百十七話 魔王軍元帥
その日の夕方、マリーとコウタの二人は地図を頼りに街の中心から外れた狭い道を歩いていた。
しばらく歩いていると、マリーはコウタの顔を見て口を開く。
「私、ちょっと見直しちゃいました。」
「なにがです?」
「コウタさんってああいうのに本当に疎いですから、いきなり空気ブチ壊さないか心配だったんですよ?」
首を傾げるコウタに、マリーは悪びれる様子もなく辛辣な言葉をかける。
「一体僕をなんだと思ってるんですか⋯⋯。」
(⋯⋯鈍感男。)
じっとりとした視線とともに投げかけられる問いかけに、マリーは心の中だけでそう答える。
「別に、様子を見ていたかっただけですよ。戦っていた時からずっと、彼女にはロルフさんの言葉しか届いてませんでしたからね。」
戦闘の時の反応を思い返しながらコウタはため息混じりにそう答える。
「声と言えば⋯⋯⋯⋯レミラさんの声、元に戻るんですかね⋯⋯。」
マリーはレミラの掠れた声を思い出して不安そうに問いかける。
「さあ、あれだけ大きな力を使ったわけですから、ずっとこのままって可能性も充分あり得ると思いますよ。」
「なんか、可哀想ですよね⋯⋯。」
俯きながらそう呟くマリーを見て、コウタはその感受性の高さに素直に感心する。
「そこばっかりはもう本人の問題ですし、何より今度はロルフさんが支えてくれるでしょう。」
「⋯⋯レミラさん、これからどうなっちゃうんですかね。」
コウタが答えると、マリーの表情は更に険しくなる。
「⋯⋯容疑は殺人未遂と迷惑行為、と言っても実際人は殺してませんし、被害者のパトリシアさんも気にしてないって言ってますし、何より責任能力を問える状態じゃなかったですからね。もしかしたら案外すぐ解放されるんじゃないですか?」
そんなマリーとは対照的に、コウタは大した不安も持たぬまま指折りしながらそう答えてニッコリと微笑みかける。
「⋯⋯なら良かったです。」
それを聞いてマリーはホッとため息をついて胸をなで下ろす。
「⋯⋯それで、一つよろしいですか?」
「なんですか?」
それを見てコウタは暗い雰囲気を変えようとここぞとばかりに話題を切り替える。
「どうして付いてきてるんですか?」
「監視です。」
先程までのしおらしい態度から一変して堂々と即答する。
「えっと⋯⋯。」
「監・視・です☆」
コウタが戸惑っていると、マリーは据わった目で可愛らしくそう答える。
「はぁ⋯⋯⋯⋯別に僕一人でも良かったんですよ?」
深いため息の後、効果などほとんど期待できない説得を試みる。
「ダメです、コウタさん一人じゃ何が起こるか分かりませんから。誰かが監視してなきゃ。」
「アデルさんはまだ療養中ですし、セリアさんは貧血で歩ける状態じゃないですからね。」
これまでの経験からして、至極真っ当な意見をつらつらと述べていく。
「うーん、信用無いなぁ⋯⋯。」
ごもっともな意見を聞いて、理解していながらもイマイチ納得がいかない。
「⋯⋯ところで今何処に向かってるんですか?」
「図書館です。」
「図書館?」
即答で返ってきたその答えに、首を傾げて問い返す。
「僕と彼女が最初に会ったのが図書館ですし、何より秘密の話をするなら誰もいない所が好ましいですから。⋯⋯ほら、着きましたよ。」
軽く説明し終えると、コウタはそう言って立ち止まる。
「おお⋯⋯。」
目を向けると、そこには周囲の建物とは別の雰囲気を出している真っ白な建物がそびえ立っていた、
「ここが図書館⋯⋯。他の街と比べると、少し小さいですね。」
マリーは小さいながらも立派な佇まいを見せるその建物を物珍しそうに見つめる。
「街自体の規模がそこまで大きくありませんからね。」
対するコウタは慣れているからか、大した反応も興味も示すことなく建物の中へと入っていく。
「おや、今日は珍しいですね。」
中に入ると、そこには清潔感のある四十代くらいの中年男性が無感情とも思えるほど薄いリアクションで出迎える。
「⋯⋯人を探しているのですが、中に人はいますか?」
促される前にコウタはバックからギルドカードを取り出して男性に手渡すと、隣にいたマリーもいそいそと取り出して同じように男性に手渡す。
