百八十四話 歪
コウタ達が去った後のシューデの森では、ボロボロになりながらも未だに元気の有り余る盗賊達が集結していた。
「本当に行くんですか!?」
そんな中、透き通るような声でそう尋ねるのは、リーダーであるアマネルの側近、ユーリスであった。
「ああ、ここまでされたんだ。私達も状況を知る必要がある。」
「誰にやられたのか、誰に落とし前つけなきゃいけないのか、はっきりさせてやる。」
身体中に付けられた小さな傷を自身で処置しながら、片手間でそう返すと、アマネルは至って冷静に呟く。
「けど姐さん、身体の傷は⋯⋯。」
それを見たカイースが不安そうに小さな声で言葉を発する。
「関係ねぇ、私は行くぞ。」
心配する部下達の意見を振り払って淡々と準備を進め、用意された馬車に跨る。
「⋯⋯大丈夫だ。信じろ。」
そして最後に手綱を握る感覚を確かめた後、視線を前方に飛ばしたまま小さく呟く。
「「⋯⋯⋯⋯っ!」」
その瞬間、部下であるユーリス達は彼女のその言葉を受け入れ、彼女の意思を尊重するかのように表情を切り替えて黙り込む。
「お前ら、留守を任せる。」
最後にそう言って手綱を強く引くと、その動きに合わせて馬は大きく身体を反り上がらせ、直後に硬い土を蹴って進み出す。
「⋯⋯了解。」
「お気を付けて。」
残された二人の女とゴロツキ達は誰一人彼女を止める事なく、あるものは呆れたように、あるものはその背中に尊敬の念を送りながら彼女の背中を眺める。
そして場面は変わってチクパの街の領主の屋敷では、返り血に塗れた剣を携えた若い男が屋敷の人間を次々と殺戮していた。
「誰⋯⋯誰か!助けてくれ!」
それに追われるリンブは、斬り付けられた左腕を抑えながら、必死にその身体を揺らして廊下を駆けずり回っていた。
「助けは来ねえよ、お前みたいなクズの事なんてな!」
リンブを守る為に妨害に入った屋敷の人間の殆どを殺し終えたヘッジは、廊下に滴り落ちたリンブの血液を呪剣でなぞりながら彼の後をゆらゆらと追いかける。
大理石で出来た床は、ガリガリと音を立てて断ち切られ、彼が通った後には一本の溝が血の水溜りを作りながら伸びていた。
「くそっ、くそっ、なんで、こんな⋯⋯!」
恐怖と後悔、そして意味不明の状況下に置かれたことによる混乱によって頭の中が真っ白になりながら、リンブは一心不乱に逃げ惑う。
「くっ、くっ⋯⋯くくくっ⋯⋯。」
「ほらほら、もっと泣き喚けよ!」
それを見て愉悦の感情が最大にまで昂ぶったのか、彼を覆う闇の力は更に膨れ上がり、叫び声と共に剣からは闇のオーラを纏った茨が溢れ出すように顕現する。
「⋯⋯い、茨!?」
一つ一つの茨はまるで自我を持っているかのようにうねうねと蠢き、彼の身体の数倍の範囲に渡って広がる。
「はっ、いいなコレ!」
それまでリンブを殺す事だけを考えていたヘッジは、呪剣の新しい能力を目の当たりにして強い好奇心を抱き、わざとらしくそれを振り回す。
「そーだ、いい事、思い付いた!!」
そう言って剣を振り下ろすと、そこから伸びる茨の塊はリンブに向かってまっすぐに迫っていく。
「⋯⋯っ!?」
茨の塊がリンブの背中に衝突する。同時に彼の身体は大きく反り上がり、衝撃で窓ガラスを突き破って中庭にまで吹き飛ばされる。
加えて、無数に飛び出す茨の棘が彼の服を突き破って皮膚に食い込む。
「ギィアアアアアアアアァァァァ!!」
綺麗に管理された庭園の花々に真っ赤な血が飛び散ると、少し遅れてリンブの艶のない悲鳴が周囲に響き渡る。
「⋯⋯⋯⋯。」
「⋯⋯うん、キモいな。」
そう呟くヘッジの視線はひどく冷め切っていた。
「お前の苦しむ姿はずっと見たかったが、実際見てみると、醜い。」
「もういい、死ねよ。」
呪剣の魔力に飲まれ、もはやリンブを殺すことにすら興味を示さなくなったヘッジは剣を肩の高さまで掲げて小さくそう呟く。
彼の意思に従うように茨の蔦が延びると、リンブの視界いっぱいに緑色の蔦が広がる。
