百十一話 小さな大魔法使い
しばらく経って、コウタとリーズルの戦いは単調なものへと変化していた。
「くそっ⋯⋯⋯⋯。」
内容はリーズルが壁や瓦礫を足場にして立体的に移動しながら攻撃を仕掛け、コウタはそれを紙一重で避けるか受け流してそのまま投げ飛ばす、といったことの繰り返しであった。
「勢いを⋯⋯殺さず⋯⋯。」
コウタは回を重ねるごとに微調整を繰り返しながら、洗練された動きでリーズルの動きを捌いていた。
「このっ⋯⋯。」
(目が慣れてきた。それ以上に、パターンが分かってきた。)
流される度に着地し直して再び周囲を飛び回るリーズルを見て、コウタは徐々にその動きを分析し始める。
(周囲を飛び回りながらあらゆる方向から攻撃を仕掛けてきてるけど⋯⋯。)
(着地する足場は全部で九箇所のみ。内、攻撃を仕掛けてくる方向は四方向、確率で言ったら背後からの攻撃が一番多い。)
リーズルの動きを目で追いながら短時間に高速で脳を動かして思考を展開する。
(同じ方向からの攻撃は多くても連続で二回までしかしてこない。今のところ左方向から二回連続で来たから、次に来るのは確率的に⋯⋯。)
「⋯⋯後ろ。」
「おらぁ!!⋯⋯⋯⋯なっ!?」
予想通りに襲いかかる背後から首元へと狙いをつけた攻撃を身体を百八十度回転させながら回避する。
「⋯⋯ビンゴ。」
「ちぃ⋯⋯!」
「加速!!」
空中で目が合うと、コウタはガラ空きになったリーズルの腹部に加速で勢いをつけた強烈な蹴りを叩き込む。
「⋯⋯がはぁ!?」
「ぐぅぅあぁぁ⋯⋯。」
コウタの攻撃によって着地に失敗したリーズルはゴロゴロと地面に転がり回って瓦礫にぶつかって動きを止める。
(そろそろ仕掛けてみるか。)
「⋯⋯あれ?まさかもうへばっちゃたんですか?大したことないですね。親・衛・隊。」
コウタは一旦深く息を吐くと、ニヤリと笑みを浮かべながら這いつくばるリーズルの顔を見下す。
「⋯⋯っ、ナメてんじゃねぇぇぇぇ、クソがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その瞬間、リーズルは歯を食いしばり、両目を血走らせながら絶叫して地面を蹴る。
(⋯⋯⋯⋯来た。)
「付与!」
それに合わせてコウタは自らの身体に再び付与魔法を発動させる。
「死ねぇぇぇぇぇぇゴミがぁぁぁぁ!!」
殺意と怒りに任せて鉤爪のついた拳をスピードに乗せて突き出す。
「⋯⋯っ!?なん、だコレ⋯⋯!?」
が、リーズルの身体はコウタの手前で縫い付けられたようにぴたりとその動きを止められる。
リーズルは慌てて周囲を見渡すと自らの足元に移動阻害の魔法陣があるのを見つける。
(移動阻害っスか!?しかも一箇所に何個も⋯⋯一体いくつ重ねやがった!?)
