百十話 藪蛇
ブリカの街の領主ロルフの屋敷前では静寂の中を切り裂くように純白紅眼の蛇が赤髪の騎士を襲っていた。
「こいつ、急に⋯⋯。」
アデルは特殊な軌道を描きながら高速で襲いかかる巨大な蛇を身体を捻りながら回避し続ける。
「逃げるなぁ!!」
レミラは一気に距離を詰めると、剣と蛇の両方で同時に攻撃を仕掛ける。
「速いっ⋯⋯⋯⋯。」
後ろに下がって距離をとるが、白い蛇はアデルの剣に噛みつき、強く咥え込む。
「ははっ、捉えた!!」
動きの止まったアデルに向かってレミラは剣を振る。
「ちっ⋯⋯⋯⋯。」
「——斬空剣!!」
咄嗟にゼロ距離で風の刃を放つと、風の刃は蛇を切り裂きその後ろにいるレミラにまで届き、そのままの威力で数メートルほど後方に吹き飛ばす。
「「なっ⋯⋯。」」
そのあまりの力に二人は思わず驚愕の声を上げる。
(⋯⋯なんだこの威力!?)
「これが、貴様の力なのか?」
今まで見たこともない力にアデルは小さな畏怖を持って、握り締める魔剣を睨み付ける。
「はっ、ははっ⋯⋯この程度では話になりませんか。そうですか!」
フラフラとよろめきながら立ち上がるとギロリと鋭い視線をアデルにぶつけてニヤリと歯を見せてはにかむ。
「⋯⋯⋯⋯だったら!!全力で!!叩き潰すまでです!!」
血走った目で強くそう叫ぶとレミラは呪剣に力を込め始める。
「呑み干せ!」
その言葉と同時に、レミラの持つ呪剣から八匹の蛇がズチュ、と生々しい音を立てて飛び出す。
「⋯⋯⋯⋯増えた!?チッ⋯⋯。」
襲いかかる八匹の蛇を見てアデルは先程と対応を変える。
まずレミラに背を向けて走り出すと一匹目の蛇を飛び上がって回避し、二匹目も身体をいなして躱すと、三匹目をを剣で受け止めて方向をそらすことで回避する。
「だ、から⋯⋯逃げるなっての!」
次にレミラは三匹同時に攻撃するがアデルはレミラの周囲を回るように横方向に走り出していずれも回避する。
「手数は増えたが、ギリギリ対処出来る。」
最後の二匹を近接用に残しているのを見てアデルはそう確信する。
「だったら⋯⋯禍焔大蛇!!」
その叫びと共に宙を漂う二匹の蛇が口を開けるとその中に赤いエネルギーが収束していくのが見える。
「ちっ⋯⋯おおおおぉぉぉ!!」
アデルは周囲の地面に刺さっていた蛇たちも同様にこちらに向けて大口を開いているのに気付くと慌ててレミラに突撃する。
「⋯⋯遅い!」
言葉通り、形作られた八つの紅の火球がアデルに向かって襲いかかる。
「⋯⋯爆裂斬!!」
最初に飛んできた一つの球を相殺するが、視界の端には残った七つの球が既に砲撃体制を整えていた。
「⋯⋯⋯⋯シャット・アウト!!」
アデルのとった選択は回避ではなく防御であった。
スキルが発動した直後、七つの火球がアデルに衝突し、黒煙を上げる。
「来るっ⋯⋯!」
耐えられた、と直感でそう確信すると次なる反撃に備えてレミラは剣を構える。
「⋯⋯⋯⋯白光剣」
その確信通り、煙の中からは殆ど無傷のアデルが光り輝く剣をレミラに向かって横薙ぎに振るう。
「ぐっ⋯⋯⋯⋯なっ!?」
その衝撃によってレミラの呪剣は上向きに弾き上げられる。
「⋯⋯気を付けろ、その剣は二回当たる。」
輝く剣が通り過ぎた剣筋をなぞるように光の斬撃が剣を振った速度と同じ速度でガラ空きになったレミラの胴体に襲いかかる。
〝白光剣〟ノーマルスキル。斬撃の後に同威力の光の斬撃が剣筋を追尾する。
「ちぃ⋯⋯⋯⋯黒塒!!」
