百二十七話 今はそれでいい
その頃、上の階では大規模級モンスター二体相手にマリーが孤軍奮闘の戦いを続けていた。
マリーの防戦一方であった戦いは新技の発動によって徐々に変化が訪れていた。
二体が交互に襲いかかって来るのに対して、マリーの戦法は単純であった。
「⋯⋯来る。」
リーチに余裕がある時は通常の火属性魔法を放ち、懐へ踏み込まれた場合は自らの魔法を内側に通す。
「ゴゴゴッ!!」
「遅いっ!!」
まず先にゴーレムが殴りかかって来るのを目視で確認すると、帯状に魔法を展開し、その帯を自らの手の動きに合わせてゴーレムの拳に叩きつける。
「ガガ⋯⋯!!」
すると岩でできた拳は衝撃によってバラバラに分解される。
「ギャギャ⋯⋯!!」
「このっ!!」
間髪入れずに大きく口を開けて襲い来る魔物の顔面に、今度は通常の魔法を叩き込む。
「ガッ⋯⋯!?」
すると、鳥型の魔物は呻き声を開けて後ずさりする。
「んぐっ⋯⋯んぐっ⋯⋯ぷはっ⋯⋯。」
マリーはフラフラと距離を取る魔物達から目を離すことなく、手探りでバックの中からポーションを取り出すと、一気に飲み干してその瓶を投げ捨てる。
(やれてる、⋯⋯ダメージもちゃんと入ってる。ちゃんと戦えてる!)
思った以上の成果に、マリー自身も驚いていた。
「けど⋯⋯。」
それと同時に、決定打に欠ける事もマリー自身、重々理解していた。
ゴーレムの方は壊しても壊しても次々に再生し、鳥型の魔物の方は、何度迎撃しても何事も無かったかのように攻撃を繰り返して来る。
(最大火力は隙も大きいし当たりづらい、かといって拡散したり速度を上げたりすれば火力が足りなくてそれも隙になる。)
「はははっ⋯⋯。これが一人で戦うってことか⋯⋯。」
普段四人で戦う時ならば、絶対にすることのない思考回路に気がつくと、マリーはその苦労を改めて思い知らされる。
「大変だなぁ⋯⋯。」
そしてそれ以上にそんな思考に慣れていない自分自身に嫌気が差す。
「けど⋯⋯。」
それ以上に仲間達が幾度となく超えて来た壁に自分自身がぶつかっている事実に、マリーはほんの少しだけ嬉しくなる。
見えてなかった景色が見えているようで、ようやく同じ場所に立てたような気がして。
だからこそ、恐怖は無かった。
(これを超えた先に、私の居場所があるなら。)
あるのは興奮と歓喜、そして挑戦する事への高揚感。
「立ち止まる理由なんてない。」
そう言って脂汗がにじむ額を拭うと、一転して吹っ切れたような表情で、何の小細工もなく、ただ両手を前に突き出す。
(あのゴーレム⋯⋯。)
(さっきの私の最大火力じゃ倒せなかった。)
(作戦は上手くいったのに再生されたのは多分、純粋に力が足りなかったから。でも⋯⋯。)
力が足りないのは分かっていた、だからこそ出てきた答えは呆れるほど単純であり、最も難しい結論だった。
(限界があるなら、超えていくだけ。)
マリーは自らがつくることが出来る最大の大きさの炎を自らの目の前に展開する。
そしてゆっくりと手を引くと、燃え盛る炎は途轍もなく遅い速度で前に進み、二メートルほど進んだ先でその動きを完全に停止させる。
本来、オリジナルスキルなどの例外を除けば、基本的に人間も魔族も一度に二つ以上のスキルは同時に発動出来ない。
だからこそ人は連続して発動したりタイミングをずらして発動したりする。
が、それはあくまで同時に発動することができないだけであり、一度放たれたスキルは例外に当たる。
そしてそれがスキルというシステムに設けられたルールだとすれば、魔法使いはそのルールの穴を突くことが最も容易な職業である。
そしてそれこそがマリーの出したもう一つの答え。
「ヒート・キャノン」
一発目を目の前で留め、二発目を最高速度で重ねる。
速度、パワー、そして照準、その三つの正確なコントロールが求められる高等技能、それが合体技。
