
今回来たのは、前回の時から状態は良くなったのか気になったからだ。
今日も王子妃教育に出て来れたから、大丈夫であろうが、ちゃんと自分の目で確かめたかった。
片付けをしていたメイドに、次のお茶会の時は、早めに自分に知らせてほしいと伝えて、イアンは自分の執務室に戻った。
「……イアン殿下」
傍に付いていたオーウェンが何か言いた気な表情で名前を呼んでくる。
「……分かってるから何も言うな。下がれ」
イアンはそう命じて、オーウェンを下がらせる。
今まで気にもしていなかった。
王妃に勝手に宛てがわれた婚約者だし、いずれは婚約解消するからと。
しかし、今回の事で改めて彼女の立場を考えた。
彼女は、権力とはかけ離れている立場の弱い伯爵家のごく普通の令嬢。
王家のイザコザに巻き込まれ、しかも婚約者である自分からも冷遇されていたのだ。
なのに為す術もなくただ黙って自分の境遇を受け入れるしかなかったはず。
少し考えればわかる事なのに、反発心が大きくて考えたくなかった。
「悪かったな……」
自分の幼稚な考えを思い返し、心に小さな罪悪感を覚えた。