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散歩

作者: 天寧乂翼

 ふと、気づけば体が動いていた。

 アスファルトを軽く踏みしめ、緩慢に前に進んでいる。

 手すりが右横を流れていき、すすきが手を振り返してくる。さらさらと川のせせらぎ、遠くで車が咳き込む。

 何もすることがないと私はよく川にやってくる。何のために?とは聞いてはいけない。何もすることがないから川に行くのだ。理由は求めてはいけない。

 本能のようなもの、そういった方がふさわしいだろう。

 川はいい。

 幾分原型を留めている自然であり、養殖物とは異なった本物の匂いがする。

 街路樹は自然ではないと私は思っている。あれは大人数アイドルグループの不人気メンバーのようなものだ。ちょっとステージに添えとけば華やかになるかな、といった風情である。そんな物に価値はない。

 川ははだしで駆けずり回る子供だ。あちこちをコンクリと恣意に囲まれようが、ここは俺の縄張りだと憚ってならない。そして他者が勝手に立ち入る事を許す懐の広さも持っている。

 なるほど、とひとりごちる。

 私は自己の確かな存在を求めているのだろう。一人暮らしに身で関わりがあるのはスマートフォンの向こう側と大学とバイト先程度。それも時は慌ただしく走り去っていって、我々は一日を忙しく過ごす。

 そうして疲れ切った頭は働かず、与えられた情報をただただ受け取って流し去る。

 何も生み出さず、消費していくだけの時間など無意味以外の何者でもない。

 だから、私は川に逃げてきたのだろう。

 言葉は要らない。そこにあるだけの自然は全てに無関心かつ、すべてを肯定する。

 ただただ、自己承認を求めて奔走する毎日と金のために生きる毎日。

 無為は自然の前では存在を失う。圧倒的な存在感の前に、自らが抱えた複雑は霞と消えるのだ。

 そしてついに現れるのは確固たる自己。無垢なる自己。それは、思考を始め、創造を繰り広げていくのだ。

 自然の中で私は私を肯定する。なんと安らぐことか。

 夕陽がオレンジ色のゆらめきを水面に添える。川底の凹凸が水流をかき混ぜ、映像のような動きを演出する。

 鳥が舞い、飛沫が踊り、輪郭を広げてトワイライトを横切る。

 風がリズムを与え、草木が思い思いに躍動する。

 私は今ここに存在している。電子のしがらみ囚われた有機物としてではなく、確実な生命としてここに立っている。

 素晴らしいことではないか。

 生きているとは他に代えがたい何よりもの賛美だ。

 今や私は古代の英雄のような誇らしげな顔で歩きだすのであった。

 

 

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