レミラの周りに浮かぶ二匹の蛇が言葉と同時に真っ黒に染まると、蛇が塒を巻くようにレミラに巻きつく。
巻きついた黒い蛇は、その圧倒的硬度をもって盾のようにアデルの斬撃を阻む。
(硬いっ⋯⋯。)
「まだだ!」
「白光剣——斬空剣!!」
鋼鉄を斬ったような感覚にも止まることなくアデルは更にスキルを重ねると、黒い二匹の蛇は悉く両断されて霧散する。
「甘いっ、喰らえ!!」
黒くなった蛇に斬撃を放つとレミラはその背後からバラバラに放っていた六匹の白い蛇を集結させ喰いかからせる。
「ちっ⋯⋯⋯⋯斬空剣!」
アデルはそれを見るとクルリと身体を反転させて背後に風の刃を放つ。
「黒塒⋯⋯ぐっ!?」
六匹の蛇が黒く染まりきる前にアデルの斬撃によって弾け飛ぶ。
「ちぃ⋯⋯。」
アデルがもう一度剣を振り下ろすと、レミラは苦しそうにそれを受け止める。
「⋯⋯やはりな。」
アデルは確信したような口調でレミラに言葉を投げかける。
「⋯⋯なんですか?」
「⋯⋯⋯⋯貴様は元はただの商人だ。剣さばきも、立ち回りも、他の冒険者に比べ半歩劣る!!」
ギリギリと押しながらもう一歩強く踏み込むと、アデルはレミラの剣を弾き上げる。
「舐めるな!!」
「暗黒塒」
激昂の後に、詠唱と共に再び八匹の蛇が召喚されると、今度は最初から蛇は真っ黒に染まる。
アデルは迎撃しようと剣を振るが、その斬撃は先程とは違い切り払われる事なくピタリと止まる。
(更に、硬くなった!?)
「だったら、距離を詰めるだけだ!!」
襲い来る八匹の蛇を潜り抜けてアデルはレミラに向かってまっすぐ走り出す。
そして迷うことなく再び剣を振り下ろすと同じようにレミラも受け止める。
「ぐっ⋯⋯⋯⋯かかった!!」
一つ違うのはレミラの方の対応。レミラはアデルの背後から八体同時に黒い蛇を襲わせる。
「ちっ⋯⋯。」
「ぐっ⋯⋯!?」
アデルはレミラの腹部を蹴り飛ばした後に、後方に飛び退いて回避する。
「チョロチョロと⋯⋯そんなに私の邪魔をしたいの!?」
レミラは呻き声を上げながら立ち上がると腹部を抑えながらそう絶叫する。
「ああ、邪魔するさ。例え貴様があの方を愛し、あの方が貴様を愛していようが、パトリシア様が死んでいい理由にはならないであろう。」
アデルは当然だと言わんばかりに躊躇いなく堂々とそう答える。
「うるさいっ!!うるさいうるさいうるさい!!私が、どんな思いで身を引いたかなんて貴女にはわからないでしょ!?」
レミラは頭を横に激しく降ってその言葉をかき消す。
「嬉しかったのに!!大好きだったのに!!でも!!縁談の話なんて上がっていたら、引くしかないじゃないですか⋯⋯。」
「私が、あの方の足を引っ張るわけにはいかないじゃないですかぁ⋯⋯。」
震えながら流す涙は、頬を伝い、その手に握られた呪剣に滴り落ちる。
「なら何故——」
「——でも、もういいんです。」
「⋯⋯⋯⋯今はなんだかとっても気分が良いんです。自分の感情に素直になれる感じ⋯⋯。」
何故、と問いかけようとするアデルの言葉を食い気味に遮ると、レミラは恍惚とした表情で虚ろな視線を宙に投げかける。
「だから、もう迷わない。」
不安定な情緒は漸く決意に変わる。
「それで戻ってきた訳か。」
レミラを強く睨みつけると、同時に別の思考が頭に流れる。
(流石は呪剣、凄まじい力だ。だがこちらだって負けていないはずだ。)
(呪剣だって結局は魔剣だ。同じ魔剣なのに、何故ここまで差ができる?)
