二十五話 魔王軍幹部
コウタがベーツの街を出たのとほぼ同時刻。
街から少し離れたトトマの村では魔王軍の侵攻によって、すでに火の海と化しており、壊滅といってもよい状態であった。
「——はっ、はっ、はっ⋯⋯。」
(誰か、誰か助けて!)
そんな中で、宿屋の少女マリーは魔王軍の兵隊と思われる黒い骸骨たちから追われ炎の中を駆け抜けていた。
「こっちだよ!マリー!!」
「来なさい!!」
疲労と焦りで脚がもつれふらりと倒れ込みそうになると、直後にその身体を彼女の両親が受け止め、手を取って走り出す。
「お父さん!!お母さん!!」
「おおおおぉぉ!」
マリーが二人を呼ぶと、彼女をを追っていた骸骨に向かって父親がカナヅチのようなものを投げつける。
直撃を受けた骸骨が一瞬だけ動きを止めると、その隙に三人は再び走り去る。
(どうなってるのこの状況⋯⋯。)
マリーは手を引かれながら周囲を見渡すと、見知った人間が次々に殺されて行くのが見えた。
姉と慕っていた女性、幼い頃よく遊んでもらった人、よく酒場に来ていた男性。彼らが血飛沫をあげながら倒れて行く様をマリーは見ていることしかできなかった。
「だれか助けてくれぇぶっ⋯⋯。」
「いやだいやだいや、がふっ⋯⋯。」
どれほど願っても、どれほど泣き叫ぼうとも、大好きだった人たちは、残酷にも彼女の目の前で物言わぬ肉片へと姿を変えていく。
「い、や⋯⋯いや⋯⋯いや⋯⋯。」
そんな地獄の中をマリーは走り抜けることしかできなかった。
首を左右に大きく振りながら考えることを止めるように思考を切り替える。
「こっちだ!!」
それでも追ってくる骸骨を振り切るために三人は狭い路地に入り、その中を進んでいく。
「っ!!横!!」
母親がそう叫ぶと今度は横から斧を持った骸骨がマリーに向かって襲いかかる。
「いやっ!!」
「止めろ!!」
振り下ろされた戦斧を、とっさに飛び出してきた父親がギリギリで受け止める。
「お父さん!」
「い、行けぇ!!」
斧を少しずつ押し込まれながらも、父親はガラガラになった声で叫ぶように二人に言い放つ。
「行くわよマリー!」
「嫌だ、いやだよ!お父さん!」
母親が何かを察したように目を見開くと、下唇を噛みながら、首を左右に振って再びマリーの手を引く。
「グハッ⋯⋯。」
路地を出ると、先ほどまでいた場所から残酷な断末魔が響き渡る。
「⋯⋯っ!!」
マリーは下唇を強く噛み涙をこらえながらそれでも走り続ける。
二人が村を出ると、門から少し離れた場所に伸長二メートル程の影が立っているのが見えた。
紫がかった白い肌に服の外からでも分かる巨大な筋肉、そしてその巨体に相応しい大剣を携えたその男は、二人の姿を捉えると、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「⋯⋯っ、こっちよ、マリー!!」
「⋯⋯あっ。」
その存在をいち早く見つけた母親は、マリーの手を引いたまま街のある方向へと走る。
「ちっ、まだ生き残りがいたか⋯⋯。」
それに気がついた大男はゆっくりと歩いてその二人を追いかける。
「あっ⋯⋯。」
そんな男に気を取られてしまった母親は、地面に転がる石につまづき倒れ込んでしまう。
倒れ込んだ母は、足を捻ってしまったのか、すぐには立ち上がれず、膝をついたまま動けずにいた。
「お母さ——」
「——行きなさい早く!!あなただけでも!!」
マリーは咄嗟に手を伸ばすが、母親はすぐにその手を振り払って彼女を突き放す。
「いやだよ!一人はいやだ!一緒に逃げよう!?」
「行きなさいっ!!」
「⋯⋯⋯⋯っ!!」
強く怒鳴りつけられ、マリーは涙を流しながら再び走り始める。
「うっ⋯⋯。」
今度は後ろから血管の弾ける水っぽい音とともに母親の呻き声が聞こえた。
(いやだ、いやだよぉ、誰か助けてっ、誰かっ!)