「ええ、若い男性と魔法使いの女性が二日ほど前から通っていますよ。」
二枚のギルドカードと手元の書類を交互に見て確認を取りながら、男性は愛想よくそう答える。
「やっぱりか⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯確認できました。入館を許可します。くれぐれも本の持ち出しと破損だけは行わぬようお願いします。」
確認を終えると、男性はマリーの分のギルドカードとまとめてコウタに返却する。
マニュアルで決まっているのか、図書館に来ると毎回言われる聞き飽きるほど聞かされたその言葉を、この男性も例に漏れずにその口から発する。
「はい、分かりました。⋯⋯さ、行きましょうマリーさん。」
男性に返事をすると、後ろでキョロキョロと周りを見渡すマリーに声をかける。
「あ、はい。」
マリーはコウタからギルドカードを受け取ると、トコトコと慌てて後ろをついていく。
保護者のような気分になりながら読書スペースに繋がる扉を開けると、そこには受付の男性から聞いた通り、中学生ほどの少女とフードを被ったガラの悪い男性が待ち受けていた。
「⋯⋯うわ、本当に来やがった。」
身分を隠すためなのか、フードを目深に被りながら、退屈そうに脱力するレウスは、コウタの顔を見るなり、苦々しい表情でそう呟く。
「⋯⋯?⋯⋯⋯⋯うわ、本当にいた。」
同時に、マリーも二人の存在を確認すると、驚嘆の声を上げる。
「⋯⋯遅い。」
まるで待ち合わせをしていたかのような態度でシリスはコウタの顔を睨みつける。
「すいません。昨日はMP酔いと怪我のせいで動けなくって⋯⋯。」
同じく待ち合わせに遅れたかのような態度でコウタもそれに答える。
「そっちの子も久しぶり、待ってたよ。」
「あ、はい。」
シリスはマリーの顔を見てそう言うが、あまりに馴れ馴れしい態度に、思わずマリーも戸惑いを見せる。
「随分手酷くやられたみたいだね。」
シリスはコウタの身体を見るなりすぐさま左腕に巻かれた包帯に目を向ける。
「ええ、四天王ほどではありませんでしたが、幹部クラスという評価はどうやら正しかったみたいです。」
「でも今はそれは別にどうでもいい。肝心なのは別のところにある。」
コウタの答えに対して、シリスはすぐさま本題に入る。
「呪剣、ですよね⋯⋯。」
「あんだけ奪われるなつったのによぉ。」
言いづらそうにするコウタにレウスがため息をついて寝転がる。
「やっぱりまずいですか?」
コウタ達はシリスの正面に座ると、苦い笑みを浮かべてそう問いかける。
「だいぶまずいかも。解放済みが一本あるだけでも相当まずいのに、二本となるともう仕掛けてきてもおかしくない。」
「⋯⋯僕達はどうすればいいんですか?」
シリスのその答えを聞いて事態を重く受け止めると、コウタは自信なさげにそう問いかける。
「今のところどうにも出来ないかな。少しでも強くなっておいて⋯⋯としか言えない。」
するとシリスは少し考え込んだ後、申し訳なさそうにそう答える。
「強く、か⋯⋯⋯⋯そういえば、彼らは何者なんですか?」
コウタの頭にはつい先日戦ったばかりの三人の姿が思い浮かぶ。
「親衛隊とかルシウス様がなんとか言ってましたけど、幹部では無いんですか?」
その内のリーズルと名乗っていた少年の発言を例に出して質問を続ける。
「うん、幹部ではない。」
「簡単に言えば幹部直属部隊の別称だ。ルシウス限定だがなぁ。」
シリスの短い肯定の言葉の後に、レウスが詳しく補足を入れる。
「直属部隊⋯⋯⋯⋯あれか。」
その単語を聞いてキャロル奪還戦で刃を交えたグリシャという男の名前が思い浮かぶ。
「どうやら初めてでも無いみたいだね。」
「はい、大分前に一度戦った事があります。」
シリスはコウタの表情を見てそう感じると、コウタの顔を覗き込んでニッコリと笑う。
「それで、その⋯⋯ゼバルの口からも聞いたんですけど、ルシウスって一体何者なんですか?」
「⋯⋯ルシウスってのは旧魔王軍時代から四天王として君臨してて、今もなおその椅子を守り続けてる男だなぁ。」
