古竜からの贈り物と出発
俺が目覚めてから数日後のある日。
何人かのドリアードに介護してもらって生活していると、ケントニス(の分身)がやってきた。
エルダードラゴンがそう何度も訪れてくるなんて他にはないことだ。
ペレの撃破はエルダードラゴン視点で見ても相当な偉業だったらしく、その功績を称えて支援してくれるという。
終末が始まってからずっと過煙世界で戦い通しだというが、さすがはエルダードラゴン。
分身を地上に送るくらいは戦いながらでも可能という訳だ。
支援の内容であるが、合計三つの物資(?)を別々のエルダードラゴンから送られた。
卵と、牛と、籠手だ。
それぞれ黄天竜、黄金龍、黒撃竜から送られたものである。
エルダードラゴンから送られてくるようなものが普通な訳もないが、このうち卵に関しては見覚えがあった。
ケントニスからもらったときはクラージィヒトを召喚、というか孵化したのと同種のものである。
黄天竜アリュシナといえば、魂に関する力を持つエルダードラゴンであるとされている。
牛はともかくとして、何故この贈り物が選ばれたかは考えるまでもない。
当然、今なお眠り続けている仲間達の魂が肉体とのつながりを失い、完全な死を迎えることを防ぐためだ。
俺はケントニスや命尾達に見物されながらも、雲中庭園で早速召喚を行った。
生まれたのは、ケントニスの時と同じく、黄天竜と同じ種族であろう巨大な竜。
翼の生えた蛇のようなシルエットをしたそれが、真昼の空のように明るい雲中庭園に現れた。
体は大きく、頭部だけでゾウよりも大きいと言えば少しは想像しやすいだろうか。
とぐろを巻いているため分からないが、伸ばしたら五十メートル以上ありそうな巨体。
頭部より少し下った位置から翼が生えており、それをはばたかせることもなく空中に浮かんでいる。
金色の鱗はなめらかで、それだけでも一種の宝石のような美しさを持っている。
体の周囲には、三角形を基調として幾何学的な形をした金属的なリング状の何かが、体がその輪をくぐるような風にところどころに浮かんでいた。
クラージィヒトの時もそうだったが、彼らには名付けるべき名前がすっと頭に浮かんでくる。
アムスユール。
それがこの、我らの魂を保護する竜の名だ。
アムスユールは早速命尾達の上に陣取り、空中で動きを止めた。
これで今意識のないメンバーを守るのはルティナ、命尾達、アムスユールというメンツである。
超豪華メンバーであることは疑いようもなかった。
ちなみに残りの牛と籠手であるが、牛の方はちょっといろんな意味でツッコミどころ満載だった。
見た目人と区別つかないし。そのくせ会話できないし。常人だと世話するだけで殺されかねないし。
黄金龍メアスはエルダードラゴンの中では非常に知名度がある存在だ。
いろんなとんでもない代物を作っては気まぐれのように人に与える。
ディレットとは違う方向に人騒がせな龍だ。
まあ採取できる牛乳(?)は飲んだだけで寿命が延びるとかいうすごい飲み物なので、それは良いのだが。
いろいろと問題があるので今回の雷雲山遠征には全く関係してこないだろう。
籠手の方は普通に装備していくのでいつでも使える。
すごいものであることは間違いないが、他二つが助かるのとおかしいので、こっちは印象が薄かった。
少なくともこのときは。
ペレの能力によって切り裂かれた彼らは、誰一人として目を覚ましていなかった。
肉体の傷自体はふさがっているが、それでも彼らは目覚めない。
それはペレによる魂に対する攻撃、"魂裂"によってもたらされたものだ。
魂が肉体から切り離されており、生命活動こそ行っているが、植物人間の様な状態である。
魂に対して造詣の深い命尾は、今彼らの置かれている状況が正しく理解できていた。
離れてしまった魂が再び肉体に戻らない限り、彼らが目覚めることはない。
そして浮遊している魂は、放っておけばいずれ消えてしまうだろう。
本来魂は放っておけば自らの肉体に戻ろうとするのだが、"魂裂"によって裂かれた魂は、自力では戻ることができない。
しかもペレの"魂裂"を打ち消して魂を元に戻すのは、命尾と黄天竜の子を持ってしても、なお不足だった。
