二百五話 それでも君に
闇を纏いし少年はゆっくりと剣を構えると、目の前の敵を真っ直ぐに睨み付ける。
「⋯⋯加速!!」
そして刹那、彼の姿はリーズルの視界から消える。
(速——)
「「⋯⋯ッ!!」」
喉元に迫る刃に対して、ギリギリのところで反応したリーズルは、自身の鉤爪でそれを弾き返す。
「⋯⋯ちぃ。」
「ブラッディ・シルフィ」
弾かれたコウタは間髪入れずに茨の塊を撃ち放つ。
「⋯⋯なんっ⋯⋯!?」
「⋯⋯っ、ドラゴンクロー!!」
視界いっぱいに広がる殺意の塊に思わず動きを止めてしまうが、リーズルは咄嗟に真っ赤な光の筋を放つことで相殺する。
「加速!」
舞い上がる爆煙を通り抜けて死角へと移動すると、一気に距離を詰めて蹴りを放つ。
「⋯⋯がはっ!」
「⋯⋯っ!!」
吹き飛ばされたリーズルに向かって、コウタはさらに距離を詰める。
「⋯⋯ドラゴン——」
反撃をしようと鉤爪を付ける左手に力を込めるが、接近するコウタは既に目の前で剣を振りかぶっていた。
「⋯⋯⋯⋯遅い。」
「——っ、フォース!!」
想像以上の速度を前に、技の発動が間に合わないと悟ったリーズルは、即座に衝撃波を放つことで反撃する。
「⋯⋯くっ、そが!!」
全身から溢れ出す力の本流によって吹き飛ばされると、コウタは荒々しい口調で言葉を吐き捨てる。
「おおおおぉぉぉぉ!!」
「⋯⋯ッ!」
一瞬遅れて食らいついてくるリーズルの攻撃を受け止めると、ギリギリと空中で鍔迫り合いのようになる。
「⋯⋯負けて、たまるかよ、呪剣だろうが、霊槍だろうが、オレは!」
「アンタを倒す!!」
肩で息をしながらそう叫ぶリーズルの鉤爪が真っ赤な光を放つ。
「⋯⋯っ!?」
(まさかこの距離で!?)
それに気が付いた時には、既に手遅れであった。
「ドラゴンクロー!!」
「こっ、の!!」
溢れ出す光に対して、強引に剣を払うと、砕かれた光のかけらが雨のように降り注ぐ。
「⋯⋯っ!!」
それらを紙一重で回避したコウタの背後では、光のかけらが岩壁や草木に直撃して爆発音と共にパラパラとその破片が渓谷の下へと落ちていく。
「はっ、はっ、はっ⋯⋯やっぱ固えな。」
「⋯⋯ちっ。」
(くそっ、気持ち、悪い⋯⋯。思考が、反応が、遅れる。)
歯軋りをしながら悔しがるリーズルの姿を見て、コウタもまた苛立ちを露わにしながら舌打ちをする。
呪剣の力を得たコウタの戦闘能力は確かに向上した。
しかしながら、同時にその副作用によって精神が汚染され、まともに戦略を組み立てるほどの思考力も残されていなかった。
結果として力任せの戦い方しか出来ず、決定打を与えられなかった。
「負けて、たまるか!」
苛立ちと共に押し寄せる不快感にコウタの動きが止まると、それを見逃すことなくリーズルは飛び出す。
「⋯⋯⋯⋯ッ!!」
「アストラル・ソーン」
リーズルの進行に合わせて岩壁に剣を突き刺すと、壁の至るところから茨が溢れ出すように生えていき、目の前の敵を狙い撃つように無数の巨大な棘が飛び出す。
「⋯⋯くっ、そが⋯⋯⋯⋯。」
無数に飛び出す二メートル程の棘達のうちの一つに足を貫かれたリーズルは、空中で体制を崩して投げ出される。
「⋯⋯加速!」
それでも強引に姿勢を直し、次の攻撃に備えようとすると、少年は既に次の攻撃を放つための準備をしていた。
「クリムゾン・ロータス」
呪剣から飛び出すように生まれ出る真っ赤な茨が剣を持つ右手に絡みつき、肉や骨に食い込みながら徐々に徐々にその質量を広げていく。
(ここで、新技の連発かよ!)
何重にも重ねられて巨大な拳のようなものを形作ると、コウタは力任せにそれを突き出す。
「⋯⋯っ、ドラゴンクロー!」
「「⋯⋯⋯⋯ッ!!」」
咄嗟にリーズルが両腕で光の筋を撃ち放つと、強烈な衝撃波と共に砕け散って弾けた真っ赤な茨が周囲に飛散する。
「⋯⋯⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯ちくしょう。」
「⋯⋯っ!?」
衝撃に吹き飛ばされながら、体制を立て直すリーズルを見て、コウタはその粘り強さに思わず心が折れかける。
「⋯⋯⋯⋯ああ、くそっ、これでも届かないか。」
(⋯⋯なら、もっと、もっと、強くっ⋯⋯!!)
