3話 魔法と先生
溝掃除をした次の日。昨日と同じくおっさんの爆音目覚ましで起床し、朝食を食べてから、俺たちは再び町へ出ていた。
「今日の仕事は分担するぞ」
おっさんが言うには今日は仕事の依頼が多数入っており、俺の仕事ペースに合わせていると終わらないらしい。
確かに俺とおっさんでは仕事ペースが桁違いで、完全に足手まといになっている。そう考えると仕事を分担するのは効率的だと言えるだろう。
「けど今の俺に出来る仕事なんてあるのか?」
「おう、あるぜ!坊主はこの包みをこの町の広場にある花屋の婆ちゃんに届けてくれ」
配達の仕事もあるようだ。これなら俺でも出来る。今日こそはおっさんの手伝いをしたいからな。
「分かった。で、終わったらどうしたらいいんだ?」
おっさんといえども俺が一個の仕事を終わらせる一時間程の間に何個もの仕事をこなせるとは思えない。
「町を見て回ったらどうだ?色々と勉強になると思うからよ」
恐らくおっさんは俺に仕事をさせると共に町を回ってこの世界の勉強をさせようと配慮してくれたのだろう。こういうところは気が回るいい人なのだ。
素直に感謝してからお互いに仕事を開始した。
おっさんは俺の前から一瞬のうちに走り去ってしまった。おっさんの運動能力が凄すぎて唖然とした。
目的の花屋はすぐに見つかった。おっさんと別れた道から道なりに進めばいいだけだったのだ。
広場は活気に溢れていた。中央には噴水があり、その周りには屋台のようなものがあった。天気の良い日なので広場にはぼうっとしている人もいたし、噴水の周りを駆けている子供達もいた。
「えぇ?ガリアちゃんのところの届け物かい?わざわざありがとうねぇ」
花屋に着くと店番をしていたお婆さんがすぐに気づいてくれた。ガリアの名前を出すとすぐに理解してくれたので助かった。
「お茶でも淹れるからゆっくりしていきなさい」
お婆さんは俺を店の奥の部屋に案内してくれた。すると部屋の奥から声が掛けられた。
「ばあちゃん、ガリアさんが来たの?」
「今日はガリアちゃんよりももっと若い男の子なのよ〜」
「えっ?じゃあガリアさんに頼んでた花の種は?」
そう言いながら部屋の奥から出てきたのは十八歳くらいの少女だった。
ピンクの髪が肩のあたりで切り揃えられていて、肌は白く透き通っている。目が大きくぱっちりとしていて明るい印象を受ける。身長は俺と同じくらいだろうか。
「あの、花の種ってこれ?」
そう言って俺がおっさんから預かった包みを渡すと少女は目を輝かせた。
「そうそうこれよ!待ち望んだわ。……ところであなたは何者なの?」
「えっと……おっさんの家で世話になってる居候みたいなもんかな。こうして仕事の手伝いをしてるんだ」
「居候?あなたの故郷は?家族が心配してるでしょう」
俺には自分の記憶がないんだと答えると少女は少し驚いた顔をしていた。
「ふーん。ガリアさんは親切な人ね。見ず知らずのしかも記憶が無い子供を自宅に住ませるなんて」
その通りだと思う。おっさんがいなければ俺はのたれ死んでいただろうと考えると幸運だったというしかない。
「まあ、あなたも悪い人には見えないから信頼出来たのかもしれないわね。そういえば自己紹介してなかったわ。私はアリアって言うの。よろしくね。あなたの名前は?」
そういえば名前が無いままだった。記憶が無い以上、名前も覚えていないのは当然だが、仮の名前すら無いのは不便だ。
「そういえば名前はまだ無いんだ。だから今度会うときに教えるよ」
俺の呼び名が無いのでアリアは少し困った顔をしたが、納得したようですぐに明るい表情に戻った。
「じゃあ私が考えたげる!えーっとね、名前が無いから『ナナシ』はどうかしら?」
……安直過ぎる。アリアのセンスに少し不安を覚えつつ即座に却下させてもらった。
その後、昼時ということもあり、アリアのお婆さんが俺を昼食に誘ってくれた。お腹も減っていたので頂くことにした。
「その花の種ってどんな花が咲くの?」
俺にとっては昼食の席での話題として質問しただけなのだが、この質問でアリアの目の色が変わった。