自らの剣とレミラの持つ呪剣を見比べてそんなことを考え始める。
(剣自体の格が違うのか、それとも私がこの剣の力を引き出し切れていないというのか?)
あくまで可能性の一つだが、それでもその考えが頭を過ぎった瞬間にアデルは自らの無力を思い知らされる。
「くっ⋯⋯⋯⋯。」
視線を落としながら歯を食いしばり、手に持つ剣を更に強く握り締める。
(あいつはまだ先にいる。)
その瞬間、彼女の頭の中には、一人の少年の顔が思い浮かぶ。
それは相棒と呼ぶにはあまりにも遠く、あまりにも力量差のある仲間だった。
(あいつでも勝てない敵が後四人もいる。)
その次に浮かんだのは草原で出会ったゼバルと呼ばれる魔族の男の顔だった。
(強い冒険者に会った。あいつ以上に力を使いこなす冒険者がいた。)
最後に頭を過ぎったのは、ニオン街で出会った二人のオリジナルスキル使い。
(あいつの背中はまだ遠い、だからこそ、ここで負ける訳にはいかない!!)
その少年の隣に立てるように、そして何よりも復讐という目的を達する為に。
「もっと寄越せ!!貴様の力を!!」
剣を真っ直ぐに構えてそう叫ぶと魔剣は紅く眩い光を発して、その光は周囲に広がる。
「死ね⋯⋯。」
レミラは膨れ上がるその光に向かって躊躇いなく八匹の蛇を撃ち放つ。
「おおおおぉぉぉ!!」
アデルは溢れ出てくる力を放出するように剣を振ると、八匹の蛇は左右に引き裂かれる様にボロボロに弾き飛ばされる。
「⋯⋯⋯⋯なんで?」
為すすべがなかったはずの黒い蛇は紅く煌くその剣によって完全に打ち砕かれてしまう。
レミラは目の前で起きた現実に唖然とした表情で立ち尽くす。
「⋯⋯っ、この力は?」
アデルは未だ混乱した状態のまま、赤い蒸気のようなエネルギーを発し続ける剣を見つめる。
(そうか、これが⋯⋯⋯⋯魔剣の力か。)
剣を握り締め、新たな力にアデルの心は否が応にも激しく高揚する。
「暗黒塒!!」
「爆裂斬!!」
二人は強力な技をぶつけ合わせると周囲に衝撃波が生じる。
「私は負けない!!」
「私は止まれない!!」
爆発する斬撃とぶつかり合った蛇はそのあまりにも高い威力に砕かれて消え去る。
「おおおおぉぉぉ!!」
「はあああぁぁぁ!!」
絶叫の後に二人は一気に距離を詰めて剣をぶつけ合い、鍔迫り合いになる。が、押しているのはアデルの方であった。
「ぐっ⋯⋯⋯⋯。なんでっ、押し負ける!?」
「貴様を超えて、私は強くなる。」
急激に強くなった敵に動転するレミラをアデルは容赦なく突き飛ばす。
「がっ⋯⋯⋯⋯。」
「くそっ⋯⋯私はっ!!」
「——レミラ!!」
ガバッとアデルの方を向き直ると、アデルとは違う男性の声がレミラの耳に届く。
「⋯⋯ロ⋯⋯ル、フ様⋯⋯⋯⋯?」
目を向けると屋敷の中からロルフがこちらを向いて歩み寄ってくるのが見えた。
「レミラッ、なんで⋯⋯。」
「私は⋯⋯貴方を。」
レミラは震えた声でそう言うとゆっくりとロルフに向かって手を伸ばす。
「ダメッ!危ないわ!!」
そんなロルフを後ろからパトリシアが引き止める。
「⋯⋯⋯⋯っ!!」
パトリシアがロルフの手を握っている様子を見てレミラは一気に頭に血が昇る。
「その方に、触れるなぁぁぁぁ!!」
絶叫と共にレミラの持つ呪剣からはドス黒い力がヘドロのように溢れ出す。
「これは⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯ああああぁぁぁぁ!!」
禍々しいそのエネルギーはレミラの身体にまとわりつき、そして体内へと浸透していく。
