H氏とマンゴーと夢
或る蒸し暑い夜のこと。古い友人H氏と出会う夢を見た。
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自宅があるベッドタウンの、閑散とした最寄り駅で電車を待っていた僕は、梅雨明けにも関わらず雨の匂いを感じとっていた。
目的地の池袋駅に向かう為、怪しげな曇り空を見上げながら、上りホームでアナウンスを待っている。
そういえば自宅の冷蔵庫には、2週間ほど前に友人からもらった果物の詰め合わせが入っている。
大半は食べたが、まだ残っている果物は、熟し切って危険な香りを放っているに違いない。
そんなことを考えていると、電車が到着するアナウンスが流れてきた。
それとほぼ同時にガタンゴトンという大きな音が目の前を通過し、曇天と声と冷蔵庫の中の果物たちは、意識からかき消されてしまっていた。
ふと止まりかけている電車を見ると、いつもとは違う白と青を基調とした色合いの車体だったが、待ち合わせの時刻に間に合わないことが確定していて気もそぞろだった僕は、気にも止めずすぐに電車に乗り込んだ。
車内に入るとたまたまグリーン車だったのか、2階建ての席が右に、3列程のリクライニング席が左に、それぞれガラスを通して見える。
手持ちが多くないことは分かりきっていたので、普通車を探すために左の方に向かった。
しかしながら、ゆけどもゆけども普通車は見つからない。
3列程のリクライニング席、2階建て席、そして広いダイニングキッチンのようになっているバーを抜けると、先頭車両に着いた。
そこは2階立てになっていて、下はレストラン、上は車両前方の眺めを見渡せるビューとなっていた。
しまった、と思った。
誤って特急列車か、観光列車のようなものに乗ってしまったに違いない。
行き先も分からぬので、近くにいたスーツ姿の身なりが小綺麗な車内スタッフと思しき人に、声をかけた。
「すみませんが、この列車は、どこに向かいますか?」
「あぁ、この列車は伊東駅に向かっています。何かお困り事でしたらお申し付けください。」
「いえ、間違ってこの電車に乗ってしまったようでして。日暮里に、行きたかったのですが。」
「間違って乗車されてしまったのですね。畏まりました、それでしたら、大変失礼ではございますが、指定席はご利用いただけません。次の駅まであちらでお待ちいただけますでしょうか。」
そう言って向けた手の先は、車両と車両の間、列車の出入り口があるスペースを指していた。
「ご案内いたしますね。」
案内された先には、先ほどは焦って見過ごしたのか、3名程が立ち尽くしている。
「どうやら間違えやすいのか、大抵何名かはいらっしゃるんです。」
こっそり耳打ちしながら苦笑した彼に軽く目礼をした後、周辺視野で辺りを見渡してみる。
男性2名と女性1名、いずれも手元のスマートフォンに釘付けだった。
その中の1人、H氏とは面識があった。
H氏とは、高校卒業以来数年に一度しか会うことはなく、せいぜい同窓会で酒を酌み交わす程度の仲である。
浅黒く日焼けした肌と、5mm程に刈り上げた坊主姿は高校の頃と一切変わらず、目元に寄った皺だけが、彼の歳を物語っている。
会う度に羽振りが良さそうな格好をしているのだが、なにを生業にしているのか聞いてみても、必ずはぐらかされる。
決して目が合うことがないよう、スマートフォンをポケットから取り出し電源をつけた。
なに分、ここ数年は、同窓会も開催できず、会うこともなかったのだ。
人違いかもしれないし、そうでなかったとして、酒の力を借りないと気まずい。僕達は、そういう仲なのだ。