「これが正真正銘⋯⋯私の切り札。」
「イグニッション・ブロッサム!!」
二発目の玉が螺旋回転を描きなら一発目の玉に当たると二つの炎は周囲に高温を撒き散らしながら混ざり合っていく。
「う、ぐぅ⋯⋯いっ⋯⋯けえぇぇぇ!!」
高温にもがき苦しみながら、マリーはそれでも魔法の影響で真っ赤に爛れていく腕を押し込む。
「「⋯⋯⋯⋯ッ!!」」
螺旋回転しながら圧倒的速度で進む巨大な炎の玉は、その高温で地面の岩や土を溶かしながら進み、二体の魔物へと襲いかかる。
大量の熱を放出してマリーの放った火球が爆発すると、土煙の中からゴーレムの頭と、そこに繋がったドロドロに溶かされた核のようなものを見つける。
「はっ⋯⋯はっ⋯⋯。」
息を荒らげながら全身の力を抜くと火傷で真っ赤に爛れた腕が、ブランと垂れ下がる。
「倒した⋯⋯けど⋯⋯。」
(今のでMPもほとんど⋯⋯。)
直後にMP酔いの影響で一気に全身に脱力感が襲いかかる。
「ギャ⋯⋯ギャギャ⋯⋯。」
だが、マリーの望みに反して、煙の中からボロボロになってもはや生き絶える寸前の鳥型の魔物が姿を現わす。
「まだ一匹⋯⋯。」
朦朧とする視界の中で、意地だけがマリーの意識を繋ぎとめていた。
「ヒート⋯⋯。」
「⋯⋯っ!」
最後の力を振り絞って魔法を放とうとした瞬間、マリーの体から完全に力が抜け、そのまま地面に倒れ込む。
(身体に⋯⋯力⋯⋯入んないや。)
うつ伏せになりながら歪む視界でただただ震える手を眺める。
「あーあ⋯⋯悔しいな⋯⋯。」
「強くなれた⋯⋯思った⋯⋯だけ⋯⋯。」
ゆっくりと近づいてくる足音を聞きながら、マリーは全てを諦めてその瞼を閉じる。
「グギャ⋯⋯!?」
意識が途切れるその瞬間、周囲に轟く爆発音と魔物の断末魔によってマリーの意識は現実世界へと引き戻される。
「——いいや、強くなったさ。」
「⋯⋯デル、さ⋯⋯?」
直後に聞こえてきた声に、マリーの意識はほんの少しだけ現実へと帰ってくる。
「プレッシング・ヒール!」
(これは⋯⋯セリアさんの⋯⋯。)
「あったかい⋯⋯。」
柔らかい光に包まれて、マリーは全てを理解すると、そのまま安心しきった顔で意識を暗闇へと落としていく。
満身創痍のマリーを横目で見ながら、アデルは安堵のため息をつく。
「どうやら間に合ったようだな⋯⋯。」
「額、汗が凄いですわよ?随分無理して来たのでは?」
明らかに顔色の悪いアデルに向かって、セリアはゆっくりと歩み寄りながら問いかける。
「貴様こそ、服がボロボロだし、血が滲んでるぞ。また無茶したな?」
「それに、その手⋯⋯。」
アデルはそう言ってセリアの方を向くと、彼女の右手の指先には、黄金色に輝く刻印が浮かび上がっていた。
「ああ⋯⋯コレですか?」
「なんなのだ?それは。」
指先から手首あたりまで侵食していた刻印を見てアデルが問いかけると、セリアは肩を上げて開き直る。
「さあ、よくわかりませんが、コレがあるときは⋯⋯とても調子が良いんですの。」
右手を開いたり閉じたりしながら動きを確認すると、やはり他の身体の部位に比べてほんの少しだけ軽く感じた。
「身体は大丈夫なのか?」
「傷は治ってますし、血もさほど失っていませんわ。」
とは言いつつも、ここに来るまでに互いに奥の手を使ってきた為、限界が近いのは皆同じであった。
それでもやはり一番ひどい怪我なのはマリーに間違いなかった。
「それにしても⋯⋯まさかたった一人であのゴーレムを倒してしまうとは⋯⋯。驚かされるのはコウタさんだけにして欲しいですわ。」
「まったくだ。それもたった一人で二体も相手に⋯⋯⋯⋯大分無茶をしたのだろうな。」
目の前の光景と、背後で大怪我を負いながら横たわるマリーを見て、その苦労を思い浮かべる。