目の前で殺されていく友や知り合いが眼球にこびりつき、両親の断末魔が耳から離れ無くなってしまった彼女の精神は、すでに崩壊する寸前であった。
「あうっ⋯⋯。」
そして長らく走り続けた影響で、マリーの足も限界を迎え、膝から崩れ落ちて地面に倒れ伏す。
「⋯⋯だ、れ⋯⋯か。」
ボロボロになりながら地面を這うように進むが、当然すぐに追いつかれ、彼女の目の前に男の影が入り込む。
「ちっ面倒かけさせやがって、カスのくせによぉ。」
「まぁいい、ここで終わりだ。」
大男は面倒そうにそう呟くと、冷たい表情で手に持った大剣を振り上げる。
(たすけて、だれか。)
マリーの顔は涙でぐちゃぐちゃになり、疲労で視界が歪み、思考が真っ白になる。
「⋯⋯⋯⋯けて、」
「死ねぇ!人間!」
その叫びと共に、大男は手に持った巨大な剣を容赦なく振り下ろす。
どうしようもない絶望の中で、彼女はほんの少しだけの生への執着を振り絞り、最後の最後で一縷の光に縋って全身に力を込める。
「——助けて!!コウタさん!!」
その瞬間、マリーは脳裏に浮かんだとある男の名を叫ぶ。
「⋯⋯ッ!!」
次の瞬間、彼女の耳に強烈な爆音が響き渡る。
「ぶふっ⋯⋯⋯⋯。」
大男の頬に小さな拳が突き刺さる。
「おおおおおおおおぉぉぉぉっらぁ!!」
宙を舞いながら拳を突き出す少年は、そんな叫びとともに拳をさらに押し出すと、その勢いで男は五メートルほど後方に吹き飛ぶ。
「ガッ⋯⋯⋯⋯。」
同時に彼女の横にひらりと小さな影が着地する。
「こう⋯⋯た⋯⋯さ、ん?」
マリーはぼやけた思考でそう呟くと、涙で視界がぼやけながらも、はっきりとその顔を見つめる。
「ええ、そうですよ。待たせちゃってすいません。」
コウタはマリーを軽く抱え上げ、優しい声色でそう答える。
「コウタさん⋯⋯。私、わたしぃ⋯⋯。」
涙を流しながら、必死で何かを伝えようとするが、思ったように言葉が出ず、言葉を詰まらせてしまう。
「ええ、分かってます。あとは任せて下さい。⋯⋯⋯⋯すぐに終わらせますから。」
そう言って立ち上がると、コウタは怒りに満ちた形相で吹き飛ばした男を睨み付ける。
一瞬遅れて、男はガハッと起き上がり、驚愕した表情で口を開く。
「テメェ⋯⋯なにもんだ?」
「キド・コウタ。通りすがりの冒険者です。」
「今からあなたをぶっ飛ばします。」
そんな問いかけに対して、コウタは殺意を剥き出しにしたままそう言い放つ。
「ハッ、ぶっ殺してやるよ。クソガキ!!」
「こっちのセリフだ、木偶の坊。あなたは絶対に許さない。」
男は青筋を立ててそう言うと、コウタはいつも通りの丁寧な口調ながらも、止まらずに毒を吐き出す。
「そんなに死にたきゃ死ね。」
大男はニヤリと笑うと、自らの周囲に黒い骸骨の兵を召喚して突撃させる。
「甘い。」
「⋯⋯っ!?」
対するコウタは自らの周囲に大量の剣を召喚し、骸骨の群れに向かって射出する。
数多の剣に貫かれた骸骨達はボロボロと音を立てながら力無く崩れ落ち、霧散する。
「んだぁ!?どうなってんだよ!?」
「⋯⋯⋯⋯。」
男が目を見開きながら叫ぶと、コウタは黙り込んだままジッとザビロスの顔を睨みつける。
「⋯⋯とことんイラッとくる野郎だな。」
「加速。」
大男が大剣を構える前にコウタは右手に龍殺しの剣を召喚し、大男に向かって突撃する。
「⋯⋯ちっ、くそがっ!!」
男は咄嗟に大振りの剣を構えてコウタの攻撃を受けようとするが、お互いの剣がぶつかり合う前にコウタの剣は虹色の光を放ちながら霧散する。
同時に小さな身体をさらに屈めて大剣の下をすり抜けると、そのまま大男の懐へ入り込む。
(何だ、コイツ!?)
