黒髪の少女(1)
「さゆりさんて、年のわりには美人ですよね」
バイト仲間の大学生に言われる。近所の国立大学に通う英才だ。何事もそつなくこなせる性格なのだろう。手際よく商品を棚に並べていく。
「ありがとう。よく言われるよ」
その隣で、さゆりもまた商品を並べていた。ヘアゴムでポニーテールにしているから、若く見えたのかもしれない。
(年のわりに美人なんて言葉、なんの慰めにもならないんだよなあ)
そもそも、「年のわり」という言葉が気にいらなかった。
「すいません、店員さん」
「あ、はい」
さゆりが応じる前に、彼が反応していた。花粉に効く薬について相談したいと言うサラリーマンを、薬剤師コーナーへと案内していった。
「大変そうだなぁ、花粉症…」
幸い国民的アレルギーに冒されていなかったさゆりは、そのつらさがわからなかった。
「たつみや」は杉に覆われた山の麓にある。もし花粉症にでもなったら、老いさらばえる前に店をたたまざるをえなくなるだろう。移転の資金なんて、あるわけがないのだから。
「なにもかも、貧乏が悪いんや」
思わず愚痴りながら、栄養剤を棚へと並べていく。
竜殺しは、竜が出現する限り社会に必要な存在である。竜に対抗できるのは、竜殺ししかいないからだ。
そのため国から、給料代わりに年金が支給されている。
しかし去年、民王党政権が誕生した時、その年金が事業仕分けのターゲットにされてしまった。
竜は八年前に水戸に顕現したのを最後に、姿を現さなくなった。
竜が出現しなくなった今、竜殺し年金が本当に必要なのか。民王党の年金担当大臣にして事業仕分け人、蓮舟方正に指摘された時、竜殺しの長老たちは明確な返答ができなかった。
竜が出現しないとは言い切れないが、竜が出現するとも言えなかった。どのようにして竜が現れるのか、それは竜殺したちも分からなかったからだ。
しかし蓮舟は、将来出現すると言うならその証拠を見せろと長老たちに迫った。もちろん、そんなことができるわけがない。
結局、議論は口達者な蓮舟大臣に押しきられるかたちとなった。竜殺し年金は大きく削減され、多くの竜殺しが導具を捨て「転職」せざるを得なくなった。
事業仕分けの結果を受けて、竜殺し年金は無駄だと言う論調が増えた。庶民に迎合するマスコミ、竜殺しを既得権益だと言うオピニオン、その空気に同調し得票をもくろむ議員も現れ、さゆりたち竜殺しの立場は、一層苦しいものになっていった。
さゆりが40歳にもなってマスモトヒデキでバイトをしているのは、こんな事情からであった。
竜殺しの名門、竜見宗家の当主であるさゆりは、他の竜殺しのように、簡単に竜殺しをやめられなかった。
21時の閉店とともに、さゆりは非正規労働者の立場から解放された。
店長からの食事の誘いをにこやかに断ると、最寄りのコンビニでツナおにぎりとショート缶を買い、駅前広場に向かった。
普段人と接する機会が少ないさゆりにとって、多くの人が集まるこの駅前広場は、いわば癒やしの空間であった。
様々な人たちが、自分の将来を語り合ったり、楽しげに笑っていたり、抱えきれない悩みを相談しながら歩いていく。そんな人々の姿が、好きだった。
それは彼女の、竜殺しとしての宿命がもたらすものかもしれない。
彼らが竜殺しなどいらないと思っていたとしても、彼女は人々を憎むことなんてできないだろう。なぜなら彼らは、さゆりが護るべき人たちなのだから。
ベンチに腰かけ、頬杖をついて人々の行き来を眺めていたさゆりの耳に、キーンと不愉快なハウリング音が響いた。
「日本の社会保障費は無駄だらけ! 現役世代に全然使われてない! この真実を暴いた私は、全ての出演番組から降ろされました! いえ、降ろされたのではありません。義憤を感じ自ら降板したのです」
(そういえば、来週末は参議院選挙だったっけ)
