絵本の中で出会った魔法使いのおかげで、ボクの願いは叶いました
初投稿です。
よければ評価していただけると幸いです。
「あ〜っちぃ」
茹だるような暑さで目を覚ました。
枕元の時計を見ると、時刻はすでに12時を過ぎていた。
夏休みに入ってからというもの、昼過ぎに起きるのが日課になってきた。
高校3年生、まさに受験勉強真っ盛りって時期のはずなんだけどな。
「んしょ」
オレは霞んだ寝惚け眼を擦ってカーテンを開けようとする。が、窓の向こうに何か気配を感じる。
スレートの揺れる音がする。
人?。
いやいや、屋根はあるけど、誰が好き好んでこんなところに。猫か何かだろう。
オレは思い切りよくカーテンを開けた。
「にゃっ」
しかし、予想の範疇越えて、そこには幼い少女が立っていた。
ブロンドの長髪、青い瞳、黒のローブに田舎の村娘みたいなワンピース。
逆光の中に立つ彼女は、妙に神々しく見えた。
「えーっと。にゃぁ?」
意識がはっきりしていなかったので、オレも同じように返してしまった。
「にゃ、にゃあ」
なぜか向こうもノッてきた。
「にゃあ!」
「にゃあ〜」
「にゃにゃ?」
「にゃぁ......」
不思議な時間が続く。が、さすがに冷静になったので尋ねてみた。
「えーと。何してんすか。こんなところで」
常識的に考えて、人の家の屋根の上でにゃあにゃあ言っている人間は異常だ。
少女はほんの少し意外そうな顔をすると、ホッと胸を撫で下ろした様子。
オレが猫語しか喋れないとでも思っていたのか。
「こほん」
少女は一息置くと、おもむろに口を開いた。
「お兄さんには、叶えたい願い、ありますか?」
は?。
なんだ、突然窓越しに。
新手の宗教勧誘か?。
「えーと?」
「願い、夢、欲望ありますか?」
3つ目だけ響きが生々しいな。
「いやまぁ、ないこともないけど......」
そんなの聞いてどうするんだ?。
「ほう。ならばその願い、私が叶えてみせましょう!」
少女は突然声高らかに宣言した。
願いを叶える?。
「あのー。何かの営業とかっすか?。それともドッキリ?」
「いいえ、私は本気です。あなたは選ばれたのですから!」
えー......。
迷惑メールの常套句みたいなこと言い出したなこいつ。
「ええと。結構です。間に合ってますので」
「なんと!」
さっきよりも驚いた顔をしている。そんな真に受けなくても。
「願い、もう叶ったのですか?」
「ああ、いや、そういうわけじゃないんだけど......」
「叶ってないのですか?」
押しが強いな。窓ガラスに阻まれているけど。
「ていうか、今は具体的な夢、みたいなものはなくて......」
オレもなんで真面目に答えてるんだか。
「大丈夫です。どんな些細なことでも承ります。むしろそれくらいでお願いします」
必死にオレを引き止めようとしている。ていうか、本当になんでそんなとこにいるんだ。
「あぁ、うん、まぁ、いいや。とりあえず降りたらどうすか?」
近所の人に見られて噂でもされたら困る。
「あ、窓を開けていただければ大丈夫です!」
オレの部屋に入るから、と?。
幸い今家にはオレ一人しかいないけど......。見知らぬブロンド少女を部屋に入れる度胸はないんだが。
「というか、入れてください。お願いします。もう、死に......そう」
少女は真夏の直射日光を浴びてぐったりしてしまった。
気温は三十五度を超えている。
熱中症になっていてもおかしくはない。
さすがに自宅の屋根の上でご逝去なされるのはマズいな。
「あーはいはい。わかったわかった」
オレは仕方なく少女を入れてやることにした。
「ほら」
「あ、ありがとうございます......って、あっつぅう!」
どうやらエアコンがついてないことに気づいたらしい。
「くそ暑いじゃないですか!なんなんですか!」
なんなんですかと言われても。ていうか、さっきまでの賢者みたいな喋り方はどこいった。
「水!水お願いします!」
人の家に上がって早々図々しいやつだな。そもそも知らないやつを部屋に置いて行けないんだけど。
目を離した隙に何をされるかわかったもんじゃない。
「早くぅ......」
こいつ、急かしてきやがる。
「水なら階段降りてすぐ左に台所あるから」
「歩けないですぅ......」
なんてわがままな。
「他所の家でなんだその態度」
「お願いしますぅ......」
少女は青い目に青い顔で懇願している。
しかしまぁ、この様子じゃ悪いことも何もできないか。
オレは仕方なく水を一杯とってきてやることにした。
「ほら」
「ありがとうございますぅ......」
少女はごくごくと喉を鳴らしながら一気に水を飲み干した。
「っぷはぁ!生き返るぅ!」
随分豪快だな。
「あっ」
途端に気まずそうな顔をした。
見られたくなかったのだろうか。
「こほん」
少女はまたわざとらしく咳払いをした。
「お兄さん」
「はい」
改まってなんだろう。
「願い、夢、欲望、消したい黒歴史、ありませんか?」
またそれか。
てか一個増えたそれはなんだよ。
「何度も悪いんだけどさ。それなんなの?」
「それ?」
「その願いがどうとかってやつ」
「そのまんまの意味です!」
「そのまんまの意味っていうと、オレが願いを言えばなんでも叶えてくれるのか?」
「そうです」
「ランプの精みたいな感じ?」
「そうです。あ、いや違います」
違うのか。
「それは魔法使いとしてのプライドが許しません」
「はぁ」
魔法使い、とな。
たしかに西洋風の格好で、箒に跨って空を飛んでいても違和感はなさそうだが......。
「その、魔法使いさんがなんでウチに?」
「たまたまです!」
たまたまって。
「年に一度、世界のどこかに現れて、誰かの願いを叶えるのが私の役目なのです!」
これまた大胆かつ曖昧な。
「それで、その年一行事で今年は偶然オレが選ばれたと?」
「選ばれた、というか厳密に言えば完全にランダムですけど」
全然選ばれてねえじゃねえか。
「それで?本当にオレの願いを叶えてくれると?」
「もちろんです!デートしたいとか、彼女ほしいとか、えっちなことがしたいとか、なんでもござれ」
情欲ばっかじゃねえか。
「金がほしいって言ったらくれるのか?」
「それはだめです!お金は命より重いんですから」
それどこかで聞いたことあるような。
「でも度が過ぎなければなんでもOKです!さあさあ!」
少女が過度に煽ってくる。
なんでもいいと言われてもなぁ。
こういう時に躊躇ってしまうのは日本人の国民性だろうか。
「ちなみに、願いっていくつまでならいいんだ?」
「基本的に制限はないですよ。でも、やりすぎるとなんとなく無理!ってなっちゃうかもです」
年一行事の割にえらく大雑把だな。
「試しに一つ小さな願いを叶えてみるっていうのもアリですよ」
ふーむ。
半信半疑だが、お試しができるってんなら一度やってみてもいいかもしれない。
「それじゃあ......」
オレはパッと思いついたことを言ってみることにした。
一つ深呼吸をしてーー
「ギャルのパンティーおくれー!!」
願いを叶えるといったら真っ先に浮かぶのはやはりこのセリフだ。
7つの玉も神龍もいないけど。
「きゃあ!」
途端に少女が内股でしゃがみ込んだ。そして、オレの手には何か布切れのようなものが握られていた。
「なななな何するんですか!!」
顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけている。
単に怒っているからではない。
とても恥ずかしそうな顔をしている。
えっ。これってつまりそういうこと?。
「何ぼーっとしてるんですか!早く返してください!」
オレは握っているものをこの目で確認してみた。
ビンゴ。
「わーーー!!見ないでください!!何してるんですか!!」
少女は獲物を狙った猫のように、オレの手から布切れを掻っ攫った。
「こっち見ないでください!!ぶっ飛ばしますよ!!」
どうやら履き直すようだ。
てか口悪いな。
てかなんだこのシチュエーション。
突然自称魔法使いのブロンド少女が現れたと思ったら、オレの願いに応じて下着を手の中に転移させた。
いや、反応見る限り意図してないとは思うけど。
「もう。えっちな願いはなしです!」
「先に提案してきたのはそっちなんだけど......」
「それでもです!」
少女は膨れっ面で眉をひそめている。
さすがにこれはオレが悪い、のか?。
「にしても、本当に願いを叶えられるんだな。驚いたよ」
「えぇ。もちろんです。だから言ったじゃないですか」
「普通誰も信じないよ」
「でもやってみせました。不可能を可能にするのが魔法なんですよ!まぁ、あれはちょっと予想外でしたけど......」
少女は視線を逸らしてソワソワしている。
「だからほら、何でも言っていいんですよ?......えっちなこと以外で」
「それはもう分かったから」
