朝子の白いブランコ
「わーい、シロの服に穴が空いてるぞーっ。」
信吾は、またいつものように、みんなといっしょに朝子をいじめています。朝子は席に座って、表情も変えずに机を見ています。男の子たちが朝子をからかっても、ほかの子たちは、おもしろそうに見ていたり、見て見ぬふりをしたりしていました。朝子は何も言わずに、次の授業の教科書を静かに出すのでした。これがいつもの教室の風景でした。
朝子は、いつも白い服を着ていました。だから、男の子たちは、朝子のことを「シロ」と呼び捨てにしていました。朝子はおとなしい子で、うつむきがちな黒い瞳に、優しい、長いまつげが影を落としていました。朝子は、教室ではいつも一人ぼっちでした。だれも、朝子に優しく話しかける子はいませんでした。
朝子には、学校の帰りに、たった一つの楽しみがありました。朝子の住んでいる家の近くに、小さな公園がありました。そこには錆びたブランコが一つと、砂場があるだけでした。だから、たまに小さな子を連れたお母さんが通りかかって少し遊んでいくほかは、あまり人は訪れませんでした。朝子は学校が終わると、この公園に来て、その錆びたブランコに乗ってギーコギーコとこぐのが何よりの楽しみだったのです。そして、日が暮れるまでこぎつづけるのでした。
きょうも、朝子はいつものように、この公園にやってきました。ふと朝子の耳に、いつものブランコの油のきれたようなギーコギーコという音ではなく、キーコキーコという軽やかなブランコの音が聞こえてきました。
「あら、きょうは誰かブランコに乗っているわ」
朝子は不思議に思い、そっと木陰からのぞいてみました。するとどうでしょう。そこには、錆びた汚いブランコではなく、白く輝く、とてもきれいなブランコが一台置いてあるのです。それが不思議なことに、誰も乗っていないのに、小さく小さく揺れているのです。朝子はびっくりして、近寄ると、その白いブランコにそっと触れました。そのとき、ブランコはいっそうきらきらと輝いたように見えました。
「ちょっと乗せてね」
朝子は、静かに揺れているブランコに乗ってみました。すると、ブランコは、朝子がこがないのに、少しずつ、だんだん大きく揺れ始めました。
キーコキーコ…
それでも朝子は、しっかりと鎖をつかみ、降りようとはしませんでした。
「何て楽しいの。わたし、きょうもみんなにいじめられたわ。誰もわたしと話してくれる人はいないの。でも、ブランコさん、あなたに乗ったら、なんだかうれしくなってきちゃった。ブランコさん、もっと、もっと揺れてね」
キーコキーコ…
朝子は、誰もいない公園で、いつまでもいつまでも白いブランコに揺られていました。
次の日、町に変なうわさが流れました。公園に、白くてとてもきれいなブランコがいつのまにか置いてあって、人が集まるようになったのですが、誰が乗ってもキィとも揺れないというのです。それに、きのうの夕方、白い服を着た女の子が、その白いブランコに揺られて笑っていたのを見た人がいるというのです。町の人たちは怖がって、誰もその公園に近づかなくなりました。
朝子は学校が終わると、いつものように公園に向かいました。朝子は、早くあの白いブランコに乗りたくてたまりませんでした。朝子が急ぎ足で歩いていると、急に後ろから誰かに押されて、朝子は道の横の泥の中に転んでしまいました。朝子の白い服は、真っ黒に汚れてしまい、白い顔も手も足も泥だらけになってしまいました。ゆっくりと起き上がった朝子の耳に、いつも朝子をからかっては喜んでいる信吾たちの声が聞こえました。
「おまえ、あの公園に行くんだろう」
「全然動かないっていうのに、おまえが乗ると動くんだろう。もし動いたら、おまえは魔女だ」
「そうだそうだ、魔女だ、魔女だ」
朝子はだまってうつむいていましたが、急に思いっきり駆け出しました。信吾たちは喜んではやしたて、朝子のあとを追っかけました。
夕暮れ時でした。白いもやがかかっていました。男の子たちは朝子を追い越すと、先に公園に着き、白いブランコに飛び乗りました。そして力まかせにブランコを揺すろうとしましたが、どうやってもブランコは、がんとして動きませんでした。
「何だ、こいつ、こうしてやる!」
