五十八話 揺らぎ
ベリーの街を出て数時間後、コウタ達の乗った馬車は夕暮れの道を順調に進んでいた。
そんな馬車の中ではセリアとマリーが将棋のような台を挟んで向かい合っていた。
「王手⋯⋯でございますわ。」
セリアは真剣な表情で盤面の駒を玉の前へと動かす。
「うぐぅ⋯⋯⋯⋯。負けた⋯⋯。」
マリーは呻き声をあげながら頭を抱える。
「これで五勝目ですわ。」
セリアは得意げに胸を張る。
「もうちょっと手加減して下さいよ!」
マリーが涙目でそう訴えるとセリアはゾクゾクと震えて頬を紅潮させながら反論する。
「だって、負けて悔しがるマリーさんもなかなか可愛いんですもの。」
「ひっ、⋯⋯。」
それを見てマリーは背筋に妙な悪寒を感じ取りピクンと震える。
「セリアさん、マリーさんが震えてますよ。」
コウタは本を読みながらセリアを諌める。
「では、コウタさんも参加しませんこと?」
「遠慮しておきます。」
コウタは気分が乗らないのか、興味無さげに即答する。
「——空が暗くなってきた。今日はこの辺で泊まるぞ。」
アデルが御者台から三人に声をかける。
「「「はーい。」」」
三人はそれぞれ間延びした返事をアデルに返す。
馬車を止めると、四人それぞれが各々別々の行動を取り始める。
料理担当は満場一致で決まったマリー、テントの設置やその他の力仕事はアデルとコウタの二人が担当し、意外にも一人では殆ど何も出来ないに等しいセリアは特にやることもなく馬車を引いてきた二頭の馬と戯れていた。
「みなさん、夕食が出来ましたよ。」
しばらくするとマリーはそう言ってコウタ、アデル、セリアの三人を呼び出す。
「ああ、今行く。」
「⋯⋯⋯⋯よしっ。出来ましたよ。」
テントを張り終えたアデルとコウタはマリーの呼びかけに反応する。
「ふふっ⋯⋯美味しいでございますか〜?」
セリアは馬に餌を与えながらクスクスと笑う。
「セリアさん、ご飯ですって。」
「あら、分かりましたわ。」
三人が食卓に着くとマリーが人数分の皿を出す。
「お待たせしました。ロックバードのチキンソテーです。」
「まぁ!美味しそうですわ!」
米や野菜とともに盛り付けられた鳥肉を見てセリアは思わず感嘆の声を上げる。
「今回は洗い物が少なくなるようにワンプレートにしました。味付けはトマトソースを使ってます。」
マリーは軽く料理の説明をする。
「いただきます。」
コウタはそんなことを気にせず、そう言うとすぐさま食事にありつく。
数分後食事を終えた一同はゆっくりとお茶を飲みながら一息ついていた。
「ふぅ、御馳走様でしたわ。」
「お口に合いましたか?」
「ええ、とても美味しかったでございますわ。」
三人より少しだけ遅く完食したセリアは満足そうにマリーにそう答える。
「それは良かったです。」
それを聞いてマリーは食器を洗いながら微笑む。
「さて、今日はもう寝るか。」
アデルは辺り一帯がすっかり暗くなったのを見て三人にそう言って準備をする。
「⋯⋯⋯⋯。」
空が暗くなり、周りが寝静まった頃、コウタは馬車の上に腰掛けながら夜空を見上げていた。
「⋯⋯星が⋯⋯綺麗だな⋯⋯。」
初めて見る大量の星達、草原を吹き抜ける冷たい風、それらは新鮮な気持ちとともにどこか懐かしさを与えてくれた。
(またどこかで⋯⋯⋯⋯か。)
コウタは連続殺人の話、そしてベーツの街で出会った少女の事を思い出していた。
(次に会った時、僕は彼女に勝てるだろうか⋯⋯。)
「——タ⋯⋯コウタ!」
コウタがそうやって考え込んでいると、横からアデルの声が聞こえてきた。
「⋯⋯っ、はい。」
意識の外から投げかけられる声に驚きながらコウタは返事を返す。
「そろそろ見張りを代わろうか?」
「いえ、今日は僕が見張りをやりますよ。アデルさんはゆっくり休んでいて大丈夫ですよ。」
眠そうな目をこすりながら問いかけるアデルにコウタはそう言ってニッコリと笑いかける。
「⋯⋯そうか。」