悪かったからその話はもう引っ張らないでくれ。
「うーん。でもなぁ」
やはり何でもと言われても思いつかない。
いや思いつきすぎて決められないのか?。
制限はないのだからいくら願っても構わないとは思うのだが。
「ちなみに、今まではどんな願いを叶えてきたんだ?」
「えーと。そうですね。割と単純明快なものが多かったですけど。ここ50年くらいだとーー」
ん?。
「ちょっと待て」
「はい」
「今なんて言った?」
「単純明快なものが多いとーー」
「いやその後だよ」
「50年ですか?」
「そうそれ!」
50年って言ったぞこいつ?。
見た目は洋ロリだぞ?。
まさかーー
「お前......ロリババアか?」
「はぁ!?」
割と本気で怒ってらっしゃる。
「どこがババアなんですか!」
「いや、だからロリババアって」
「ロリでもババアでもないですよ!」
「いやでも少なくとも見た目はロリ......幼いぞ?」
「それは否定しませんけど!」
これまた膨れっ面で不機嫌そうにしている。
「私は魔法使いなんです。だからほら、その、特別なんですよ!色々と!」
「不老不死とか?」
「いや、不死ではないですけど......」
じゃあ不老なのか。
「とにかく!話を戻します!」
「おう」
これ以上は詮索できないようだ。
「ここ50年くらいだと、ささやかな幸せを願う人が増えている傾向があります」
「というと?」
「マイナスをゼロにするような願いが多いのです」
「眠れないから寝付きを良くしてくれ、とか?」
「そう」
なんでも叶えられるってのに、謙虚なもんだな。
「みなさんが満足してくれる分には、こちらとしても本望ですが、やはり何か物足りないといいますか......」
「物足りない、ね」
「はい。これで本当に幸せになってくれたのかな、って疑問に思ってしまって。多分」
「まぁ、幸せの形は人それぞれだもんな」
「そうなんですけどね......」
「てか、そもそもお前は何でこんなことやってんだ?」
「それはーー」
少女は口ごもる。
「それより、『おまえ』じゃないです」
「へ?」
「私の名前」
そういや聞いてなかったな。
「私のことはメイジと呼んでください」
「平成、昭和、明治のメイジ?」
「違いますよ!魔法使いのメイジです」
「それも安直だな」
「いいじゃないですか横文字。カッコいいし」
ネイティブがそれいうか。
「で、あなたはどうなんです?」
「オレの名前か?オレは結人だけど」
「ユイトさんですか」
「そうです」
「なるほど」
何がなるほどなんだ。
「ではユイトさん」
「はい」
「願いをどうぞ」
「あー」
そういやそうだった。
願い、どうしようか。
簡単なものでもいいんだよな。
掃除、洗濯、その他諸々......。
それならーー
ぐぅ〜。
考えているうちにお腹がなった。
すっかり忘れていたが、もう昼過ぎだった。
「じゃあ、美味しいものが食べたいな」
「美味しいものですか」
「そう。系統はなんでもいいよ。和食でも洋食でも。メイジは洋食派な感じがするけど」
「うーん。それじゃあ、台所お借りしてもいいですか」
「ああいいけど。魔法でパッと出るもんじゃないのか?」
「はい。それもできますけど、魔女っ子ロリの手作りという要素で付加価値が加わるのです」
結局ロリなんじゃねえか。
「ということで、台所お借りしますね。食材なんかは魔法で出すので」
そう言って立ち上がると、スカートの埃を払って、スタスタと部屋を出ていった。
明らかに慣れている。
お仕事モードって感じだ。
魔法使いっていうか家政婦さんか?。
どちらにせよ、料理が出来上がるまでおとなしく待つとするか。
◆◆◆
30分後、メイジは意外なものを大皿に乗せて帰ってきた。
「なんだこれは」
「何って、アイスケーキですけど」
なぜ昼食にアイスケーキ?。
デザートだろこれ。
てかホールサイズかよ。
「暑いですからね」
そりゃそうだけど。
「あと私、今日誕生日なんですよね」
いや知るかよ。
でも、一応おめでとう。
「どうしたんですか。食べないんですか」
「食べるけど......」
寝起きの昼食にアイスケーキかぁ。
気は進まないが、せっかく作ってくれたんだし、いただくとするか。
オレは渡されたスプーンで一口分すくって口に入れてみた。
「ん。美味いな、これ」
「本当ですか?よかったです〜!」
メイジは気持ちいいくらい満面の笑みを浮かべている。
アイスケーキというのだから、濃厚で重たいものを想像していたが、中身は思ったよりも清涼感が強いものだった。
「これはグレープか?」
「そうです!私の好物なんです!」
かなり個人的な価値観が反映されているな。
「私の故郷の村でもブドウ踏みの習わしがあったんですよ!」
「へー」
ブドウ踏みというと、フランスとかか?。知らんけど。
「そんな故郷からユーは何しに日本へ?」
「え」
メイジは少しぽかんとしている。
オレがスベったみたいじゃないか。
「いや、そんな遠い故郷からなんで日本に来たのかなーって」
「......別に、日本を選んだ理由はないです。さっきも言った通り、誰が選ばれるかはランダムなので」
魔法使いというのも難儀なものだな。
「言語はどうしたんだ?今は日本語喋ってるけど。魔法?」
「たしかに。そういえばそうですね」
自覚なかったのか。
「でも、私は私自身に魔法をかけられないので、何なんでしょうね、本当に」
「自分でも分からないのか」
魔法使いってみんなこいつみたいに大雑把なのだろうか。
「そういや、今日は誕生日って言ってたけど、毎年誕生日に仕事してるのか?」
「はい、そうです。というか誕生日にしかやれないんですよね、これ」
「なぜ?」
「私の家系の魔法というのは感情に起因しているのですが、誕生日はとりわけ強い思いが込められているので、力を発揮しやすいんだと思います」
思いますってことは、意識してやってるわけじゃないのか?。
「人の願いを叶える習慣ってのも家系的なものか?」
「いえ、これはなんというか、よくわからなくて」
「わからない?」
「はい。私も気づいたら毎年誕生日に誰かのもとに訪れるようになっていて。そしたらもう何百年くらい経って」
何百年!?。
ロリババアどころじゃなかった。
魔女ってやつか?。もしくはヴァンパイア?。でも、さっき直射日光浴びても死んでなかったな。
「でも、多分、魔法は思いに応えるものだから、私が望んでやっているのかもしれません」
「願いを叶えて人を幸せにすることを?」
「はい」
最初は礼儀の知らないやつだと思ったが、随分とお人好しなんだな。
「でもやっぱり......」
「物足りないと?」
「はい......」
さっきから言う物足りないってのは何なんだろうな。
単に大きな願いを叶えられればそれでいいのか。
「あ」
そうこう話しているうちに、いつのまにかアイスケーキを平らげていた。メイジもちょくちょくつまみ食いしていた。
「さて、アイスケーキも食べ終わったところで!次の願い、いってみましょー!」
少し前までの真面目な雰囲気とは打って変わって明るくなった。
「えぇ......まだやるのか?」
「やりますよ!やりまくります!」
語弊を生む言い方だな。
「じゃあ、魔法で部屋を冷やしてくれないか。アイスケーキだけじゃまだ暑いわ」
ホールサイズを平らげても、胃が冷えただけたった。
すると、メイジは待ってましたと言わんばかりの顔で目を輝かせていた。
「そうそう!そういうのでいいんですよそういうので!」
思わず立ち上がって小さな腕をぶんぶん回している。
こういう願いは物足りないんじゃなかったのか。
それとも単に自分が涼みたいだけなんじゃないのか。
「では、いきます!」
間髪入れずにメイジは大袈裟にポーズをとってみせた。
するとどこからか冷たい空気が流れ込んできた。
「お、おぉ...!」
3つ目の願いにしてようやく魔法らしい魔法を体感したので、少し感動している。
「えっへん!どうですか!これが魔法使いの力です!」
部屋が冷えてくると、メイジは自慢げに仁王立ちした。
こいつ人助けがしたいのか、自己顕示欲が強いのかどっちなんだ。
「凄いなこれ。どんどん冷えてきた。魔法使いには属性とかあるのか?」
「氷とか炎とかですか?」
「そうそう」
「そんなものはないですよ。ゲームやアニメの中だけです。私は気持ちだけでどんな魔法だって使えるのです!」
「病は気から、とも言うしな」
「それはちょっと違くないですか?」
確かに。
「ともあれ、私の実力はお分かりいただけたでしょう?さぁさぁ、何でもござれ!」
「ノンストップで続くのかこれ」
「もちろんです!今年は奮発しますよ!」
鼻の穴を膨らませて得意げな顔で、床に座っているオレを見下ろしている。
「そうだなぁ」
オレは部屋の隅に置かれたパッとしないアップライトピアノに目をやった。
その黒く光沢のある大きな物体は、味気ない男の部屋には異質なものだった。