ルティナが肉体を保護し、命尾が魂を留め、黄天竜の子が魂を保護する。
今は現状維持が精一杯であり、あと一人、魂に対する強い影響力を持った人物の協力が必要だ。
しかしそれだけの能力を持つ者など、この地上にはほとんど存在していない。
それに関連した能力を持っている者となれば、天使くらいしか選択肢がなかった。
そして地上で自由に行動することができる最強の天使、"月天使"セルセリアですら、おそらく無理であろうことを本人が認めていた。
しかも彼女は今空と海の両方から攻撃を受けており、南大陸を動くことができない。
問題はどうしようもないかと思われたとき、ガリオラーデから連絡があった。
強い力を持った天使に心当たりがあるというのだ。
その天使は雷雲山の山頂、雷煌竜王の住むエルダン大洞窟の中にいるという。
そしてガリオラーデ自身も理由は分からないが、必ずシラキ本人が訪れなければならないという。
最初ルティナは情報自体を疑った。
何せ雷雲山山頂など、訪れるのは魔王であっても大変な場所だ。
しかし、出所を知っては信じるほかなかった。
何せこれは、大魔王によってもたらされた情報であったからだ。
大魔王がこの状況で、それも息子であるガリオラーデに嘘の情報を与えることなど、まず考えられない。
大魔王というのは、いろいろな方面から様々な面で信頼されているのだ。
さらに言えば、実は存在の踊り場で会った雷煌竜王も関連したことを言っていた。
シラキを外に出すというのは、実のところ渡りに船でもあった。
ルティナはそれなりの期間、シラキと眷属達は距離を置かねばいけないことを分かっていたからだ。
シラキの状況は、本人が思っている以上に危うい。
そもそもミテュルシオンに名前を預けたシラキは、精神的にひどく不安定になるはずだった。
手放した名前とは、世界との絆である。
生まれてから一時たりとも途切れることのなかった世界そのものとのつながり。
人がそれをなくした場合、魂が強く、大きく、荒波にもまれているほど、その衝撃が大きくなる。
大抵の人間であればその時点で死んだり、狂ったりしてしまう。
シラキは人生と性根が穏やかな人間であったからこそ、今まで無事でいられたのだ。
しかし、今回ばかりは耐えられなかった。
ユニゾンによる、それ単体でもアイデンティティを喪失しかねない危機。
光仙煌頭広界の酷使によるダメージ。
魂を分けた多くの眷属達の死。
その上レオノーラとの戦いにより、精神世界では限界を超えるようなまねをしてしまっていた。
名前を捧げてなどいなくても、無事で済むはずのない負荷である。
目の前で命尾や澄香の死を見たときでさえ崩れなかったシラキの精神は、今や崩壊しかけていた。
正確に言えば、シラキの精神の安定が、完全に打ち砕かれていた。
シラキを知るもので今無事である者は、皆大なり小なり気づいている。
シラキの眷属というのは、ごく一部であっても魂を分けた現し身である。
シラキの認識でも第三者の目から見ても、彼らの距離は非常に近い。
しかしどれだけ近しい存在であるといっても、決して本人そのものではないのだ。
今自分と眷属達の境界を失いかけているシラキは、彼らと距離を離さなければならない。
とはいえシラキを残し、眷属達をすべてダンジョン外に出すという訳にもいかない。
故にシラキが外出しなければいけないというのは、ある意味ではちょうど良い。
問題は、雷雲山にシラキが行かなければならない上で、眷属達を護衛にすることができないことだ。
雷雲山という世界でも有数の危険地帯に赴くシラキには、眷属以外の護衛をつけなければならない。
ソリフィスが同席し、ルティナと命尾が話し合って世界情勢から護衛選出まで決定する。
シラキの眷属全体の意思決定を行うのがこの二人だけというのは異例であったが、そうせざるを得なかった。
何せ無事と言えるのがこの二人しかいないのである。
シラキの精神の均衡を思えば、本人に直接「あなたは精神崩壊しています」とは言いづらい。
故に今回の会議にシラキを参加させられない。
何ならソリフィスとレフィルだって無事とは言い切れない状態にある。
命尾はシラキの役に立てるとある種のうれしさを感じてもいたが、ルティナの心情は良いとは言えなかった。
