2.殿下の思い
「そ、そうなのですね。お礼を言わなければならないですわね。
イアン殿下はどちらに?」
私が医務官にそう聞くと、医務官は気の毒そうな表情をしながら、
「貴女様を連れて来てすぐに戻られました」
と返答した。
ですよねー。
もしかして、私の事、婚約者とも気付かなかった可能性すらあるわ。
「分かりましたわ。後日御礼申し上げる事に致します。
わたくしはもう帰ってもよろしいかしら?」
「そうですね、すぐに気がつかれたようですし、幸い怪我もされていないようなので大丈夫ですね。
馬車乗り場まで送ってくれる騎士がもうすぐ来ると思いますので、騎士が到着したら帰って頂いても結構ですよ」
私の問いに医務官がそう答えるが、疑問に思う。
「あの……騎士は何故? わたくしは一人で大丈夫なのですが?」
そう言った私に医務官は笑顔で答えた。
「イアン殿下のご指示ですよ。
倒れた婚約者を一人で帰す訳にはいかないからと仰っていらっしゃいました」
気付いていたのか。
ってか、知ってたなら騎士ではなく自分が送るべきでは?
仮にも婚約者なんだから、普通は自分で送るよね!?
何だかムカムカしてきたので、私は立ち上がって医務官に伝える。
「わたくしは一人で大丈夫ですわ。
医務官様、お世話になり、ありがとうございました。
わたくしはこれで失礼致しますわね」
そう言って軽くカーテシーをした後、踵を返して医務室を出る。
イアン殿下の指示で来る騎士など待ってやるものか。
それよりも早く帰って、頭の中を整理しないと!
そう考えながら、早足で馬車乗り場に向かった。
「イアン殿下」
イアン殿下付きの護衛騎士であるオーウェンがイアン殿下に声を掛ける。
「ああ、送ってきたか」
イアンがそう聞くと、オーウェンは首を横に振った。
「いえ……。私が医務室に着いた時には、すでに一人でお帰りになった後でした」
「一人で? 医務官には迎えを寄越すと伝えたはずだが?」
オーウェンの答えにイアンは片眉を上げて、やや不機嫌にそう尋ねた。
「医務官殿もそう言ったそうなんですが、一人で大丈夫だと言って、早々に部屋を出てしまったそうなんです」
オーウェンのその答えに、イアンは眉間に皺を寄せる。
「そうか。まぁ本人がそう言うなら仕方ないだろう。お前ももう職務に戻っていい」
イアンはそう言って、また政務に取り掛かった。
今日も王子妃教育の後にお茶会があったのをイアンは知っている。
しかし、政務も溜まっており、話す事もない婚約者とのお茶会など、時間の無駄だと思っていた。
政務の都合で移動中に、たまたま王宮の柱に思い切り顔面から激突した令嬢を見てしまい、その気絶した令嬢がまさか自分の婚約者だとは思わなかった。
そのまま放っておく訳にも行かず、医務室まで連れて行ったが……。
傍に自分がいると気付いた時に気まずいだろうとすぐに退室し、代わりに護衛騎士をやったが、どうやら要らぬ世話だったらしい。
「イアン殿下」
「何だオーウェン、まだ居たのか」
「殿下の婚約者の方ですよ。それなのに殿下はお茶会もすっぽかした挙句、あのような場面を見られて、さぞ恥ずかしい思いをされていたでしょうに。
その思いをお慰めするのも、婚約者である殿下の役目かと。
なのに、目覚めるのを待つでもなくすぐに戻られて、見送りには自分の護衛を差し向けるなど扱いが酷いにも程があります」
オーウェンは幼い時から共に武術を競い合った仲だ。なので、第二王子の私にも遠慮なく言いたい事を言ってくる。
「……言われなくても分かっている。
ただ私は彼女に特別な感情を持ち合わせてはいないのだ。
変に期待させる方が気の毒だろう」
王妃の策略によって宛てがわれた婚約者だ。
いずれは臣籍降下し、王家とは関わらないつもりでいる為、この婚約もいずれ解消する予定だ。だから無闇に関わるつもりはない。
側妃である母が度々命が狙われた為、王妃に逆らえず渋々受けた縁談だ。
私が王位継承権を辞退し、臣籍降下したら王妃も母を狙わないはず。
そう陛下に伝えたのに、今はまだ臣籍降下は認められなかった。
王太子が結婚し、男児が産まれるまでは認められないなど、いつになる事やら……。
だからと言って、悠長に待つつもりは無い。
伯爵令嬢とも早めに婚約を解消しないと、令嬢にも申し訳がない。
だからそれまで、期待を持たせる事は一切しないと、この時のイアンはそう決めていた。