「——加速!!」
少年の声が響く。
「⋯⋯ッ!?」
直後、彼らの視界に数度の剣閃が迸り、茨の蔦はバラバラに断ち切られて地面に落ちる。
「⋯⋯間に合った。」
視界を覆い尽くすほどの茨が消え去り、目の前に光が広がると、そこに立ち尽くしていたのは、案の定、黒髪の小柄な冒険者であった。
「なんで、アンタが?」
「何してるんですか。ヘッジさん。」
動揺して一歩、また一歩と後ずさりするヘッジに対して、コウタは肩を揺らしながら分かりきった問いを投げかける。
「その男を殺すんだよ!」
興奮したヘッジは、コウタの登場による動揺を残しながらもがむしゃらに剣を振り回し、明確な殺意を持って茨の塊を撃ち放つ。
「⋯⋯ちっ!?」
「アンタこそなんで邪魔する!?そんなクズを守る理由がどこにある!?」
「闇市場への関与!領民への違法な搾取!搾り取るだけ搾り取って、自分だけが贅沢三昧、そんな奴生きてる意味なんか無いだろ!」
コウタが茨の塊を斬り払うと、ヘッジは強く歯を食いしばって絶叫にも近いような声で彼の背後にいる男の悪事を吐露していく。
「⋯⋯っ、ソレ、本当ですか?」
リンブが何かしらの違法な手段を取って民から富を巻き上げているのは想像出来た。が、ヘッジから放たれた言葉はそんなコウタの予想を大きく上回る程の救い難いものであった。
コウタは思わず嫌悪感を露わにした表情のまま、背後にいるリンブに顔を向けて負の感情を乗せた声色で尋ねる。
「う、嘘だ!ソイツは適当な事を言っているだけだ!」
「⋯⋯まあ、いいです。とりあえず。」
当然リンブは否定するが、今更彼を信用するほどコウタもお人好しでは無かった。
だからこそ大きなため息と同時に一度彼から視線を外した後、ゆっくりとヘッジを睨みつけ小さく口を開く。
「⋯⋯ああっ!?」
「斬空剣!」
一瞬遅れて、コウタを睨み返すヘッジの真横から、大きな風の刃が高速で駆け抜ける。
「⋯⋯っ!?」
風の刃は、リンブの剣から飛び出す茨の群れを断ち切り、周囲にその残骸が飛び散って弾ける。
視線を真横に向けると、今度は赤髪の女騎士が剣を振り上げたままの体制でヘッジを睨みつけていた。
「貴方は倒す、そのあとで、リンブさんの罪は洗いざらい話してもらう。」
彼女の存在を把握していたコウタは、ヘッジとは対照的に至って冷静な態度で言い放つ。
「くっ、余計な事すんな、ソイツの金は、全部俺のものにするんだよ!」
追い詰められたヘッジは、喚くように自身の欲望を包み隠す事なく吐き出す。
そしてそれを聞いたコウタの表情は動揺や怒りの混じった複雑なものから、哀れむような静かなものに変化していく。
「⋯⋯結局目的は金、ですか。」
民を救う為に、もしくはリンブを罰する為に剣を取ったのならば、まだ救いようがあった。
けれど、もし本当に彼が自身の欲望の為に呪剣の力を頼ったのならば、と考えるともはや失望と哀れみの感情しか出てこなかった。
だからこそコウタは、彼のその欲望が呪剣の影響である事を願う事しか出来なかった。
「そうだよ、何が悪い。」
「⋯⋯いえ、別に。ただ、下らないなぁ、と。」
包み隠す事なく開き直るヘッジを見て、再び怒りの感情が芽生えると、コウタはため息を吐き出しながら見下すような視線を飛ばす。
「馬鹿にしてんじゃねぇ!」
頭に血が上り、再び茨の攻撃を撃ち放つが、コウタは迎撃のための武器を召喚こそすれど、その場から動く事は無かった。
理由は単純であった。
動かなかったのではない。動く必要が無かったのだ。
「マリーさん。」
「ヒート・キャノン!!」
コウタは剣を構えながら呟くと、彼の背後から炎の球が飛来する。
「ぐっ⋯⋯!?」
茨の攻撃が真っ赤な炎に直撃すると、その蔦は紫色の炎を上げて燃え上がる。
「召喚、付与!」
そしてヘッジが怯んだ隙にコウタは自身とアデルに付与・力のスキルを発動させて攻撃の構えを取る。
「加速!」
茨の蔦が完全に燃え上がり、再びその全てが消え失せると、真っ赤な光を纏うコウタは一気に距離を詰めて剣を振り上げる。
