死峰山の命尾と永寿
死峰山命尾とは、今や大魔王を除けば、"月天使"セルセリアと並んで最古の魔王である。
死峰山というあらゆる死者を送りだす山の主であり、これは魔王の中でも特殊な立ち位置にいる。
死峰山の主は人魔を問わない使命であり、唯一主神ミテュルシオンによって命じられた使命でもある。
そのため主神の眷属ともいうべき立ち位置であり、彼女は亜人族とも敵対していない。
死峰山に住む者は外に関心を示さず、またその立ち位置的に外からも干渉を受けない。
他の神々はともかく、主神であるミテュルシオンは地上のあらゆる存在に敬われているからだ。
しかし死峰山で生きる者達の間に満ちる空気は、到底清浄とは言えないものであった。
いつからそうなったのかは定かでないが、この山の歴史は謀略と裏切りの歴史だ。
あるいはその特殊性がそうさせたのか、死峰山の主という立ち位置を熾烈に奪い合った。
何千年と続いたその歴史に終止符を打ったのが、命尾その人である。
圧倒的な力を持ち、政治的観点から見ても決して隙を見せることのない。
命尾は死峰山の主として君臨し続け、前回の終末においても亡者の襲撃を防ぎ、生き残った。
命尾はもうずいぶんと昔から、死峰山では絶対的な存在である。
すでに死峰山の主は命尾をおいて他にいないと、内外から認識されて久しいのだ。
しかしそんな命尾であったが、いつからか徐々に姿を現さなくなっていった。
ここ千年ほどは、命尾に最も近しい存在である"九導の槍"であっても、ほとんどその顔を見ていない。
その使命こそ正常な状態を維持していたものの、彼女が大々的に表に出てきたのは前回の終末くらいなものである。
「死ぬほどつまらなかったんですよ、あの仕事」
そんな存在であった命尾は、自らが魔王をやめ、死峰山の主をやめ、一人飛び出した理由をそのように語った。
俺たちは今、第三階層幻樹の森の崖上においた丸テーブルに向かい合って座っている。
この場所は昔から良くみんなが集まる場所であり、机や椅子など大抵の物は用意されているのだ。
「いや、初めの二千年くらいは良かったんですよ?実際仕事は重要だし、人魔竜を問わずほぼ不可侵の存在ですし。
こちらの立場を狙って殺気立ってる奴らの対処したりやることも多かったです。
でも、いつからかそういうのもなくなっちゃったんですよ。
古くからいる者は、私を恐ろしいものを見るかのような視線を向けるか、神のように崇める者ばかり。
それ以外の奴者達にとっては、死峰山命尾という存在が当たり前のものになってしまった。
誰かが騒がしくすることがあっても、私はあらゆる対象にならない第三者。
代わり映えなさ過ぎるんです、こんなの何千年もやったら頭おかしくなりますよ、てかなりました」
軽快だが実感のこもった声で、しかし今は悪くない表情でそういった。
聞いた感じだと、大変な上につまらない生活が延々と続くのに嫌気が差したという訳だ。
まとめてしまえばそれだけだが、実際には想像できないような経験を積み重ねてきたのだろう。
「ミテュルシオンさんの眷属っていうのも、大変なんだな…」
「そーなんですよぉ!だからやめてやったんです!!それに比べてここは本当に最高でした!!!」
命尾が興奮気味に身を乗り出してまくし立てる。
死峰山命尾の引退には魔王達にも相当な衝撃だったらしいが、命尾に気にした様子はない。
個人的には命尾が良いならそれでいいとは俺も思う。
今まで頑張ってきたのだから、今度は彼女の好きなように生きるのが良いだろう。
命尾が新しい肉体で俺に召喚されたのは、大体ミテュルシオンさんとガリオラーデの差し金だ。
企画・実行がミテュルシオン担当、交渉と調整がガリオラーデ担当といったところか。
俺の眷属という超緩くて脳天気な環境に移ることは、命尾本人へのご褒美でもあったようだ。
ちなみに命尾のキャラは、誰も疑わないし裏切ろうなんて考えもしないという、そういう生き方を作った言動だったらしい。
