百三十話 伝説の
——翌日。
一行はコウタの操縦の元、レスタに向けて草原を走る馬車に揺られていた。
「すぅ⋯⋯うん、いい天気だ。」
前方から吹く柔らかく暖かい風を浴びながら大きく息を吸うと、草木と太陽の匂いが鼻腔を優しくくすぐる。
「⋯⋯?」
「どうしました?アデルさん。」
特に起伏もない平坦な道を走る馬車の手綱を握りながらコウタが深くため息をつくと、荷台と御者台を繋ぐ仕切りが小さくはためく。
「調子はどうだ?なにか問題とかあるか?」
アデルが荷台からひょっこりと顔を出すと、手綱を握るコウタにそう問いかける。
「特になにもありませんよ。中はどうです?酔ってる人とかいませんか?」
コウタは自然な笑みを向けながら、優しくそう問い返す。
「いいや、みんな寝てるよ。」
そう言われて中を見ると、セリア、マリー、アイリスの三人は馬車の揺れに合わせて首や身体を揺らしながら、それでもスヤスヤと寝息を立てていた。
「やっぱり一日じゃ回復しませんでしたか。」
コウタは苦笑いを浮かべて呟く。
「ああ、もう一日くらい休ませるべきだったな。」
「次の街ではゆっくりと休みましょう。」
「⋯⋯そうだな。」
その返事の後、数秒、沈黙が流れる。
正しくは草原の風の音や小さく軋む馬車の音もあり、本当の意味での沈黙ではなかったが、それでも二人の間に一瞬の間が出来ていた。
「⋯⋯なんかすいません。相談もせずに連れて来ちゃって。」
その後、数秒もしないうちに、コウタが沈黙を破り口を開く。
「⋯⋯仕方あるまい、困っている者がいれば手を差し伸べるのが貴様だろう。」
それが分かっていたからアデルはあの場で何も言わなかった。
「でも、今思えばアデルさんの気持ちをあんまり考えてなかったなぁ⋯⋯って。」
魔族を嫌い、魔族に恨みを持ったものがほとんどであるこのパーティーに、相談もなく魔族を連れてきてしまったのは今考えれば迂闊としか言いようがなかった。
「⋯⋯確かに魔族は私にとって復讐の対象でしかないし、それを変える気も毛頭ない。」
「⋯⋯知ってます。」
知っていた、が、それでもコウタは困っているものがいたら助けたくなる。コウタはそういう人間であった。
「が、かといって無差別に倒したい訳ではないし、ましてや貴様が信用して連れて来たのならなんの文句もないよ。」
「そんなに信用してもらえるなんて光栄ですね。」
それを聞いてほんの少しだけコウタの中にある罪悪感が薄まる。
「何度も背中を預けた仲だからな、多少はな。」
「⋯⋯そうですか。⋯⋯あ。」
優しくそう答えると、コウタの視界の端に何かの影が映り込む。
「⋯⋯どうした?」
「見えてきましたよレスタの街。」
何も見えていないアデルに、コウタは目を細めながらそう答える。
街の影がアデルの目にも見えるくらい近くまで来ると、一度コウタ達はそこで馬車を止めてアイリスの要望で彼女を馬車から降ろす。
街の中へと入るとコウタ達は入り口の門の前でアイリスを待つ事にした。
「ここまで来るの意外と早かったですね。」
「そうですわね。」
あくび混じりでそんなことを話している女性陣の横で、コウタは一人不安そうな顔をしていた。
「アイリスさん、本当に大丈夫かな⋯⋯。」
