脈々と受け継がれし苦しみの行方
五階層・迷宮型城塞ダンジョン
最後の部屋
黄土色の石材によって作られた、非常に縦長な円筒形の空間。
中央に大きな柱がそそり立ち、四方には一回り小さい柱が互いを支え合っている。
階段は幅の広い二重螺旋で、中央の柱に沿って、上から下まで続いている。
壁にはそこかしこに通路が開いていて、バルコニーになっていたり、中央の階段に橋がつながっていたりする。
この階段を上りきり、あるいは飛んでいくことによって、次の階層へ続く扉に行くことができる。
そんな足場の定まらない場所で、戦う両陣営。
階段の途中で立ち止まってバイオリンを弾くメアリーを中心に、いくつかのグループに分かれて散開した人形達。
彼女たちはそれぞれの場所でシラキの眷属と戦っていた。
上下に広い空間を縦横無尽に飛び回るのは、グリフォンとヒポグリフ、ワイバーンに吸血鬼達。
カミドリ二羽にケプリの治療を受けた属性鳥達も参加している。
彼らは常に空中を移動しながら戦うことで、人形達を翻弄していた。
何せこの空間、大人数で戦うにはどうしようもなく足場が足らず、しかも見下ろせば地面は百メートル以上も下だ。
彼らも相当な能力を持っており、もし落ちても地面にたたきつけられる前に柱のどれかや横の通路に退避できる。
しかし空を動き回る相手に対し、一時的にでも空中に投げ出されればただではすまない。
空を飛ぶことができない以上、非常に戦いづらい戦場だ。
ちなみにウインドナイト・メイジは決して脱落したわけではない。
こちらが最初に仕掛けた奇襲攻撃によって、ほとんどが地面まで落とされているだけだ。
行った奇襲とは、限られた空間を埋め尽くすように土・氷魔法を上から落としたことだ。
魔術師達だけでなくノームやフォックスシャーマン、吹雪の山にいたビックスノーマンやスノースクワラルまで総動員した。
撃ち出す力をすべて重力に任せて魔力をそれ以外の部分に当てた、ただひたすらに単純な質量攻撃だ。
いくら人形達の能力が高く大したダメージにならないとしても、空中で落ちてくる巨岩を受け止められるわけではない。
大質量に上から押されれば、ダメージの有無にかかわらず、落ちるしかないのだ。
もちろんシュートメイジやウインドメイジが迎撃するが、落ちてくる魔力をまとった巨岩を、破壊し尽くすことはできない。
土魔法は生成した土をそのままぶつけることができる魔法であり、六属性の中で最も物理攻撃力が高い。
軽かったり流体だったりする他属性の魔法と比べて、最も重くて硬いのだから当然である。
しかもこの奇襲には残ったウルフ達、吸血鬼達も参加した。
落下する岩の上に乗って、一緒に落ちたのだ。
この一瞬の攻防における彼らの動きは、完璧だったとすら言えた。
土魔法を盾に無傷で人形達までたどり着き、岩を防ごうとしたタイミングで姿を現し攻撃した。
盾を構えた横っ腹に闘気弾を直撃させ、勢いそのままに体当たりし、ウエポンズビーストや血によって形成された大きな手で人形を掴み、一緒に落下した。
そうしてウインドナイト・メイジを落としたところで、空を飛べる魔物達が戦いを開始したのだ。
この足場の狭い高所において、航空戦力がほぼすべていなくなる。
そうなれば、残った者達はどうするか。
普通に考えて、身を乗り出して敵を倒そうとは思わない。
落下した人形達が戻ってくれば飛んでいる敵は問題なく倒せるのだから、防御を固めつつ、階段を降りようとする。
中空で対峙するシラキの眷属達は、総数で100程度しかいない。
守りを固めた人形達を打ち破るには到底足りない。
それでも、状況は膠着した。
エンチャンターによって作られた、高品質の魔法のドレスを着て、いつものローブを上からかぶったフェデラ。
そんなフェデラが立つのは、円筒形の空間の一番上にある、中央螺旋階段上の広間。
フェデラとおそろいで色違いのドレスを着たリースは、他の魔物達と共に少しだけフェデラから離れている。
左手には、かごいっぱいの黒結晶。
フェデラの内より、シラキが取り除いたもの。
右手には、最も死後に近いという山で育った霊木のナイフ。
フェデラは右手のナイフをゆっくりと振り上げながら、うやうやしく口を開く。
「種を超え、万を超える魔物を束ねる長。不変にして寛容なる人。
楽園を与えたもうた主よ、御身さえお許しいただけるならば、この魂、あなたに捧げます」
それは、感謝であった。
あるいは、自らの主、遙か上にある者に対する献身だった。
パキパキと聞こえるほどの音をたてながら、フェデラの肉体に黒結晶が噴出する。
その感覚を体に直接感じるフェデラは、どこか安心している自分がいることに気づいていた。
メアリーの背筋に怖気が走る。
上から漂う気配が何をもたらすかを知っていて、さらにその禍々しさに気づいた故に。
「この血に木霊する苦しみの声を、断ち切ることなどできはしない!
