錯視る―後編
杉山が部屋の奥に行くと大川が黒板に向き合っていた。
「よう。久しぶりだな。」
杉山が声をかける。
「…違うな……ナトリウムのイオン化傾向を考えたら……むしろ亜鉛の方が効率がいい。しかしそうすると…析出しにくいな…」
「こんにちは!聞こえているか?」
「ダニエル電池の応用……実用性がないな。」
「大川!本気で怒るぞ!」
杉山が声を荒げた。
「…では、聞くが…君は本気でないような怒り方をしている相手に本気で怒るぞといわれたらどうするんだ?
君は怒る程度を自由に変えられるのか?」
大川が長々と反論する。
「また理屈か…偏屈な奴だな。」
「理屈を唱えるからといって偏屈だというのは…」
「これは統計学だ。論理的だろう?」
杉山は勝ち誇ったような顔をした。
「捜査協力を頼む。」
大川は溜息をついた。
「ふう…久しぶりだな。杉森。」
「ああ。だが杉山なんだがな。」
「現場に案内してくれ。」
二人は事故現場に向かった。
「車のスピードは?」
大川が聞く。
「75キロ程度だ。でも確かに車は停まって見えたと二人とも言っている。」
大川は腰に左手を、顎に右手をあてて考えている。
「1番疑うべきはその二人が嘘をついているということだ。」
「君も上司と同じ意見だな…。」
「理論的な考え方だ。」
「どちらかといえば保守的だと思うがな。」
大川は今度は首を回しながら道路を歩く。
「障害物はないみたいだな。」
「事件の起きた時もそうだったみたいだ。」
「ふむ……。」
「ま、スピードが速過ぎてドップラー効果で何か見間違えたんじゃないか?」
「75キロじゃあ、それはないな。ドップラー効果には膨大なスピードが必要なんだ。…でも君の意見は実に興味深い。」
「何か分かったのか?」
「まだ仮説の段階だ。さて、帰って論文の続きを書かなきゃな。」
それだけ言うと、大川は車に乗り込んでしまった。
大学まで送る届けると
「詳しい事が分かったら連絡する」と一言言って帰ってしまった。
翌日、大川から電話を受けた杉山は北工大に向かった。
「早速種明かしだ。まず、事件が起きた時効。今の季節の3時…西日のせいで視界は良くなかったと仮定する。」
「ちょっとまて。やっぱりただの見間違えだったのか?」
「慌てるなよ。とにかく端的に言えばそういう事になる。つまり…」
車に乗り、フロントガラスに注目してみよう。
近くに電信柱があったら両端にそれが映る。
今度は遠くの電信柱を見てみよう。
フロントガラスの中心に背景と共に映るはずだ。
ちなみにこれは道が直進しているときに起こる現象だ。
電信柱は徐々に大きくなる。
と同時にフロントガラスの両端に移動していく。
よってフロントガラス上には両端に向かう流れがあるのと等しい。
ここで車の登場だ。
フロントガラスの左端から右に移動していく車(逆も可能だ。)があるとしよう。
ガラス上には両端に向かう流れ、車は中心に向かう流れ。
これが釣り合うとガラス上の一定点で車が動かなくなるんだ。
これが今回のトリックだ。
「どうだい?」
「…鮮やかだな。見事だよ大川。」
「そんなことよりも、何かしら対策が必要じゃないのか?」
数日後、新しく信号機が各交差点に設置された。
杉山は北工大の研究室にいた。
「個人的には、あまり効果が無いようにも思うがな。」
杉山が愚痴をこぼす。
「どうでもいいが、何故君は研究室に無断で居るんだ?」
「まあ、あまり気にするなよ。」
「全く…コーヒーはインスタントでいいな?」
杉山は本当は嫌だったが仕方なく従った。
「とにかくありがとうな。今回は助かったよ。」
「そう思うなら、もう来ないでくれ。論文に支障を来たすかもしれん。」
「飽くまで皮肉屋だな。」
杉山はコーヒーを飲んだ。随分薄いなと感じていた。
「あ、それからそのコーヒー。賞味期限は怪しいが気にしないで飲んでくれ。僕は特に問題が起こらなかったから大丈夫だと思う。」
やはり皮肉屋だと杉山は強く感じた。