「じゃあ、そこにあるピアノを綺麗してくれるか」
「ピアノ?」
「おう。後ろにあるやつ」
メイジは振り返ってピアノを見ると、ようやくその存在に気がついた。
「へー。ユイトさんってピアノ弾けるんですね」
「まあな」
「でも埃まみれですよね。弾いてないんですか?」
「ああ、もう何年も弾いてないな」
「どうして?」
「まぁ、ちょっと腕をやっちゃってさ。ある程度の時間弾いてると痺れてくるんだ」
「そうですか」
メイジは少し考え込んでいるようだ。
何か提案したげにしている。
「あの。その腕治せますよ」
「え」
思ってもみない提案に驚いた。
いや、考えないようにしていた、というのが正しいのか。
「こんな大層なもの、使えないともったいなくないですか」
「それはそうだけど」
「何か問題でも?」
「いや、問題はないんだけど。なんというかその」
確かに、ピアノはオレの夢だった。
本気でピアニストを目指していた。
それでもーー
「ピアノはもう諦めたんだ。随分前に。だから、今更戻りたくないというか」
「......そうですか」
「ああ」
少し沈黙が続いた。
「......まぁ、無理強いはしませんよ。人を幸せにするのが私の役目ですからね。ご要望通り汚れも埃も綺麗さっぱりピカピカにしてます!」
「おう。よろしく頼む」
「では!」
少し淀んだ場の雰囲気を明るくするように、朗らかな笑顔でメイジは声を上げた。
屈託のない、いい笑顔じゃないか。
この勢いでオレの内面も全部綺麗にしてくれたらいいんだが。
みるみるうちにピアノは新品同然の輝きを取り戻していった。
「おお!」
これまた魔法らしい魔法で、素直に感動してしまった。
「このまま部屋の掃除もしてくれないか?」
「お任せください!。お茶の子さいさいです!」
時々語彙が古いなこいつ。
「てりゃ!」
メイジが小さく気合を入れると、巻数がバラバラの漫画が綺麗に整理され、床に散らばった服が全てクローゼットに収納された。
「おぉ......すげえな......」
もう感動を自覚して感心していた。
そして、そんなオレを見て、あいつもまた嬉しそうな顔をしていた。
「そうそうそれです!こういう顔が見たかったんですよ!」
そう言われて少し恥ずかしくなった。
「あれ、もしかして照れちゃってます?」
魔女っ子ロリに詰め寄られてしまった。
「この程度の魔法で感動しちゃうなんて、ユイトさんもまだまだお子様ですね!」
「お前に言われたくねえよ。てか年は関係ないだろ」
「じゃあ何なんですか?」
「感受性の問題だ」
「そういうものですか?」
「そういうものなんだよ」
こうやってくだらないやりとりをして、オレたちは顔を見合わせて少し笑った。
小さいけど、幸せってこういうことなのかもしれないな。
「オレは一体何やってんだろうな」
「何ですか急に」
「いやだってほら、この状況」
「何って、私が願いを叶えてるんですけど」
「いやそうなんだけどな」
「はい」
「突然現れた見知らぬ女の子相手にこんな馴れ馴れしく駄弁ってさ。高三の夏なのに」
「受験ってやつですか?」
「そうそう」
「いっそ大学合格させてくれって頼みたいけど、目標がないんだよなぁ」
「じゃあ目標ができるようにしてあげましょうか?」
「そんなこともできるのか?」
「はい。今この場で起こるかわからない未来のことでも、多少のことは叶えることができますよ」
「そりゃ凄いな」
「えへ、えへへ」
面と向かって褒められたからか、少しきまりが悪そうだ。
「でも遠慮しとくよ」
「え。どうしてですか」
「なんか、自分の知らない力が及んで、知らないところで自分の未来が決まるなんて、怖いから」
目標もなくだらだら夏を過ごしてるやつが言えるセリフではないが。
「だからそれはいいよ。目標はまぁ、近いうちに見つけるから」
「そうですか」
メイジは少ししゅんとしてしまった。
「でも、願いは今ここでいくつか叶えてもらうよ。もうお前の力は信じてるからな」
オレがそういうとメイジの瞳はすぐに輝きを取り戻した。
「本当ですか!?」
「ほんとほんと」
「嬉しいです!こんな早く小さな願いだけで信じてくれた人初めてです!最短記録です!」
それはそれでどうなんだ。
「......それで、次の願いはなんですか?」
「あー。それは......」
正直考えてなかった。
「あとでいい?」
「えー!叶えてもらうって言ってたじゃないですかー!」
「それはそうなんだけど。思いついてたわけじゃなくて」
「はぁー」
メイジはまた肩を落とした。
忙しないやつだ。
「......まぁゲームでもして遊んでようぜ。そのうち何か思いつくだろうから」
「いいんですか?」
「何が?」
「魔法使いの私と一緒に遊ぶなんて」
「いいもなにも、遥々日本に来てくれたんだからな。せっかくだから思い出作っとこうぜ」
「はぁ」
何か腑に落ちていないようだ。
今まで訪れた先で遊びに誘われたりとかしなかったんだろうな。
「じゃオレ何かとってくるから。そこで待ってて」
「はい」
加えて、オレも心のどこかで何かできるんならやっておきたいと思っていた。
なんてったって高校最後の夏だからな。
青春ってやつを味わってみたかった。
◆◆◆
あの後、オレは20年くらい前に父さんが買ってきたらしい中古のゲーム機を持ち出して、アクションゲームを一面ずつ交代しながらメイジとプレイしていた。
案外人が遊んでいるのを見るってのも楽しいものだな。
というより、メイジの反応がいちいち面白かったのだ。
ステージギミックに引っかかるたびに表情をコロコロ変えていた。
オレはしばらく人と遊んでいなかったから、そんなメイジにつられて動いた表情筋が痛い。
「遊んだなー」
「遊びましたねー」
二人揃ってあぐらをかきながら、天井を眺めていた。
「そういやお前今日何時までここにいるつもりだ?」
「何時までですか?」
「そうだ」
「12時くらいですかね」
ふと時計を見る。
夜中の12時まではまだまだ時間がある。
そんな時間まで何をするつもりだろうか。
「てかお前深夜まで居座るつもりかよ」
「へ?深夜も何も、一泊しますけど?」
「は?」
「いやだから12時くらいまでって言ったじゃないですか」
「まさか明日の正午ってことかそれ?」
「そうですよ」
おいおい。いくら親が留守にしているからって、年下の女の子と寝泊まりってのはマズいんじゃないか。
それにロリといってもギリ可能性がある程度の見た目をしている。
「勘弁してくれよ。さすがに泊めてはおけないよ」
「なんでですか」
「なんでってそりゃあ......一応、男女だし」
オレが少し恥ずかしそうに頭を掻くと、メイジは怪訝な顔をした。
「えー......まさかこの私でよからぬことを考えていたわけではないですよね......?」
「いやいや。んなわけないだろ。こんな幼い娘に」
「本当ですかー?私の下着を盗んで喜んでいたくせに.....」
「喜んでねーよ!てか盗んでもいねーよ!」
なんだか生意気さに拍車がかかってきたな。
「しかも何で明日もオレといる前提なんだよ」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあいいじゃないですか。そもそも24時間きっかり付き添う必要があるんですよ。ルールなんです」
もっと柔軟に対応してもいいんじゃないのか。
「とにかく!どこか泊まれる場所を探して、翌日改めて訪ねてくれ。わかったな」
「えー。嫌ですよ。めんどくさい」
めんどくさいって。
「それに、今私が日本語で話しているのも限定的な魔法かもしれないですし。外出ても人と話せる確証ないですよ」
それはそうだが。
「それに。私一文なしなんです。最初に言った通り、私は自分のために魔法は使えないですし、お金も作れません」
そういやそうだったな。
「もう頼れる人はユイトさんしかいないんです!どうか!この通り!」
目をぎゅっと瞑りながら、頭の上で手を合わせて必死に懇願している。
そこまで言うなら助けてやるか?。
「うーん......仕方ねえなぁ。まぁ、今夜は泊めてやるよ」
オレは渋々許可を下した。
まぁ夏休みに一日くらい、こんな日があってもいいだろう。
すると、メイジは縮こまった身体を膨らませるように、全身で喜びを表現した。
「ほんとですか!?やったぁ〜〜!!」
天井を突き破るんじゃないかってくらいの勢いだ。
今まで上手くいった試しがなかったんだろうな。
「ただし、夕飯はお前に用意してもらうからな。今度はちゃんとしたものを頼む」
「もちろんですよ!むしろ願ったり叶ったりって感じです!叶うのはユイトさんの願いですけど」
やかましいわ。
「とびきりのご馳走を用意してきますよ!」
「そりゃ楽しみだな」
「ええ楽しみにしていてください!今から作るので、そこで待っていてくだされ!」
「おう」
メイジは大股で跳ねながら部屋を飛び出していった。