「早々に治療に専念したいです。すぐに終わらせましょう。」
「ああ、そうだな。」
短くそう答えると、アデルの剣は再びその刀身に紅い光を宿す。
一方のコウタ達は、上の階の戦いとは裏腹に、息を殺すように静かに次のフロアへと到達していた。
「二つ目のフロア⋯⋯は何もいないみたいだね。」
意識を張り巡らせながら周囲を見渡すが、やはりそのフロアでは一切の気配すら感じ取ることは出来なかった。
(助かった⋯⋯これで出られる可能性がグッと上がる。)
二人は部屋の中心まで行くと、同時に安堵のため息をつく。
「⋯⋯そういえば、なんでアイリスさんは中立派になろうと思ったんですか?」
一気に力が抜けると、緊張を和らげるために、コウタはアイリスに向かってそんな質問を投げかける。
「なんで⋯⋯?⋯⋯⋯⋯なんでか⋯⋯。」
突然の質問に首を傾げた後、唸り声を上げてその場に立ち止まり考え込む。
「⋯⋯⋯⋯うん、理由とかないね。」
「はぁ⋯⋯!?」
考えた果てに出てきた答えを聞いて、つい気の抜けた声を上げてしまう。
「だってそもそも私、魔族と人間が対立する理由よく分かって無いんだもん。」
「確かに人間って魔族のこと見るとすぐ襲ってくるけどさ、みんながみんなそうじゃないし、優しい人間がいるのも知ってるもん。」
「私の仲間とか⋯⋯⋯⋯あとコウタくんも。」
アイリスはそう言ってコウタの目を見ると、照れ臭そうにニッコリとはにかむ。
「今は互いに争ってるから仕方ないけどさ⋯⋯だからと言ってみんながみんな互いにいがみ合う必要は無いんじゃないかな〜って、私はそう思う。」
なんて、と語尾につけながら自信なさげに首を傾げて問いかけるアイリスを見て、コウタは小さく笑みを返す。
「立派な考えだと思いますよ。」
「ははは⋯⋯そんなことないよ。」
「それに私、人間のせいで苦しんだ記憶とかないから⋯⋯。」
照れ隠しの後にそう呟くと、アイリスの表情はほんの少しだけ影を帯びる。
「⋯⋯?」
「私ね、二年前より前の記憶がないの。」
不思議そうな顔をするコウタに対して、ゆっくりと振り返ると、アイリスは笑顔を貼り付けてそう言う。
「⋯⋯っ!?」
「気付いた時には草原で一人で寝てて、なぜかレベル一だし、あの時は混乱したよ。」
あはは、困ったように笑いながら、アイリスはそうやって語り始める。
「挙句、魔物に襲われて死にそうになって⋯⋯でもそんな時に助けてくれたのが、今の仲間だった。」
「草原で⋯⋯レベル一、ですか?」
コウタが最も気になったのはそこだった。
「そう、そのくせオリジナルスキル持ってるし⋯⋯記憶を失う前の私ってどんな生活してたんだろうね。」
呆れたように笑うアイリスの横で、コウタは全く別のことを考えていた。
——獅子は我が子をなんとか⋯⋯って。
——スタンガン!!
(そんな言葉⋯⋯この世界で聞いたか⋯⋯?)
ことわざや言葉遊びの類を使うのはまだ理解出来る。が、今考えてみれば、スタンガンなんていう正真正銘、文明の利器の名をこの世界で聞くのは明らかに違和感しかなかった。
(レベル一で⋯⋯草原に一人⋯⋯オリジナルスキル⋯⋯記憶がない?)
——たまに記憶を失ってしまう方がいるので。
(⋯⋯っ、まさかこの子⋯⋯!!)
その瞬間、コウタの中でその情報が一気に繋がる。と、同時に一つの答えが浮かび上がる。
「⋯⋯⋯⋯アイリスさん。」
「⋯⋯ん?なに?」
「貴女は⋯⋯⋯⋯。」
それを口にしようとした瞬間、コウタの動きはそこで止まる。
「⋯⋯?どうしたの?」
(⋯⋯⋯⋯言って⋯⋯いいのか?)
首を傾げるアイリス顔を見つめながら、コウタの中で一つの考えが頭を過る。
(言ってどうなる?たとえそうだとして、この子は今は中立派として生きている。言ったところでなにも変わらないしなにも変えられない。この子の心を乱してしまうだけなんじゃないか⋯⋯?)