「ばせがわのぼる」と書かれた演説台を搭載した選挙カーが、ロータリーの反対側に停まっていた。
スーツ姿の細身な男が、オーバーな身振りで演説していた。もう21時だというのに。
(選挙法違反じゃん)
20時を過ぎても自分の舌が止められなかったのだろう。自制のできない男のようだ。
「私によって不都合な話を広められる事を恐れた医療機関や竜殺し協会によって圧力がかけられたのです! みなさん、この事実をどう思いますか!?」
思い出した。この男はブログでの暴言が原因で仕事を下ろされたフリーアナウンサー、馬瀬川昇であった。
全番組降板で仕事を失った馬瀬川だが、アナウンサー時代に関わりの深かった某党から出馬の要請を受けた。その知名度を買われたと噂されているが、本当のところは分からない。
言えることは、彼の不愉快な毒舌には、まだまだ需要があるらしいということだ。
「竜殺し協会とやらにそんな政治力があったら、私もマスヒデでバイトなんてしないっつーの」
ため息をつきながら、おにぎりの包みを開けた。
そもそも竜殺し協会なんてものは、この世に存在しない。同族会はあっても、家同士のつながりはそれほど太いわけではない。なにより七家あった竜殺しの家も、今では竜見と東京の御厨しか活動していない。両家の全ての竜殺しをかき集めても、そんな秘密結社が組織できるほどの人数は残っていなかった。
ネットのくだらない噂通り、その竜殺し協会とやらが日本社会を闇から操り、マスコミも意のままにできるのなら、もとより竜殺しは事業仕分けのターゲットにはならなかっただろう。
「死にかけの老人! 不摂生な人工透析患者! そして穀潰しの竜殺し! 我々が納めている社会保障費のうち半分が、これらのものに使われている!」
そして、こんな妄言家のダシにされることもなかっただろう。
「どうせ竜なんて、出やしないんだ! 竜殺し年金はただちに廃止せよ!! それで食べていけないというなら殺せ!」
ハウリングと共に馬瀬川の声が爆ぜる。選挙カーを見上げる人々も、彼の発した不穏当な言葉にただただ唖然としていた。
だが空気が読めない馬瀬川は、その沈黙を傾聴と勘違いしたのだろう。言葉はどんどん過激になり、ついには障害者や老人に対する暴言をまき散らし続けた。
さすがに聞き捨てならない。竜殺しの事を悪く言うのは構わない。だが、障害者や老人を殺せとは何事だ。誰だって好きで障害を負うわけではない。好きで老いるわけではない。
一言言ってやろうと、ベンチから立ち上がった、その時だった。
選挙カーの真後ろに、虹色の渦が生じた。
(まさか)
渦の中から、蛇にも似た蒼灰色の首が伸び、鋭いかぎ爪を備えた腕が現れた。
一瞬、何が起きたのか、さゆり以外誰にも分からなかっただろう。静まりかえった広場に、聞いた者を震えさせる咆哮が轟いた。
「ど…、竜だ!」
馬瀬川の悲鳴とハウリングが、広場に響き渡った。
竜は悠然と渦から這い出ると、大きく右腕を振り上げた。そしてかぎ爪が振り下ろされると、一瞬で選挙カーはバラバラに引き裂かれた。
演説台が砕け、聴衆の頭上にふりかかる。
人の二倍程の大きさだろうか。背中に翼も生えていない。まだ子どもの蒼灰竜。
だが、その力はこの広場にいる人間を鏖にするに十分だった。
「だ、誰か!助けて!」
車の屋根から転げ落ちた馬瀬川の絶叫がこだまする。運よく、爪の直撃は免れたようだ。
甲高い咆哮と共に、街灯が引き倒された。駅前広場の一部が闇に包まれ、重く鈍い金属音が鳴り響いた。人々の悲鳴は一層強さを増した。
「マジか。今日はどうなってるだ!」
食べかけのおにぎりを口に押し込み、飲み終えたショート缶をくずかごに放り投げた。そしてポケットからシャンパンゴールドのシュシュを取り出し、髪を結わいた。
そして。蒼灰竜を睨みながら人々が集う広場へと駆け出した。