さて、どれほど豪勢な食事が出てくるのやら。見ものだな。
ーーしかし30分後、出てきたのはいたって庶民的なカレーだった。
美味しかったけど、こいつが定義する幸せも案外些細なもんだな。
◆◆◆
日はすっかり落ちきって、日光の入らない部屋は真っ暗になっていた。
「あのー。電気つけないんですか?」
「あー。そうだな」
なんだか現実味のない雰囲気に当てられて、日常というものを忘れてしまっていた。
オレが丸型蛍光灯の紐をひくと、小さく「まぶし」という鳴き声が聞こえた。
「さーて。今からどうしようか」
正直この家には何もめぼしいものはない。
ましてや相手は魔法使いだ。非現実を現実とする人間をおもてなしするのはハードルが高い。
まぁ、さっきはゲームで大騒ぎしていたけど。
「どうするって。ユイトさん受験生ですよね?」
「お、おう」
「勉強しなくてもいいんですか?」
「あー。そうだな」
痛いところを突かれてしまった。
「でもなぁ。言ったと思うけど、オレ目標がないから。モチベーションが迷子というか」
「勉強しない理由を見つけたいだけなんじゃないですか?」
「うっ」
正直図星だ。
そういやこいつ伊達に何百年も魔法使いやってねえわ。それなりに経験があるのだろう。
「とにかく、今日はいいんだよ。今日は」
「そうなんですか。明日やろうは馬鹿野郎ですよ?」
どこで覚えたんだそんな言葉。
「今月志望校絞ればなんとか間に合う程度の学力はあるからさ。今はいいんだよ。多分」
言っていて自分がひどく格好悪いことに気がついた。
「はぁ。そうですか」
軽蔑されてしまっただろうか。
「でも、そういう人は結構いましたよ、今まで。ユイトさんも自力で頑張るつもりなんですよね」
「そういうことになるな」
「うーん。私からすれば何もない方が怖いと思うんですけど.....」
確かにそうだ。
ふと漠然と不安になることがある。
オレはどこに向かっているのだろうかと。
宇宙に放り出された感覚。
「でも、実際私も似たようなものなんですよね」
「そうなのか?」
「はい。人々を幸せにすることは私の義務であり、きっと望みでもあると思うので、今やらなければならないことは分かっているんです。でも、それでどこに辿り着きたいのか。それが分からないんです」
「小さな目標はあれど、大きな目標が見当たらないと」
「......そういうことになります」
やはりそうだ。
こいつは魔法使いで、自分を大層なものだと自覚しているが、どういうわけか視野があまり広くない。
「......別にいいんじゃないのか。毎日楽しけりゃそれで」
「毎日......」
メイジは柄にもなく真剣な面持ちで俯いている。
何か引っ掛かりがあるようだ。
「私には、毎日なんて......」
表情に翳りがさす。
「もう、叶えられないんです......」
何かを噛み締めるように、胸の前で両手を握り合わせて、瞼を閉じている。
よくわからないが、なんだかオレも居た堪れなくなってきた。
「でもほら、あれだよ。オレとお前は似てるってことでさ。明日までに一緒に見つけようぜ、目標」
不器用ながら励まそうとしたが、経験不足がもろに露呈してしまった。
中高もう少し人と関わっておけばよかったなぁ、と無関心だった自分に少し後悔する。
しかし、メイジの表情を覗くと、存外救われたような顔をしていた。
「見つけて、くれるんですか?」
「え?」
「私と一緒に」
真剣な空気が肌を伝っていくのがわかる。
「あ、ああ!もちろんだ!」
反射的に答えてしまった。
が、間違いなく本心であったとすぐに悟った。
すると、メイジは軽く微笑んで、向き直り、またあの笑顔をオレに見せてくれた。
「ありがとうございます!」
屈託のない、あの笑顔。
この子は人を幸せにするために生まれてきたのだと、言われれば信じてしまうような笑顔だ。
オレはその笑顔を幸せの象徴か何かのように感じた。
◆◆◆
トランプをしたり、時々小さな願いを叶えてもらっていたりしたら、いつの間にか深夜12時を過ぎていた。
メイジとは会って12時間も経っていない仲なのだが、こいつがあまりに人懐っこいものだから、10年来の旧友のような心持ちでいた。
というより妹か?。
「ほら、もう寝るぞー」
「えー嫌ですよ。もっといっぱいおしゃべりしましょう?」
「オレもう眠いんだけど」
「まだ12時過ぎですよ〜。夜はまだまだこれからです!」
「オレいっつも11時前には寝てんのよ」
「え、高校生ってもっと遅くまで起きてるものじゃないですか。やっぱりユイトさんはお子様なんですか」
「うるせえな。いたって健全な高校男児だよ」
こんなに騒がしい夜は初めてだ。
友達の家に泊まったこともなかったからな。
「えーやだやだー。これが最後の夜なんですから〜」
「最後も何もオレたち会ってまだ一日も経ってないぞ」
「過ごした時間は関係ないんですよ。それがたとえ10年でも1時間でも」
「いやそれは極端だろ」
「そうですか?」
「そうだよ。ほらもう消すから」
オレは蛍光灯の紐に手をかけた。
「えぇ、ケチ」
「ケチじゃないです。もう寝ます」
「むぅ」
見慣れてきた膨れっ面。
こんな姿も愛おしいと思えてきている。
いや、別にオレがロリコンだからとかじゃないぞ。
「はい、消灯〜」
そう言ってオレは電気を消した。
メイジは名残惜しそうにしている。
ちなみに、なぜか家主のオレが床に布団を敷いて寝ることになっている。親の寝室を勧めたが、寂しいという理由で断られた。
人を幸せにするのが使命ならオレの睡眠も保証したらどうなんだ。
と、思ったが、ベッドで心地よさげに眠るメイジの姿を見ていると、そんなこともどうでもよく思えてきた。
「ねぇ、ユイトさん」
「なんだ」
「明日もいっぱい願い事叶えましょうね」
「ああ、そうだな」
明日。
こいつは明日の正午までここにいると言っていた。
その後はどうなのだろう。
普通に考えれば、故郷に帰るんだろうけど。
オレは天井を見上げながら、ふとこいつが時折こぼしていた「物足りない」という言葉を思い出していた。
明日、オレの願いをいくつか叶えたら、それも解消されるのだろうか。あるいはーー
そう考えながら、すぐ隣で寝ているメイジの姿を確認する。
一緒に考えるって言った目標、どうしようか。
明日は外にでも出てみようか。
オレはすっかりこいつに感化されていることに気がついた。
思えば夏休みは2週間を過ぎようとしているのに、オレは何もしていなかった。
でも、そんなオレをこいつは1mm程度でも動かしてくれた。
最初は胡散臭いやつだと思ったが、この短い時間の中で、こいつは良いやつなんだと知った。
オレは心のどこかで、いつかまたこいつと再開する未来のことを考えていた。
◆◆◆
朝が来た。
時刻は7時。
窓の外では名前もわからない鳥が囀っていて、真夏の熱気が窓越しに伝わってくる。
何も変わらないいつもの朝。
と、そう思ったのだが、そもそもオレは朝に目を覚まさない。大抵昼過ぎに起きるズボラ生活を繰り返している。
加えて、隣を見れば西洋風の格好をした魔法使いが気持ちよさそうに寝息を立てている。
むしろ変化しかない異常な朝だった。
オレが寝惚けた頭を起こしながら状況を整理していると、メイジが寝返りを打ってベッドからオレの足元に落ちた。
「いでっ」
今まで見たことがなかったが、人がベッドから落ちる時、こんな間抜けに見えるものなんだな。面白い。
オレが一人謎の感慨に耽っていると、こちらを向いたメイジと目があった。
「あ、ユイトさん。おはようございます」
「お、おう、おはよう」
一晩たって振り返ってみると、やはり妙な光景だ。
でも、そんな妙な光景が続いたらいいのにな、とたった一晩の間に思うようになっていた。
「ふぁあ〜......ねむ」
どうやらメイジは朝はあまり強い方じゃないらしい。両目が傍線みたいになっている。
「......ちょっと洗面台お借りしますね〜」
顔を洗いたいみたいだ。
心なしか髪も昨日より少しボサボサしている。
「あ、オレも。今起きたばっかだから」
思えば昨日もオレがメイジに初めて見せた姿は起床後のだらしない格好だったな。
それでどうということはないけど。確かに一日だけでもこいつと過ごした時間が存在していたことを実感した。
オレとメイジが一緒に顔を洗って、一緒に歯磨きして、一緒に朝食を取ると、早速今日の予定について話すことになった。
「それではユイトさん」
「はい、なんでしょう」
「今日が最後の日ということになっています」
「はい、そうですね」
「何か叶えておきたい願いはありませんか」
「あー」
結局それに尽きるみたいだ。
とはいえ、試してみたいものは昨日余った時間にやり尽くしたしな。
やはりずっと同じ部屋にいても何も変わらないようだ。
ということで、オレは一つ提案してみることにした。
「なあ、外に出てみないか」