そう答えるとアデルはその場に座り込み馬車の車輪にもたれかかる。
それを見てコウタは馬車の上に寝転がると、アデルが唐突に話を切り出す。
「⋯⋯なあコウタ。」
アデルは重々しい声で目の前の少年に言葉を投げかける。
「なんでしょう?」
コウタは仰向けで空を仰いだまま問い返す。
「⋯⋯貴様、連続殺人事件の事に関して、何か知ってるな?」
アデルも同じように視線をコウタに移す事なく真顔で尋ねる。
「⋯⋯⋯⋯はい。」
コウタは大きく目を見開き、少し間を開けてからため息をついて弱々しく答える。
「今日のギルマスとの会話から⋯⋯いや、それ以前から貴様の事件に対する反応⋯⋯一体何を知っている?何を知ったんだ?」
「⋯⋯⋯⋯それは——」
コウタは仰向けの状態から起き上がりしっかりとアデルの方を向くと、少女の実力、ただならぬ雰囲気、言動、自らの考えたこと、思ったことを、全てをアデルに話した。
「——そんな事が⋯⋯。」
アデルはそれを聞いて驚愕の声を上げる。
「すいません。本当ならすぐにでも言うべきだったんですけど⋯⋯⋯⋯。一人でなんとかしようと思ってました。」
コウタは俯きながら答える。
「⋯⋯⋯⋯。」
「⋯⋯貴様はその女に勝てると思ったのか?」
しばらくした後アデルはゆっくりと口を開く。
「正直、厳しいと思います。」
コウタは隠すことなく正直に答える。
「ではなぜ一人で抱え込もうとした?」
「⋯⋯⋯⋯。」
コウタはその質問に口をつぐむ。
「私では貴様の隣に立つことは出来ないのか?」
「⋯⋯⋯⋯。」
やはりコウタは俯きながら黙り込む。
「私は守られるだけなのか?」
「⋯⋯⋯⋯。」
「答えてくれコウタ⋯⋯。」
アデルは悔しそうに歯噛みし、下を向く。
「⋯⋯⋯⋯すいませんでした。」
コウタには謝ることしかできなかった。
仲間と言いながら、頼る事をしなかった自分を。背中を守ると言いながら、守られるのを心のどこかで拒んでいた自分を。否応にも気付かされる。
何よりも目の前で悔しそうに歯を食いしばる少女を自らで傷つけてしまった事実が、コウタに深い後悔の念を植え付ける。
(守るという大義に縋っているだけだ。)
コウタの脳内には狂ったようにこちらをあざ笑う男の顔が思い浮かんだ。
(これじゃ⋯⋯あいつの言った通りじゃないか。)
「僕は——」
「——なんてな。冗談だよ。」
アデルはコウタの言葉を遮るようにそう言って立ち上がる。
「⋯⋯⋯⋯アデルさん。」
「すまない、少し疲れているみたいだ。やはり見張り、頼んでいいか?」
アデルはそう言ってコウタに笑いかける。
「⋯⋯はい。」
コウタは面食らいながらアデルの問いに答える。
「じゃあ、頼む。」
アデルはそう言ってテントの中に入ると、横になるのではなくその場に座り込み両足を抱えて顔を埋める。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。」
アデルは、彼にとって自分が守るべき対象である事に言い表せぬ悔しさを覚えた。
幹部達と戦った時に感じたものとは違う絶望感。口で言われるよりもストレートに伝わる自らの弱さに、胸が苦しくなるのを感じた。
(⋯⋯それではダメだ。)
両足を抱える手を強くし、頭を上げる。
(強くなろう。前を行くあいつに、置いていかれないように。)
そんな不安と屈辱感を振り払うようにアデルは強く覚悟を決める。
その一方で馬車の上に座るコウタは自らの覚悟に揺らぎが生じている事を自覚していた。
(守るという大義に縋っているだけだ。)
(私は守られるだけなのか?)
突き刺すような二つの言葉がコウタの脳内に強く重くハウリングする。
「⋯⋯⋯⋯。」
今まで対等な仲間などいなかったコウタには、もっと強くなればいいのか、足並みを揃えればいいのか、そんなことすら分からなかった。
「⋯⋯⋯⋯僕は、どうすればいいんだろう⋯⋯。」
答えなど返ってくるはずもない問いを吐き出すと、コウタは小さくため息をつき、満天の星空を見上げた。