痛みの中に生まれ、痛みと共に生き、痛みの果てに死ぬ!!それが定めなら!!!」
振り下ろしたナイフが左手の甲を貫き、噴出した血しぶきが、黒結晶に降りかかった。
フェデラの悲鳴のごとき叫びと共に、大気が呪で満たされた。
「脈名苦遠!!!」
苦しみと絶望は今その証を主張するかのように世界に現出した。
まるで色をなくしたかのような灰色の茨が壁という壁、床という床から現れる。
それらは人形達を絡め取ることなく、その体をすり抜けた。
「うそ、苦遠!?」
メアリーが、驚きと否定の声を出す。
それは、呪いの中にあってなお特殊な呪い。
通常呪いの原動力となるのは恨みであり、痛みであり、あるいは憎しみである。
しかし苦遠が吸うのは、他の呪いが使うどれでもない。
人形達がまとわりつく灰色一色の茨を払いのけようとするものの、すり抜けてしまい触れることすらかなわない。
メアリーにも人形達と同じように、あるいは彼女たち以上の茨が体を突き抜ける。
そうして触れた茨が多くなるほどに、彼女たちの動きを目に見えて鈍くさせた。
メアリーが演奏する曲を変え、十を超える楽器からテンポの速い曲が奏でられる。
これはメアリーがその力の範囲の広さを捨て、今この場にいる仲間にのみ効果を発揮させる曲。
苦遠という呪いの危険性を知っているメアリーが、そのために発動させた曲である。
響き渡るメロディーが、呪いの茨に支配されたこの空間においてなお、彼らを突き動かす。
そのはずだった。
「そんな…眼鉄のよりも、強力な」
しかし、それでも動けない。
人形達は皆、茨に包まれて指先一つ動かせなくなっていた。
すでに人形達の基礎能力はレベル9にも匹敵するというのに。
「あり得ない…!これほどの代償を、人間が払える訳がない…!!」
苦遠とは、発動者が今までに捧げてきた代償の大きさによってその力を増す呪い。
フェデラにとっては、四つの呪いと黒結晶、そしてそれによってもたらされる苦痛が適応される。
人生のほとんどを呪い共に生きてきた彼女は、かなり大きな効果を発揮することができる。
何せ未だ20年に満たない年月とはいえ、彼女はシラキと出会うまで、人生を呪いに捧げていたと言っても過言ではないからだ。
これから数年たっていたら、また効果は落ちていただろうが。
しかしメアリーの言うとおり、死神を移動不能にできるだけの苦遠など、人がその一生を呪いに捧げたところで不可能だ。
ではなぜフェデラはこれほどの効果の苦遠を発動できたのか。
答えは、彼女に流れる血と歴史にある。
フェデラの祖先であるかつてのフォルクロア王が、この呪いを受けてから500年以上。
この呪いは決して薄まることなく、歴代の王達を苦しめ続けた。
苦しみの親から生まれ、生涯を苦しみ続け、次代に至るまで苦しみを残した。
彼らが呪いと共に生きた500年の人生が、今まさに苦遠として現出していたのだ。
それは紛れもなく最強の苦遠であり、こと呪いという一点において、世界で誰よりも不幸な人生を生きているということの証左でもあった。
動けないメアリーと人形達に、上から魔法の雨が降り注ぐ。
彼らは体こそぴくりとも動かないものの、それは魔力や闘気の動きを阻害されているわけではない。
何枚もの魔法の盾が展開され、闘気による弾丸が放たれ、降り注ぐ魔法を相殺する。
リースウェーデは苦遠を発動させているフェデラに目を向けた。
その姿は発動してからわずかな時間しか経過していないというのに、すでにひどいものであった。
首回りが、完全に黒結晶によって覆われてしまっている。
苦遠が代償によって効果が変わるとはいえ、そもそも発動・維持することにはそれに応じた代償が必要になる。
これだけの威力の呪いを発動している以上、発動者であるフェデラが無事で済むはずもない。
ローブを着込んでいるため見えないが、体中を黒結晶に浸食されているだろう。
リースはフェデラの姿を目に焼き付け、心の中で応援の言葉を贈り、そして魔法を発動させた。
リースが放った氷の最上級魔法、"氷帝百龍"が、撃ち合いの合間を縫うようにしてメアリーの元へと迫る。
流れる曲が変わる。
メアリーの音による攻撃、そして周囲の人形達による攻撃によって、氷帝百龍は破壊される。