「⋯⋯ぐっ、がぁ!?」
ヘッジは呪剣による強化の恩恵によって辛うじてその攻撃を受け止めるが、付与による強化と、加速による強化が上乗せされたコウタの剣はそれでは止まる事はなく、彼の身体は大きく後方に吹き飛ばされて屋敷の壁に衝突する。
「投降してください、貴方が手を下さなくても、彼は他の人間が裁きます。僕達がそうなるように訴えかけます。」
「私怨だけでこんな事をしているのなら、どうあがいても叶う事は無いので諦めて下さい。」
人数でも、そして単体の実力でもこちらが有利であるという事実を見せつけると、コウタはそこで追撃するのでは無く、武器を下ろして交渉を始める。
「ふざっ、けるな⋯⋯!!」
が、ヘッジはそんな言葉には耳を貸すことはなく苦しそうな表情でコウタを睨みつける。
(⋯⋯諦める気はない、か。)
彼の反応を見て完全に救いようの無い相手である事を確信すると、コウタは深く大きなため息を吐き出す。
「だったら、倒させてもらいます。」
「——悪いがそれはさせないよ。」
そして決着をつける為に一歩前に出た瞬間、彼の耳に男の声が響き渡る。
(この声⋯⋯!)
「⋯⋯っ!?」
脳内に忌々しい記憶が甦り、表情を歪めた瞬間、彼の目の前の地面が広範囲に渡って弾ける。
声の主が誰なのか、ある程度想像がついていたコウタは、強く歯を食いしばりながら声のする方へと振り返る。
そこには案の定、彼が想像していた通りの男が屋根の上から一行を見下ろすように立っていた。
「⋯⋯ルキッ!」
コウタは反射的に蒼剣モードを発動させると、一切のタイムラグもなく男に斬りかかる。
「この前ぶりだね。勇者。」
その剣を余裕のある態度で受け止めると、ルキはニヤリと苦々しい笑みを浮かべながら言葉を返す。
「⋯⋯何しに来た。」
「⋯⋯決まってるだろ?呪剣の監視さ。」
「相っ変わらず、面倒なタイミングで出てきますね、貴方は。」
答えの分かりきった問いかけに、想像通りの答えが返ってくると、コウタは怒りの隠しきれない表情で皮肉っぽくそう言い放つ。
「おうおう、相変わらず君は僕に当たり強いよね。」
「⋯⋯黙れ!」
それに負けじとルキが煽り返すと、コウタはその挑発に乗って左手に持った剣を手放して彼の顔面に拳を叩き込む。
「⋯⋯っ、と。痛いなぁ。」
振り下ろされる拳を真正面から受けて後方に吹き飛ばされると、一切表情を変える事なくそんな言葉を呟く。
「コウタ!」
屋根の上にまで行き、その姿を見失ったアデルは、咄嗟にコウタの無事を確認する為にその名を呼ぶ。
「アデルさん、コイツは僕が相手をします。呪剣使いを任せていいですか?」
そしてコウタもその意思を汲み取って即座に、ルキから視線を外す事なくそんな言葉を返す。
「⋯⋯分かった。」
「それはいいけど、来てるのが僕一人だけだと思ったかい?」
短い言葉のあいだに互いの意思確認をする二人のやりとりを見て、ルキは意地の悪い質問と共に笑みを浮かべる。
「⋯⋯まさか。」
「ベレッタ、よろしく。」
コウタがその事実に気がついた瞬間、ルキは視線を遠くに飛ばしながら間の抜けた声でそう呟く。
「——ネクロフレイム。」
直後に彼らの真上から青い炎の球が雨の如く降り注ぐ。
「⋯⋯っ、アデルさん!上です!」
その光景を見てコウタは咄嗟に周囲を見渡すと、少し離れた建物の屋根の上に敵をの姿を見つける。
「なっ⋯⋯!?ちぃ!」
「聖域」
コウタの声を聞いてアデルは即座に回避しようと構えるが、彼女の身体は近くにいたリンブと共に黄金色の障壁に閉じ込められる。
「⋯⋯セリア!」
「お待たせしました。」
アデルが屋敷の門の方に視線を向けると、予め万が一に備えて待機していたセリアとエイルの姿が見えた。
「⋯⋯ヒート——」
「——ダメです!避けられた時に民家を巻き込みます!」
同時にマリーがもう一人の敵に魔法を放とうとするが、セリアが咄嗟に止めに入る。
「なら私が!」
