百四十四話 国宝の間
同時刻、コウタに置いてけぼりを食らったマリーは、慌てた様子で他の二人の元へと向かっていた。
「——コウタさんが一人で⋯⋯?」
報告を受けたセリアは、普段は見せないような真剣な表情でマリーにそう問い返す。
「はい、取り敢えず報告を、と思って⋯⋯。」
肩を揺らし、呼吸が途切れ途切れになりながら、マリーは必死にセリアに訴えかける。
「またあの人は勝手に⋯⋯。」
そのマリーの姿を見てコウタの暴走だと察すると、セリアは頭を抱えながら深いため息をつく。
「ど、どうしましょう?」
「⋯⋯⋯⋯。」
マリーが改めてそう問いかけると、セリアは視線を真正面に向けてしばらく考え込む。
「セリアさん?」
「取り敢えず今は彼に任せましょう。」
もう一度マリーが顔を覗き込むと、セリアは頭の中で出した結論を述べる。
「⋯⋯良いんですか?」
てっきり援軍に行くと思っていたマリーは不思議そうに首を傾げる。
「魔法職とはいえ、我々は武器も防具もありません。その状態で行ってもかえって足手纏いになりかねませんし、それに⋯⋯。」
セリアはその結論に至った理由をある程度述べると、視線をマリーから外して真横にいる真っ赤なドレスを纏った少女に向ける。
「う、うう〜ん⋯⋯。」
その視線の先には、いつもの張り詰めたように真面目な彼女らのリーダーがあられもない姿を晒して机に突っ伏していた。
「リーダーがこの有様では私も動くに動けませんわ。」
セリアはそれを見てなんとも言えない表情で再びため息をつく。
「⋯⋯何があったんですか?」
「迂闊でしたわ。私が飲んでいたワインをジュースと勘違いしてしまって⋯⋯まさかこんなにお酒に弱いとは⋯⋯。」
マリーがそう問いかけると、セリアは自らの行動を反省しながら頭を抑えてそう返事をする。
「がっつり酔っちゃってますね⋯⋯。」
顔を上げたアデルを見ると、その顔はドレスや髪の色に負けないくらい真っ赤に染まっていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯し。」
するとそれまでだんまりだったアデルがその沈黙を破り、口を開く。
「⋯⋯はい?」
「⋯⋯酔ってないし。」
マリーが聞き直すと、アデルは唇を尖らせながら自信満々にそう答える。
「私の何処が酔ってるのよ?そもそもお酒なんて飲んで無いんだから酔う訳無いじゃん。」
口ではそう言っているが、顔は赤くなっているし、酒を飲んだことにすら気づいていないし、何より口調が完全にただの女の子に戻ってしまっていた。
「え、ええ〜⋯⋯?」
どれを取っても完全に酔っているにもかかわらず、それでも不機嫌そうに否定するアデルの姿に、マリーも思わず戸惑いの声を上げる。
「ねぇねぇ、セリアぁ〜⋯⋯私さっきのアレもっと飲みたい。あのジュース。持ってきてよ。」
アデルはそんなマリーの戸惑いなどそっちのけでセリアの顔を見つめると、普段なら絶対に聞くことのない甘ったるい声でそう言いよる。
「ダメです。そもそも貴女は飲んで良い年ではありませんから。」
自らの手違いで飲ませてしまったとはいえ本来なら十七歳のアデルは飲んではいけないものである為、セリアは大人として厳しい態度でアデルにそう返す。
「うう⋯⋯ケチ。」
アデルはそれを聞くと今度は頬を膨らませてそう呟く。
「ケチで構いませんわ。ダメなものはダメです。」
「ならいいわ、自分で持ってくる。」
セリアがさらに強く突き放すと、アデルはくるりと踵を返して歩み出していく。
「あっ、ちょっと⋯⋯!」
「何よ?私はもっとアレ飲みた⋯⋯い、のぉ?」
慌ててマリーが引き止めると、アデルは振り返って二人を強く睨みつけるが、全てを言い終える前にその場に崩れ落ちてしまう。
「おっと⋯⋯はぁ⋯⋯。」
咄嗟にセリアが回り込み、崩れるアデルを抱き止めると、アデルの意識は既に夢の世界へと向かっていた。
「⋯⋯眠っちゃいましたね。」
普段ほとんどしないメイクや紅潮した頬によって妙に艶かしく見えるその寝顔を眺めながらマリーはそう呟く。
「そういう訳で、私はここから動けませんし、丸腰の貴女一人では戦力はさして変わりませんし、ここは彼に任せましょう。」
セリアは苦笑いでそう言うと、マリーを諌めながらそんな提案をする。
「うーん⋯⋯大丈夫かなぁ⋯⋯?」