「外ですか」
「そうだ。もっと視野広げてさ。叶えたいこと見つけてこうぜ」
ついでにこいつの目標も見つかればいいなと思った。
メイジは少し考えるとすぐに返答した。
「いいですね。行ってみましょう」
色々と滞っていた昨日とは違い、今日の予定はすんなりと決まった。
多分お互いがいる環境でどうすべきかという空気が読み取れるようになったのだろう。
オレはたった一日という時間も馬鹿にはできないのだと学んだ。
外に出ると、真夏の日差しが容赦なく襲いかかる。
「あっつぅ」
開口一番に出てきた言葉がそれだった。
「この暑さはお前の魔法じゃなんとかならないのか」
「無理ですねぇ〜。さすがに気候変動は起こせませんよ」
そんな世界規模のことを言ったつもりはないのだが。
「ま〜外に出るって決めちゃった以上は仕方ないですよね〜」
メイジは溶けて液体になってしまいそうな姿勢でとぼとぼと歩き始めた。
こんな調子で昨日はどうやって屋根の上に登ったんだろうな。
「なあ」
「はい?」
「昨日屋根の上にいたよな」
「はい。いましたね」
「あれはどうやったんだ。魔法か?」
「いえ。あれは特に何も。昨日も言った通り、選ばれる人はランダムで、私が現れる場所も特に意識してるわけじゃないんですよ」
「ふーん」
考えてみたら妙なシステムだよな。
一体何がきっかけでこんなことを始めたのだろう。
「なあ」
「はい」
「一個聞いてもいいか」
「どうぞ」
「お前のこの仕事、何かきっかけでもあったのか」
「きっかけ...ですか」
「そうだ」
メイジは話しづらそうにしている様子。
「......きっかけかどうかは分からないのですけど」
少し黙ると意を決して口を開いた。
「私、一時期誘拐されていたことがあるんですよね」
な。
「ゆ、誘拐!?」
「そうです。誘拐です。愉快でも融解でもないですよ」
そりゃわかってるけど。
思わぬ言葉が飛び出てきて、面食らってしまった。
「元々魔法使いの家系というのは珍しいものなんです。ちゃんと魔法を扱える人材すら限られたものでした。だから、私は多少価値のあるものだったみたいなんです。それで、母が少し目を離した隙に、大金を稼ごうとやってきた悪い人たちにさらわれてーー」
オレがたじろいでいるうちにメイジはすらすらと語り始めていた。
「そして、売り物にされたんです」
売り物。つまりは人身売買ということだ。
何百年も前ならそういうことが多発していても不思議ではない。
こいつが昨日言っていた「金は命より重い」という言葉はそういう意味だったのか?てっきり有名な漫画の引用だと思っていたのだが。
しかし、一つ疑問が湧いてくる。
「魔法の力で逃げ出せなかったのか?」
至極真っ当な発想だ。いくら相手の力が強くとも、魔法に対して物理は通用しない。
「そうですね......私の魔法は心に起因する。つまり、相手の思いや感情に応えることで発動するのです。だから、私が逃げるために都合のいい魔法は使うことができませんでした」
「じゃあどうしたんだ?」
「どうもしなかったですよ」
どうもしなかっただと?。
「それじゃあ誘拐されてからはどうなったんだ?」
オレはメイジの気持ちを考えるよりも先に探究心を優先させてしまった。
自分でも不用意だったと思う。
「誘拐されてからは......その。いろんな国を転々としていました。多分、日本にも来ていたことがあると思います」
「それは何年も続いたことなのか」
「......はい」
「その......家族は」
「それ以来会っていません」
「............」
「......多分後悔しているんじゃないでしょうか。ほんの少しの気の緩みで、私を失ったこと」
メイジが歩んできた道のりは、想像していたよりも過酷なものだった。
少なくとも、興味本位で訊くべき話ではなかった。
「悪い。こんな話させるつもりじゃなかったんだ」
質の悪い言い訳しか出てこない。
「え、はい。大丈夫ですよ。もう何度も自分の中で反芻していることなので......。それに、何百年も前の出来事ですからね」
何百年。
この途方もない時間がオレにはなぜか遠い過去のものだとは思えなかった。
彼女の奥深くに埋もれた長い歴史の一部にすぎないことだなんて、到底考えられなかった。
「とにかく、過去のことよりも未来のことですよ。今はこれからの目標を探しましょう!」
「お、おう。そうだな」
急にいつもの調子を取り戻したメイジを見て、オレはまた当惑してしまった。
それにしても、さっきの誘拐の話と、願いを叶える仕事の話はどう繋がっているんだ?。それに、この何百年の間に家族との再開を試みようとはしなかったのだろうか。だって、魔法使いは不死ではないにしろ、寿命がとんでもなく長いのだろう?。
また分からないことが増えていく。
でも、少なくとも今は、彼女の気持ちを尊重するべきなんだと思う。
だから、何も訊かないでおくべきなんだろうな。
◆◆◆
30分くらい、近所をうろうろしていた。
体力を使った分かなり歩いたような気がしたが、案外散歩というものは時間を消費しないらしい。
時々公園で項垂れている老人や子どもたちに魔法で冷たい風を送ってみたりもしてみたが、何か探しているものが見つかるわけでもなかった。
というより、探しているものが曖昧な状態で、何かを見つけるなんてできるのだろうか。それこそ目標もなくただ日常を消化していただけの夏休みと何も変わらないのではないか。
メイジがここを去るまでにあと3時間ほどある。
残り3時間で、オレたちの未来を決めるような目標が見つかるだろうか。
こんな何の変哲もない住宅街で。
オレたちは特にめぼしい会話もないまま、ただひたすらに歩いた。
二人とも暑さにやられてぐだぐだだった。
「ねえユイトさん」
「なんだ」
「もういいですよ」
「何がだ」
「何って、今こうしているのって私のためですよね。多分ユイトさんの目標探しというより」
気づかれていたか。
「だってこんなところ歩いていても受験に何か影響があるとは思えないですし」
こんなところて。
「家に戻ってユイトさんの願いを叶える時間に使った方がいいですよ」
「そうなのかもなぁ」
ただ肝心の願いがないわけで。
「じゃあ、川沿いの方まで歩いたら一旦帰るか」
「そうですね」
オレたちは結局何も見つけられないまま帰ることにした。
しかし、探していたものは思わぬところで見つかった。
河川敷の途中に迷子の女の子を見つけたのだ。まだかなり小さい。一歩間違えれば事故に巻き込まれてもおかしくないような幼い子。
女の子は泣くのを堪えながら、小さな足取りで奥へ奥へと歩いている。
オレたちは「どうしたんだ」とすぐに駆け寄った。
女の子は一瞬母親か父親が来たのだと期待して振り向いたが、期待はすぐに落胆へと変わった。
ごめんな。
オレたちはどうしたものかと、少し考えたが、すぐに名案が浮かんだ。
「なぁメイジ。一つ願い事いいか」
オレはメイジの魔法で迷子の親を見つけてもらうことにした。
「この子の親をここに呼んでほしいんだ。できるか、こういうこと」
「ええ、もちろんです。任せてください!」
右の拳で自分の胸をトンと叩いて、笑顔を浮かべた。
技を披露しようとしているんじゃない、女の子を不安にさせないようにするための顔だ。
「では、いきます!」
メイジは昨日よりは大袈裟でないポーズで気合を入れた。もしくは気合を入れたフリをしているのかもしれない。実際魔法に予備動作も何も必要ないみたいだから。
しかし、その場では何も起こらなかった。
そりゃあ、人が突然飛んでくるわけではないし、当たり前のことなのだが。少し不安になった。
「なあメイジ、本当に大丈夫か?」
「何をおっしゃるんです。私を疑っているのですか?」
そういうわけじゃないけど。
「大丈夫です。来る時になったら来ますから」
そういってメイジは腰に手を当てて軽く威張ってみせた。
5分くらいすると、すぐにその時は訪れた。
「ゆめちゃーん!」
どうやらこの子の母親みたいだ。
女の子も一安心といった感じで、堪えた涙が溢れている。
「あの、お二人は......」
おっと、そりゃそうだ。一見したらオレたち二人は洋ロリと冴えない高校生だ。
「偶然ここを通りかかって、そしたらこの子を見つけたんです。なので一時的に保護していたというか」
「そうなんですね。ありがとうございます。ご迷惑おかけしました」
「いえいえ。お気になさらず」
「ほらゆめも。お兄ちゃんとお姉ちゃんにありがとう言って」
母親がそういうと、女の子はオレたちのもとに歩み寄って、少しはにかみながら、それでいて笑顔でお礼をした。
「ありがとう、ございます!」
思わず頬が緩んでしまうような純粋さだ。
なんとなくメイジにも似たようなものを感じるが、本人に言えば「子ども扱いしないで」と頬を膨らませて怒るのだろう。
それから女の子と、その母親は手を繋いで帰路についた。