そしてその代わりにアデルが迎撃しようと駆け出すが、今度はコウタが表情を変えてそれを止めに入る。
「⋯⋯っ、アデルさん!呪剣!!」
「⋯⋯しまっ!?」
コウタの声を聞いた瞬間、アデルは自身の目の前にいる敵の存在を思い出して踵を返す。
「リィィィィィィインブ!!」
が、その一つの判断ミスは致命的な遅れとなり、リンブに襲いかかるヘッジに対して後手に回ってしまう。
「⋯⋯ひぃ!?」
リンブは自身を守るものがいなくなり、恐怖でその場にうずくまる事しか出来なかった。
「させないわよ!」
しかし彼女らとは違い、後から戦闘に介入した故に戦場がよく見えていたエイルは、アデルよりも先にリンブの目の前にたどり着くことが出来た。
「邪魔だァ!!」
「⋯⋯ちょ、うわっ!?」
が、その介入も虚しく、彼女の身体は強引に振り回された呪剣を受け止めた瞬間に大きく吹き飛ばされてしまう。
「聖域」
どうしようもなくなったセリアは再び障壁を展開すると、今度はリンブ一人を守るようにそれを組み立てる。
「⋯⋯っ、くそっ!!」
ヘッジは障壁に身体を衝突させると、苛立ちながらそれを忌々しく拳で殴りつける。
「アデルさん、戻って!」
その隙にセリアはアデルに指示を出す。
「⋯⋯わ、分かった!」
「⋯⋯っ!」
(頭を使え、セリア・ジーナス。状況は混戦、リーダーとコウタさんは自身の事で手一杯。)
指示を受けたアデルがヘッジの元にたどり着き、二人が鍔迫り合いになるのを確認すると、セリアは一度頭を落ち着かせて戦況を整理する。
(敵の数は三、一人はリンブ様を狙い、他二人は私達の妨害、勝利条件は呪剣使いの無力化及び呪剣の破壊。敗北の条件は呪剣を解放された上でそれを奪われる事。)
裏を返せば、ヘッジに呪剣を解放させなければ負けることは無い、と思考が着地する。
「⋯⋯コウタさん!そのままお任せしてよろしいですか!?」
「⋯⋯任されました。」
本来指示を出すリーダーも、そしてその代わりを務めることが多いコウタも余裕が無い今、セリアが彼女らの代わりに指揮を執って戦術を組み立てるしかなかった。
「アデルさんもそのまま呪剣使いをお願いします!」
「ああ、わかった。」
コウタに指示を出し返事を聞くと、今度は現在進行形で戦闘を繰り広げるアデルにも指示を出す。
「⋯⋯っ、お二人はリンブ様を安全なところへ。」
そして最後にマリー、エイルに視線を送ると、フラフラになりながら這いずり回るリンブを指差してそう指示を出す。
「けどそれじゃ⋯⋯。」
そうなれば新手の敵はセリア一人で戦わなくてはいけない。
それを分かっていたマリーは不安そうに口を開くが、セリアは最後までそれを言わせなかった。
「彼女は私がお相手致します。」
そんなことは最初から覚悟の上で言っていた。だからこそ、彼女は迷う事なくそう宣言する。
「⋯⋯やはりそうきたか。」
それを一部始終見ていた魔族の女は、無表情のまま小さくそう呟く。
「⋯⋯お二人とも、リンブ様を離脱させ次第、すぐに合流してアデルさんに手を貸して下さい。」
「呪剣使いさえ無力化出来れば、人数差で押し切れます。」
「⋯⋯分かりました。」
「任せなさい。」
セリアの作戦を聞き終えたマリーとエイルは、二人とも違う反応を見せながらもそれに同意して動き始める。
「さて、と。」
(全員揃って消耗しているせいで誰も切り札が使えない、か。)
コウタの剣戟乱舞、アデルのトランス・バースト、そしてセリアのホーリー・クロス・スペルは全て、発動時の消耗が大き過ぎるため、現状のMPではもう発動する事さえ出来なかった。
つまり今彼女らは、決定打を失った状況下で呪剣使い、魔王軍幹部、そして魔族を同時に退けなくてはならなかったのだ。
「さあ、お嬢さん。私がお相手しますわ。」
けれど彼女は絶望することは無かった。
「⋯⋯⋯⋯。」
不利であることは変わりない、けれど、それでもなお、金髪の聖女は不敵に笑みを浮かべて自らの敵を見据える。