頭では理解していたが、もやもやとした嫌な予感はマリーの頭の片隅から消えることはなかった。
そんなマリーの心配をよそに、コウタはリューキュウの国の女王、メアリアの私室へと招かれていた。
招かれたとは言っても、指名手配という半ば脅迫にも近い形で呼び寄せられたため、コウタの頭の中には、様々なパターンの面倒ごとが頭をよぎった。
「——はい、とりあえずこれで血を抑えてください。」
が、蓋を開けてみれば実際はその想定のどれにも当てはまることは無かった。
「あ、はい⋯⋯。」
コウタは一国の王でもあるメアリアと名乗った少女に言われるがままに椅子に座らされ、そして二枚の布を二箇所の傷に当てて止血をする。
「ええっと⋯⋯救急箱は⋯⋯⋯⋯あった。」
「とりあえず、血は止まってきてるみたいなので消毒しちゃいますね。」
ブロンドの髪の少女はやけに仰々しく装飾のなされた棚の中から一つの箱を取り出すと、その中に入っていた瓶や包帯を手に取る。
その様子はまるで、今から手負いのコウタの治療を始めようとしているようであった。
「あの⋯⋯。」
「⋯⋯んしょっと⋯⋯⋯⋯なんです?」
コウタはそんな現状に疑問を持ち声を上げると、メアリアは作業を止めてコウタの方を向く。
「何してるんですか?」
「治療ですよ?」
〝見て分からないか?〟と言わんばかりにメアリアは首を傾げると、そのままゴソゴソと救急箱の中に手を入れて必要なものを取り出していく。
「なんで僕は治療を受けてるんですか?」
「貴方が怪我をしているからでしょう?」
不思議そうに尋ねるコウタに、メアリアはさらに不思議そうに首を傾げる。
「いや、治療なら自分で出来ますし⋯⋯。」
もはや訳が分からなくなってきたコウタは呆れた様子でそう返す。
「冒険者の方の応急処置は血止めを塗って包帯を巻く程度のものだと聞きました。」
「それでは雑菌が入ってしまいますし、跡が残りやすいですから、こうやって私が治療しているのです。」
それに対して、メアリアはそれらしい理由をもって反論する。
「なるほど⋯⋯⋯⋯ってそうじゃなくて⋯⋯。」
「なんでさっきの流れで、僕は普通に治療を受けてるんですか?」
コウタの疑問はそこであった。
先程コウタを引き止めた時のメアリアの態度はどう考えても悪意や敵意に近いそれであった。
にもかかわらず、現状は兵士達に引き渡す訳でもなく、脅される訳でもなく、ごく普通に治療を受けているだけ。どうも腑に落ちない状況であった。
「ああ、お茶のことですか?それなら治療が終わってからでよろしいですか?」
そんなコウタの質問を、メアリアは治療の準備をしながらのらりくらりとかわしていく。
「そのことでもないです。⋯⋯貴女さっき、完全にハメる気満々みたいな表情だったじゃないですか。」
コウタはそんなメアリアの様子に、呆れた態度を示しながら核心に迫っていく。
「はい、ちょっと染みますよ。」
そんな質問をかわしながら、メアリアはコウタの服を脱がしながら傷口に消毒液を含ませたガーゼを当てていく。
「うぐぉ⋯⋯!?」
突如身体に走る激痛に、それまで真剣な表情であったコウタは思わず呻き声を上げ、特殊なポーズのままその動きを硬直させる。
「ちょっと痛いかもしれませんけど、この薬は止血、消毒、そして自然治癒力の活性化の効果があってとっても優秀なんですよ。」
「⋯⋯っ、⋯⋯〜っ!!」
メアリアは傷口に包帯を巻きながら自慢げにその液体の説明を続けるが、コウタは動く事や声を出すことすら出来ずに固まっていた。
「頭とお腹は終わりました。⋯⋯⋯⋯それで、足は⋯⋯どうしましょう?」
「⋯⋯とりあえず湿布を貼っときますね。」
そんなコウタの事など気にすることもなくメアリアは一人考え込むと、軽い態度で結論を出す。
「——よし、治療完了です。ではお茶を淹れる前に手を洗ってきますね。」
治療を終えると、メアリアは満足げにそう言って血に塗れた手のまま隣の部屋へと出て行く。
「いや、だから⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯なんなんだマジで。」
どうも会話が通じないその少女の奔放さにコウタは深いため息をつく。
治療も終えて紅茶を淹れながらひと段落つくと、メアリアはコウタに一杯のカップを手渡して自らもコウタの正面に腰掛ける。
