百十八話 壁を越えるために
それから更に数日後、コウタは治療の為、未だロルフの屋敷に滞在していた。
「——まったく!めんどくさい限りよ!」
屋敷の一室でパトリシアは憤慨した様子でテーブルを叩く。
「は、はぁ⋯⋯。」
コウタは目の前で愚痴をこぼす女性に苦笑いを浮かべながら短く相槌を打つ。
急に呼び出されたかと思うと、かれこれ二時間ほどこの調子で延々と愚痴を聞かされていたのであった。
「なんで私は悪くないのに私が気を使わなきゃいけないのよ。あーもう、お父様になんて言おう⋯⋯。」
パトリシアは今後のことを考えながらため息混じりに頭を抱えて首を振る。
「だったら正直に言ったらどうですか?相手方の許嫁がいたから帰ってきたって。」
「言えるわけないでしょ、そんなことしたら関係悪化どころじゃないわよ。」
「⋯⋯大変ですね。」
呆れながら返ってくる返事を聞いてコウタも無表情でそう呟く。
「また他人事みたいにっ⋯⋯!!」
「そりゃ、完全に他人事ですから⋯⋯。」
更に強くテーブルを殴るパトリシアに、若干引きながらそう答える。
(めんどくさいな⋯⋯。)
コウタ自身も正直相槌を打つのも疲れてきていた。
「あーあっ、私も好きって言われたーい、かっこいい人とチュッチュしたーい。」
酔っているのかと錯覚させるほどの爆弾発言に、コウタの頬は更に引き攣る。
「話題が完全にすり替わってますよ。それに、領主の娘の発言としても大問題です。」
当然コウタはその発言を諌める。
「いーのよこんなんで、貴方以外に聞いてないし。」
「こっちだって焦ってんの、後二ヶ月でもう二十歳になるのに、キスのひとつもしたことないなんて⋯⋯。」
反省の色を見せるどころか、パトリシアのテンションは更に沈み込んでいく。
「二十歳だったらまだいいでしょ。貴女は黙っていれば魅力的なんですから、頑張って下さい。」
コウタは半分呆れながらそれとなくフォローを入れて紅茶に口を付ける。
「ふぅ〜ん⋯⋯?」
それを聞くと、パトリシアはコウタの顔をじっと見つめてそんな声を上げる。
「なんです?」
「そういえば君、お付き合いとかしてる子はいるの?」
コウタの問いかけに、パトリシアはくねくねと動きを加えながらコウタに這い寄っていく。
「いませんよ。生まれてこの方。」
「⋯⋯ねえ、冒険者辞めて領主になってみない?」
パトリシアはコウタの腕にその豊満な胸を押し付けてそう問いかける。
「⋯⋯流石に貪欲過ぎません?」
興奮するのでもなく、戸惑うわけでもなく、ただただドン引きながら恐怖する。
「三歳差なら大した問題じゃないでしょ?ちょっと幼いけど、よく見るとなかなかイケメンだし、仕草も言葉遣いもバッチリだし、ね?」
「私のモノにならない?」
パトリシアはコウタの頬に触れるとその美しさを十全に利用して魅了する。
「お断りします。」
が、ハニートラップはコウタには通用しないらしく、その誘いは即答で両断される。
「えー、じゃあチューしてちゅー⋯⋯。」
やはりどう見ても酔っ払っているようにしか見えない、完全に悪ノリしている。
「そんなに自分を安売りしちゃ駄目ですよ。」
「でもぉ⋯⋯。」
「そんな焦らなくとも、貴女ならいつか運命の人に出会えますから、その人のためにそうゆうのは取っておいてあげて下さい。」
「ぶぅ⋯⋯。」
呆れた様子で距離を取られると、パトリシアは頬を膨らませてむくれる。
「パトリシア様、馬車の用意が出来ました。」
するとようやくコウタが待ち侘びたそれがドアの向こうから聞こえてくる。
「ほら、シャキッとして下さい。」
「はぁ、分かってる。ありがとね、守ってもらうばかりか愚痴まで聞いてもらっちゃって。」
