十八話 管理職の本気
翌朝、カーテンが全開に開かれたコウタの部屋からドスンと小さく鈍い音が響き渡る。
「ぶへっ、⋯⋯いったぁ〜。」
そんな呻き声を上げながら目を覚ますコウタは、思い切りぶつけたばかりの頭を抑えながらずりずりと這い上がるようにベッドによじ登り二度寝に更けようと試みるが、視界いっぱいに差し込む火の光を前にそれを諦める。
「朝、か⋯⋯。」
(そういえば、何かの夢を見ていたような⋯⋯。)
直前まで見ていた夢をなんとか思い出そうと試みるが、落下の衝撃の影響なのか、その景色の断片を拾い上げるのが精一杯であった。
「うっ。」
(それよりも、空腹が。)
そんな事に思考を巡らせていると、コウタの腹の虫が元気よく鳴き声を鳴らし、空腹を主張し始める。
その直後にコウタは先日、帰ってすぐに眠ってしまったせいで夕食を食べていないことを思い出す。
「なんか食べよ。」
食欲に忠実に従いながらのっそりと起き上がると、それ以上の思考を止めて真っ直ぐに食堂へ向かった。
それから約二時間後。
食事を終えたコウタはパンパンになったお腹を抑えながら、フラフラと大通りの道を進んでいた。
「うーん。やっぱり直感で選ぶのは危険だ。うっぷ。」
コウタはその日の朝食を先日と同様、名前でそれっぽいものを注文したが、今回は失敗だと後悔した。
「まさか、フレッシュライスバーガーがあんなにボリュームがあるとは⋯⋯うぷっ。」
口を抑え、朝食時に繰り広げられた死闘を振り返りながらギルドのドアを開ける。
「あ、コウタさん、おはようございます。今日は依頼受けにきたんですか?」
すると昼前だからか、依頼を受ける冒険者もおらず退屈そうにしている受付の女性がコウタに声をかける。
「はい。簡単な採取以来でもと思って。」
コウタは自らの所持金と身体の疲労に相談し、今日は簡単な仕事を受けると決めていた。
「ギルマスとやりあったばかりですもんね。今日は無理せず休んでも良いのでは?」
受付の女性は、両肘をテーブルに付け頬杖をつきながら、心配と同情の混じった調子で休暇を勧める。
「そうは言っても街に居てもやることがないので⋯⋯。」
「——おいコウタ!!」
そんな内容のほとんどない会話を交わしていると、ふと奥の方から声が聞こえて来る。
見ると、ロッカールームの方からアデルがツカツカとこちらに向かって来る。その服は、いつもとは違い年相応の少女の格好であり、美しい赤髪はしっとりと湿っていた。
大方シャワーを浴びたばかりなのだろう、などと思考を巡らせていると、アデルは真っ直ぐにこちらへと向かってきて、目の前で立ち止まる。
「コウタ!貴様ギルマスと戦ったというのは本当か!?」
そしてアデルはコウタの両肩に強く掴み掛かると、落ち着きのない様子で尋ねてくる。
「ええ、昨日ここの地下で戦闘訓練はしましたけど。」
そんな彼女の姿につられてコウタは慌てた様子でそう返す。
「⋯⋯っ、すまない、やはり私のせいで⋯⋯。」
「気にしないでください。勝負には勝ちましたし、何より、そこそこ楽しかったですから。」
アデルは伏目がちに謝ると、コウタはヒラヒラと手を振って笑顔でそう答える。
「そうか、すまない⋯⋯。」
ヘラヘラとお気楽とも言えるその態度は、彼女に気を使わせない為のものだった。
アデルにもその意図は伝わり、さらに罪悪感が生まれてしまう。
その様子を見てコウタは小さく微笑み、仕方ない人だなとため息をつきながら話題を変える。
「どうせいつかバレる事ですよ、それよりアデルさん、今日はクエストはお休みですか?」
「あ、ああ、今日は消耗品の買い替えをな。」
「たまにはちゃんと休んだ方が良いですよ?張り詰め過ぎは体に良くないですから。」
「そうです。見てるこっちが心配になりますよ。」
コウタが優しくそう言うとそれまで空気を読んで黙り込んでいた受付の女性が強い口調でそう続く。
「うっ、すまん⋯⋯。」
きっとそれだけ彼女のことを心配しているのだろう、などと考えていると、アデルは叱られた子供のように縮こまっていく。
「「分かればよしです。」」
そんな姿を見て腕を組む女性に倣い、胸を張りながら両腕を組むと、二人は同時にそう返す。
「コウタさん!」
すると今度は先程と別の方向から再び彼の名を呼ぶ声が聞こえる。
「⋯⋯ん?」
腕を組んだまま、声のする方へ首を動かすと、そこにはロズリが窓口の奥からこちらへ向かってくる姿が見えた。
「どうかしましたか?ロズリさん。」
コウタは首を傾げながら組んだ腕を外し、そんな問いを投げかける。
「ええ、先日の件で、コレを。」
そう告げるとロズリは上着のポケットから一枚の手紙を取り出しコウタに手渡す。
「僕にですか?」
「ギルマスからの手紙です。——コウタさん、この度はウチのギルマスがご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございませでした。」
コウタが不思議そうな表情でそれを受け取ると、ロズリは深々と頭を下げて仰々しく謝罪の言葉を送る。
