心はいつでも挑戦者
レオノーラが発動したワールドスキル"オラルプリスの悪魔"は、遙かな昔に暴れ回った巨人"オラルプリスの悪魔"へと変身するスキルだ。
それと同時に合計19の"オラルプリスの悪魔"が地上に出現し、世界中の19の街を脅かした。
本来一体だったはずの彼の悪魔が複数出現したのは、ひとえに総数20からなる群体にして単一の魂を持つレオノーラだからこそである。
その中でシラキのダンジョンに現れているものがペレと共にあり、故にその一体だけが他よりも強い力を持っていた。
しかし他の個体も決して弱くはなく、かのワールドスキルによって、攻められた街の多くが陥落することとなる。
撃破することができたのは、元勇者パーティのクリスティアがいるエルフ国や、偶然戦力の整っていた国だけだった。
巨人レオノーラとの戦いが始まってしばらくの後。
アテリトートに限界が近づいていた。
レオノーラの攻撃は少しずつではあるが魂を攻撃しており、肉体的には無事でも、魂はそうはいかなかった。
そしてこの場にいる五人の内誰か一人でも減れば、この戦いはほぼ負けだ。
ルティナがやられれば防御がなくなり、範囲攻撃で俺が落ちるうえ、他の二人もすぐやられる。
アタッカーの誰か一人でも欠ければルティナが攻撃に回らなければならなくなり、同じ事が起こる。
何らかの理由でクラージィヒトがやられれば、ビームを避けられなくなり一瞬で壊滅する。
すなわち俺達が勝つためには、アテリトートがやられる前に押し切るしかないのだ。
しかし相手となる巨人レオノーラの見た目は開始時と変わっておらず、ダメージ自体は蓄積しているとしても、後どれだけ攻撃すれば倒せるのか分からない。
不透明で厳しい現実を認識して歯噛みし、そして先の見えない総攻撃に打ってでる覚悟をしている時。
ルティナから思わぬ提案を受けた。
(シラキさん、撤退しましょう)
この言葉を受けて驚きに目を見開くのも一瞬、俺はすぐに状況を思い出す。
今自分たちがいるのは八階層のフィールド型森ダンジョンであり、九階層には吹雪の山が万全の状態で待ち構えている。
ルティナが言いたいのは、吹雪の山で稼いだ時間を回復に当てようと言うことだ。
第十階層の雲中庭園が事実上の終点だとして、吹雪の山であれば例え死神相手だろうとそれなりの時間が稼げる。
そもそも俺達がここで戦っているのはこの階層の部隊を撤退させてメアリーにぶつけるためであり、その目的はすでに達成されている。
単純に退くタイミングがなかったのもあるが、戦闘に集中するあまり現在の小目的すら忘れていた。
しかし問題は二人が後発のメアリーと合流するように動く可能性があるということだ。
ここで合流されるといよいよもって手が付けられない。
(フェデラ!メアリーの状況は!?)
(第三階層です!今はウルフ隊と吸血鬼達が足止めを仕掛けていますが、あまりうまくはいっていません)
当然だ、吸血鬼達はともかく、ウルフ達はほとんど休めず連戦している上に今は指揮官不在だ。
と言うかその状況で足止めを仕掛けることができているのが凄い。
とにかく今三層ならまだ余裕はある。
(アテリ!)
(シラキッ!私に逃げろというのか!!この私に!!!)
怒れるアテリトートの声が響く。
その念話にこもっているのは、敵に背を向けろと言うであろう存在に対する怒りだけではない。
自分が撤退の引き金になってしまっていることに対する、慚愧と自責の念が隠れていた。
(アテリトート!!!)
そしてそれに対したのは、シラキの一喝だった。
信頼である。
アテリトートの心を揺さぶったのは、シラキの思いの中に確かに存在した、信頼。
元々相容れぬ存在に対して、向けられるはずのなかった思い。
アテリトートは自らが持ち得た、ただ一人だった人間の親友の顔が浮かぶ。
同じだった。
アテリトートなら、正しい選択を選べる。
誇り高き彼女に、その信頼を裏切ることなどできなかった。
アテリトートが無言の肯定を示し、そしてディレットは拒否する意思もみせない。
むしろ喜んでいた。
(全員、撤退するぞ!アテリとディレットは俺に掴まれ!)