オレたちはその後ろ姿をしばらく見送っていた。
「あの子、母親に会えてよかったな」
「はい」
「オレたちは......」
「............」
「どうしようか」
「どうしましょうか」
「どうしような」
「............」
時間の制約、その間にやれること、そんなことを考えていたら何も言えなくなっていた。
「なあ」
「はい」
「何で今日、というか昨日からか。24時間じゃなきゃだめなんだ」
「それはーー」
何かまた言いづらいような様子だ。
「昨日も言ったと思いますが、とりわけ私が生まれて24時間には強い思いが込められているのです。だから人の願いを叶えるならこの時間しかないんです」
やっぱりそうだよな。
でも、オレの中では一つ腑に落ちないことがあった。
「でも、なんで24時間経ったらわざわざ出て行かなきゃいけないんだ。てか魔法って強い力でなければいつでも使えるものなんじゃないのか」
「えと......」
また右手を口元に当てて考え込んでいる。
こいつなりに言葉を選ぼうとしているらしい。
「その、驚かないで聞いてくれますか」
なんだ改まって、そんな真剣な顔で。
「ああ聞くよ。なんだ」
オレが答えると、季節外れの冷たい風が頬を撫でた。
オレは何かを予感した。
そして、彼女がこう言った。
「私実は......もう、死んでるんです」
突然の告白。
オレは固まってしまった。
死って。死んでるのか。本当に?こいつが?だってこいつは今も目の前に。
「はは......やっぱり驚きますよね」
少し寂しそうな目元から、これが冗談でもなんでもないことが分かった。
「でも、え。なんで。お前死んでるってーー」
「ええ。本当に、死んでるんです。一度」
信じられない。
「誘拐の話はしましたよね。私、最終的にどうなったかは話していなかったんですけど、そういうことなんです」
そういうことってーー
「じゃ、じゃあ、お前はなんでここに」
「それは、おそらく誕生日だからですよ。魔法の力です。あの時、私が生まれたことを世界の誰よりも喜んでくれた家族が、私に与えてくれた想いの力。その波及効果です」
「だから、その力が発揮される誕生日から24時間しか存在できないと」
「そういうことになります」
なんだ。なんだそれ。
「そして、多分今日が最後の日なんです」
「え」
最後の日。そういえば昨日も最後の夜とか言っていた。それはきっとオレと過ごす最後の夜だからだと、そう思っていたが。まさか。
「あの時家族にもらった力が、もう尽きかけているんですよ」
悪い予感は的中してしまった。
「もう多分、時間が来たら、私はどこかへ消えてしまいます」
そんな。
「何か、方法はないのか。消えずに済む方法は」
「さぁ、分かりません。元々不可抗力で発動した魔法のようなので、私の意識で働きかけることは無理だと思いますよ」
「じゃあ、オレがお前に消えないでいてくれって頼んだら」
「それも無理だと思います。最初に言った通り、過度な魔法は使えないんです。何でもできると言っても、物事には必ず限りがあるんです」
なんで。
「それじゃあお前とはもう......会えないってことか?」
「はい。そういうことですよ」
メイジはぎこちなさそうに精一杯笑ってみせた。
違う。オレがみたいのはそういう顔じゃない。
何か、何かないのか。
「ほら。もう2時間くらいしか残っていませんよ。ユイトさんの願い、何でもいいから叶えちゃいましょう」
こいつとは知り合って間もないが、放っておけるわけがない。
何か、こいつのためにできることは。
「ね。何でもいいんですよ。ユイトさんが幸せになれれば、それで」
幸せ......。
そういえばそうだ。
こいつは人々を幸せにするためにこの仕事をしているって。
でもそれでも物足りないって。
それはなぜなんだ。
おそらく大きな願いを叶えていないからだとか、そんな簡単なことじゃない。
物足りないのはきっとーー
「なあ、メイジ」
「はい」
「お前、誰を幸せにしたいんだ」
「え。誰って、もちろんユイトさんですけど......」
「そうじゃない。ランダムに当たったオレじゃない。もっと明確に、お前には幸せにしたい人がいるんじゃないのか」
「それはーー」
そうだ。こいつもそうだ。
昨日のオレと同じだ。
また前みたいにピアノを弾ける自信がないから、腕を治すことを考えないようにしていたオレと同じ。
こいつもきっと、どうせもう叶わないからと、諦めて、考えないようにしていたんだ。
「言ってもいいと思うぞ」
「............」
メイジは俯いて黙っている。
辛いだろうと思ったが、もう引くわけにはいかなかった。
オレは待った。
こいつが口を開くまで。
そしてーー
「......います。いますよ。幸せにしたい人」
「そうだろ。誰なんだ」
「......家族。家族です。私の家族。私の誕生を祝福してくれた、私が誰よりも幸せであるように願ってくれていた家族です」
そうか。やはりそうだったんだな。
「でも、もう叶わないんです。魔法使いは特別なんて嘘なんですよ!何百年も生きられる人間なんて存在しないんです。だからみんな、もうとっくに......」
そう、これから先こいつの願いが叶うことは、ない。
でも、こいつはーー
「それでもお前は、どこかにいるかもしれない家族を探して、何百年も世界中を旅していたんじゃないのか。自分を探しに来ているかもしれないって」
その時、メイジはほんの少しだけオレと目を合わせてくれた。彼女の瞳には期待と無力感が透けて見えた。
「それは......多分、そうなのかもしれませんね。無意識なのでしょうけど」
無意識。
それって凄いことなのではないだろうか。無意識とはいえ自分に魔法をかけていたなんて。
魔法の原理を覆すほどに、強い願いだったということなんじゃないのか。
もしそうなのだとしたら、今の彼女が望むものなんて、もう探す必要もなく明白なのではないだろうか。
「じゃあさ。その願い、叶えてみよう」
「......え?」
「叶えるんだよ。お前の魔法で」
「叶えるって。私言いましたよね、叶えられないって」
「ああ言ったな」
「私の家族は......もう何百年も前に亡くなっているから、会えないって」
「そうだな」
「じゃあなんで」
そうだ。
確かに、もう彼女の家族を幸せにすることはできない。彼女の力だけでは。
「お前、最初オレの部屋に入った時言ったよな。『消したい黒歴史』はないかって」
「それが何か?」
「少し引っかかってたんだ。どうしてそんなこと付け加えたんだろうなって」
「それは、単にユイトさんの気を引きたかったので、バリエーションを増やしてみただけで」
「つまり、実際過去を変える能力があるから、呼び物として持ち出したんだよな」
「はい、そうですけど」
メイジはまだ納得していないようだ。
「でも、私じゃそこまで大規模な願いは叶えられませんよ。ましてや何百年も前となると、腕の立つ魔法使いでも覆せるかどうか」
もちろん、メイジの魔法を使っても、何百年前の事件を変えることはできない。それに、歴史丸ごとひっくり返す過去改変を行うことも不可能だ。
でも、この状況を打破するシンプルな解答がある。
それはーー
「その優秀な魔法使いを、オレが世界中探して見つけてくるよ」
「......え」
「そいつを見つけたら頼むんだよ。変えたい過去があるって」
「......世界中。いや、それよりも、さっき制限があるって」
制限はある。それは変わらない。
「そうだな。でも、もう一度考えてみたんだ。メイジの母親が後悔してることは何だったっけって」
「それはーー」
考える必要もなく、メイジはすぐに気がついた。
「私から、一瞬だけ目を離したこと」
「その通り」
そう、それだけのことだったんだ。
「それで思ったんだよ。変えるべき過去は些細なものだったんじゃないかって。それだけの行動なら変えられる可能性があるって」
過去を変えると言っても、それから起こる未来ごと、歴史を丸々書き換えるような大がかりな魔法は必要なかったんだ。
ほんの少し、メイジの母親にはたらきかけるだけ。それだけで十分なはずだ。
「でも、私のためにそんな。私の個人的な願いで。今までみんなが私の魔法から得た幸せはなかったことになるんですよ」
お人好しのメイジからは、当然そう反論されると思っていた。
「確かに。些細な行動を変えるだけと言っても、その後お前がみんなに与えた影響はなくなるかもしれない」
「ですよね。そんなの、私、嫌ですよ」
諦めたような、葛藤したような面持ちで、歯を食いしばっている。
「私が願いを叶える仕事を始めたきっかけは、極めて私的なことかもしれないですけど、少しでも幸せになってくれた人は実際にいるんですよ」
知ってる。
もちろん知ってる。
なぜならオレもその一人だからだ。