1時間程経った頃だろうか、待ち合わせをしていた友人をチャットでなんとか宥め終えた辺りで、駅に到着した。
次の駅で必ず降りるようスタッフから言われていた僕は、言われなくたって降りるさ、と内心思いながら降車した。
出入り口から一番近くに立っていた僕に続いて、他の3名もぞろぞろ降りてくる。
ホームに出ると屋根はなく、右手には小高い山々、左手には海が見えた。
どうやら都心を通り過ぎて、片田舎に来てしまったらしい。
ホームの中央には、錆びかけた掲示板が立っており、見ると次の上り方面の発車は2時間後になっていた。
暇を持て余してしまった僕は、山の方角に見える一軒の建物に向かうことに決めた。
地図アプリを開くと、どうやらそこはこの辺で唯一の商業施設のようだ。
口コミや評価は一切なく、ただ「土産物 一福夢堂」とだけ書かれていた。
無人改札で戸惑いながらも、先刻車内スタッフに聞いていた普通列車分の運賃を支払った。
改札を出てから一福夢堂までの道程は、2km程の軽い上り坂になっていた。
万年運動不足のこの体では息切れもそこそこに、30分程かけてようやく店に辿り着いた。
今日会うことが叶わず、待ちぼうけを喰らってしまった友人の為に、行先を間違えた証拠となる土産を買っていこうと決めていた。
改めて店を近くで見てみると、古めかしく黄ばんでしまった白い壁と、昔ながらの瓦屋根、軒先には「土産物 一福夢堂」の看板、そして扉はなく入り口には暖簾が掛かっていた。
こんな田舎に何が売っているんだろう、と思案しながら、「一」「福」とそれぞれ書かれている二つの暖簾の間をくぐる。
中は薄暗く、間接照明と思しきLEDが何灯も設置され、店先からは想像もできないお洒落なガラスのショーケースが真正面に、そしてその背後に所狭しと並ぶ高級そうな土産物が目を惹いた。
「いらっしゃいませー。」と店の奥から、間伸びした声が聞こえる。
どうやらショーケースの向こう、右手奥の扉の先に、店主がいるらしい。
商品は全てショーケースか、その奥の棚に陳列されていた。
よく見ようと店内を進むと、扉からスーツ姿の店主と思しき人がひょこっと、
「いらっしゃいませ。何をお求めで。」と、間抜けな顔をして含羞んだ。
ちょっと見ただけだと、線の細さと垂れた目元から、柔和な雰囲気に見えるが、よく見るとガタイはしっかりしており、露出している首元から察するに筋骨隆々なのでは、と思った。
そんな店主を尻目に店内の商品をざっと見渡してみると、僕は酷く驚き固まってしまった。
一見してレパートリーは普通の土産物屋とさほど違いはないように見える。
一番多いのが果物で、次いで良くある菓子、ギフトセットと続く。
所が、いずれも値段の桁がおかしい。
一番安いもので八千円代の桃、りんご、マンゴー、高いものでは5万円程のギフトセットが並ぶ。
見間違いではないか、もっと安価な商品はないか、と辺りを見回しても、見当たらない。
商売にならない雰囲気を悟ったのか、店主は鼻白みながらそそくさと扉の向こうに戻ってしまった。
流石に手元の資金で購入できない僕も、落胆しながら店を後にした。
暖簾を再びくぐると、雨がポツポツと降り始めていた。
駅へと向かう下り道を10分程歩いていると、H氏とバッタリ出会ってしまった。
どうやら今度はこちらに気づいたようで、ニヤニヤしながら向かってくる。
「久しぶり。」
嫌らしい笑みを浮かべながら、
「さっき、電車間違って乗っていたよなぁ?」
そう言った。
「それはそうだけど。君もだろう?」
「は?俺はただ・・・。まあいっか。」