「レミラッ、レミラ⋯⋯⋯⋯!!」
「ダメだって!!」
明らかに様子のおかしいレミラを見てロルフは慌てて手を伸ばすが、パトリシアが必死にそれを止める。
「う、あ⋯⋯⋯⋯ああ⋯⋯がっ⋯⋯ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
レミラの絶叫は徐々に膨れ上がり、耳をキンキンと貫く不快な金属音の様に響き渡る。
「こ、この声はっ!?」
「くっ、うるさっ⋯⋯い。」
周囲のガラスが割れるほどの高音にロルフたちは耳を塞いで悶え苦しむ。
「まさか⋯⋯。」
アデルはその様子を見てナスト公国で戦闘を繰り広げた殺人鬼の姿を思い出す。
「アアあァ⋯⋯。」
肌は純白に染まり、眼球は真っ赤に、まるで先程の蛇の様な色彩を放ち、禍々しい力を帯びてレミラだったものは一人空を見上げる。
「レミラ⋯⋯?」
目を大きく見開きながらロルフは震えた声で恐る恐る問いかける。
「⋯⋯⋯⋯アはぁ?」
真っ赤に染まる眼を見開きながらこちらを振り向く彼女の姿は、もはや人間の面影など微塵も感じられなかった。
「っ!!二人とも下がれ!!」
圧倒的なまでの圧力と殺気を肌で感じ取るとアデルは上擦った声で二人を下がらせる。
「きゃハハハハハハ!!」
もはや疑いようもなく魔物と化したレミラは一直線にパトリシアに襲いかかる。
「速い!」
「うそっ⋯⋯!?」
「⋯⋯っ!!」
パトリシアに向かってその呪剣が振り下ろされようとしたその瞬間、アデルはギリギリで二人の間に割り込むと、レミラの攻撃を受け止める。
「アデルさん⋯⋯。」
「逃げろっ⋯⋯早く!」
アデルはその一撃で足首ほどまで地面に沈み込みながら背後にいる二人にそう促す。
「しかし⋯⋯。」
「⋯⋯⋯⋯行きましょう。」
躊躇うロルフをパトリシアは強引に手を引きながら下がらせる。
「ちょ、パトリシア様!」
「いい加減にして!!どう考えても私たちが足を引っ張ってるじゃない!?」
パトリシアは悲痛な表情でロルフの肩を掴んでそう叫ぶ。
「⋯⋯⋯⋯っ!」
そこまで言われて漸く事の重大さに気がつくと、ロルフは一瞬歯を食いしばり屋敷に走り出す。
「⋯⋯行ったか。」
(この姿、まさかこのタイミングで〝解放〟してしまったのか?)
アデルは二人を見送ると、目の前の敵に視線を向ける。
「アああ、い⋯⋯や。」
「⋯⋯⋯⋯っ。」
アデルは魔物と化したはずのレミラの顔が苦痛に歪むのを感じ取る。
(まだだ、まだこの女は完全には取り込まれていない。)
アデルにはレミラの浮かべるその表情が欲望に呑まれた姿には見えなかった。
「カカッ⋯⋯キャハァ!!」
レミラはそんな事など関係なく再び一匹の蛇を召喚してアデルに叩きつける。
「⋯⋯っ、アデルさん!!」
「⋯⋯あれは?」
大きな音に反応して、ロルフがアデルの名を呼ぶが隣にいたパトリシアはその光景に違和感を感じる。
「⋯⋯⋯⋯。」
殺意を持って打ち込まれた黒い蛇は、赤いエネルギーを発し続ける一本の腕に捕まれ、その動きを停止していた。
「正直、分からないことだらけだ。力も思惑も、貴様の迷いも。」
全身から迸る赤いエネルギーは偶然にも魔剣から放出される力と近い色彩を放っていた。
「だから、救ってみせる。この街も、彼らも、そして貴様も!!」
アデルは左手に掴むその蛇を強引に握り潰すと、レミラの持つ呪剣に思い切り斬りかかる。
レミラの身体はその衝撃で後方に十数メートル程吹き飛ばされる。
「まずはその剣を叩き折って貴様を正気に戻す。」
剣を前に突き出し、紅の騎士は強い覚悟を持ってそう宣言する。