そんな事を考えながら剣を握る手に力を込めていくと、先ほどまでは肉体の右半分程度を侵食していた闇の力がその範囲を拡大させていく。
左目の眼球も同じ様に黒に染まっていき、角のように生えた白い髪も右側だけで無く反対側にまでその変化を伝えていく。
「——バカコウタ!!」
その瞬間、コウタの耳に聞き覚えのある声が響き渡る。
「「⋯⋯っ!?」」
一瞬遅れて、戦場に立つ二人は声のする方へと振り返る。
「⋯⋯エ、イル⋯⋯さん?」
いるはずのない場所に、いるはずのない少女の姿があったことで、捨てかけていたコウタの思考は現在の状況についていくことができなかった。
「⋯⋯無茶するなって言ったでしょ!」
歯を食いしばりながら、荒々しく叫ぶ彼女の姿は王女と呼ぶにはあまりにも泥臭く、ボロボロになっていた。
「負けてんじゃねえ!苦しそうな顔するな!これ以上!⋯⋯これ以上!」
「⋯⋯あの子達をっ、心配させるな!」
今にも泣き出しそうな声でそう叫ぶエイルの姿を見ているうちに、先程までコウタを飲み込もうとしていた力は徐々に収まっていく。
「⋯⋯はっ、ははっ。」
そしてコウタの心の奥からは思わずそんな笑いがこみ上げてくる。
「⋯⋯よく言うよ、自分だって心配そうな顔してる癖に。」
驚くほど天邪鬼で、呆れるほど面倒見の良い彼女のことを笑いながらも、コウタの心の中には一つの覚悟にも似た感情が湧き上がる。
あの子の言葉と、心配して駆けつけて来てくれた行動に報いたい。
「⋯⋯っ!」
だからこそ、コウタは右手に携えた剣に込めた力をゆっくりと抜いていき、何も無い空中へと放り投げる。
「⋯⋯ごめんなさい、リーズル。」
虹色の光を発して消滅していく剣を眺めながら、コウタは悟ったような穏やかな表情で小さくそう呟く。
「⋯⋯なっ!?」
(呪剣を、捨てやがった。)
少しずつ消えていく悪意と殺意を前に、リーズルは思わず言葉を失う。
「⋯⋯どういうつもりだ?」
「⋯⋯これ以上、あんな顔させたくないんで。」
そう答えるコウタの表情は、どこか挑戦的で、達観したようないつもの彼の表情であった。
「⋯⋯次で決着にしましょう。」
虹色の光を引き連れながらスキルを使用して大きく後方に飛ぶと、身軽なまま近くの岩場に着地する。
(下がった、なんでだ?)
その行動の意図が読めず、リーズルの動きが止まる。
「⋯⋯召喚。」
彼の周囲を漂う虹色の光は、宙に構える掌に集約されていく。
「⋯⋯行くぞ、グレイテスアンカー。」
そして現れた巨大な剣に手を掛けると、その瞬間、先程とは質の違う、純粋で重々しいなにかがリーズルを襲う。
「⋯⋯っ、すげえな。」
(さっきまでの食い殺されるような力の奔流は消えた。重苦しい圧力も感じられない。なのに、俺はこいつに⋯⋯。)
そんな姿を前に、リーズルは恐怖にも似た感情を植え付けられる。
「やっぱすげえよ。アンタ。」
「コレで最後、なら、オレも全身全霊で、アンタを倒す。」
そんな覚悟を決めてリーズルが開いた手を横薙ぎに振るうと、先程までとは違う純白の光が溢れ出す。
「⋯⋯こいつが、オレの最大火力だ!」
白い光はリーズルの構えと同時に小さく収束していき、まるで鉤爪を覆い尽くすように押し固められる。
「⋯⋯ッ!」
「⋯⋯加速、加速!!」
刹那、二つの影は高速で接近して刃を突き立てる。
(読み合いで勝てないのは分かってる。オレがどう回避したところで、コイツはきっと当ててくる。だから——)
(——真正面から、打ち砕く!!)
(⋯⋯っ、貫け!)
一瞬にも満たない僅かな時間の中で、二人の思考はよりクリアに、まっさらに洗練されていく。
「⋯⋯ストライク・ハート!!」
「龍炎の鉤爪!!」
「「⋯⋯⋯⋯ッ!!」」
二つの影が交わった瞬間、渓谷に流れる水が蒸発する程の熱と衝撃波が周囲に広がっていく。