演技というと悪く聞こえるかもしれないが、彼女が生きたいように生きる為のものだ。
最終的には素でそのキャラになっていたらしいが、最初の内はレフィルを初め何人かには違和感もたれていた。
野生の嗅覚とでもいうのか。だからケンカしてたのか、レフィルと命尾。
そのケンカも実のところ最初だけで、それ以降は二人とも本気じゃなかったらしい。
レフィルも最初以降なんとも思ってなかったが、命尾の方がじゃれ合いの継続を望んだため付き合っていた形だ。
仲良しか。
そして命尾は自分の体も何もかも捨てて来たつもりだったらしいが、実際には肉体は消滅してはいなかった。
ただの命尾として死んだ後、ミテュルシオンさんが保管していた肉体に戻り、今に至ると。
命尾は死峰山を出るときに来たい者だけ少人数連れてくるつもりが、想定外に人数が増えてしまったらしい。
自らの主は死峰山命尾以外にあり得ない、そう考える者がいつの間にか多くいた。
それはたとえ彼女の主観では何もしていなかったとしても、紛れもなく彼女の功績の証なのだろう。
死峰山の主の熾烈な奪い合いを行っていたのも今は昔、命尾の退陣は惜しまれて行われていた。
寝ている間にまたミテュルシオンさんと少し話したので聞いてみたが、結構サービスしたみたいだ。
実際こんな特殊な体験したのは地上の歴史でも命尾くらいなものである。
あと死峰山は娘に任せてきたと聞いて、子供がいたのかとかなり驚いた。
何人かの相手と何回か子供を産んでいるらしいが、残っているのは二人だけなんだとか。
理由も総数も聞いていないが、旦那と子供を会わせると結構な数死んでいる様子だ。
たとえ寿命こそ長くても実際に長い年月を生きられるのは、多くの魔物の中でも一部に過ぎないのだろう。
「まぁ……特殊な子だけが残ったのかも、ね」
これに関してはかなり命尾は微妙な様子だった。
彼女の立場上あまり世話できなかったとか、狙われやすかったとか。
いろんな理由があって、生き残ったのは二人だけだったのだろう。
生存競争において生き残れない者は仕方がないとそう思う自分と、目をかけてやれなかった、放置してしまったと悔いる自分がいる。
そして後者の思いは、シラキのダンジョンで暮らした経験によって初めて芽生えたものだった。
良くも悪くも人間と共に過ごしたことで、命尾の考え方は純粋な魔族のものそのままではなくなっている。
彼女が全く口にしていないにもかかわらず、そんな命尾の様子が俺にはずいぶんと伝わっていた。
「まあなんにせよまた会えて良かった。おかえり、命尾」
そう言って手を差し出すと、命尾は立ち上がり俺の横まで来て、座ったままの俺を抱きしめた。
「私もまたあなたと一緒にいられて幸せです。ただいま帰りました!」
目が見えないが、眠る前に一度だけ見た命尾の姿を思い出す。
命尾はその翡翠色の瞳を細めて、目隠しをしたままのシラキを見つめていた。
「あ、ちなみに私、娘はともかく交尾した相手のことはなんとも思っていませんから。
ところでものは相談なのですが、これからは旦那様とお呼びしても?」
そんな命尾の物言いに、本当に命尾が戻ってきたのだと実感するシラキであった。
大樹の層
ドリアードとグリフォンを一人ずつつれて、俺は焼けたダンジョンを歩く。
理由は二つあり、一つ目は"朽廃の大火"によって燃えてしまったダンジョンの様子を見ることだ。
階層そのものを廃棄することも覚悟して行った"朽廃の大火"であったが、結果的にダンジョンそのものは残っている。
今は目が見えないので色合いは分からないが、歩くだけでも分かることはある。
力強い木の感触と炭のような感触では全然違うものだからだ。
そもそもこの階層は燃え尽きる前にも結構歩き回った。
いくつかの部屋には俺が作った水晶の家具が今でも置きっぱなしになっている。
今となってはいくらでも作れると思って放置したわけだが、いくつかは炎に飲まれても無事に済んだらしい。
俺は杖をつきながら、いつもの半分以下のスピードで慎重に歩を進める。