それは今生まれたものではなく、今までは隠れていただけなのだが。
そうして今回のメンバーが決定された。
命尾の部下から選りすぐった三人と澄香、そして案内人としてシャンタルとシクロである。
こちらの事情を把握しており、要介護人一人と魔物三人がいる自分たちとまともにパーティー組める相手となると、選択肢は狭かった。
元々雷雲山は質より量で突破できるような場所では無いため、精鋭のみが望ましい。
多少人数は少なめだが、これ以上のメンバーはそうそう集まらないだとうと言える。
シクロはともかく、シャンタルを雷雲山まで連れて行くのは立場上簡単ではないのだが、そこはルティナとシャンタル本人がどうにかした。
死神を何体も撃破している実績があるので、簡単だったとはルティナの談だ。
雷雲山の近くに魔物が治めるそれなりの規模の町ヴァッフルエーベがあり、まずはその町を目指す。
そのための道案内と護衛を兼ねた二人は、町を出るところまで手伝ってもらう予定だ。
さすがに二人の立場的にも、目標の難易度的にも最後まで頼むことはできなかった。
雷雲山及びエルダン大洞窟といえば、世界的に有名な世界ダンジョンである。
その難易度は天空城ケイチを越えて、世界最高クラス。
場所自体が亜人族の勢力圏から離れている上に、道中には力持つ魔物ですら恐れるレベルの危険が徘徊している。
山の時点で魔物も強力なものが多数存在し、しかも雷雲山自体が非常に標高の高い山であるため、登山するだけで大変だ。
雷煌竜王がいるというエルダン大洞窟に至っては未だ人が踏み入れた記録がなく、情報すらほとんどないくらいである。
準備万端で訪ねて来た彼女たち二人をダンジョンで一泊させて、それから旅立つことになった。
雷雲山に向け、シラキのダンジョンを出発するのは7人。
まず、言うまでもなくシラキ。
本当に必要な場面以外では戦闘禁止の最終兵器にして視力ゼロの要介護人。
目が見えないというのはやはり大きな問題であり、遠征と野宿で細かな手助けを必要としている。
戦えないわけではないが、今回のシラキの仕事は後ろでおとなしくしておくことである。
命尾の部下から三人。尾解美夜子、クラテール、死峰山永寿だ。
美夜子は命尾の配下の中でもツートップの一人、彼女より強い存在なんてそうそういないレベルだ。
クラテールは純粋に高耐久の前衛要因。シラキと永寿を守る役だ。
永寿は補助要因。その能力で全員を守る。
人間からは、シャンタルとシクロ、そして澄香。
シャンタルはクラテールよりもさらに尖った防御能力がある。
ついでに言うとアンデッド特攻持ちであり、アンデッドの天敵といえる能力を持っている。
シクロは偵察要員。
敵の発見や順路の選定と言った斥候としての力量なら、動物族である美夜子すら越える。
澄香は攻撃特化。
実はかつてソロで活動していただけあって偵察とかもできるので、シクロがいないときには彼女が偵察要員になる。
世界樹を初めとしたダンジョン攻略経験も多く、そちらの知識も頼りになる。
魔法系以外はバランスの取れたパーティーであると言えるだろう。
ちなみに雷雲山、及びその前にある町にもたどり着くまでに結構な日数がかかる。
雷雲山自体は富士山のような一つの巨大な山なのだが、その周囲には非常に広範囲に山脈が広がっている。
以前魔物と戦って仲間にする儀式を行ったときは、その広い山脈の先っちょで行っていたのだ。
なお飛行系の魔物に乗っていけば速いのはその通りだが、みんなダウンしているので無理だった。
ソリフィスだって俺と同じように目隠し中で、飛行力や戦闘力も激減しているし、おとなくしていなきゃ駄目だ。
それに雷雲山に近づいてからは空を飛ぶことはできないことが予測される。
魔物の飛行能力は魔素に影響を受けるため、魔素が濃すぎても薄すぎても飛ぶのが難しくなる。
雷雲山ほどの世界ダンジョンでは、魔素が荒れ狂ってたり濃度が乱高下したりでまともに飛べないのだ。
どうせ飛べなくなるなら最初っから徒歩で移動して、連携の足しにすることにする。
俺もダンジョンを歩き回って練習したので、目隠しでの散策にも少しは慣れてきた。
気合いを入れて俺たちはダンジョンを出発したのだった。