きらきらと輝きながら氷のかけらが舞い落ちる。
そこに差す、一つの影。
茨が、その部分だけ道を空ける。
氷帝百龍の背に乗っていたコボルトヒーローが、動けない人形達の中心、メアリーの元に降りたった。
その姿は、まさに完全装備。
魔法の指輪が両手に十、腕輪やアクセサリーをいくつも装備し、魔法のマントたなびかせる。
手に持つ槍もまた、穂先がルビーによって作られた、シラキの特別製だ。
コボルトヒーローが力を込めると、指輪や腕輪が、一斉に音を立てて砕け散る。
それは、それらの魔法的装飾品がその力を爆発させ、一度だけ使える効能。
いくつもの装備を使い捨てにして高められた、コボルトヒーローの全力によって放たれた槍が、メアリーが振動によって生成した壁を貫き、そしてメアリーの体をも貫いた。
バキリ、という音が、全力の突きを放ったコボルトヒーローの耳に、やけに大きく響いた。
それは、奇しくも自分が装備を砕いた時と、同じ音だった。
メキャリ、と木が折れたときのような音が響いた。
それは紫色の暗い荒野に、一つだけそびえ立つ巨大な塔。
その展望台にあるテーブルを挟んで腰掛ける、終末の四騎士が二人。
厳つい顔をした老人である眼鉄と、目の隈の濃い女性、グロミア。
眼鉄は音のした方を振り向くと、置かれていた人の頭ほどの大きさのミニチュアバイオリンに、縦に大きくひびが入っていた。
眼鉄はそれを見ると慌てることなく姿勢を戻し、ゆっくりとキセルをふかした。
「全く。奇特な人生を生きる死神もいたものじゃのう」
眼鉄がそう言って煙を吐く。
グロミアは手元に置かれた湯飲みをじっと見つめている。
そこには暗い紫色の湯が注がれていた。
「何かあったの」
低い声でグロミアが聞く。
その様子と声色、濃い隈から彼女が不機嫌であるかのように見えるが、実際にはそうではない。
これが彼女の普通だった。
グロミアの問いに対し、眼鉄が間を置いて答える。
「あの根暗女は、生前冒険者としてはそれなりに有能じゃった。
吟遊詩人に限らんが、後ろで補助を行うものは多くが防御力が低く軽装じゃ。
だから自分の立ち位置には他人より気を遣い、遠距離攻撃や奇襲にさらされないようにする。
ヤツはそれを重々承知していたし、だから"滅亡の大地"に負けたときも、後衛が先に落とされるような愚を起こさず、
他のメンバーがやられた後に殺された」
「真っ正面から負けた訳ね」
ずっと湯飲みの中身を眺めていたグロミアが、ようやく飲み始める。
塔の外を見れば稲光が走り、骨だけの体をした竜が空に飛び立つ。
黒煙の塊である"黄泉の黒煙"やローブの魔法使い"怨念術師"がふよふよと浮遊し、怨念の騎士がうろうろしている。
この塔の付近で見られる、いつも通りの光景だった。
「で、死神になったあやつは、奇襲を受けて瞬殺された」
「死神の肉体は強化しなくても強力だから、そうそう即死することなんてない。油断したのね。
……まあ、誰も戦闘中の大群の中心にまで、気づかれずに侵入されるなんて思わないでしょうけれど」
「うむ。で、初心に返ったようじゃの」
メアリーはそのとき都市攻略のため、城から見れば地を埋め尽くすほどの大群の中にいた。
規模にかかわらず自軍全体の能力を向上させるメアリーが、大群の中にいるのは当然である。
そしてその強化された大群の中にあれば、自分個人に対する奇襲など、警戒する気が失せるのも自然なことであった。
戦場の規模が大きくなるほど強くなるメアリーの能力を考えれば、早い段階で彼女が脱落したことは、地上からすれば間違いなく僥倖である。
「あの騎士による蘇生は、一時的なものにすぎない。召喚者たる騎士が死ねば、数日もたんじゃろ。
つまり、今のあやつは曖昧な存在に過ぎない。存在が曖昧なものであれば、それに起こったことを偽装することもたやすい」
「死神のような強力な存在には、身代わりになるようなアイテムは作れないのね。
相手に合わせて作るから、存在強度で対象に匹敵しなければいけない」
「まあ、今のあやつに合わせるのですらパープルアダマンタイトを使ったのに、他の死神の分なんて、作れるわけないじゃろ」
パープルアダマンタイトとは、冥界固有の鉱石で、非常に強度が高い。