「⋯⋯加速。」
「がぁ⋯⋯!?」
ガラ空きになった男の顎をスキルで威力を上乗せした掌底で突き上げると、男の身体は少しだけ仰け反り、後退りをする。
「⋯⋯っ、加速!」
再び剣を召喚し、今度はガラ空きになった胴体に再び〝加速〟でスピードが上乗せされた斬撃を浴びせる。
「⋯⋯ちっ。」
「ぐっ、⋯⋯。」
しかしながら、
「くそっ。やっぱりか⋯⋯。」
コウタは男の顎を突き上げた手を、ヒラヒラと揺らしながら、小さくそう呟く。
(全然、ダメージが入ってない⋯⋯。)
そして男の腹部には薄皮一枚が切れた程度の小さな傷のみが残っていた。
それどころか、直前に打撃を加えた自身の腕の方が痛みを発していることから、敵の耐久力の凄まじさをまざまざと思い知らされ、自身と相手の実力差を前に、小さな焦燥感を覚える。
「——ああ、ダメだ。テメェはダメだ。全力で殺してやる。」
そんなコウタとは対照的に、男は顔を弾き上げられたままの形で空を見上げながら、そう言って、血走った目で再びコウタを睨み付ける。
「⋯⋯っ!?」
強烈な殺気に戦慄していると、男は自らの右手を翼を広げるように持ち上げる。
「叩き潰せ⋯⋯⋯⋯⋯⋯ディザスター。」
「⋯⋯ッ!!」
そんな小さな呟きと共に右腕を薙ぎ払うと、その手の動きに合わせてコウタの左半身に強烈な衝撃波が広がる。
「⋯⋯ぐっ!?」
あり得ない方向に左腕が曲がり、ベキベキと腕、足、肋骨と、身体のあらゆる骨が砕けるような音とともにコウタの身体は吹き飛ばされる。
「⋯⋯⋯⋯がっ、はぁ!」
弾き飛ばされたコウタはボールのように身体を何度も地面にバウンドさせながら、近くにあった大きな岩に衝突する。
「コウタさん!!」
あまりにも強烈なその攻撃を見て、マリーは叫ぶような声でその名を呼ぶ。
「⋯⋯な⋯⋯に、が⋯⋯。」
衝突のダメージで視界が大きく歪み、遅れて身体の左側に強烈な熱を持った激痛が迸る。
「災厄の右手、この手は触れたもの全てを破壊する。俺様のオリジナルスキルだ。」
「テメェなんざ、直接触れなくてもブチ殺せんだよ。」
直後、男の背後に炎のように揺らめく巨大な右手のようなものが浮かび上がった。
(早い、全く目で追えなかった。)
コウタは頭から血を流しながらフラフラと立ち上がるが、左腕があらぬ方向へと折れ曲がり、ダランと力無く落ちる。
「⋯⋯ちっ。」
(今ので、折れた⋯⋯それに。)
(スピードもパワーも守備力も、コイツは全てにおいて僕より上だ。)
「終わりにしようか、冒険者ぁ!」
あまりの実力差に絶望しかけていると、男は構わずとどめを刺そうと右手を構える。
(だったら一か八か、アレで⋯⋯。)
「⋯⋯やってやる⋯⋯。」
その瞬間、コウタは激痛の走る肉体に鞭を打って大きく息を吐き出す。
そして覚悟を決めるように前を向き、マジックバックから一つのハニードロップを取り出して口にする。
そんなコウタが醸し出す謎の圧力に、男も一瞬だけ動きを止める。
(何か⋯⋯来る!?)
「——そこまでです。」
二人が構えた瞬間、突如、どこからともなく低い男の声が響き渡る。
「⋯⋯⋯⋯チッ、邪魔すんじゃねぇグリシャ。」
男が機嫌が悪そうに呟くと、その隣の何もない空間から影が浮かび上がる。
「ですが、ギルドの連中がもう、そこまで来ています。」
「早えな。随分と。」
「あなたがモタモタし過ぎなだけですよ。」
現れたそれは、鳥のような頭部に、腕はなく、大量の触手のようなものが生えた異常とも言える容姿であった。
「チッ、じゃあ帰るか⋯⋯。」
男はめんどくさそうにそう呟くと、踵を返し、小唄に背を向けてその場から立ち去ろうとする。
「ちょっと待——」
「——テメェのソレ、オリジナルスキルだろ。」
「⋯⋯っ。」
男はコウタの言葉を遮断するように食い気味にそう言い放つ。
「今回は仕切り直しだ。お前は後でしっかり殺してやるよ。」
「オレは魔王軍十人の幹部の一人、ザビロスだ。覚えとけ。」
「⋯⋯魔王軍、幹部⋯⋯⋯⋯。」
お互いの力の差を嫌というほどに思い知らされたコウタには、大した驚きは無かった。
けれど、その肩書に恥じない強さを前に、妙に納得してしまっていた。
「次に会った時がテメェの最後だ。」
最後にそう言うと、二人の影は何もない空間へと包まれて姿を消した。
「⋯⋯っ。」
平原に一人取り残されたコウタは、強く拳を握り締めて、弱々しく叩きつける。
「⋯⋯⋯⋯っちくしょう⋯⋯。」
少年の消え入りそうな小さな呟きだけが草原の空に響き渡る。
敵はほぼ無傷で逃走、こちらはたった一撃で満身創痍、そして、守れたのは小さな少女一人。
その日、キドコウタはたった一人の魔族を前に、言い訳のしようがない程の大敗を喫した。