六話 覚悟なき者
それから二時間ほど歩くと遠くの方に建物が見えてくる。辺りはすでに橙色に染まっていた。建物に近づくと周りを二メートルほどの木の柵で囲まれた小さな村が現れる。
「ここが私のよく訪れる村、トトマ村だ。」
「へぇ〜立派な柵ですね。」
丈夫そうな木の原木が何本も束ねられて作られたその柵に触れながらコウタはそう呟く。
「夜になると魔物が活発化するからな、これでもまだ少し不安だがな。」
「⋯⋯⋯⋯へぇ⋯⋯。」
自身に不都合な事実を聞かなかったことにして、村の中を進んでいくと、目当てである宿屋へとたどり着く。
「ここが私がよく泊まる宿屋だ。」
「なかなか良さそうなところですね。」
そこはごく普通の民宿といった印象だったが掃除が綺麗に行き届いていてとても清潔感のある宿屋であった。
「ん⋯⋯そういえば貴様、金は持っているのか?」
ふと思い出したかのようにアデルは尋ねる。
「⋯⋯⋯⋯貸してください⋯⋯。」
異世界の通貨など当然持っているはずもなく、コウタは消え入るような声でそう頭を下げる。
「はぁ、持ってないのだな。」
「助けてもらった恩もあるから貸してやるが、ちゃんと返すのだぞ。」
ため息をつき、呆れながらも、アデルはそれを了承する。
(良かった。第一異世界人がいい人で。)
コウタは人間の温もりに感謝をしながら、ほっと安堵のため息を吐き出す。
ドアを開けて二人が中に入ると、部屋中からムワッと酒の匂いが押し寄せてくる。
「うっ⋯⋯。」
元の世界でも中々経験することのなかった強烈な酒臭に、コウタは思わず呻き声を上げる。
周囲をグルリと見渡すと、そこでは村人達が酒盛りをしている最中であった。
「一階は村の酒場も兼ねているのだ。」
そう言いながらアデルは全く気にする様子もなくスタスタと受付の方まで歩いて行く。
「すまない、部屋は空いているだろうか?」
「あ、いらっしゃいませ〜⋯⋯ってアデルさんじゃないですか!どうしたんですかそのカッコ!?」
受付らしき場所まで歩くと中学生くらいの黒髪の女の子が元気よく対応する。
「ああ、これは気にするな、治療は自分でやってある。ところで部屋は空いているか?」
顔見知り故にそのリアクションの大きさに慣れているのか、アデルは受付の少女の言葉を受け流しながら、再び本題の質問を投げかける。
「ああ!空き部屋ですね。ええ〜っと。」
そう言いながら受付の少女はデスクに置いてある本をペラペラとめくりながら目を通し始める。
「今日は三部屋空きがありますよ。」
「そうか、では二部屋貸してくれ。」
「へっ?二部屋?⋯⋯あ!どうも。」
アデルの発言を聞くと、少女はようやく彼女の背後に立つコウタの存在に気が付く。
「えっとこの方は?」
「旅の者らしいが文無しだから面倒を見てやっている。」
「くっ⋯⋯!」
文無しという言葉がコウタの心にグサッと突き刺さる。
「そうですか、初めまして旅人さん、この宿のお手伝いをしているマリーです。よろしくお願いします。」
「キド・コウタです。よろしくお願いします。」
愛想のいい少女の言葉にコウタは気を取り直してあいさつを返す。
「それで⋯⋯その⋯⋯。」
「どうした?」
マリーはモジモジと頬を赤らめる。
「二部屋で⋯⋯いいんですか?」
「「⋯⋯?」」
少女の発言を聞いて二人は頭にハテナマークが浮かべながら首をかしげる。
「三部屋もいらんだろう。」
アデルは何を言っているんだ?と言わんばかりにそう答える。
「そ、そうですよね!!ではご案内致します!!」
マリー・ノーマン、少々夢見がちな普通の女の子である。
「⋯⋯うわぁ、こうなってたか。」
部屋につくと真っ先に小さな鏡が目に入り、それを手にとって自らの顔を覗き込むと、コウタの表情は苦々しいものに変化する。
想像していたよりも一回り若々しい顔立ち、そして転生前には無かった黒髪に角の様にかかる白い二つのメッシュにコウタは思わず頬を引攣らせる。
「それにしても⋯⋯。」
自身のルックスをある程度確認すると、鏡を手放して妙に柔らかいベッドに腰掛ける。
(今日はいいとして、明日からどうする?一番の問題は金銭、どこか働き口を見つけなきゃな⋯⋯。)
そこまで考えたところでコンコンと部屋のドアがノックされる。
「コウタ、いるか?夕食の時間だそうだ。」
「はい、今行きます。」
(少し聞いてみるか。)
二人は再び一階に戻りテーブルの椅子に腰掛けるとアデルが真っ先に会話を切り出す。
「さて、落ち着いたところで貴様にはいくつか問いたいことがある。」
「はい。」
お金を借りている立場上、素直に答えるしか道がないコウタは、視線をゆっくりと外しながらそう返す。
「まず一つ目は戦闘中貴様は私の剣を使っていたな、あれは何のスキルだ?」
「それは⋯⋯。」
コウタは、神様に言われた事を思い出し、あまり重要ではないと判断し正直に話す。
「——オリジナルスキルだと!?」
一通り説明を聞き終えると、アデルはバンッと机を叩きながら目を大きく見開いてそう問い返す。
「わっ。」
周りの視線が少女に突き刺さる。
「ゴホンっ失礼。」
それに気付いたアデルは小さく咳払いした後、再び静かに席につく。
「まさか、珍しいスキルだとは思ったがここまで規格外だとはな⋯⋯。」
(あれ?)