言葉を濁しながらも歩みを止めず、ちょうどすれ違った辺りでこちらを振り向いた。
「なぁ、この先の店、一福夢堂に寄ったんだろ。どうだった?」
「そうだね。見た目は、古びた土産物屋、って感じだけど、異常に高かった。」
「へぇ。」
そう言って立ち止まった後、H氏はこう問い返してきた。
「どんな店主だった?」
「気弱そうに、見えたかな。でも、」
「ん?」
「筋肉は凄かった。」
不意打ちを喰らったのか、H氏は大きく噴き出した。
「そうかそうか!ちょっと付いてこいよ。」
急に機嫌良さそうにそう言い、僕の襟ぐりを掴んで、店の方に向かった。
こいつは昔から、一度言い始めたら、他人の意見なんか聞きはしない。
仕方ないと諦めた僕は、
「次の電車が来るまでだよ。」
付いていくことにした。
雨脚が強くなってきた。
足を取られて滑らないよう、僕とH氏は慎重に早歩きで坂を登って行った。
一福夢堂に行くのかと思っていたが、H氏はその途中の道で左に曲がり、事も無げに、
「こっち。」
とだけ言った。
不審に思いながら、他にも店があるのかと思い付いていくと、古びた木造の建物が見えてきた。
恐らく古民家だろうその建物は、窓はすりガラス、屋根はトタン、そして今にも倒れそうな程に外壁が朽ちており、何とも頼りない様だった。
正面玄関だと思われる引き戸のすぐ目の前には、40m程の断崖があり、落ちたら一溜りもないことがわかる。
何より驚くべきは、その家に生活感があることだ。
恐らく今日干されたであろう洗濯物が玄関横には吊るされており、庭の植物は丁寧に維持・管理されているようだ。
H氏はドアチャイムを鳴らす事なく、正面玄関の引き戸をいきなり開けようとした。
が、鍵がかかっていたのか開くことはなかった。
「ここ、君んち?」
「違うけど?」
ふてぶてしそうに言うH氏の横で、僕は慄いた。
(犯罪じゃないか!)
「まずいって!不法侵入だよ!」
そう言う僕を無視して、H氏は玄関を回り込み、窓からの侵入を試み始めた。
「絶対ここ、人住んでるって。」
小声でも、しっかりH氏に聞こえるようにそう言ったが、聞き入れてくれるはずもない。
僕は諦め、嫌々ながらも、早く退散できるようH氏の目的達成を手伝う方針に決めた。
2階の窓は開いており、恐らく子供部屋と思しき部屋から侵入した僕達は、階段を降りて一階に向かった。
神妙な顔をしてこちらが話しかけても何も返してくれないH氏に、向っ腹が立ってきていた僕は、辺りをキョロキョロしていた。
H氏は、さも自分の家の如く、1階の物色を始める。
存外に敷地面積の広いこの家だが、目的のブツがリビングにあることだけは確からしく、それ以外の部屋には目もくれないようだ。
「ねぇ、せめて目的だけでも話してくれない?」
「目的か、目的は・・・。」
そう言いながら、階段のすぐ下にある床下収納を粗探ししていた彼は、収納スペースの箱を取り去ると、不気味な笑みを浮かべた。
「これだ・・・。」
そう言うと彼は、床下の土から少し出ている丸い淵のようなものを指差した。
「それは何?」
「お宝さ。」
「お宝?」
僕が知りたいことには一切答えず、彼は一目散に丸い淵の周りの土を掘り始めた。
掘り進めていくと、どうやらそれは50cm程の大きさの丸い壺だったらしい。
もう少しで引き上げられそうな所まで来た時、異様な悪臭が辺りを包み込んでいた。
と、同時に、僕は外に気配を感じていた。
外は既に暗く、夕立の雨音が邪魔をしているにも関わらず、外からは獣のような、ムンムンとした力強い動物の気配を感じていた。
(やばい!)