「——それで、どうして治療をするのか、でしたっけ?」
「正しくはしたのか、ですけど。」
紅茶を口に含みながらメアリアはそう問いかけると、コウタも同じようにため息混じりにそう返す。
「そのことなら簡単です。部屋が汚れるからです。」
メアリアはまたしても少しズレた回答をするが、そんな回答もコウタの想定内であった。
「僕が暗殺者だとは思わなかったんですか?」
だからこそ、気にすることなく次の質問を投げかける。
「最初は疑いましたけど、今は別に。」
メアリアは淡々とした態度でそう返すと、余裕とも思える自らのペースを崩す事なく紅茶をもう一度口に含む。
「だって貴方が暗殺者だった場合、私を見つけ次第すぐに殺せばいいでしょう?」
「まあ確かに。」
メアリアの言う通り、もしも仮にコウタが暗殺者であった場合、ターゲットであるメアリアが目の前に現れた時点で手を出さない理由がなかった。
つまり最初にコウタがメアリアに従った時点で、コウタは敵ではないと判断していたのだ。
「貴方は確か用心棒代わりに呼んだと聞いていますし、大方暗殺者退治の途中だったのでしょう?」
「⋯⋯分かってて引き留めたんですか?」
それを聞いてコウタはすぐに頭に浮かんだ疑問を投げかける。
「はい、怪我もすごいですし、何より近くにいてくれた方が安心するじゃないですか。」
その答えは多少の疑問は残るものの、それなりに納得いくものであった。
「じゃあ、僕が本当に暗殺者だった場合はどうするつもりだったんですか?」
だが、安心を得たいのであれば、わざわざ二分の一の博打を打つより、部屋に引きこもっていた方がよっぽど合理的に思えた。
「その時は⋯⋯素直にやられてあげてもいいかなぁ、なんて⋯⋯。」
「はぁ⋯⋯。」
(この人危なっかしいな。)
そこまで話していても、やはりコウタには目の前の少女が肝が据わっているのか、怖がりなのか、判断する事が出来なかった。
「⋯⋯じゃあ最後に一つ質問していいですか?」
「どうぞ。」
コウタはそう言って話を区切ると、メアリアは凛とした態度のままそれを受け入れる。
「メアリア様の僕への情報、一国の女王が用心棒風情に対するそれとしては少し詳し過ぎませんか?」
「⋯⋯そうですか?」
コウタが真剣な表情でそう問いかけると、メアリアはまたしても不思議そうに首を傾げる。
「ええ、まさか式典の参加者全員の顔と名前を覚えているわけではないでしょうし。」
コウタははっきり言ってそんな芸当が出来るのは自分くらいのものだと思っていた。
「いえ?覚えてますけど?」
が、目の前の少女は平然とした態度でコウタのそんな考えを否定する。
「⋯⋯はぁ?」
コウタは何度も自分に向けられてきた驚愕の声を、生まれて初めて他人に向けて発する。
「私、昔から物覚えが良くて。写真と名前を出されれば大抵ずっと覚えてますから。」
「それってまさか⋯⋯。」
その異常とも言える才能の鱗片を聞いて、一つの可能性を感じる。
「あと、自慢じゃないですけど手先も人より器用ですし、目とか耳も良いんですよ。さっきの戦いもずっと聞こえてましたし。あと、治療も初めてにしては上出来でしょう?」
「流石にスキルを使っている人ほどでは無いですけど、そうでないのなら他人に出来ることならなんでも出来ますわ。」
コウタのリアクションが気に入ったのか、少女はその慎ましい胸を張りながら、年相応の明るい笑顔で自慢気にそう話す。
「へ、へぇ⋯⋯。」
(記憶力や聴力だけじゃなく洞察力も充分⋯⋯まさかこんなところに同族がいたとは⋯⋯。)
コウタの頭をよぎった可能性は、少女の言葉を聞いて確信へと変化する。
「⋯⋯分かりました。ありがとうございます。」
そして全ての疑問が解消されると、その場から立ち上がって、メアリアに背を向ける。
「あら、どうかしました?」
「そろそろお暇させていただきます。僕はそろそろ奴の後を追わなくてはなりませんから。」
「なりませんわ。ここに居てください。」
メアリアへの興味が無くなると、コウタは再び自らが取り逃がした敵を討つためにベランダへと出ようとするが、メアリアに慌てて引き止められる。
「ダメです、ここで取り逃がせば奴はまた貴女を狙ってくる。貴女ほど聡明な方なら分かりますよね?」