コウタに促されると、その表情をいつも通りのそれに切り替えてコウタに感謝の言葉を述べる。
「愚痴くらいならいくらでも聞きますよ。」
なんとなく悲しげに見えたその表情を見て、コウタはそう言って微笑みかける。
「ふふっ、ちょっと遠いけど時間があったらハサイの街にも寄ってね、お礼もしたいし。」
「ええ、機会があればいつか。」
「まあまた会えるかは分かんないけど⋯⋯。」
そう言うとパトリシアの表情は再びどんよりと曇りがかってしまう。
「元気出して下さい。今からそんなんじゃ、この後大変ですよ?」
「分かってるけどさ⋯⋯⋯⋯うう〜⋯⋯。」
一度憂鬱な気分になればそこから抜け出すのはなかなか難しい。
「はぁ⋯⋯なら⋯⋯。」
コウタは深くため息をつくと、自らの人差し指を唇に当てて、
「んっ⋯⋯!?」
その指をそのままパトリシアの唇に当てる。
「⋯⋯これで我慢して下さい。」
コウタはニヤリと小悪魔な笑みを浮かべると、パトリシアにさっきの『仕返し』をする。
「⋯⋯ふ、ふおぉぉ⋯⋯⋯⋯。」
興奮からか恥じらいからか、パトリシアは顔を真っ赤にして奇声を上げながら頬に手を当てる。
「ほら、準備して下さい。」
「⋯⋯ひゃい!」
コウタの問いかけに、今度は元気よく答えるのであった。
その後、パトリシアを見送った後、コウタはアデルとセリアが待つ客室へと足を運ぶ。
到着するなり、コウタは二人に質問を投げかける。
「それで、どうです?」
「⋯⋯ある程度は動けるようになりましたわ。基本は後衛ですし、戦闘も問題ないかと。」
その問いかけにセリアは身体中を一つ一つ点検するように様々な方法を使って動作確認する。
「アデルさんは?」
それを見て頷くと、今度はアデルの方に視線を向ける。
「もうほぼ完治した。戦闘も可能だ。⋯⋯というか貴様こそ大丈夫なのか?」
「ええ、見ての通り、傷跡も残さず完璧に治ってますよ。」
逆に元気満々なアデルが質問するとコウタは得意げに綺麗になった左手を開いたり閉じたりしてみせる。
「それにしても貴様はよく左手を怪我するな。」
「武器を持つのが利き手の右手だから咄嗟の時に左手を盾にする癖がついてるのではありませんか?」
アデルの言葉を聞いてセリアが頭を抱えてそう呟く。
「いや僕、両利きなんですけどね。⋯⋯⋯⋯ほら。」
苦笑いで近くのデスクにあるペンと紙を取ると、スラスラとこの世界の文字を書き綴っていく。
「あ、ほんとだ。」
「地味に字が上手いのが腹立つな。」
「理不尽過ぎません⋯⋯?」
コウタ自身はそんなつもりはなかったがどうやらコウタの文字はとても達筆であるらしい。
「まあいいや、そんなことより今後の話をしましょう。」
「次の行き先か⋯⋯。」
コウタが話を切り出すと、三人も同時に考え込む。
「まっすぐリューキュウに行くか、予定通りキーニの街へ補給に寄るか⋯⋯。」
「それか別の街へ行くか⋯⋯。」
「あの⋯⋯。」
「「⋯⋯⋯⋯?」」
「実は僕、行ってみたいところがあるんですけど。」
その場の沈黙を破りコウタが手をあげる。
「⋯⋯⋯⋯。」
マリーはそれを分かっていたかのように黙り込んで耳を傾ける。
「どこだ?」
「実は先日、レベルを上げたいってシリスさんに相談したらここを勧められて。」
コウタは図書館でのシリスとの会話を思い浮かべる。
「——レベルを上げたい?」
「はい、このままではここから先の戦いで必ず壁にぶち当たる。」
シリスの問いかけにコウタは強い視線でそう訴えかける。
「だから強くなりたいの?」
「そうです、僕は⋯⋯僕たちは強くならなくちゃいけないんです。」
「シリスさん、貴女はこの前会った時より、レベルが上がってますよね?」