すでに何度も躓いて転びそうになっているが、そうなっても非常に近い位置にいるドリアードが助けてくれる。
目が見えないことにはまだまだ慣れず、常に誰かしらそばにいてくれないと不安でダンジョン内を歩くこともできない。
すでに盛大にすっころんだとしても傷つかないぐらい肉体は強靱になってしまっているが、それとこれとは話は別である。
木々が絡み合うようしているうねうねした壁や天井をしているが、地面は木々が敷き詰められるようにして、それなりに平らだ。
バリアフリーとは言いがたいが、それでも外の自然環境よりはよほど歩きやすい。
そんなわけで、二つ目の理由は盲目状態での歩行練習だ。
ちょっとしたリハビリも兼ねた運動でもある。
後々遠征する予定があるので、それまでにせめて歩くぐらいは普通にできるようにならなければならない。
そうやって歩いていると、前から一人歩いてくる者がいる。
それが誰かは、まだ見える位置にも来ていない内から分かった。
命尾が連れてきた者達の内の一人であり、たった二人残った命尾の娘の一人。
命尾の末娘、死峰山永寿だ。
異質。
目が見えない俺が彼女を最初に認識したときの印象は、その一言に尽きた。
別に悪い意味で言っているわけではない。
気味が悪いとか、嫌悪を感じるとか、そういうことではないのだ。
ただ、普通の生物とは何かが違うことを、強く実感する。
神の子や呪われし人間、吸血鬼やエルダードラゴンにも感じなかった、初めての感覚だった。
長く天井も高いが横幅はそこそこという吹き抜けのデパートのような空間に、永寿は横道からトコトコと歩いくる。
実年齢を考えれば千歳を越えるような魔物でありながら、その姿は非常に小さかった。
ルティナどころか、澄香よりも小さく丸みを帯びた体は、小学生でもさらに低学年のもののように思える。
身長はおそらく120センチにも満たず、体重も相応に軽いことだろう。
少女というよりは、幼女といっても過言でないような体躯である。
さらに言えば、彼女の精神年齢は見た目通りか、それ以下かもしれなった。
髪は命尾よりも明るい、銀杏の葉にも似た鮮やかな金髪で、緑色の瞳は命尾のそれよりも濃い。
薄紫色の着物は命尾が来ていたものとは違ってシンプルで派手さはないが、その品質は非常に高い。
シラキは魔法によって得たおおざっぱな輪郭情報と、事前に聞いていた話で永寿の姿を思い浮かべた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
俺の挨拶にいくらかの間を開けて返した永寿はそのまま俺の前まで歩いてくる。
その歩みは体の小ささ通り、それなりに遅い。
近くまで来てから立ち止まって俺を見上げる永寿に、俺は膝をついて目線を合わせた。
「見えないの?」
感情の感じにくい静かな声色でそう聞いてきた彼女は、どうやら俺の目に巻かれた目隠しが気になるようだ。
「ああ。そうだね、目は見えないな」
「目が見えなくなったら、どうなるの」
要領を得ないとも言える質問に、俺はしばし考える。
質問の意図と、自分自身がどう感じ、どう考えているかを。
そして俺は努めてゆっくりと、言葉を区切るようにして話す。
「少し怖い……かな。けどそれよりも、寂しいかも」
歩くと転ぶし、字が読めないし、ご飯もこぼすし。
ただ、目が見えないことの弊害は、そういうことだけではないと思う。
「色や形が分からないから…今まで見えてた、みんなが見えてるものが、自分だけ見えないから。だから少し、寂しい」
「寂しい」
永寿は俺の言葉を租借し反芻するように、その言葉をつぶやく。
その様子を見て、今の彼女の無表情は、考え事をしているからなのだろうと思った。
たっぷりと十数秒の間を置いて、永寿の意識が戻ってきたあたりを見計らって話を続ける。
「うん。もし二度と治らないんだとしたら、悲しかったと思う。
表情も、しぐさも…日常の中の姿も、二度と見ることができないのだとしたら。