そう思い振り返ったと同時、玄関の鍵を開ける音がカチリと鳴り、そして引き戸が開き始めていた。
床下のスペースに入り、一生懸命穴を掘っているH氏も流石に気付いたのか、こちらを見つめ、時間を稼げと目で合図してくる。
気が動転していた僕は、急いで玄関の方に向かった。
開いた扉の前にいたのは、先刻の一福夢堂の店主と、女の子だった。
「そうかそうか。それは残念だったね。」
自己紹介してくれた店主のKさんは、盗人であることが明確な僕達に大らかそうな声でそう言いながら、リビングの座布団に座る僕とH氏に、お茶を渡してきた。
「私の家には、これっぽっちも財産と呼べるものはなくてね。唯一あるとしたら、娘くらいのものだよ。」
件の娘さんは、家に着いた時にはもう、Kさんに抱かれて眠っており、既に2階の部屋のベッドに優しく寝かされていた。
こんな田舎には不釣り合いな、非常に可愛らしい、お嬢さん然とした、中学生くらいの女の子だった。
「ふん。」
H氏は鼻を鳴らしながらお茶を啜ったが、僕は気が気ではなかった。
「この壺はね。妻の骨壷だよ。」
そう言って目を眇めながら壺を撫で回すKさんに、僕がギョッとしていると、
「いやいや。埋めていたのにはね、ちゃんと理由があるんだよ。」
少し焦ったようにそう言うと、Kさんは事の次第を詳しく説明してくれた。
彼が言うには、奥さんは元来非常に病弱で、娘さんが生まれてすぐ亡くなってしまったらしい。
そして、感覚が過敏なこともあり、物静かな場所を好んでいた。
こんな辺鄙な所に住んでいるのも、骨壷を土に埋めていたのも、それが理由らしい。
つまり、静かな土地で暮らしたいからと、田舎の山奥に住んではみたものの、存外に夜は動物たちの鳴き声やら虫の声がうるさく、夜も眠れず気に病んでいた。
そんな奥さんを、死後はせめて、Kさんや娘さんの近く、静かな所に安置してあげたい。
そういう思いから床下の土に埋めた、という次第だ。
「なるほど。」
納得が行った僕とは裏腹に、H氏は未だ不満そうだった。
そんなH氏は放って、僕はKさんに丁重に謝罪をし、Kさんはそれを受け入れてくれた。
その後、未だ嫌な臭いのするKさんの家を後にした。
もはや終電間際という、夜も更け始めの頃、すっかり雨は止んでおり、清浄な空気が鼻腔を満たす。
Kさんと別れ、H氏と駅に向かう途次、彼はこう言った。
「言うのも恥ずかしい話なんだけどさ。俺、義賊なんだよ。」
即ち、悪どい商売をしている人の家に忍び込み、財産を盗んでは被害者に金を返す。
報酬として、その一部を懐に入れる、という商売をしているらしい。
「くそ。あそこにはたんまり溜め込んだ財産があるはずなのによ。それに・・・。」
暫く黙りこくった後、ついにH氏は立ち止まってしまった。
呆れた僕が振り返ると、
「これはくれてやるよ。俺は一泊して帰る。」
先ほど、手ぶらでは帰れなかろう、とKさんに持たされた果物とギフトの一式(なんと7万円相当!)を、こちらに投げて寄越し、彼はそう言った。
ホテル等あろうはずもない田舎で、何を言っているのか。
流石に付き合っていられない僕は、
「そうかい。また同窓会で会おう。」
そう言って、駅に向かって歩いて行った。
帰り道、遠くで大型の動物が鳴く声が聞こえた気がした。
その後、H氏を見た者は誰もいない。
家に着いた僕は、先刻H氏(正確にはKさん)からもらったマンゴーの皮を剥いていた。
皿に盛りつけたマンゴーを食べながらテレビをつけると、いつも見ている深夜のニュースが始まった所だった。
ボーッと見ていると、Kさんがテレビに出ていた。
どうやら最近は繁盛しており、そこかしこにチェーン店をこさえているようだった。
ニュースキャスターとKさんの対談が終わり、Kさんの半生がダイジェスト映像で流れた。
Kさんはどうやらプレイボーイのようで、入れ替わり立ち替わり奥さんが変わっているらしい。
ただ、その別れの多くは、奥さんの失踪によるものらしく、3ヶ月前にも失踪届を出したばかり。
その後、まだ見つかっていないらしい。
「はは、仕事に集中しすぎて、嫁にすぐ逃げられちゃうんですよね。」
そう宣うKさんを見ながら、僕は嫌な汗をかいていた。
口の中にはまだ少し、青い味が残っている。
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白い天井を見上げながら、ボーッとしている。
目覚めた僕にも、どこまでが夢で、どこからが現実なのか、依然として分からなかった。
どれも夢だよ、と医者は言う。
冷蔵庫の中の果物は、果たして無事なのだろうか。
今日もまた、獣のような気配が、病室の外、廊下のすぐそこに佇んでいる、そんな気がした。
僕が今朝見た夢を小説にしました。