百十二話 夕闇の中
マリーはゆっくりと前に歩き出すと、視線をシリスからその奥へと向ける。
「——す、すご⋯⋯⋯⋯。」
そして、目の前の光景に思わずそう呟く。
「ねえ、貴女。」
シリスはその小さな呟きを聞いて振り向くと、マリーに向かって声をかける。
「は、はい?」
「貴女、コウタの仲間なんだよね?」
マリーの目の前まで歩み寄ると、戸惑うマリーの顔を見上げてそう問いかける。
「そうですけど⋯⋯。」
(コウタさんのことを知ってる?もしかしてこの人が⋯⋯。)
「貴女の仲間の聖人さん。ステージの広場に倒れてるから、拾っておいて。」
マリーの考えを一瞬で吹き飛ばすようにシリスはマリーの背後の大通りを指差してそう言う。
「⋯⋯っ、セリアさんですか!?」
「うん。早くしないと死んじゃうかもよ?」
目を見開いて驚くマリーに、脅しをかけるようにシリスは首を傾げて問いかける。
「⋯⋯⋯⋯っ!!」
それを聞いたマリーは何も言うことなく広場に向かって走り出す。
「⋯⋯よし。後やることは⋯⋯。」
その様子を見送ると、シリスは深いため息をついて視線を目の前の冒険者達に移す。
「あ、あの⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯。」
その先には先程まで前線で剣を振っていたアリアが立っていた。
「どなたか存じ上げませんが、助けていただき、ありがとうございます。」
アリアは黙り込むシリスに向かって深々と頭を下げる。
「⋯⋯うん。助けておいてゴメンね?」
「⋯⋯へ?」
シリスは無表情のまま、右手をアリアとアリアの後ろに立ち尽くす冒険者達に向ける。
「⋯⋯⋯⋯静寂の氷牢」
瞬間、まるで氷の龍がその大きな顎を開くように、アリアの目の前には巨大な氷の壁がなだれ込む。
「なっ⋯⋯⋯⋯!?」
冒険者もブリカの街、ハサイの街の私兵団も関係なく、その場にいた全ての人間が牙を剥く氷の顎に飲み込まれる。
その頃、屋敷の目の前では魔物と化したレミラを相手にアデルが、苦戦を強いられていた。
「くっ⋯⋯。」
アデルは機を伺いながら火の玉や黒い蛇の突撃を回避していた。
「キャハハハハ!!」
「おおおおぉぉぉ!!」
迫り来る攻撃に合わせてアデルが剣を振ると八匹の蛇をまとめて消し飛ばす。
「⋯⋯⋯⋯ッ!?」
「折れろおおおおぉぉぉ!!」
衝撃で仰け反るレミラに急接近すると、呪剣に向かって自らの魔剣を振る。
「キャア⋯⋯!!」
が、呪剣と魔剣のぶつかり合いは、高い金属音を立てて互いに弾かれる。
「くっそ⋯⋯やはり硬いっ⋯⋯。」
剣を弾かれると、アデルは体制を立て直す為、一度大きく後方に引き下がる。
「カカカカカ⋯⋯⋯⋯。」
その隙をついてレミラは再び蛇を召喚する。
「また蛇かっ⋯⋯。」
「キシャァァァァ!!」
「⋯⋯斬空剣!!」
襲いくる蛇に風の刃を飛ばすと、その刃は蛇を両断し、その奥にいるレミラも弾き飛ばす。
「ぐあっ⋯⋯、ァァァァァァァァ⋯⋯。」
「⋯⋯っ!」
(⋯⋯今だ!!)
唸り声を上げてその場にしゃがみ込むレミラを見てアデルは一気に距離を詰める。
「——キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
アデルの接近に気がつくと突如レミラは大声を張り上げる。
その声は地面を震わせ、周囲の建物のガラスや木箱を破壊する。
「うぐっ⋯⋯⋯⋯!?」
アデルは耳から脳内へと響き渡る爆音に思わず耳を塞いで膝から崩れ落ちる。
(み、耳がっ⋯⋯⋯⋯。)
「ハアァ⋯⋯。」
レミラはアデルの姿を見てニヤリと笑うと、真っ直ぐに向かってくる。
「来るっ⋯⋯。」
アデルはそれを見て剣を構えるが、その瞬間に身体に灯る赤い光が消える。
「⋯⋯⋯⋯っ、くそ⋯⋯。」
瞬間、アデルの中から溢れていた身体の力の流れが断たれ、全身に激痛が走る。
「⋯⋯っ!?」
アデルが動かない身体を無理矢理動かして防御の構えを取るが、レミラの剣は無慈悲に振り下ろされる。
「⋯⋯アァ?」
が、その剣はアデルを貫く手前でピタリとその動きを止める。
「っ、コウタ⋯⋯。」
アデルの目の前には両手を交差してレミラの手首を抑えるコウタの姿があった。
「やって下さい!」
「⋯⋯斬空剣!!」
コウタの声に反応してアデルは剣を振る。
「チッ⋯⋯シャァァ⋯⋯。」
「——大丈夫ですか?アデルさん。」
「⋯⋯済まないな、コウタ。」
吹き飛ばされるレミラに注意を払いながらコウタはアデルに問いかける。
「助けに来ましたよ。」
「⋯⋯⋯⋯?済まないがもう少し大きな声で話してくれ。鼓膜が潰れてよく聞こえない。」
コウタがアデルにそう言うが、アデルの方は聞き取れなかったのか、首を傾げて問い返す。
「⋯⋯アレ、お知り合いですか?」
コウタは一度吐き出した言葉を飲み込んで、別の言葉を投げかける。
「ロルフ様のな。どうやら元許嫁らしい。」
(⋯⋯あの態度はこれが原因か。)
それを聞いてコウタはロルフの態度に納得する。
「あれが呪剣使いですか。」
そう問いかけるとコウタはレミラの持つ禍々しいその呪剣に〝観測〟のスキルを発動させる。
〝大蛇の呪剣〟使用者に悪魔の力を授ける。また使用者の実力に合わせて複数の蛇型の魔物を召喚する。
「ああ、身体能力が高いのと、後は蛇の魔物のようなものを八体ほど召喚する。後は⋯⋯火属性の攻撃を仕掛けて来る。」
「なるほど⋯⋯それで、あれはもう〝解放〟状態ってことでいいんですかね?」
アデルが細かく詳細を説明すると、コウタは異常とも言えるレミラの状態を見て苦笑いを浮かべる。
「ああ、一番厄介な状態だ。倒すぶんには問題ないが、殺さず無力化となると⋯⋯どうしたものか。」
「どっちにしろやるしかないでしょう。そろそろ動けますか?」
「ああ、いける。」
コウタの問いかけにそう答えると、アデルはフラフラになりながら立ち上がる。
「アアアアアアアアァァァァ⋯⋯!!」
「来ますよ!!」
レミラの叫びに反応すると、二人は武器を構え直す。
そして、ついに魔族の男も三人の姿を見つけ、その光景を見下ろす。
「門の兵は全滅⋯⋯リーズル君、キエラさんは既に帰還⋯⋯。」
「予想以上にやってくれましたね、中立派。」
魔族の男は柔らかい口調でそう言うが、据わった目で門の方を睨みつける。
「まあいい、人間側の戦力も残るはあの二人のみ。」
そう言って視線を真下にある最後の戦場に落とす。
「⋯⋯私が幕を引きましょう。」
魔族の男は、二人を睨み付けると狂気の笑みを浮かべてそう呟く。