驚愕し、なんとも言えない表情で考え込み始める彼女の反応を見て、判断を誤ったかと考える。
「オリジナルスキルと言ったら世界にも数えるくらいしかない貴重なスキルだぞ。」
「えっと⋯言っちゃまずかったですかね。」
「まあ軽々しく言うものではないな。」
(いきなり判断を誤った!!)
疑惑が確信へと変わった瞬間、コウタは心の中で思い切り頭を抱えて沈み込む。
「何より伝授などで他人に引き継がせることのできないのが貴重たらしめる理由だな。」
「でっ、ですが僕のスキルは大して強くありませんし⋯⋯。」
あまりに仰々しい説明を聞いて、コウタは慌ててそう取り繕う。
「そんな事あるか!使い方によっては国宝級の魔剣や伝説の勇者の剣を際限なく振り回せるのだぞ!そこらのオリジナルスキルよりよっぽどタチが悪いぞ!下手を打てば⋯⋯⋯⋯国すら落とせる。」
アデルはそんなコウタの甘い考えに対して真剣な表情で食い気味に反論する。
「⋯⋯⋯⋯。」
無表情のコウタの顔からダラダラと嫌な汗が流れる。
「結局押し付けられたのか⋯⋯。」
神を名乗る女性に嵌められたと理解すると、両肘を机につけながら頭を支え、深くうなだれる。
「ん?何を言っている?」
「いえ、こちらの話です。」
そして、コウタはこの場にいない自称神様を心の中で全力で呪った。
「ならもう一つ質問していいか?」
「何でしょう?」
その問いかけに、コウタは力なさげに答える。
「貴様は⋯⋯どこから来た何者なのだ?」
「⋯⋯っ!⋯⋯。」
一番聞かれたくない質問が飛び出す。完全に油断したタイミングで来られたせいで動揺が思い切り顔に出る。
「見たことのない服装、旅にしては身軽すぎる装備、何よりその歳で完全に戦闘慣れしているその動き。」
「それは⋯⋯。」
コウタは答えに詰まり、何も言えないままに黙り込んでします。
「⋯⋯まぁ言いたくないのなら仕方ない。聞かないでおくよ。」
その様子を察してアデルは自身の質問を取り消す。
「ありがとうございます⋯⋯あと。」
「ん?なんだ?」
「僕は十七歳ですからね。」
コウタは不満げに訂正を入れる。
「は?」
「十七歳です。」
短く返される言葉に対して、コウタは念の為もう一度そう答える。
「うっ、嘘だ!!」
アデルは立ち上がってコウタを指差し、今日一番の動揺を見せる。
「本当ですよ。ほら。」
そう言うとコウタは呆れたような態度で自らのステータスを見せる。
「ほ、本当だ。ま、まさか私と同い年だったとは、し、失礼した。⋯⋯と言うかレベル1!?どうなっているんだ貴様は!?」
あらゆる意味で異常なステータスを見せられ、アデルは完全に混乱する。
アデルはコウタの両肩を掴みグラグラと頭を揺らしてそう怒鳴りつける。
「そ、そんな、こと、いわれて、もぉ!?」
コウタは首を縦に振って必死に答えようとする。
「アデルさん、コウタさん、ごはんですよ〜。」
するとそれに割って入るように、横から黒髪の少女が二人に声をかける。
「あ、ああ、マリーか、ありがとう。」
「グワングワンする⋯⋯。」
そう言うとアデルはようやく落ち着いて食事の乗ったお盆を受け取る。
「⋯⋯これは?」
コウタは揺れる視界の中で皿に乗った一つのパンを見て、そう尋ねる。
「固パンだ。この店で一番安いメニューだ。安くて、何よりお腹いっぱいになれるからな。私はいつもこれを頼む。」
「もう!アデルさんもたまには他のメニューも頼んで下さいよ。」