でも、時間はかかっても、また見えるようになるから。だから、さみしくても悲しくはないと思う」
ゆっくりと、自分の気持ちを確かめながら話す。
永寿に聞かれなければ、こんなに深くは自分のことを考えなかったかもしれない。
そう思って、俺は少しだけ感謝した。
永寿はそのまま視線を落として、いつまで待っても動かなかったので、声をかけてみんなのところに戻ってもらった。
彼女の考えはよく分からないが、とりあえず話は聞いてくれるようだ。
子供の扱いに慣れているわけでもないシラキは、永寿がずっと動かなかったため、ずいぶんどうしようかと困ったのであった。
実際のところ、命尾は自分の精神の変遷については、明確な理由を持っていなかった。
鬱病とも精神的な半死状態とも言える状態が、仕事がつまらない、等という理由だけでもたらされるはずがない。
人間ならともかく、私は魔族なのだから。
多分、いろいろな理由があってそうなったのだろう。
子供の頃の記憶などほとんど覚えていないが、死峰山の主を目指し始めたときに、初めて子供を作ったことは覚えている。
それは当然の話で、子を成すなら死ぬ前に、危険のない内に行っておくべきだからだ。
そうでなければ、死峰山から住人がいなくなってしまう。
死峰山の主を目指す者はたくさんいたが、主その人を含めて誰もがいつ死ぬか分からない、そういう空気の中にいた。
そして、生まれた子供が安全であるという保証もなかった。
生涯にあまり子供をなさない生物であれば、普通は子供は大切にするものだ。
しかし、死峰山ではそうでないことも多々あった。
理由は二つ。子供を自らの隙にしないためと、子供を自らの敵にしないためだ。
死峰山の権力闘争とでもいうべき戦いは、清廉でもなければ惰弱でもない。
必要とあらば子供でも切り捨てねばならない。そして家族で相争うことなど、それほど珍しくない。
確かなのは自らの最初の子も二番目以降の子も、その父親達も、誰も生き残れはしなかったということ。
しかし、それが命尾の心に深い傷跡を残すことはなかった。
良くも悪くも、命尾にはそれだけの愛も執着もなかったからだ。
今いる二人の子のうち姉の方、死峰山霊城が今なお生き残っている理由も、美夜子がいたからだ。
命尾が守ったわけでもなければ、命尾が育てたわけでもない。
腹心か、戦友か、親友か。命尾にとってそういった存在である美夜子のおかげで霊城は強くなり、生き残ることができた。
そうして今命尾の次に強い霊城と美夜子の二人が、命尾の地位をさらに確かなものとした。
そうやって命尾の存在が絶対的なものになりすぎて、全く敵がいなくなったことも、決定打とは言いがたい。
別に敵がいなくとも死峰山の勤めの重要性は変わらないし、それによってかかる負荷が自らを強くしていくことも実感できていたからだ。
やはり、良くわらかないものも含めて、いろいろな理由があったのだろう。
けれど、最後の一押しが何であったかは、決して口には出さないけれど知っている。
今いる二人の子のうち妹の方、死峰山永寿の存在。
そもそも何か理由があって生んだわけではないのだ。
子供がほしかった訳でも、愛があったわけでも、必要だったわけでもない。
そんなだから、永寿を育てることができなかったんだ。
惰性と堕落の末に生まれた子であるなどとは、親子関係を大切にするシラキには口が裂けても言えない。
初めから強大な存在であったとか、自分と比べてもなお異常な存在であるとかは、些細な問題だ。
永寿があまりにも特異であったが為に、彼女の父親が死ぬことになってしまったことも、一番の理由じゃない。
今だから実感する。結局私はフォックスシャーマンの基準で見ても、母親失格だった。
しかも問題はそれだけにとどまらなかった。鶏が先か卵が先か。
ある意味で命尾にトドメを刺した存在である永寿は、さらにその異常性を増すことになった。
永寿があのようになっていることが、私の精神的な死の証だった。