百八十六話 溢れる
屋敷の敷地内で、紫色の光が広がっていく中、リンブを連れて逃げた二人は目的地である街の門までたどり着いていた。
「よし、おじさん。ここにいて!あの人は私達が止めるけど、もし駄目そうだったら馬車で逃げてね!」
ボロボロになったリンブを受付の女性に預けると、エイルはテキパキと迷うことなく指示と警告を与える。
「⋯⋯き、傷はどうする。治療をしてくれ。」
そんな彼女の話を断ち切ると、リンブは苦しそうな表情で掴みかかり、上から目線の態度で治療を懇願する。
「無理!今忙しいの。⋯⋯受付のお姉さん、道具は渡すから応急処置よろしく!」
「⋯⋯は、はい。」
それを突き離し、マジックバックの中に手を突っ込んで治療キッドを取り出すと、リンブの背後に立つ女性にそれを投げつけて走り出す。
「⋯⋯マリー!行くわよ!⋯⋯マリー?」
そして振り返って同伴していたマリーに声を掛けるが、その言葉に返事が返ってくることは無かった。
「⋯⋯マリー!どこにいるの!?」
周囲が静まり返る中、少女は繰り返し何度か声を張り上げるが、やはり彼女の声が聞こえる事はなく、彼女の考えは一つの結論に達する。
つまり先程まで共にいた少女は、自分を置いて先に戦場に戻ったのだと。
「⋯⋯⋯⋯っ、ああ!!もう!!勝手な奴しかいないわね!!」
それを理解して乱暴に髪を掻き毟ると、感情のままに言葉を吐き捨てて走り出す。
そしてその頃、屋根の上で交わされる剣戟は、さらに苛烈さを増して激化していた。
「加速!」
鎖に繋がれた深い青を纏った剣は、コウタの叫びと共に一切のブレもなく高速でルキの元へと飛翔する。
(速い、が⋯⋯⋯⋯。)
「⋯⋯まだ反応できるよ。」
その剣を、ルキは多少の驚きを見せながらも余裕を持って掴み取る。
「⋯⋯解除!⋯⋯⋯⋯加速!!」
「⋯⋯っ?」
(⋯⋯ここで近接?)
泡となって消える鎖と、急接近するコウタの姿に疑問を感じ、一瞬だけ動きを止めるが、即座に奪い取ったばかりの剣を構えて迎え撃とうとする。
「⋯⋯⋯⋯っ!」
(いや違う、これは——)
「——解除!」
ルキがコウタの意図に気付いた時には既に、手遅れであった。
二つある蒼い剣のうちの一つ、ルキが持つ方の剣がコウタの言葉と共に七色の光を放ちながら霧散する。
「⋯⋯ちぃ!」
「遅い、加速!!」
咄嗟にルキは後方に飛び退くことでコウタの攻撃を回避しようとするが、速度を増したコウタの斬撃はそれを逃すこと無く襲いかかる。
(⋯⋯足をやられたか。)
一瞬遅れてルキの服の左膝辺りの服が裂け、じんわりとそこから血が滲んでいく。
「⋯⋯っ、まだだ!!」
「ロックチェイン!!」
そこに生じた隙を突くために、コウタは更に接近しつつ新たに剣と鎖を召喚する。
「⋯⋯またかい?」
「加速!」
ルキはそれでも集中を切らす事なく、真っ直ぐにコウタを見据えるが、コウタは更に速度を上げて距離を詰める。
同時に右手に括り付けられた鎖を操り、ルキの真横から剣を突き立てる。
(⋯⋯接近と陽動、二択を迫ってきたか。)
真横と真正面、どちらかに意識を裂けばもう片方の攻撃が襲い掛かる。
「⋯⋯仕方ない、な。」
「⋯⋯⋯⋯ッ!!」
面倒な選択肢を押し付けられたルキは、何かを諦めるように深いため息を吐き出すと、右手に嵌められた手袋を外して真横から迫る攻撃を左手に持った剣で弾き上げる。
「⋯⋯⋯⋯。」
(背中が、ガラ空きだ!)