発動した魔法陣はリーズルの足元のみに集中して展開されていた、それはまるで、そこに必ずリーズルが足をつくのが分かっていたかのように。
「⋯⋯動、かねぇ!!」
二重三重に発動する魔法は、リーズルの身体の自由を完全に奪っていた。
「⋯⋯貴方の敗因は二つ。」
「一つは遠距離系のスキルを一切持たなかった事⋯⋯。」
すかさずコウタは身動きの取れないリーズルに向かって走り出す。
「そしてもう一つは⋯⋯⋯⋯僕の負けた戦いをしっかり調べなかった事です。」
コウタはゼバルとの戦闘で思い知らされていた。余裕のない人間ほど行動が単純になりやすいと。だからこそ、リーズルの頭に血が昇るのを待っていた。
そして目の前まで近づくと走る速度を落とさぬまま両手に一本の大剣を召喚する。
「クソッ、クソがっ!!」
リーズルは魔法を解除しようとジタバタと身体を揺らすが、幾重にも重ねられた移動阻害魔法はリーズルの身体をガッチリと固定していた。
「動き、真っ直ぐ過ぎましたね?」
「クソがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!⋯⋯ぐっ⋯⋯⋯⋯。」
助走の勢いを殺すことなくコウタはその大剣を絶叫するリーズルに振り下ろす。
リーズルの身体は力なく崩れ始める。
(勝っ、た⋯⋯。)
そう思った瞬間、リーズルは身体中に力を入れ直して右腕をコウタに向かって振り下ろす。
「ま、だ⋯⋯だぁぁぁぁ!」
「ちぃ⋯⋯。」
コウタは即座に左腕で鉤爪の刃を防ぐと、空いた右腕を強く握り締める。
「そう来ると、思いましたよ!!」
肉に食い込む刃を無理やり弾きながら、コウタはその拳をまっすぐ突き出す。
強化された肉体から放たれる拳は、リーズルの顔面に突き刺さり、そのまま後方に吹き飛ばされる。
「ぶっ⋯⋯はぁ⋯⋯。」
「これで⋯⋯勝負ありでしょう。」
肩で息をしながら、コウタは倒れ伏すリーズルにそう問いかける。
「ま、だ⋯⋯。」
「⋯⋯!?」
「⋯⋯⋯⋯まだっスよ。まだ、負けてねぇ⋯⋯!!」
リーズルは胴体に大きな傷を受けながら、それでもなおフラリと立ち上がる。
「退いて下さい。これ以上無駄な体力は使いたくないんです。」
「オレには関係ねえっス。」
コウタは肩で息をしながら面倒くさそうにそう言うが、即座に断られる。
「なにより、やられっぱなしじゃオレの気がすまねぇんスよ!!」
「⋯⋯だったら、殺して次に行くだけです!!」
激昂するリーズルに対して、コウタも殺気を全開にして向かい合う。
「そんな事言ってらんなくなるっスよ?」
「⋯⋯何を?」
リーズルはそう言って笑うと、自らの身体にかけた付与を解除する。
「————。」
新しい技なのか、何かを訴えようとするのか、リーズルは口を動かすが、その言葉はコウタの耳には届かず、口パクのように音が消える。
「そこまでなのな。」
直後にコウタとリーズルの耳に一人の高音の女の声が聞こえる。
「⋯⋯貴女は!」
声のする方を見るとそこには先程出会ったゴーグルをかけた魔族の少女が高い建物の屋根の上に立っていた。
「⋯⋯⋯⋯。」
コウタは新たな敵の出現に、慌てて剣を召喚して構える。
「⋯⋯どうやら間に合ったようなのな。」
身体中がボロボロになっていた少女はそんなことなど気にせず屋根の上から飛び降りる。
よく見ると右腕は血みどろではあるがギリギリ動き、左腕に関してはボロボロになって完全にぶら下がっているだけのように見えた。
「————!!」
「ああ、すまぬな。」
何かを訴えるリーズルを見てゴーグルの少女はそう言うと気がついたように自らの能力を解除する。
「下がっててください。邪魔しないで欲しいっス。」
しっかりと声を発することができるようになると、リーズルは少女に下がるように促す。
「と言っても負けそうだったのな。これ以上は無駄死にするだけな。」
「だから今から本気出すんスよ!!」
リーズルはそう叫びながらゴーグルの少女の言葉を否定する。
「我々の目的は時間稼ぎなのな。そしてその目的は充分果たせた。」
「⋯⋯それに、今ここで手の内を晒すのは得策ではないのな。」
少女はリーズルの耳元に口を寄せると、小声でそう言い聞かせる。
「⋯⋯⋯⋯。」
リーズルは悔しさを滲ませながら下唇を強く噛みしめる。
「帰るのな。」
