Act.0 眠らぬ都市にて
光差すところに陰が出来るように、人々が当たり前に生活しているすぐそばで闇が蠢く。
それはまさに『一寸先は闇』。大通りから一つ裏通りに入るだけで魑魅魍魎が闊歩している、なんてこともあるかもしれない。
愛知県は名古屋市。草木も眠る丑三つ時となっても眠らぬ都心部の路地裏で、不幸な女性が異形のバケモノに追われていた。人のように二足歩行はするが、三メートルはあろうかと言う巨駆に、その腹部は醜く膨れ上がり、右手にはどこからか盗んできたスレッジハンマー。人と豚が混ざりあったかのような顔の歪んだ唇からは鼻が曲がる程の悪臭を放つ涎が垂れ流されている。
「だ、誰か助けて!」
女性の叫び声が都会の雑踏に紛れて虚空に消えていく。表通りを行く人々は女性の叫び声どころか現実離れしたこの状況を知る由もない。
あれからどれだけ走っただろうか、追ってくるバケモノから逃れんと右へ左へと曲がり、走りづらいハイヒールも脱ぎ捨てて足は傷だらけ。それでも止まれば殺されるという危機的状況が彼女の足を動かしていた。
しかし、それもここまで。女性が左に曲がった先には行き止まり。振り返ればついに追い詰めたと言わんばかりにニタリと笑い一歩、また一歩と迫り来る。背中には壁、どうすることもできない非力な女性は座り込み、最期の時を静かに震えて待つのみ。
そしてバケモノが止めを刺さんとスレッジハンマーを振り上げたその時、スレッジハンマーが腕ごと、鈍い音を上げながら落ちた。
「い、いいい、いいでぇええなぁああ! 誰だぁああ!」
苦悶と憤怒の混じった顔で、後ろに振り向くバケモノ。そこには薙刀を持った女子高生程の少女が不敵の笑みを浮かべていた。
少女は薙刀を得意げにクルリと回すと、切っ先をバケモノに向け、指で挑発する。激昂したバケモノは少女に突進して左腕を振り回すが、避けるか受け止められて翻弄されるのみ。それどころか左腕を振り上げた一瞬の隙を突かれて左腕までもが切り落とされた。
「ブヒィイイイイイ!?」
「喚いてる暇は無いわよ!」
少女は防ぐ術を失ったバケモノを薙刀で何度も切り裂き、大きくよろめいて尻餅をついたバケモノの喉元に鋭い一突き、バケモノに止めを刺した。ドスンと音を立てて崩れ落ちるバケモノを見届け、懐のポケットからスマートフォンを取りだして短く操作をすると、踵を返して夜の帳に消えていった。
愛知県は名古屋市。もうじき夜が明けて曙光がツインタワーを照らし出すだろう。その頃には女性は家に送り届けられてバケモノの亡骸はなにもなかったように消え去ることだろう。