自身の目論見通りに行動し、そして隙を作ったルキに対して、コウタは無防備になった首元に剣を突き立てる。
「加速!!」
「⋯⋯⋯⋯ッ!!」
完璧なタイミングで振り下ろされる剣は、容赦無くルキの首を斬り裂く、はずであった。
が、実際はそうなる事はなく、コウタの剣は視線すら向けられずにルキの右手に完璧に受け止められる。
「⋯⋯なっ!?」
動きを一瞬で、そして完璧に受け止められたコウタは思わずそんな声を上げる。
「本気を出すよ。」
そんな少年の表情を見て、ルキは戦場には相応しく無い、恐ろしく殺気の乗らない穏やかな笑顔を浮かべる。
「⋯⋯ちっ。」
受け止められた剣にヒビが入ると、振り払うこともできないコウタは、一度その剣を消失させて距離を取る。
「⋯⋯ああ、惜しい。」
「⋯⋯ほぼ無傷、か。」
ルキがそんな言葉を吐き出しながら溜息を吐くと、コウタは苛立ち混じりにそう呟く。
「⋯⋯まあ驚きはしたよ。」
「新たな戦法、それに加えて対策の対策、君はホント、会う度に進化するね。」
「⋯⋯皮肉ですか?」
なんの捻りもなく送られる賛辞を前にコウタは苦笑いで問いを返す。
「いいや、称賛だ。現にこうやって右手まで使わされたからね。」
「⋯⋯その右手——」
「——うああああアアアアァァァァァァァァ!!」
そう言ってプラプラと振り回す右手を見て、コウタが口を開いた瞬間、彼らの耳に強烈な叫び声が響く。
「⋯⋯っ!?」
「⋯⋯ダメだね。」
咄嗟に声のする方へコウタが振り返ると、ルキは目を細めながらそう呟く。
「⋯⋯何を?」
「彼⋯⋯肉体も精神も、限界が近い。人としての形を保つのに精一杯だ。やはり彼は適合者ではないようだ。」
ルキの言う通り、今現在のヘッジの姿は、今まで出会った他の適合者と比べて魔物のような形相に変化するまでが早過ぎたのだ。
「ほら、暴走しかけてる。」
「はっ、はっ⋯⋯はぁ!!」
「ああ⋯⋯アアアア、ァァァァ!!」
そして彼の言葉通り、今呪剣を使用しているヘッジは、その剣から溢れ出す力を制御できずにいた。
「⋯⋯共鳴、ということでいいんだよな。その状態は。」
そしてそれと対峙するアデルは、複雑な笑みを浮かべながら剣を構える。
「ぐっ、がぁ、アアアア!」
「⋯⋯っ!」
その瞬間、彼女の視界から一瞬だけヘッジの姿が消える。
「速い⋯⋯!?」
「⋯⋯じゃ、ますんなァ!!」
アデルは反射で咄嗟に剣を構えると、ちょうど構えた剣とヘッジの呪剣が衝突して火花が上がる。
「ちぃ、この!!」
「爆裂斬!!」
鍔迫り合いになりながらも、そこからスキルを発動させて爆発をヘッジに叩き込む。
「ガバッ⋯⋯!?」
「⋯⋯ぐっ、こんな、ところでぇ!」
黒煙を纏いながら吹き飛ばされ、地面に倒れ込むが、それでもなおヘッジは震えた腕を地面に突きながら立ち上がる。
「⋯⋯まだ立つのか。」
「俺が!アイツを!!⋯⋯っ、づあぁ!?」
呆れ果てたように吐き捨てるアデルの言葉を無視してそう叫ぶが、その瞬間彼の体から紫色の煙が舞い上がる。
「⋯⋯何が?」
「ぐっ、がぁ、ああ、ああああああ!!」
「⋯⋯⋯⋯っ!?」
あまりに異様な光景を前に、手が出せずにいると、ヘッジの身体は徐々に紫色に変色し、次第に魔物のような様相に変化していく。
「⋯⋯うっそだろ?」
「はあ、やっぱり彼は適合者では無かったようだね。」
その光景を遠目から見ていたコウタがそんな言葉を呟くと、その横に立つルキは期待外れだと言わんばかりにそんな言葉を吐き出す。
「⋯⋯どういう事ですか?」
「そのまんまの意味だよ。虚空の呪剣、アレは他の呪剣と比べて、ていうか全ての呪剣の中でもトップクラスに使い手を選ぶヤツなんだ。」
「悪意は悪意でも、より複雑かつドス黒いのが好きなんだろうね。だからあの程度じゃ、力は貸してくれないんだ。」
そんな言葉を呟くルキの表情は落胆というよりもむしろ悲壮感のようなものが漂うものであった。
「だったら貴方が使えばどうですか?向いてると思いますよ。」
そんな男に対して、コウタは至極機嫌の悪そうな口調で皮肉を吐き捨てる。
「無理だよ、四天王様のヤツも、リューキュウで鍵として使ったヤツも、僕が最初に試運転してるけど、全部適合しなかった。」
「少し触る程度なら問題ないんだけどね。認められても無いのに力を振り回すと、ああなる。」
「⋯⋯⋯⋯。」
まるで他人事な彼の口調にコウタは黙り込みながらもじっと鋭い視線を突き刺す。
「もうああなれば呪剣に使われてるような状態だね。肉体が尽きるまで命を搾り取られる。」
(助けに行きたいけど、コイツが邪魔だ。)
会話を終えると、二人は同時に剣を構える。が、コウタの意識は既に目の前の敵には向いておらず、真下にいる味方への心配で埋め尽くされていた。
「アデルさん⋯⋯⋯⋯っ!?」
そんな考えから、改めて横目に彼女達の姿を眺めていると、その場にいる誰よりも早く、彼はとある存在に気がつく。
そして、そんなコウタの心配を受けながらも、戦場の真ん中に立つアデルは、乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。
「⋯⋯全く、冗談きついな。」
(MPは既に切れかけ、なのにここで敵の強化か。)
よく考えなくても絶体絶命、もはやこのままでは僅かに残っていた勝ち筋すらも消えかけていた。
「だが。ここで止まるわけにはいかない。」
「——バニシングメテオ。」
覚悟を決め視線を上げて剣を構えた瞬間、彼女の背後からそんな言葉が聞こえてくる。
「「「⋯⋯っ!?」」」
振り返ると同時に、空間を歪ませながら突き進む見えない力がアデルの真横を通り抜ける。
「この技⋯⋯!?」
「——よお、手伝ってやろうか?」
見覚えのある技を見てアデルが呟くと、それに重ねるように、少しだけドスの効いた少女の声が聞こえてくる。
「貴様は⋯⋯。」
「⋯⋯アマネル・カエサル?」
アデルが声の主の顔を見て息を飲むと、それと同時にコウタがその女の名を呟く。
「⋯⋯ほんっと、最悪のタイミングで来てくれたね。」
予想外の介入に、ルキもまた目を見開きながら苦笑いを浮かべる。
「⋯⋯なんだよお前ら、ずいぶん面白そうなことしてるじゃねえか。」
「私も混ぜろよ。」
荒れ果てた戦場に舞い降りた少女は、不敵な笑みを浮かべながら異形となった男を見据える。