部屋の中で過ごすだけの、陰鬱で湿っぽいだけの夏を、たった一日でも幸福な時間に変えてくれたのはメイジだった。
オレは誰よりも分かっているつもりだ。
しかし、だからこそ、オレがメイジに叶えてもらったことを振り返ってみれば、なおさら過去を変えるべきなんだと思う。
「なあ。ここ50年くらいは小さな願いを望む人が増えてきたって、お前言ってたよな」
「はい」
「オレが思うに、みんな分かってるからそうしたんじゃないかって気がするんだよな」
「分かっているって何をですか」
「結局頑張らなきゃ報われないってこと。幸せは歩いてこないとか何とかよく言うだろ」
「それはそうですけど」
「だからさ、みんな分かってたから、大きな願いを叶えることに後ろめたさがあったんじゃないか」
オレは自分が躊躇っていた願いを思い出す。
オレがメイジに腕を治してもらわなかったのは、勝手に未来を決められるのが怖かったからじゃない。
もう幸せにはなれないんだと勝手に諦めていたからなんだ。一度終わったら何の努力もせずにただただ惰性で生きてるだけだった。
でも、こいつに出会ったことで、安易に幸せを手に入れられるようなチャンスが目の前にあったことで、オレは大切なことに気がついた。
オレたちは自分自身で幸せを掴みにいかなきゃならない。
「だから、過去は絶対に変えるべきなんだ」
オレは断言した。
一昨日までのオレならこんなことは言えない。
「......分かりました。ユイトさんの言っていることは一理あるかもしれません。でも、それなら私はどうなるんですか。私は何の苦労もせずに理想の人生を手に入れることになりますよね」
「いや、大丈夫。この願いを叶えるには必ずメイジの力も必要になるから、お前自身で叶えた夢も同然だと思う」
「私の力ですか?」
「そう。さっきも言っただろ?『お前の魔法で叶える』って」
「言ってましたけど。結局他力本願じゃないですか」
「いや、そもそもそのゴールに辿り着くためには、オレ一人の力じゃどうにもならないんだ」
「?」
メイジは首を傾げている。
「世界中を探すって言ったけど、正直、それは無謀だと思うんだ。そもそもこの何百年の間に魔法がほとんど廃れた可能性もある」
「それはそうですね。私たちの時代でも希少でしたから」
「だから、メイジの力を借りたいんだ。史実、地理、人脈、その他諸々、何でもいい。お前が知ってること全部教えてほしい」
「全部、ですか。それでもこの世界で優れた魔法使いを探すのは困難だと思いますが、第一残された時間でそんなことできないと思います」
「いや。『不可能を可能にするのが魔法』なんじゃないのか?」
「あ」
昨日自分で言ったことを思い出したみたいだ。
「魔法で食材が出せるんなら、きっと紙でもある程度はなんでも出せるんだと思う。だから、メイジにやってもらいたいのは、当時の地図の復元、製本、イメージの現像、他に参考になりそうなもの色々だ」
「確かに、それなら一つ一つの作業には時間がかからないですね。私がいなくなった後その資料を一人で調べていくだけなら、今はユイトさんの要望に応えていくだけで十分だと思います」
「だろ?ほら、願いは叶えられるし、お前の力で道が切り拓けるぞ」
「そうですね。ユイトさんの言っていたこと、少しは納得したかもしれません。まぁ......ちょっと屁理屈っぽいですけど」
メイジは口を尖らせながら小声でぼやいた。
その一言は余計だ。
「でも、いいんですか?それでも御目当ての魔法使いを見つけられる可能性は決して高くないですし、かかる時間も果てしないと思います。下手したら人生賭けちゃうなんてことにも」
「別にいいよ。今のオレにはやることも目標もないし。それに、これが叶った時には、全部なかったことになるんだ。そしたらオレは、今度は自分の夢を叶えるために努力するよ」
「......それでも、大丈夫なんですか?ユイトさん、新しい未来で何も見つけられないかもしれませんよ」
「それは......まぁ、そうだな。メイジと出会ってなかったら、もう一度夢を追いかけようなんて思わないかもしれない」
「それじゃあーー」
「でも!お前と出会ったオレだけの夢が叶うより、可能性を信じて二人の願いを叶えたいってオレは思うんだ。なんて」
オレは出来る限り威勢よく言い張ってみた。
「......格好つけないでください、ユイトさんのくせに」
「おい」
「だって私たち、出会ってたったの一日ですよ?」
そういえばそうだった。人生で一番濃厚な一日だったから、すっかり忘れていた。
「いや、でも、お前言ってたじゃん、『10年も1時間も同じだ』って」
「言いましたけども」
「それに、たった一日の時間だって案外馬鹿にならないもんなんだぜ」
「なんですかそれ」
「オレが学んだことだよ」
「はぁ」
それに、メイジには、生まれたその日に付与された力が今もなお続いているんだからな。
たった一日に秘められた可能性はきっと途方もない。
「ということで、だ。これでオレたちの目標は決まった!あとは残り時間、やれることをやろうぜ!」
オレはメイジの快い返事を期待した。
「そうですね。うん。なんだか気圧されたところはありますが、少し光が見えてきた気がします」
そして、メイジは数秒熟考した後、何か決心したように、自分の頬を両手で2回叩いて気合を入れた。
「......よし!分かりました!ユイトさんの願い、叶えてみせます!なんてったって私は魔法使いですからね!さぁ、何でもござれ!」
「おう!その調子だ!」
オレは拳を高く突き上げて気分を高揚させた。
やってやるぞ。
◆◆◆
あれからオレたちは急ピッチで作業を進めた。オレからの願いを叶える体で地図に、人脈図に、ちょっとした歴史本まで作ってたもんだから、単に作業という言葉で片付けてしまうのもいかがなものかと思うが、何はともあれ、これから必要になりうるものは大方出揃った。なんだか文化祭本番の前日みたいな空気だった。とは言っても、オレはろくに参加したことなかったんだけど。新しい時間軸ではもっと積極的になれているといいな。
そして、全ての準備が整った今、残りはメイジとの別れを待つのみだった。
「なあ」
「はい」
「オレ、今まで他人に無関心だったから。こういう時なんていえばいいか分からないんだけど」
「はい......」
「オレはお前に会えて良かったと思ってるよ。こういうこと言うのは照れくさいけど、感謝してる」
「はい。私も、最後にユイトさんに出会えてよかったです」
「ああ。でも、これで最後じゃないだろ?」
「え?」
「いや、なんとなく、オレたちがこれっきりだとは思えないんだ。本当に勘でしかないけど」
「えー。また何か秘策があるのかと思いましたよ。がっかり」
「いやいや、オレもそんな何でもかんでも思いつくほど器用じゃねえよ」
なんだか湿っぽい空気にはならなさそうだ。
「でも、信じてるよ。オレは」
「ふーん。そうですか......じゃあ、私も......信じてみようかな」
「ああ、これは魔法でもなんでもない、純粋に願望だ」
「そうですね......根拠はないけど、なんとなく、願い続けていれば叶いそうな気がします」
オレたちは揃って天を仰ぎ見た。
薄暗い部屋の天井じゃない。
どこまでも続く、突き抜けた青空。
その先に限界なんてない。
なんだって出来る気がした。
真夏の日差しが、目に染みる。
太陽が南中していた。
「ユイトさん」
「なんだ」
「置き土産に一つ、なんでも叶えてあげますよ」
「なんでも、か」
「そう、なんでもですよ」
オレはやっぱり決められなくて、頭を掻いた。
でも、明確な願いがたった一つ、心に浮かんだ。
「じゃあ......そうだな。『オレたちの願いが叶いますように』って、祈ってくれないか」
太陽が、ゆっくりと、西の方へと沈んでゆく。その時間が永遠だと感じられるほどに。
「ふふ......ユイトさん。......それは、魔法じゃないですよ」
メイジは微笑んだ。
オレが見たかったあの笑顔で。
幸せの象徴だとも思えるほどに、気持ちのいい顔で。
「そうだな」
「そうですよ。まったく、結局こうなるんですね」
「はは。ごめんごめん」
東へ流れる雲が、直接太陽に重なる。
「............時間みたいですね......それじゃあユイトさん、楽しい時間をありがとうございました」
「ああ、オレこそ、お前のおかげで幸せだったよ」
「えへへ。褒められちゃいました。私も、幸せでしたよ」
「おう、そうか」
「ええ!本当に!............それと、ユイトさん!」
「なんだ」
「また、いつか会えるといいですね!」
「ああ、そうだな。また会おう!」
「ええ、もちろんです!......では!」
オレたちは互いに目配せして、笑った。
幸せな未来を祈るように。
雲に隠れた太陽が、再び姿を現して、その光がオレたちを包み込んだ。
そしてーー
あいつは夏の陽炎の中へと消えていった。
◆◆◆