また魔法との親和性も高く、この鉱石を加工して作られた道具は非常に強力だ。
眼鉄はいくつも武具を作成しており、その中でもパープルアダマンタイトを使ったものは、地上における宝具に勝るとも劣らない。
冥界でしか取れない鉱石であり、前回の終末で多少流出したとはいえ、地上では非常に貴重な鉱石である。
貴重な鉱石を素材として、終末の四騎士たる眼鉄が作ったアイテム。
そんな貴重なアイテムを、メアリーは持っていたのだ。
コボルトヒーローが膝をつき、倒れ伏した。
メアリーを貫いた後、四方八方から魔法を撃たれたのだ。
長くダンジョンにいたコボルトヒーローは、ついに絶命した。
眼鉄から受け取り、懐に隠し持っていたアイテムによって、一度だけ致命傷を防いだメアリー。
それは一度だけ致命傷を肩代わりできるという、非常に貴重なアイテムであった。
また、肩代わりと言っても、どんな攻撃でも防げるような物ではない。
あくまで特定の攻撃が致命傷だったらそれを防ぐだけで、他の傷が治るわけでも体力が回復するわけでもない。
本当に不意を打たれて必殺の一撃を受けた場合、という状況のためだけのアイテムだったのだ。
人間の時はついぞ受けることなく、そして死神になってから二度目の必殺を凌いだメアリーは、演奏する曲を変える。
音のみを発する、演奏される楽器の数がさらに増え、音はさらに厚みを増す。
百を超える楽器の演奏は、メアリーがたった一人で行うオーケストラだ。
効果は、直ぐに現れた。
ピキピキと音を立てながらフェデラの体から出現していた黒結晶が、一気にその速度を上げる。
十秒にも満たない時間だった。
フェデラが、自らの内から出でる黒結晶に、体全体が飲み込まれてしまうまで。
人形達とメアリーという、強力な戦力のすべての動きを止めていた、フェデラの呪いが解ける。
メアリーが演奏したのは、呪いの代償を加速させる呪歌だったのだ。
メアリーは元々奏でる曲によって敵味方に様々な効果を及ぼす演奏家であり、直接的な戦闘力に乏しい。
純粋な、あるいは特化したとも言えるサポート要員。
多くの楽器と曲を持つそんな彼女が持つ能力が、味方の能力上昇だけである訳がない。
水の上を歩く、風を緩める、炎の延焼を防ぐ、施された魔法を解除する、病の進行を抑える、周囲の様子を探る。
冒険によって遭遇する多種多様な場面に対応する、その起点を作ったり支援できるだけの魔法と判断力が、彼女にはあった。
それも、まだ人間だった頃の話である。
死神となりさらに力を増した彼女が、それでも動きを拘束され、虎の子のアイテムを消費したのは、ひとえにフェデラの力だ。
フェデラの呪いが、あまりにも常識外れで、死神すら動揺させるほどの威力を秘めていたからだ。
冷静さを取り戻せば、メアリーが強力すぎる呪術の代償を逆に利用するのは、当然だった。
拳を強く握りしめ、リースが部隊に撤退の指示を出す。
彼らには、黒結晶に包まれて、まるで凍り付いたかのようになってしまったフェデラを、置いていくことしかできなかった。
メアリーは、敵の撤退に気がついていながらも、すでに事切れたコボルトヒーローを見下ろしていた。
そして少しの時間の後、足を上げ、思い切り踏みつける。
それは、コボルトヒーローのすぐ横で何度か音を立てるが、ついぞ本人を足蹴にすることはなかった。
「死神になってお行儀がよくなった?……まさか」
メアリーは、誰に話しかけるでもなく口を開く。
朽ちるどころか、変化することもない肉体。
代わり映えのしない景色と日常。
食事すら必要なく、かといって大してやりたいこともない命。
「枯れたのは、心の方か。それが、むしろようやくわずかな熱を持つようになった…」
独りごちるメアリーの瞳には、大きな感情は見られない。
生前のメアリーであれば、踏みつけるとまでは行かずとも、罵声の一つくらいは浴びせたことだろう。
それが、今は死体を無表情に見つめている。
一気に楽器の数を減らした、静かな曲が流れる中、人形達はただ周囲に陣形を整えて動きを止める。
すでにいつでも動き出せる状態になってからも、彼女たちはしばらくそこから動かなかった。
この回のフェデラはこの世界的に見てもかなり異常なことをやっています。
勇者パーティーの一員みたいだぁ。