それまでは仕方なく従っていたが、これ以上は彼女のわがままであると判断し、コウタは冷たい態度で突き放す。
「ならば貴方が私を守って下さい。」
「はぁ⋯⋯!?」
すると再びメアリアはコウタの予想外の言葉を口にする。
「その方が安全でしょう?」
確かにメアリアの言う通り、ここでコウタが探しにいくよりも、ターゲットの目の前で待ち受けた方が、メアリア自身の安全度は高かった。
「⋯⋯お断りします。」
だがコウタもそこまでするつもりはなく、ため息で一拍置いた後、ほぼ即答でそう答える。
報酬も貰っていない上、断ることも事実上不可能な依頼とも言えぬ命令を受け入れはしたが、何から何まで従ってやるつもりはコウタには毛頭なかった。
「⋯⋯ですよね。」
メアリアはその返事を予想していたのか、残念そうにしながらもそれ以上食い下がることは無かった。
「⋯⋯なら、もう少しだけ私に付き合って下さいません?」
だからこそメアリアはコウタの興味を引くために一つの提案をする。
「まだなにか?」
「我が国の国宝など見ていきませんか?」
コウタがそう問い返すと、メアリアは自信ありげな表情でニヤリと笑みを浮かべる。
「⋯⋯はぁ!?」
「聞けば我々はあなた方になんの報酬も払ってないと言う話ですし、報酬代わりにどうでしょう?」
コウタの驚きようにご満悦の女王様は、その提案の補足をするように説明を付け加える。
(国宝って確か⋯⋯幻獣を封じるもの、とか言ってたような⋯⋯。)
(⋯⋯見てみる価値はあるか。)
もし仮にそれが本物で、強力な力を持つのなら、手に入れる価値は充分にある、と感じたコウタは、すぐにその結論を出す。
「⋯⋯分かりました。もう少しだけ付き合いましょう。」
「⋯⋯よろしい。ではもうすぐ来る頃でしょうから準備して下さい。」
その返事を聞いて嬉しそうにはにかむと、一回咳払いをしてコウタにそう促す。
「来る⋯⋯?」
「ほら来た。」
メアリアがそう言うと、ドアの外からコツコツと僅かに聞こえる足音を聞いて、コウタはほぼ同時にその発言の意味を理解する。
「⋯⋯っ!!」
「⋯⋯アマンドです。ただいま参りました。」
「⋯⋯入って。」
メアリアはコウタの顔を見て悪戯っぽい笑みを浮かべると、隠れる間も無くドアの向こうのアマンドに入室の許可を出す。
「⋯⋯ちょ!?」
「⋯⋯失礼します⋯⋯っ!?」
直後にそのドアが開かれアマンドが入ってくると、何も出来ずにその場で固まるコウタを見て、同じようにその動きを停止させる。
「こ、コウタ様!?」
「あ、あはは⋯⋯。」
目を見開いて驚くアマンドと、誤魔化すことすら出来ずに乾いた笑みを浮かべるコウタを見て、メアリアはご満悦な様子でニヤリと頬を吊り上げる。
「貴方を治療する前に呼んでおいたんです。」
そして、嬉しそうにコウタにネタばらしをするように説明する。
「⋯⋯陛下!!説明して下さい!!」
アマンドはすぐさまメアリアの仕業だと結論を出すと、取り乱した様子でそう叫ぶ。
「ふふっ、言われなくてもするわよ。」
メアリアは嬉しそうに笑うと、興奮した様子のアマンドにそう答える。
「——そんな事が⋯⋯。」
アマンドはメアリアから事の顛末を聞かされると、一転して大人しくなってしまう。
「コウタ様、この度は我々の不手際で貴方のお手を煩わせてしまった事を深くお詫び申し上げます。」
そしてコウタの方を向き直り、深々と頭を下げる。
「まあ逃げられたんですけどね。」
コウタはその様子を見て、小さく息を吐きながら正直にその事実を述べる。
「それでもです。私はあの場で気付くことが出来なかった。⋯⋯陛下が今無事なのもあなたのおかげです。」
「そういう訳だからお礼としてあそこに連れて行こうと思うの。」
アマンドがコウタにそう説明すると、メアリアはその言葉に割り込むように問いかける。
「しかし⋯⋯。」
「王様の命を拾って貰って何もしないのは流石に国の名に傷をつけると思うのだけど?」
「⋯⋯分かりました。手配しましょう。」
アマンドはそれを聞いて一瞬黙り込むと、反論を諦めて小さくため息をつき、そしてメアリアの提案を甘んじて受け入れる。
「貴女のそういう物分かりのいいところ好きよ。⋯⋯それじゃ、行きましょうか。」
「え?⋯⋯ああ、はい。」
結局最後までメアリアのペースに乗せられたまま、コウタは楽しげに悠々と歩く彼女の後ろ姿を眺めるのであった。