「教えてあげるわ!この花はね、今では限られた場所にしか咲かない花なの!けど、私は魔法を使う事でこの花に適した環境を作れないかと研究しているのよ!」
今までとは熱量が違う解説に驚きを隠せなかったが、アリアは俺の事は気にせずに解説し続けている。花屋の看板娘だけあって花への愛情が人一倍あるようだ。
お婆さんは普通に昼食を食べている。どうやら日常茶飯事らしい。
アリアの説明の大半は専門的内容だったので理解出来なかったが、ときおり相づちを打って話を聞いておいた。
「……というわけでね、今までの事を調べるためにガリアさんに種の入手を依頼したわけ」
話すこと数十分。ようやく説明が終わった。
アリアは話し疲れたのか冷めてしまったお茶を一息に飲み干し、どかっと座り込んだ。
「ふう。話し疲れたわ。けど大体は理解出来たかしら?まあ今から実践してみましょう」
そう言うとアリアは種の小包を持って席を立った。アリアの向かったのはこの家の庭だった。
「この庭が私の実験場なのよ。さて、この種をプランターに蒔いてくれない?」
俺はアリアから渡された種を蒔きつつアリアの方を見てみると、目を閉じて集中しているようだ。
種まきしてるだけなのに、どうしたのだろう。
「種まき終わったよ」
俺が声を掛けるとアリアはプランターに近寄って手をかざした。
「いくわよ……『ミストドーム』」
すると、アリアのかざした手から青色の光が溢れ、プランターの上に霧が現れた。
霧はプランターの外に漏れ出ることはなく、伏せたお椀のように半球型で止まり続けている。
「これって魔法?」
「ええ。これは水魔法を応用したものよ。水を霧状にすることで種が水を吸収するのを手助けするの」
魔法を見るのは当然初めてなのでとても感動した。俺も使えるのかな?
「魔法なんて初めて見たよ。俺も出来るかな?」
「さぁどーかしら。適性があるかどうかだから……」
アリアは首を傾げた。
「それよりも魔法初めて見たってどういうこと?」
「記憶が無いって事はさっき言ったよね。だから確証は無いんだけど、俺はこの世界の出身じゃないのかもしれないんだ」
俺の言葉にアリアは困惑しているようだ。確かに記憶が無くて異世界から来たなんて言われたら対応に困るだろう。
「にわかには信じがたい話ね。聞いたことが無いし。けどそれじゃこの国の事とか知識とかも無いって事?」
「そーなんだ。だからおっさんから仕事を手伝いながら町を見てこいって言われてさ」
「それなら私が教えてあげるわ。魔法も勉強も。その方が手っ取り早いでしょ」
アリアは今思いついたのだろう提案を俺にしてきた。俺にしても町を見て回るよりも手っ取り早いし、アリアは年が近いから色々と質問しやすい。
「いいの?花屋の仕事とかあるんじゃないの?」
「気にしないで。婆ちゃんもいるし、そんなに繁盛してないから。だからガリアさんの手伝いがない時にこの家に来てくれたらいいわ」
なんという僥倖だろう。これならこの世界の知識や習慣もすぐに理解出来るかもしれない。
アリアの提案に感謝を述べているとプランターから花が咲き始めた。
「ねぇ、プランターから花がすごい速さで伸びてるけど!」
俺は驚いてアリアに呼びかけたが、これがこの花の特徴だそうだ。
「うん、実験は成功ね!結果を記録しなきゃ。そうだ、あなたにこの花あげるわ。種を届けてくれたお礼に」
そう言ってアリアは咲いた花の一つを俺にくれた。種と同じく青色の花でとても綺麗だった。
アリアの花屋を出ておっさんの家に帰ってくると、すでにおっさんは仕事を終えて帰ってきていた。
「ただいま〜。おっさん、配達の報酬貰ってきたぞ」
「おう帰ったか。どうだ?社会勉強は出来たか?」
おっさんは花の種の代金を俺から受け取りながら尋ねた。
「今日は社会勉強は出来なかったけど、勉強の先生はできたよ」
「ほう?アリアの嬢ちゃんか?」
おっさんが少し驚いていたがたまには俺が驚かせてもいいだろう。俺は毎朝驚かされているんだから。
その日、俺の部屋の窓際に花を飾った。質素な部屋が少し彩られて見えた。