「は、はあ。大丈夫ですよ。」
言葉の端々に感じるエティスへの毒を感じ取りながら、コウタは苦々しい表情でそう答える。
「本人には私からきつく言っておきますので⋯⋯。」
「だっ、大丈夫ですよ。そんなに気にしてないので。」
本人ではない人間に平謝りされると何故か謝られた方が罪悪感を感じてしまう。
「そうですか、ありがとうございます。それでは私は仕事がありますので、」
「ああ、はい。頑張ってください。」
そしてロズリは用が終わると、スタスタとしっかりとした足取りで建物の奥へ消えていく。
「ロズリさんってギルマスに対して当たりがきついですよね。」
本人がいなくなるのを確認すると、受付の女性にそう話を振る。
「まぁ、あの二人、昔は同じパーティーで一緒に戦ったりしてたらしいですからね。」
「そんなことが⋯⋯。」
「初耳だなそれは。」
青い春の予感を感じ取った二人が食い付くと、受付の女性はニヤリと笑いながら口に手を添えて、小声でこう続ける。
「なんでも、ロズリさんのマナリターンは若い頃無茶ばっかりしてたギルマスのために覚えたって噂ですよ。」
「「へぇ〜⋯⋯。」」
二人はそれを聞いてニヤニヤと笑みを浮かべながらロズリが消えていったドアを眺める。
「「——くしゅん!!」」
同じ頃、執務室ではロズリとエティスの二人が同時にくしゃみをする。
「そう言えばコウタ、手紙にはなんと書いてあるのだ?」
「ああ、じゃあ読んで見ましょう。」
アデルに促されてコウタが手紙を開くと、他の二人は身を乗り出してそれを覗き込む。
〝コウタ君へ
昨日の件はいきなりすまなかったね。
あれからロズリくんにこっぴどく叱られてね。勘弁してほしいよ。
それと、報酬の事だけど君の口座に振り込んでおいたよ。僕のポケットマネーだから、そこまでたくさんは出せないけど許してほしい。
PS.
君のオリジナルスキルのことだけど今度はもっと詳しく教えて欲しいな。〟
「オリジナルス!?⋯⋯もがっ!?」
「「ちょ、静かに!?」」
二人は叫びそうになる受付の女性の口を慌てて抑え、シィー、と静かにするようジェスチャーをとる。
「もがっ⋯⋯もがっ。」
受付の女性が息を詰まらせて悶えながらコクコクと頷くと、二人は固まった表情のまま手を離す。
「はあ⋯⋯結局バレましたね。」
そして深くため息を吐きながら、コウタは肩を落として落胆する。
「えっと、すいません、勝手に覗き込むこんじゃって。」
女性は申し訳なさそうにそう呟く。
「いえ、悪いのは全部ギルマスなんで、あと、出来ればこのことは内緒にしてもらうと嬉しいです。」
「はい!それは約束します!」
受付の女性は胸を張りそう答える。過ぎたことはもうどうしようもないが、正直コウタには少しばかり信用が出来なかった。
「それより報酬というのはどのくらい入っているのだ?」
彼女の言葉を聞いてどうしようも無いと諦めたアデルは、改めて受付の女性にそんな問いを投げかける。
「ああ、今調べますね。⋯⋯⋯⋯っと、出ましたこのくらいですね。」
「⋯⋯⋯⋯。」
受付の女性から渡された一枚の紙切れを受け取ると、コウタはそれを見てピシィとその動きを止める。
「ど、どうだった?」
その様子を見て、アデルの好奇心が刺激されると、恐る恐るその紙を覗き込む。
「んなっ⋯⋯!?」
そしてその紙を見たアデルもコウタと同様にその動きを止める。
「預金額が、⋯⋯⋯⋯三倍になってます。」
「す、凄いな、ワイバーンとか倒してたのが馬鹿らしくなってくるぞ。」
しかも、エティス曰く、これが彼のポケットマネーということだ。
「ギルマスって意外と貰えるんですね。」
「まぁ、管理職ですから⋯⋯。」
コウタが引き攣った表情で受付の女性にそう尋ねると、女性は困ったような笑みを浮かべてそう答える。
(将来、ギルマスになろうかな⋯⋯。)
割と本気でそんなことを考えるコウタであった。
そうしてコウタたちがふざけあってる頃、どこかも分からぬ寂れ果てた暗い城の中では、二メートルはあるかという大男が灯りもつかぬ玉座の間の中心にあるそれに、鎮座していた。
「⋯⋯⋯⋯ボス。」
「なんだ。」
そんな声が響き渡ると同時に、何もない暗い空間から突如奇怪な影が現れる。
人外じみたその影はスタスタと数歩ほど歩み始め、玉座に座る男に話しかけ始める。
「先日、山から追い出したワイバーンがやられたようです。」
「そうか、意外と早かったな。」
すると男は興味なさげにため息を吐き出すと、大した抑揚もない声で答える。
「ええ、倒したのはオリジナルスキルを所持した少年のようです。」
「⋯⋯っ!⋯⋯そうか、ならばこちらもうかうかしてられんな⋯⋯。」
が、直後に提供された情報を聞いて、男は自然と口角を吊り上げる。
「面白い。では準備を進めろ。——」
男が立ち上がり、そう言うと、その影は頷くように頭を動かし、再び闇へ消えてゆく。
「——戦争の、始まりだ。」
男の狂った様な笑みとその呟きだけが、暗い闇の中で小さくこだまする。