「仕方あるまい、一人だけギルドカードが無いのは怪しまれるからな。」
アイリスを街の外で降ろしたのは簡単に言えば門番対策であった。
ギルドカードを持つ冒険者四人の中で一人だけそれを持たない者がいれば当然怪しくなる。かといって馬車の中に隠れていれば見つかった時に言い訳が立たなくなる。
「⋯⋯あ、いた。」
真っ先に気がついたのはマリーであった。
彼女が指差す方向を見ると、その言葉通りフードを被った少女がこちらに歩いてきているのが見えた。
「すいません、待たせちゃって。」
「いいえ、大丈夫ですわ。」
息を切らしながら謝るアイリスに、セリアはにっこりと笑って返事をする。
「それよりどうやって入って来たんですか?」
「街の外で能力を発動させて、透明になってる隙にコウタくん達の馬車と一緒に門の中に入って、街の中に入れたら適当に人に見つからない場所で能力を解除したの。」
「⋯⋯思った以上に便利な能力ですね。」
セリアはそれを聞いて改めてそのスキルの有用性に驚かされる。
「戦闘での使い勝手は良いとは言えないですけどね。」
アイリスはその言葉を苦々しい表情で否定する。仮にも戦闘員であるアイリスにとって、結局はそこが一番重要な問題なのであった。
「それよりこれからどうします?」
「食料などの補給と宿を取るのと、あとはアイリスさんのお仲間を探すのと、やることが色々ありますけど。」
マリーが問いかけると、セリアは指折りでこれからのことを確認していく。
「補給は明日以降でもいいだろう。」
「そうですね、問題はアイリスさんの仲間を探すのと、今日泊まる宿を探すのですね。」
「宿も大切ですけど、一番怖いのは入れ違いになっちゃう事ですよね。」
「それじゃあまず先にテレサさんという人を探しましょうか。」
議論の結果、アイリスの仲間の捜索、今晩の宿、旅に向けての補給の順番で目標が決まった。
「そうだな。とりあえず、ギルドで聞き込みをしようか。」
「はい。」
「すいません、何から何まで⋯⋯。」
トントン拍子で進んでいく話の流れについて行けず、アイリスは苦笑いを浮かべる。
「気にしないで下さい。ほら、行きますよ。」
「う、うん。」
コウタに促されるままアイリスはフードを手で抑えながら大通りの道を気配を消して歩いていく。
ギルドに着くと、コウタはすぐさま受付の女性に問いかける。
「テレサという方の情報が欲しいんですけど。」
「テレサ様でございますか?⋯⋯⋯⋯。」
女性はそれを聞くと思い出したように手元の資料をめくり、一枚の紙に目を止める。
「⋯⋯失礼ですが、あなた方の中でアイリスという名前の方はいらっしゃいますか?」
紙の内容を読み上げた後、五人に向かってそう問いかける。
「あ、はい私です。」
「御年齢は?」
「十六です。」
「得意な魔法は?」
「雷です。」
アイリスが返事をすると、受付の女性は矢継ぎ早に質問を繰り返していく。
「お好きな食べ物は?」
途中意味のわからない質問が飛んでくるが、それでもアイリスは言われるがままに正直に答えていく。
「梅干しです。」
最後にアイリスがそう答えると、コウタはその言葉にピクリと反応する。
(この世界にもあったんだ⋯⋯!?)