男の子たちは、とうとうブランコを蹴飛ばしたり、棒でたたいたりし始めました。白いブランコは、泥んこのくつに蹴られて、みるまに汚れていきました。
「あ、ブランコさん!」
朝子が追いついて、ブランコに駆け寄って抱きしめました。
「やめて!」
すると、ブランコは待っていたかのように、キィ、キィと小さく揺れ始めました。それを見た男の子たちは、思わず飛びのきました。朝子は、ブランコにそっと乗りました。ブランコも朝子も、泥だらけでした。
「おまえも、わたしと同じのけ者なのね」
朝子は、ブランコにそう話しかけ、優しくクサリをなでました。ブランコは、うれしそうに、だんだん大きく揺れ始めました。男の子たちは、信じられないものを見るように、どんどんと大きく揺れていくブランコと朝子を見つめていました。そして、今まで見たこともない笑顔で幸せそうにほほ笑む朝子の顔を見て、男の子たちは思いました。朝子って、とってもかわいい女の子なのだということを。
「ブランコさん、わたしを待っていてくれたのね」
白いもやが、朝子とブランコを包みました。すると、汚れていたはずの朝子の服も、ブランコも、輝くような白さになりました。そして、朝子とブランコは、大きく揺れながらしだいに姿が白くぼやけていき、少しずつ消えていくように見えました。
キーコキーコ…
信吾は、朝子の幸せそうな二つの目に涙が光っているのを見たような気がしました。
するとそのとき、大きな、何かがぶつかるような鈍い音がしました。見ると、信吾がブランコの下にうつ伏せに倒れていました。信吾は、消えていきそうな朝子をつかまえようとして飛び出し、ブランコにぶつかって倒れてしまったのでした。朝子はそのとき、こんな声を聞いたように思いました。
「行くな!」
朝子は、そのとき自分の腕を一瞬つかまれて、どきっとしました。なぜか、とてもあたたかいものを感じ、消えそうになっていた朝子の体は、急に姿がはっきりと戻ったのでした。
ブランコは朝子を乗せながら大きく揺れて、倒れている信吾の方へ後ろから降りていきました。それを見ていた男の子たちは、ぶつかると思ってあっと叫びました。ところが、ブランコは急に揺れがゆっくりになり、倒れている信吾の前で静かに止まりました。
「いてー」
信吾は痛そうに、照れ笑いをしながら起き上がりました。朝子はブランコから飛び降りると、信吾を不思議そうに見つめました。朝子の腕には、一瞬つかまれたときのあたたかい痛みがまだ残っていました。信吾はしばらく恥ずかしそうに手や体の泥を払っていましたが、やっと朝子の方を向くといいました。
「朝子ちゃん、行かないでよ。俺が先生に指されて答えられなかったとき、ノートに答を書いて隠しながら俺に見せてくれたよね。それに、俺が筆箱を忘れたとき、俺が見ていないときに机の上に鉛筆と消しゴムをそっと置いてくれた。それなのに、俺は朝子ちゃんをいじめてばかりで…。ごめんな。でも、もういじめないよ」
ほかの男の子たちは、その女の子に「朝子」というかわいらしい名前があることを思い出しました。そして二人のそばに駈け寄りました。
「俺たちも、もういじめないよ」
「今までごめん」
男の子たちは、朝子ちゃんを囲んで、照れながら口々に謝りました。朝子ちゃんは、男の子たちの目の中に、今までとは違う光があるのを見ました。そして恥ずかしそうに、うなづきながら下を向いていました。
そのとき、その様子を見ていた同じ教室の女の子たちが泣きながら駆け寄ってきました。女の子たちも、朝子ちゃんをからかおうとして、そっとあとをつけてきていたのでした。
「朝子ちゃん、ごめんね。今まで知らんぷりして」
「これからはわたしたちと一緒に遊ぼう」
朝子ちゃんはびっくりしてみんなを見ていました。そしてにこっと笑うと、小さな声で言いました。
「みんな、ありがとう」
とってもうれしそうな笑顔でした。するとそのとき、白いブランコは小さくぶるるっと揺れ、朝子ちゃんにさようならを言うかのように鎖をちゃりんちゃりんと鳴らしたかと思うと、つぎの瞬間には、ギーコギーコと油の切れた音のする、元の錆びたブランコに変わっていました。
それからは、その小さな公園ではときどき、朝子ちゃんとその友だちが、仲良くブランコに乗って遊んでいる光景が見られるようになりました。朝子ちゃんは、とっても、とっても楽しそうでした。