「⋯⋯⋯⋯嫌っス。」
駄々をこねるように短くそう断る。
「——召喚」
コウタはそんな二人に向かって容赦なく召喚した剣を飛ばす。
「⋯⋯⋯⋯っ!?」
少女の後ろからリーズルが鉤爪で放った剣を全て叩き折ると、再びニヤリと笑って臨戦態勢に入る。
「⋯⋯はっ、そっちがその気ならやってやるっス!」
リーズルはそのまま前に出ると再び先程と同じように別の技を使おうと前に出る。
「ちぃ⋯⋯。」
少女は前に出るリーズルの首元を右腕で羽交い締めにするとその手に握られたガラス玉を砕く。
「————!!」
辺りに閃光が迸る中、コウタは音を消され、口パクで何かを叫ぶリーズルが見えた。
「⋯⋯逃げられたか。」
二人の姿が完全に消えると、コウタは血の滴る左腕を抑えながら深くため息をついて天を仰ぐ。
「⋯⋯あの女、セリアさんと戦ってた奴だった。」
(それがこの場に来たって事は考えられるパターンは三つ。)
一つ目は相対していたセリアが勝ち目がないと踏んで逃げ切ったパターン。
二つ目は戦闘でセリアが優位に立つ、もしくは女が足止めの役目を充分まっとうしたからなどの理由で女の方が逃げてきたパターン。
そして三つ目はセリアが敗北、又は殺害されてしまったパターン。
(一つ目と二つ目の場合は多分問題ないはず⋯⋯。)
逃げるにしろ逃すにしろ、相対していた女は既に撤退している上、パーティの中で唯一回復魔法が使えるセリアならば問題はほとんどないはず。
(最悪なのは三つ目だけど⋯⋯。)
その可能性はあまり高くはなかった。リーズルに言った「目的は果たせた」という言葉や、両腕や首筋、胴体につけられた決して浅くない傷、消耗しているコウタ相手に二人がかりであるにもかかわらず、迷わず逃げる選択を取ったことから考えると二つ目のパターンが濃厚であった。
「信じるしかないか。」
(それより今、一番問題なのは⋯⋯。)
再びため息をついた後、マジックバックの中から包帯を取り出してコウタは屋敷の方に目を向ける。
「みんな、無事でいて下さい。」
左腕の治療をしながら小さくそう呟くと、コウタは屋敷の方に向かって歩き出していく。
そんなコウタを見届けたレウスは、何も言わずに視線を前に向けると、遠くの方に見える少女の方に向かって足を進める。
そして数秒もしないうちにそこまでたどり着くと、その少女、シリスに向かって苛立ちを隠しもせずにそう問いかける。
「ようやっと見つけたぜ。」
「よく分からないけど、おつかれさん。」
屋上の手すりに腰掛けながらシリスは興味なさげにふらふらと手を振ってそう答える。
「この女っ⋯⋯。」
「⋯⋯どうだった?」
血管がブチ切れそうなレウスに、シリスは短くそう問いかける。
「チッ、聖人の方は勝ったけど行動不能。勇者は勝ってそのまま屋敷の方に向かってった、って感じでーす。」
「⋯⋯つまり、現状一番やばいのはここだね。」
完全に呆れ果てながら答えるレウスに対して、シリスは真剣な表情で会話を続ける。
「⋯⋯そっすね。」
レウスもそれを察してか、ほんの少しだけ鋭い視線で答える。
「そんじゃ、私もちょっとだけ遊んでこようかな。」
シリスはそう言って手すりから飛び降り、ポキポキと全身の骨を鳴らして準備運動する。
「やめてくだせえ。さっき余計なことすんなって、釘刺されたばっかなんすから。」
それを見てレウスはかなり強い口調でシリスを諌める。
「でも今監視してる奴はいないんでしょ?」
「そりゃ、そうですけど⋯⋯。」
何の問題あるのかと言わんばかりの不思議そうな表情を浮かべるシリスに、レウスは呆れた様子でボソボソと反論の言葉を探す。
「じゃあ、下の奴全員殺せばバレないでしょ?」
「そんなリスキーなこと、やらせるわけないでしょ。」
それでも諦めないシリスに、レウスは頭を抑えて面倒そうに淡々と答える。
「個人の喧嘩は個人の自由。でしょ?」
「ちょっと喧嘩売られに行ってくる。」
珍しくニッコリと表情を変化させると、反論する隙すら与えずにその屋上から飛び降りる。
「ちょ、まっ⋯⋯!?」
「あん、の⋯⋯バカ女ぁぁ⋯⋯⋯⋯!!」
残されたレウスはガリガリと頭を激しくかいて押し殺すような声で腹の底からそう叫ぶ。
人間側対魔王軍側の戦いは、シリス達の言葉通り、魔王軍側に分があった。