クラージィヒトの念話を元に迫り来るビームを回避し、四人に念話を送る。
近くにいたルティナと離れていた二人が素早く俺の元に集まり、体当たり気味に全員で"滅亡の大地"の闇の中へ。
ダンジョン内なら俺の庭も同然、雲中庭園の魔方陣近くに繋げた闇に三人を送り、俺だけは別の場所へ。
同階層の端にいたクラージィヒトの元に出て彼女を引っ張り込み、撤収完了。
後は全員で中枢に戻り、ケプリから治療を受けることにした。
第八階層では、すでに枯れ果てた森のまっただ中で巨人レオノーラがぽつんと立っていた。
("滅亡の大地"の闇。本当に、惚れ惚れするような…鮮やかな撤退だったわね)
今の撤退に関して、ペレは心底から感心し、そして驚いていた。
おそらく撤退を考えたのは、実際にそれを行う僅か十数秒前であり、ルティナ以外の三人が同時に反応していたあの瞬間だろう。
と言うことは、あのアテリトートとディレットがほとんど拒絶することもなく撤退に従ったことになる。
そう、あのアテリトートとディレットがだ。
アテリトートは先の戦いで逃げることしかできず、ペレの目から見ても雪辱を果たす意志に燃えていた。
そもそも誇り高い吸血鬼で、しかも戦意をむき出しにしていたアテリトートが素直に撤退に従うなど、半ば信じられないような思いだ。
ディレットも嵐や災害と並び称されるような竜であり、戦えば負け無し、当然逃げたことなど一度も無いはずだ。
非情に好戦的で度しがたいと言われるかの竜も、平然と敵に背を向けるとは思えない。
(すごい……いえ、すさまじいわね。これが彼、シラキの力、人徳なのかしら。だとしたら本当にすごい…神の子に選ばれるだけのことはあるわ)
巨人レオノーラはゆったりと動き出し、次の階層へと向かう。
すでにこの階層の木々も草花もほとんどが消え去っており、彼女を遮る物は何も無い。
(レオノーラとしては、本人の戦闘力の方が大事かしら?守護騎士としては、守るための力が絶対に必要だものね。
でも私は、力って言うのは自分自身の戦闘能力以外の所にもあるものだと思うわ。
ふふっ。戦士でもなければ、戦ったこともなかった私が言っても、説得力がないかしらね)
ゆっくりとした動きでそれなりの時間をかけつつも、二人は第八階層を越える。
その巨体からすれば小さすぎる階段を、スライムのように変形しながら通り抜け、雪に覆われた第九階層へと足を踏み入れる。
吹雪に包まれて自分の体の半分も見えないその階層を、逡巡することもなく進む。
自重から何メートルも雪に陥没しながら、時折開いたクレバスに体を挟まれながらも、黙々と。
四方八方から中級魔法や上級魔法が飛んでくるが、その全てをシールドが弾く。
時折迂闊にも近づきすぎた魔物を軽く消し飛ばしながら、悠々と吹雪の山を登っていく。
四百を越える魔物が連携して繰り出してくる魔法に対し、レオノーラは一切影響を受けていない、ということは決してない。
レオノーラが張るシールドがいくら堅牢でも、いわゆる消耗を完全に無視できるような代物ではなく、攻撃を受ければ耐久力は減少する。
つまり攻撃を受け続ければ、いずれはシールドが張れなくなる時はくる。
そうでありながら、二人はほとんど反撃らしい反撃をする事無く、ただ進み続ける。
実のところ二人は攻撃してくる魔物達をほとんど感知できておらず、回避することは愚か、敵を倒すことすらすでに諦めている。
全く効かないわけでもない攻撃を好き放題撃たれ続けるが、しかし二人がとれる最も安定して消費を抑えることができる行動でもある。
ダンジョンは無限ではなく、まっすぐに進んでいればいずれはこの階層を踏破できる。
それでもまだ攻撃してくるのなら、そのとき敵は倒せばいい。
一切の焦燥もなく悠然と進んでいき、それなりの時間をかけつつも、遂に吹雪の山の頂上、次の階層への階段に到達する。
先ほどと同じようにして階段を下り、雲中庭園の天上からしみ出すようにして落下する。
そうやって第十階層に到達した二人が、つぶれた水滴のような姿から巨人の姿に戻ったとき。
二人をまばゆい光が飲み込んだ。
俺達はクラージィヒトの話を元に、一つの作戦を考えた。
それは、敵が雲中庭園が来ると同時に、全員で不意打ち全力一斉攻撃を行うというもの。