「⋯⋯⋯⋯分かりました、本人確認が取れました。マスターがお待ちですので、こちらへ来て下さい。」
衝撃の事実に驚愕しているコウタを差し置いて、女性はひとしきり資料を読み上げた後、そう言ってカウンターのドアを開けてアイリスに中に入るよう促す。
「マスター⋯⋯?」
「あ、お連れの方もどうぞ。」
訳がわからずアイリスが首を傾げていると、女性はコウタ達にも同じようにそう促す。
「「「「⋯⋯⋯⋯?」」」」
「あの、なんでテレサさんと関係ない僕達まで中に?」
二階へと続く階段を登りながら、コウタは前を歩く女性に問いかける。
「ギルドマスターからお連れの方がいたら一緒に通して欲しいと言われましたので。」
「理由は?」
「申し訳ありません、詳しいことは直接話すと言っておりまして、私もあまり詳しいことは。」
女性はコウタの質問に、困ったように笑みを浮かべてそう答える。
「⋯⋯⋯⋯。」
「着きました、こちらになります。」
コウタが黙り込むと、女性は建物の一番奥のドアの前で立ち止まり、コンコンとドアをノックする。
「ギルマス、お客人が到着しました。」
「——通して。」
直後に少しだけ低く凛とした女性の声で扉の向こうから声が聞こえてくる。
ドアを開けると、そこにはソファに腰掛けながらティーカップを手に持った白い戦闘装束を纏った女性と、資料を片手に一番奥の机に寄りかかるギルドマスターと思われる女性がアイリス達を待ち構えていた。
「⋯⋯⋯⋯っ!!テレサさん!!」
アイリスは即座に白い服の女性に向かって叫び声を上げる。
「あら、やっぱり来ましたねアイリス。」
白い服の女性は紅茶を啜りながらマイペースな笑顔を見せてそう答える。
「⋯⋯初めまして、アイリスちゃん、ようこそレスタの街へ。そして⋯⋯。」
もう一人のギルドマスターと思われる女性は受付嬢に目配せをし、下がらせた後に口を開く。
「初めまして、でよろしいですよね。キドコウタくん。」
そして白い服の女性がそれに続いてコウタに向かって笑みを向ける。
「⋯⋯⋯⋯なんで、僕の名を⋯⋯?」
「知ってるわよ当然。なんたって次の勇者候補くんなんですから。」
「次に迷宮に来るかもと聞いてアイリスを置いて行ったら、案の定連れて来てくれて助かりました。」
二人の女性は次々と意味のわからない会話を続ける。
「とりあえず、自己紹介でもしましょうか。」
「初めまして、私は冒険者ギルドレスタ支部ギルドマスター、ブロンズ・マーリンよ。」
ギルドの制服を着たその女性はその場から立ち上がり、手に持った紙を机に置いてコウタの顔を見てそう言う。
「そして私が中立派にして、そこにいるアイリスのパートナー、テレサ・ベルナデットです。」
それに続いて白い服の女性もそう言ってニッコリと微笑む。
「「「⋯⋯⋯⋯っ!?」」」
アデル、マリー、セリア、の三人はそれを聞いて一気に表情を固くして黙り込む。
「「⋯⋯?」」
それを見てアイリスとコウタの二人は不思議そうに首を傾げる。
「そうですか⋯⋯貴女達が⋯⋯。」
「⋯⋯初めまして、一神教司教セリア・ジーナスと申します。お会いできて光栄ですわ。」
真っ先にセリアがそう言うと、一人で数歩前に出て仰々しく頭を下げながら自己紹介をする。
「初めまして、貴女のことも存じ上げていますよ。」
「やはりそうだったか⋯⋯。」
ニッコリと返事をするテレサの姿を見て、アデルは一人、納得した表情を浮かべる。
「えっと⋯⋯どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるか、ブロンズ・マーリン、テレサ・ベルナデット、その二人の名前を出されたら一つしかないだろう。」
「すごい⋯⋯私、初めて見た。」
「何がすごいんですか?」
あまりに仰々しい三人の驚きように疑問を持つと、コウタは首を傾げてそう問いかける。
「彼女達は、十年前、かつての勇者と共に先代魔王を倒した伝説のパーティーのメンバーだ。」
「⋯⋯っ!?」
それを聞いてコウタも同じようにピクリと反応して二人の顔を見る。
「大魔導士マーリン、白き結界術師テレサ、生きながらにして既に歴史書にその名を刻む正真正銘の英雄です。」
それに付け加えるように、マリーは何故か自分のことのように胸を張って説明する。
「あら、昔の事なのにこんな若い子達にまで知ってもらってるなんて、私たちも捨てたもんじゃないわね。」
「その言い方ではババくさいですよ?」
「うるさいわね、貴女だって同い年じゃない。」
呆然とするコウタを差し置いて、二人はヘラヘラと軽口を叩き合う。
「それじゃあ、先代勇者の仲間⋯⋯?」
「そゆこと〜。」
その言葉にマーリンはニッコリと笑って手を振る。
「「よろしくね、コウタくん。」」
機嫌のいい二人の英雄の透き通った声が二つの笑みと共に重なる。