コウタが漠然とした質問を投げかけると、レウスはテーブルに足を乗せながらリラックスした体制でそれに答える。
「⋯⋯現在では魔王軍十人の幹部とその直属部隊を束ねる指令官であり、——」
「——先代魔王の実の息子。」
「⋯⋯っ!」
「そして親衛隊は旧魔王軍時代の幹部の役割を担ってた、つまり構成員は全員旧魔王軍のメンツってわけだ。」
レウスは退屈そうに興味もない図鑑に目を通しながら、次々と新しい情報を出していく。
「そしてその中には十年前の戦争で生き残った猛者達も複数いるの。」
「だから肩書き以上の実力があったんですね。」
シリスのその言葉を聞いてようやく彼らの実力の高さに合点がいく。
「その隊長クラスにもなりゃ、その実力は幹部を凌ぐどころか、四天王にすら匹敵するレベルだ。」
つまりは今回戦った敵は所詮序の口に過ぎなかったという訳だった。
「ルシウス自身の実力が完全に未知数だが、あいつの身体には間違いなく王の血が流れてる。一部じゃ、先代や当代の魔王以上の実力があるって噂もあるくらいだ。」
「だから気をつけて、というか、もし奴と相対するようなことがあっても戦おうなんて考えず迷わず逃げて。」
二人は対照的な態度で息ピッタリに説明を続けていく。
「お前らの実力じゃ、瞬殺される可能性すらあるからなぁ。」
そして最後に、レウスは付け加えるようにそう言って茶化すような笑みをコウタに向ける。
「⋯⋯はい。」
コウタは視線を下に向けながら、素直にその忠告を受け入れる。
そして——
——時は二日前に遡る。
魔族城の宝石が祀られた一室で閃光が迸ると、その中から隻眼の男ゼフォンが現れる。
「⋯⋯⋯⋯。」
部屋を出て二歩ほど歩いたあと、頬を滴る赤色の液体を指でなぞると、忌々しい表情で舌打ちをする。
(最後の一撃、少し掠ったか。)
「⋯⋯終わったのな?」
すると部屋の外から一人の少女が落ち着いた声でそう問いかけてくる。
「ええ、それよりも⋯⋯大丈夫ですか?」
鞘に収まったその剣を見せつけると、キエラの両腕に巻かれた包帯に目を向ける。
「ああ、既に傷の手当ては終わっているのな。」
「リーズル君は?」
それを聞き流しながらもう一人の少年の姿を探してそう問いかける。
「帰還してすぐ気を失ったのな。今は治療を受けている。」
「そう、無事なら良かったです。」
予想の範囲内の状況に安堵のため息をつくと、ゼフォンはゆっくりとした足取りで部屋から外に出ていく。
「貴様も報告に行く前に治療をしていったらどうだ?」
「いいえ、まずはコレを納めに行ってきます。」
頬の傷を乱暴にぬぐいながら、ゼフォンはそう答える。
「——いいや、その必要はない。」
「「⋯⋯⋯⋯!!」」
突如聞こえてきた声に、ゼフォンとキエラの二人は反射的に片膝をついて頭を下げる。
「親衛隊副隊長ゼフォン、及び同二名、只今任務より帰還いたしました。」
先程までとは比にならないほどのはっきりとした口調でゼフォンは目の前の男にそう答える。
「ああ、そういうのはいい。で、それが呪剣か?」
金髪の男は表情を変えることなく淡々とそう答えるとゼフォンが持つ禍々しいその剣に目を向ける。
「お納め下さい。」
ルシウスはその剣を受け取ると鞘から抜き出し、刀身を睨みつけるように凝視する。
「⋯⋯少し刃が欠けているな。」
「⋯⋯っ、申し訳ありません!」
正しく言えば刃こぼれ程度の傷であったが、それは確かに剣同士の打ち合いにによって生まれたものであった。
「いや、この程度なら問題ない。よくやってくれた。面を上げろ。」
「と、ところでルシウス様はなんで此処に?」
緊張からか体中に汗を滲ませながら、キエラは恐る恐る顔を上げる。
「今し方準備が終わったところでな、ついでに様子を見に来ただけだ。」
「準備ですか?一体何の?」
「任務だ。」
キエラの問いかけに、ルシウスは短くそう答える。
「ということは⋯⋯。」
「お前達はしばらく留守番だ。」
「——次の任務は俺も出る。」
ルシウスはそう言って二人に背を向けると廊下の奥へと去っていった。