そのときばかりはルティナも防御を投げ捨て、攻撃に参加してもらおうというのだ。
「嫌よ。我が胸を溶かす情熱は、誰にでも使う技じゃないわ。あなたの時は、あなただからこそ使ったのよ」
それを聞いた瞬間、ディレットはそういう。
ディレットが仲間になってから、初めての拒絶だった。
「私が求めるのは"情熱"。死神にそれほどの熱はないわ」
ディレットはシラキに従うし、敵前逃亡しろと言われればそうする。
しかし、そこには他とは違う譲れない一線があった。
そうかもしれないと、俺も思う。
亡者はその多くがアンデッドのようなところがあり、あまり意思を感じない場合が多い。
死神も決して手を抜いてはいなくとも、情熱的かと言われればそうとも言いがたい。
いや、"滅亡の大地"はあれで結構情熱的だったが。
俺は口をつぐんでしばらく考え、その後に聞く。
「ディレットは今までの戦いで、敵が複数人で協力している時があったか?」
「それはそうよ。むしろ、一対一だったときの方が珍しいわ」
「それでも、情熱はあった?」
「そりゃあね。人間は互いに助け合い、情熱を高め合うことができる。人間は協力している方が美しいのよ」
「なら、あなたの情熱は、敵で無く俺達に求めて欲しい。今はあなたも俺達と協力して、助け合う一員なんだから」
ディレットがまっすぐと俺を見つめる。
そこには一言では表せないような、複雑な感情が交じり合っているように感じた。
しかししばらくそうしてから、口からは別の言葉が出てきた。
「結構恥ずかしいこと言うわね」
「自覚はあった。全部真顔で言い切った俺を褒めろ」
言ってる最中はともかく、言う前と後は普通に恥ずかしかったわ。
「これが終わったてから、埋め合わせはしなさいよね。一つ言うこと聞いてもらうわよ」
「俺にできる範囲でな」
「ふん!」
「ツンデぶっ!?」
茶化さんとするルティナの顔面に、飛んできた掌底がキレイに吸い込まれた。
ルティナの能力的にダメージは全くのゼロだが、口は物理的に塞がれる。
俺がやられたら多分痛い。
「それより」
その言葉と共にディレットが見るのは、アテリトート。
先ほどから黙っていた彼女の表情に映るのは、苦痛と悔しさ。
「アテリ」
「…ッフ……知らなかったわね。自分が思っていたよりもずっと弱い存在だったなんて」
アテリトートが自虐的に言う。
自分一人ではできないことの方が多い俺と比べ、アテリトートは必要になることの多くが一人で解決できるだろう。
だからこそ俺からすれば当然のことでも、アテリトートからすれば情けなく感じられる。
彼らは単独で強者であり、それは群れることが基本の人間のとは土台からして異なる。
「奴らは私より強く、私一人では到底太刀打ちできない敵よ。だから私が私の責を果たすためには、あなたの言う様にするのが一番正しいのよ」
アテリトートは上に立つ者。
付き従う吸血鬼達を支配し、そして守らなければならない。
その立場と責任こそが彼女を魔王たらしめているのだ。
「俺はアテリと一緒に戦えることを誇りに思っている。
そしてそれは、敵が自分よりもずっと強いからでもあり、そうで無ければ絶対に実現できなかったはずだ」
敵が強いから、そうでなければこうしてアテリと共闘することなどなかっただろう。
俺にとってそれは悪いことではないし、むしろ誇るべき事だ。
だから俺は、それをアテリトートに悪いことだなんて感じて欲しくなかった。
しかしアテリトートを見れば、それが容認しがたいことであることがありありとうかがえる。
「自分より強い者に立ち向かうことが、そんなに情けないか?」
強いアテリトートにとっては自分が弱い事自体が認めがたい。
そのように生まれ、そのように生きてきた以上、当然のことだ。
しかし弱い俺にとっては、敵が強いことは当然で、そして敵が強いからこそ意味がある。
勇気づけるというか、なだめるようなつもりだったのだが、口から出たのはむしろ怒るような言葉だった。
これはつまり攻撃的な言い方をすれば、「いつまで強者でいるつもりだ?」という意味も含んでいる。
そんな風に言われたアテリトートはもう一度ため息をつくが、それは先ほどとは種類が違う。