それでも人間側が踏みとどまっていたのは片腕で戦っているにも関わらず、指揮と前衛の両方をこなしていたアリアの活躍が大きかった。
「負傷者は下がって、A班出て!!」
「アリアさん!回復追いつきません!!」
だがしかし、自ら前線に立ちながらの指示も徐々に噛み合わなくなってきていた。
「⋯⋯っ、どうすれば⋯⋯。」
アリアはそれを聞いて立ち止まると、一旦周囲を見渡す。
「アリアさん後ろ!!」
気が逸れたその瞬間、マリーはアリアの背後に剣を構える魔王軍の魔族の姿が見えた。
「くっ⋯⋯⋯⋯。」
マリーの声に反応して振り返るが、咄嗟のことで反応が遅れてしまう。
「ヒート・キャノン!!」
「ぐぁ⋯⋯!?」
間に合わないと判断したマリーが、魔法を放つと、魔族の男は火の玉に直撃して白目を剥きながら地面に沈み込む。
「すみませんマリーさん。」
「⋯⋯大丈夫です!」
マリーは返事とともに親指を立てて合図を送る。
「大丈夫、だけど⋯⋯。」
(やっぱり押されてる⋯⋯。)
(MPの回復は早いけど、魔法の使い過ぎで⋯⋯MP酔いが⋯⋯、頭がフワフワする⋯⋯⋯⋯。)
目に映る景色がぼやけて揺れ始めてくると、マリーは思わず弱音を吐きそうになる。
「このままじゃ⋯⋯。」
そんなマリーの思考は直後に断ち切られる。
「——断罪の風刃」
高く、そしてほんの少しだけ幼さの残った凛々しい声が戦場に流れる喧騒を一刀両断する。
「なっ⋯⋯ちょ⋯⋯!?」
魔王軍側と人間側の間、丁度戦場のど真ん中に巨大な風の刃が突き刺さると、その余波で互いの戦士たちは一人残らず後方に数十メートル程吹き飛ばされる。
「何が⋯⋯!?」
「——よし、分断成功。」
風が止むと、深く穴の空いた石畳の横に、マリーと同年代か、それよりも小さいくらいの女の子が舞い降りる。
「何者だ!?」
突然巻き起こった暴風、その中から現れた無表情の少女。
魔族の戦士たちはそんな状況下で至極当然な問いかけを投げかける。
「⋯⋯私はね。散歩中の一般人だよ。邪魔くさかったから道を開けたの。」
無表情で魔王軍側に振り返ると、シリスは太々しい態度でそう答える。
「ふざけたことを!!やってしまえ!!」
訳の分からない回答に、当然問いかけた魔族たちは激昂してシリスに襲いかかる。
「⋯⋯あーあ、魔王軍は一般人に手を出すんだ?」
だがそれを見てシリスは、まるで子供同士が煽りあうような口調で問いかけると、その口元を小さく歪める。
「じゃあ、やり返されても文句言えないよね?」
無表情だったはずのシリスの顔は一気に狂気と殺意の込められた目つきに変わる。
「⋯⋯っ!?」
瞬間、マリーは感じたことの無いような悍ましい感覚に襲われる。
「絶対凍土」
その言葉と同時にシリスの周囲に一輪の氷の花が浮かびあがり、瞬時に花が散ると、散った花弁が落ちた地面が凍りつき始める。
凍結した地面から少しずつ氷の壁が出来上がるとそれは真っ直ぐに前方へと進んでいき、ついには氷の波が出来上がる。
氷の波は徐々に速度を上げ、逃げる暇もなく前方にいる全ての生命体に牙を剥く。
「なん、なんですか、この尋常ならざる⋯⋯冷気はっ⋯⋯⋯⋯!?」
そしてその冷気は攻撃とは逆側である人間側にまで甚大なダメージを与えていた。
「くっ、ああ⋯⋯。」
氷撃の余波で本来の標的ですら無い冒険者達の身体に少しずつ霜が降り始める。
「この威力、もしかして⋯⋯。」
マリーは火属性の魔法を目の前に盾のように広げることで己の身を守る。
氷の波は全てを飲み干してもなお止まらず、全開に開かれた門を通り抜けて五百メートル程先の草原まで凍りつかせて漸くその動きを止める。
「嘘っ⋯⋯。」
冷気が止まり前方に目を向けるとマリーは目の前の現実離れした光景に思わず息を飲む。
「あの魔族の軍勢を、たった一撃で⋯⋯。」
先程まで相対していた敵は道を完全に塞ぐほどの巨大な氷塊に一人残らず閉じ込められ、そして抗うことも出来ずに次々と氷の中でその命の華を散らしていく。
「なに⋯⋯この威力?」
アリアは周囲を見渡して恐怖と驚愕の混じった表情で途切れ途切れに問いかける。
「これであなた達全員私の経験値になっちゃったね。」
「⋯⋯ごちそうさま。」
氷のように冷たく無機質な表情でシリスは目の前の氷塊に小さくそう呟く。
そしてマリーにはそんなシリスの表情が、ほんの少しだけ笑っているように見えた。