今日はインタビューの日。
なんと、メジャーな音楽雑誌の表紙を飾ることになった。正直見た目には自信がないんだけど、写真撮影は自然体で、とのことだった。
「そうです、そうです、良いですよ〜。そのままいつも通り弾き続けてください」
正直この姿から良い画が撮れるのかどうかはいささか疑問に思うところがある。それに、カメラマンというのはいつだって対象を褒めるものなのだ。偏見なのかもしれないけど。
表紙や掲載ページで使われる写真の撮影が終わると、1時間後に取材が始まった。今日のテーマは「あなたが夢を叶えたきっかけ」だそうだ。何でも、消極的な世の中を鑑みて、夢を叶えた若者に、志半ばでいる若者を勇気づけてほしいというコンセプトらしい。だが、そんな大層なご期待には添えないと思うんだよなぁ。夢を叶えたきっかけなんて、そんな大それたものではないし。まぁ、一度くらいは大きな挫折も経験したけど。
取り留めのない思考を働かせていると、インタビュアーの方が最初の質問に取り掛かった。
「まず、この世界での活動を志したのは何歳ごろだったのでしょうか」
「そうですね......。ピアノは物心ついた頃から始めていたので、その流れから自然にピアニストを目指し始めたのかもしれません。小さい頃に見た夢を、大人になっても持ち続けるのは大変でしたけど、ここまで来て良かったなって思っています」
「一度挫折を経験していると聞いていますが......」
「そうですね。挫折、といってもよくあることで。事故で腕を大怪我してしまったんです。幸い治らないものではなくて、おかげでピアノは続けることができたんですけど、それでも、自由に動かしても構わないと言われてからも多少は痺れがあって、少しの間自分の中にも諦めようかなって思いが芽生えてきてしまったんです」
「なるほど。どんな仕事であれ、怪我による影響は大きなものですからね。それでも諦めなかったきっかけというものはあるのでしょうか」
「はい、それは、あります......そうだな、どこから話したらいいんだろう......えーと、そうだなぁ、じゃあ、まず、ボクの両親はよく仕事で海外へ行ってたんですけど、それでよく向こうで買ってきた絵本をお土産に持ってきてくれたんです」
「絵本、ですか」
「はい。母が全て和訳してくれていました。それで一冊お気に入りの絵本があって。当時は同級生に笑われたりして恥ずかしかったんですけど、魔法使いの女の子が出てくる本だったんです」
「具体的にはどのような内容だったのでしょうか」
「えーと、そうですね。まず、物語は女の子が小さな村の魔法使いの家系で生まれてくるところから始まります。その女の子は家族からの祝福を受けて、何年か経った後、それで得た魔法の力を村の住人のために使うというお話でした」
「そのお話とご自身にどのような関係があったのでしょうか」
「関係......というか、ボクが都合よく解釈しちゃっただけかもしれないんですけど、村には一人だけ、女の子に自分の願いを言えない男の子がいたんですよ。その男の子は家族が営んでいた農業を継ぐのが夢だったんですけど、足を悪くしてしまって、ずっと部屋にこもっていたんです。それで、女の子に『何かないの』って言われても『別にいいから』の一点張りで」
「魔法で足を治してくれとは頼まなかったのでしょうか」
「そう、そこが大切なんですよね。男の子は本当は足を治して仕事がしたいのに、決して女の子の魔法を使おうとはしない。目の間には簡単に夢を叶えられるチャンスがあるのに。でも、ボクにはなんとなくその理由が分かったんです」
「というと?」
「男の子はきっと、自分の力で夢を叶えて、自分の力で幸せを掴みたかったんじゃないのかなって、思ったんです。でも、一度足を悪くして、もうダメだと思ったから、その夢ごと諦めて。それで、考えないようにしていたんだと思います。それに、もし、安易に魔法で足を治してもらえば、魔法以上に価値のあるものを見つけられなくなってしまいますから」
「それでは男の子はどうしたのでしょう」
「うーん......最終的にはまた目標に向かって歩き出すんですけど......この時点で活躍するのは男の子......っていうか、どちらかといえば魔法使いの女の子の方ですかね」
「ほう」
「女の子はその男の子だけがずっと鬱屈とした部屋で寂しそうにしていたから、何かできないかと思って、たびたび男の子の前に現れては『何か叶えたい願いはないか』って繰り返し尋ねてたんですよ。それで、男の子も察したのか、とりあえず女の子を満足させてあげたくて、魔法で部屋を綺麗にしてくれとか、小さな願い事を叶えていったんですよ」
「なるほど」
「そうして男の子が女の子と一緒に過ごしているうちに、さっき言った『自分の力で幸せになること』を自覚するんです。小さな願いを叶えてもらっていくうちに、やっぱりこれじゃ物足りないと感じたんでしょうね。それに、ただ夢を現実にするだけというのも何か違うと。そして、それは塞ぎ込んでるだけじゃ叶わないって」
「......つまり、それがご自身の経験に重なった、と」
「......はい。つまるところそういうことになります。長々と語っちゃいましたけど」
「いえいえ。とても素敵なお話だと思いますよ。どんな人にとっても子どもの頃に受けた刺激はかけがえのないものですからね」
「そうですか。ありがとうございます......なので、やっぱり絵本で見た魔法使いの女の子には感謝してますね」
「影響を受けたのは男の子の方じゃないんですか?」
「いえ、なんだか男の子は妙に親近感があるというか、主観的に見てしまって、まずこの視点からだと、やっぱり、ボクを救ってくれたのはあの魔法使いなんですよ。あの子もどこまで分かってやっていたのかは知りませんが、きっと子どもながらにどこか直感するものがあったのでしょうね」
「なるほど、それは興味深いですね。それはそうと、主観的に、と仰っていましたが、先程まであらすじを聞いていて、本当にご自身の経験だったかのように感じてしまいました」
「はは、そうですか。なんだか恥ずかしい。絵本の物語を真に受けてる人間だと思われるのもなんだか気恥ずかしいですが、こういった論理的な根拠のない希望を信じてみるというのも、前に進むために必要になってくるんじゃないかなと、ボクは思います」
「随分前向きな考えをお持ちなんですね」
「ええ。それもやっぱりあの魔法使いの女の子に感化されちゃったからでしょうかね」
「はは、そうかもしれませんね」
それからいくつかプライベートに関する質問を答え、インタビューは終わった。
なんだか語ってしまったなぁ、という感想。でも、これをずっと誰かに伝えたかったんだよな。言葉にすることで、オレが感じたもの全部現実だったような気がして。なんだか話し終えると少し寂しかったけど、確かにオレの中に息づいているものがあるんだって感じた。
思えば、高校3年の夏、ピアニストになることを諦めかけていたあの時、部屋の掃除をしていたら偶然見つけて思い出したあの絵本が、現在に繋がっているんだよな。あの一日の中でオレの中で湧き上がった感情が、今のオレを作り上げているんだ。もし、あの時オレがあの魔法使いに出会っていなかったら、オレは夢を叶えていなかったかもしれない。そう考えると、物事の重要性に10年も1時間も関係ないんだなって思う............いや、それは言い過ぎか。
何はともあれ、あの魔法使いが一人の男の子の目の前に現れてくれたおかげで、オレは今こうして自分の夢に向き合っている。
ブロンドで、幼くて、田舎の村娘みたいなワンピースを着た、天真爛漫の、笑顔が似合う少女。
名前は確か......なんだったかな。安直で、魔法使いって言葉そのままの横文字だった気がする。小さかったから、なんだかカタカナには馴染みがなくて、あんまり意識してなかったな。
ウィッチ?ウィザード?マジシャン?それともソーサラー?うーむ、どれもしっくりこない。
なんかもっとこう、短かったような......。
そう......メイジ......だったかな。いや、正直あいつにそんな学者っぽい響きは似合わないんだけど。でも、響きだけは、なぜだかしっくりくる。はっきりと覚えていなくても、子どもの頃に何度も読んでいたからだろうか。
不思議な感覚だ。
記憶というよりも、心に刻み込まれているような、そんな感覚。
まぁ、何はともあれ、オレは今幸せに暮らしている。
そして、それはきっとあの魔法使い自身が幸せに生きたからこそ、オレに起こり得た未来なんだと。なぜだか、オレはそう信じている。
......ありがとな、メイジ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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