「それはつまり私に、弱い者になれと?」
「死神と比べれば、事実として弱い者じゃないか?」
「ククク…!アッハッハ、ハーッハッハッハ!!!」
アテリトートは大きな笑い声を上げる。
それだけ愉快だったのか、笑いすぎて目に涙が浮かんでいるほどだ。
「まさか人間に説かれるとはな!こんな事を言われたのなんて、歴代の吸血鬼でも私くらいなものじゃないか」
そのまましばらく笑っていたが、自然な動作で目の拭きながら姿勢を正す。
「良いだろう、お前の前でこれ以上情けない姿は晒せん」
そう言って頷き、細部を話し合った。
雲中庭園
入り口の真下
戦いは濃厚な一瞬を作り出した。
雲中庭園に降り立った直後の巨人レオノーラを、ディレットが放つ熱線が飲み込む。
我が胸を溶かす情熱はエルダードラゴンが一、情熱竜ディレットが持つ最大の攻撃だ。
その光はレオノーラが張るシールドと接触した部分を全て消し去り、その本体すらも焦がす。
至大なる威力が空間そのものを震えさせるような衝撃が収まると直後、四方の残りから三人が次々と飛びかかる。
「"ゼー"よ!!」
「"雷帝樂天"!」
「"炎帝荒天花"!」
刺々しい光を身に纏うシラキが放つ、広い空から一点に集約されるようにして降り注ぐ雷。
唯一水を操ることができる吸血鬼が放つ、青く輝きながら突き進む槍。
薄紅色の髪を持つ小柄な女神が放つ、包み込むようにとぐろを巻く炎。
全ての猛威が過ぎ去った後、残ったのは形をとどめておけず崩れ始めながらも、一切戦意を衰えさせない巨人レオノーラ。
黒い光線が何本も発射され、メチャクチャに腕を振り回す。
ルティナの盾がなく、間違いなく自身を破壊しうる攻撃を、ギリギリで避けながら攻撃を続ける。
その攻防は決して長く続くことはなく、巨人レオノーラの巨体が崩れ落ちる事によって終息する。
ペレとレオノーラという二人の死神を前に、俺達は勝利したかに見えた。
この中では南にいるルティナが一番元気で、未だに余力を残している。
西にいる俺は限界が近いとは言え、まだ咲雷神は維持していられる。
ただし北にいるディレットは肩で息をしているし、東にいるアテリトートはすでに片膝を突いている。
この場所での戦いの終結を感じ、誰かが上層にいるもう一人の死神を意識したとき。
肉を突き刺すような音が、やけに大きく響いた気がした。
ルティナが最初に気付くが、到底間に合わず、ディレットはその瞬間を目にすることすらなかった。
そして巨人であった黒い塊が小さくなり、視線が通ることで俺は、ようやく何が起きたかを覚る。
そこに立っていたのは、アテリトートを串刺しにした大鎌を持った死神。
「一人目」
そう言ったペレが鎌を振ることによって、突き刺さっていたアテリトートを乱雑に投げ捨てると、そのまま走り出す。
向かう先にいるのは、未だ体勢を立て直せていないディレット。
ルティナがほぼ同時に走り出し、ペレの進路を塞ぐように十数枚の盾を展開するが、ペレはそれも意に介さない。
鎌を二回振っただけで行く手を阻む全ての盾を破壊すると、そのままディレットに飛びかかる。
俺も遅れて動き出すが、初動が遅く距離もあるため、ペレにはまるで追いつけない。
ルティナによってもたらされた小さな隙に、ディレットが身の丈以上もある火球を放ち、それがペレにぶつかり大爆発を引き起こす。
俺は若干減速しつつも、爆炎を遠回りする。
姿も見えないままに、あのペレには近づけない。
煙が晴れると、そこにいたのは爆発する前と何ら変わらない様子のペレ。
そして胴体に大鎌を突き刺されたディレットだった。
「これで二人目……っ!?」
ペレがそう言い終わってすぐ後に、吹き上がる巨大な火柱。
赤とオレンジが混ざり合い、その中にいる影だけがわずかに見える。
天井まで届く、半径十メートルはあろうという火柱の中で、ディレットの手刀がペレの胴体を貫いた。
しかし止まることのない二つの影。
そしてそれらを足を止めて見ていた俺は、後ろから何かに飛びかかられる。
「シラキさん!!!」
悲鳴のようなルティナの声を聞きながら見たのは、金髪の小さな少女人形、レオノーラと、視界いっぱいに拡がる闇だった。
この調子で一ヶ月ペースで更新しなさい!(自分に向けて)