コウタの言う通り、シリスのレベルは初めて会った時よりも七つも上がっており、現在のレベルは六十一と表示されていた。
「⋯⋯っ!?なんで知ってるの?」
シリスはそれを聞いてこれまでで一番の反応を示す。
「観測のスキルで⋯⋯⋯⋯ブヘァ!?」
ニッコリと笑って答えると、全てを言い終える前にコウタの脳天にシリスの踵が突き刺さる。
どうやらシリスは見かけや性格とは裏腹に、マリー同様ステータスを見られるのを嫌うタイプの女の子だったようだ。
「⋯⋯⋯⋯〜!!」
「⋯⋯最低だなお前。」
頬杖をつくレウスは涙目のシリスを見つめながら乾いた笑みで呆れた様子でそう呟く。
「コウタさん、それはさすがに⋯⋯。」
マリーも同じようにため息をつきながら苦笑いを浮かべる。
「すいません⋯⋯。」
「こほん、それじゃ一つだけ教えてあげる。」
「⋯⋯ここなんてどうかな?」
机に沈み込むコウタを見て軽く咳払いをすると、シリスはその場に地図を広げてある一ヶ所を指し示す。
「——えっと、地図で言うと、この辺です。」
コウタはその場に地図を広げるとシリスが指差した位置と同じ場所を指差す。
「⋯⋯ボウの村か、何があるんだ?」
「魔物の巣窟として有名な数珠繋ぎの迷宮です。」
首を傾げるアデルの問いかけにコウタは真剣な表情でそう答える。
「古代の人間が山脈横断するために作ったトンネルの中に魔物が棲みつき、トンネルそのものが迷宮となってしまったダンジョンですわね。」
聞いたことがあるのか、セリアはベッドに座り込んで説明を付け加える。
「シリスさんは前回、約一週間この迷宮に籠ったそうです。」
「一週間も一人でか!?」
アデルは思わず驚嘆の声を上げる。
「そしてその間にレベルを七つ上げたそうです。」
「一般的にレベル四十を超えるとレベルを上げるのがそれまでより遥かに難しくなりますわ。実際に冒険者の大半はレベル五十に達する前に一生を終えることがほとんどですから。」
「レベル五十の壁というやつだな⋯⋯。」
コウタは初めて聞くその情報に苦笑いすると同時に今まで出会った冒険者達の殆どがレベル五十を超えていなかったことを思い出してその言葉に納得する。
それを裏付ける根拠として現在コウタ達のパーティーの中で最もレベルの高いセリアですらレベル五十を超えていないのがいい証拠であった。
「にもかかわらず、レベル五十を超えていながら一日約一つずつのペースでレベルを上げたのは驚異的と言わざるを得ませんわね。」
「だが、リスクが高すぎる。何もそこまでしてレベルを上げなくても⋯⋯。」
素直に感心するセリアとは裏腹に、アデルはやはり危険であるため、あまり乗り気ではなかった。
「でもそこまでしなきゃダメなんです。」
「⋯⋯しかしな。」
食い気味にそう言うコウタに対して、ため息混じりに頭を抱える。
「ゼバルと戦った時から⋯⋯⋯⋯いえ、その前からずっと感じていたんです。自分の力不足は。」
「もうここから先の相手に小手先のトリックは通用しないんです。だから強くなるしかないんです。」
「危険だと思うのなら僕一人で行く許可を下さい。お願いします。⋯⋯⋯⋯僕は、強くなりたい。」
そこまで言うと、コウタは深々と頭を下げて訴えかける。
「⋯⋯馬鹿か貴様は。」
それを聞いてアデルは更に深いため息をついて呆れ果てる。
「それが一番心配だということを分かっていないみたいですわね。」
同様にセリアも同じようにため息をつく。
「なら⋯⋯。」
「確かに、私も力不足は感じていた。」
「私もですわ。」
「⋯⋯⋯⋯。」
三人は各々全く違う反応を示しながらも同様に肯定の意を示す。
「行こう。次の目的地はボウの村、そして数珠繋ぎの迷宮だ。」