何も覚えてなくて、不安だらけの中でも、ちゃんと自らの居場所を見つけて、必死でこの世界で生きていこうとしているこの少女にいたずらに真実を伝えることが果たして正しいことなのだろうかと、そんな考えがコウタの頭の中に生まれる。
「⋯⋯⋯⋯っ。」
それが幸せなのだろうかと、自らの心に問いかける。
「⋯⋯あ!」
そうしていると、アイリスはハッと何かに気がついたように両手を打ち鳴らす。
「そういえば言ってなかったよね、私のオリジナルスキルのこと。」
「⋯⋯へ?」
コウタがそんな声を上げると、アイリスは態度を一変して、自信満々の表情で説明を始める。
「私のスキルは幻想分身、発動した場所に自分の残像を置いて、私自身は透明になって自由に移動できるの。」
「透明になってる間は音も気配も匂いも全部消えて観測系のスキルにも一切引っかからなくなるの。」
「でも私本体か、設置した残像のどっちかに触れたり攻撃したりすると能力が溶けちゃうの。」
「使うタイミングが難しいですけど、とても強力なスキルなんですね。」
否定する間もなくつらつらと説明を続けるアイリスに対して、相槌を打つようにコウタは感想を述べる。
「あんまり戦闘向きじゃないんだけどね。」
「そんなことないですよ。他のスキルとの組み合わせ次第では強力な攻撃パターンも作り出せるし。」
「その他のスキルが貧弱なんだけどね。」
コウタがフォローを入れると、アイリスはどんよりと暗い雰囲気でそう答える。
「⋯⋯?新しく覚えればいいのでは?」
「人間だったらそれも出来るんだけど、魔族って基本的にスキルポイントってシステムが無いの。」
「そうなんですか⋯⋯!?」
コウタは衝撃の事実を知らされ、思わず頭の中の思考が飛びそうになる。
「うん、基本的にノーマルスキルは生まれつきのものだけで⋯⋯でもその分人間に比べてステータスが高かったり、オリジナルスキルの所持率も高かったりするらしいよ?」
「そ、そうなんですか⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯。」
そこまで答えると、コウタは一旦目を瞑り、小さく息を吐いた後、再び口を開く。
「⋯⋯⋯⋯アイリスさん。」
そして先程と同様に名前を呼ぶ。
「なに?」
「⋯⋯貴女は今、幸せですか?」
その質問は驚くほどシンプルで、驚くほど抽象的なものであった。
「幸せだよ?」
にも関わらず、それは即答で返ってきた。
「⋯⋯っ。」
「確かに中立派の人たちに慣れるまで時間かかったし、私ばっかり弱くて怒られることもあるけど、基本的にみんな優しいし。毎日楽しいよ?」
「⋯⋯そう、ですか。」
全く裏表のない言葉に、コウタは完全に気が抜けてしまう。
「⋯⋯⋯⋯コウタくんは?」
「はい?」
「貴方は今、幸せ?」
返ってきた質問は至ってシンプルであったのにもかかわらず、何故かとても滑稽に思えてしまった。
「⋯⋯⋯⋯ははっ⋯⋯。」
「どうしたの?」
そして思わず笑ってしまう。
「いえ、我ながら下らない質問したなって、思っただけです。」
「⋯⋯幸せですよ。生きてきた中で多分一番今が幸せです。」
何故滑稽に思えたのかなど全くもって分からなかったが、それでもコウタはありのままの言葉をアイリスに返す。
(この子がどんな理由で死んだかは分からないし、どんな理由でこの世界に来たかも分からない。けど⋯⋯。)
(今が幸せなら、多分それでいい。)
だからこの真実は、知らなくていい。
「行きましょう、さっさとこんなとこ出てお互い仲間の元に帰りましょう。」
「もちろん!」
胸の奥に留めながら、コウタはそう言って前を歩く。
「⋯⋯⋯⋯。」
これでよかった。
そう、これでよかったのだ。
けれど⋯⋯。
(なんだろう⋯⋯。これで良かったはずなのに⋯⋯。)
けどそれなのに——
(この子を見ていると、何故だかとても不安になる。)
(まるで⋯⋯僕も⋯⋯。)
——何かを忘れているような⋯⋯。
「コウタくん!!」
「⋯⋯っ!!」
コウタの思考は突如響いたアイリスの声によって断ち切られる。
「なんか⋯⋯いたよ。」
「ええ、分かってます。」
アイリスのその言葉を聞いて、視線を正面に移すと、その先には一つの影が見えた。
にも関わらず、二人はその影に一切の手出しをすることが出来なかった。
その影はコウタの見る限り、間違いなく人影であった。
全身を鎧に包まれたその影はしばらくの沈黙の後、機械的な動きでゆっくりと立ち上がり、こちらの方を向く。
「人間⋯⋯?なんでこんなところに⋯⋯?」
アイリスの言葉とは裏腹に、その鎧の目が真っ赤に輝き出す。
その瞬間に、コウタはすぐさまその鎧の放つ圧倒的な殺意を感じ取る。
「⋯⋯違うっ!あれは魔物です!!」
コウタがそう言うと、その鎧は腰にかかる一本の斧を手に取り、無言のまま二人へと襲いかかる。