お手伝いの女の子は諦めの混じった声でそう言う。
「年頃の女の子の食事が固いパン一個って⋯⋯。」
コウタは同情と疑問を含んだ視線でアデルを微妙な表情で見つめる。
「何だその可哀想なものを見る目は!!安いに越したことはないだろ!!どうせ女としてどうなんだとか思ってるんだろ!!」
「そんなことありませんよ。」
怒鳴りつけるアデルに、コウタはそれまでと一転して菩薩のような笑顔で答える。
「だったらその穏やかな顔をやめろ!!」
アデルは、はぁはぁと息を切らしながら少しだけ涙目になる。
「とにかく食べるぞ。」
そしてこれ以上話しても自身に不利な情報が漏れるだけと判断すると、そのまま強引に話を切ってパンを頬張る。
「⋯⋯あの、僕からも一つ質問していいですか?」
パンを手にして、口をつけようとした時、ピタリと手を止めてアデルの方を向き、コウタはそう言う。
「何だ?」
アデルは固いパンを頬張りながら問いかける。
「⋯⋯⋯⋯アデルさんはどうしてあんな場所にいたのですか?」
コウタは自らが答えられなかった質問をアデルに向ける。するとアデルは無表情のまま視線を下に向け、一瞬遅れてゆっくりと口を開く。
「⋯⋯復讐だよ。」
「復讐?」
重苦しい表情で発せられるその物騒な言葉を聞いて、コウタはつい顔をしかめる。
「まあ失敗したがな。」
「⋯⋯えっと、誰に対してですか?」
力無い笑みを浮かべるアデルに対して、コウタはさらに深く追求する。
「⋯⋯魔王軍。」
「⋯⋯っ。」
コウタはその言葉を聞いて神を自称するあの女性との会話を思い出す。
「⋯⋯⋯⋯私は三年前に滅んだキャロル王国の騎士見習いだった。」
コウタは知らない単語が出て来たので黙って聞く体制に入ると、そのまま沈黙を維持した少女の目をじっと見つめる。
「キャロル王国は魔王軍の侵攻によってほとんどの国民がその命を落とした。」
「あの時の私はまだ戦線で戦える力などなかった。私は周りの大人たちに言われるがままに逃げる事しかできなかった。」
そうやって話を続ける少女の拳は少しずつ固く握り締められていった。
「あれから三年間かけて私は強くなった。そして私は城を取り返すため一人王城に向かった。」
「だがその道中、魔王軍の幹部と交戦し、力及ばず敗走、結果はこの通りだ。」
「私は⋯⋯奪われたものを取り返す力もなかった。」
アデルは自らを嘲笑するように言葉を紡ぐ。
「だが私は諦めた訳ではない。いつか必ずあの忌々しい魔族から城を取り返し、この手で魔王を殺してやる。」
殺意のこもった顔で少女はその拳を胸の前に掲げ一度軽く開くと再び強く握りしめた。
軽々しい気持ちで尋ねたコウタは何も言うことはできなかった。ただその様子を黙って見ていることしかできなかった。
食事を終え再び部屋に戻ると部屋のベッドに飛び込むように寝転がる。そして、うつ伏せで窓の方に顔を向けると小く呟く。
「殺す、か⋯⋯。」
(強い感情だった。それも、本物の。)
彼女の話を聞いて、異世界という非現実が一気に現実であると切り替えされられたような気がした。
(そうか⋯⋯これも、この世界も、立派な現実なんだ。)
自由という言葉に惑わされ、ハイになっていたテンションがようやく落ち着きを取り戻す。
体を仰向けに返し明かりすら付いていない何もない天井に向かって手を伸ばす。
「僕は、この世界で何をしたいのだろう。」
返答などあるはずのない呟きが部屋の隅に消える。程なくしてコウタは意識を闇へ落とした。