このとき超常達は
魔物と亜人種では、魔力事情に大きな差異がある。
まず保有することができる総魔力量が違う。
基本的に魔物の方が魔力が多く、亜人種の十倍以上、多い者では数千倍もの魔力を保有する者もいる。
また、魔力が肉体に及ぼす影響も違う。
亜人種にとって魔力は便利な道具であると同時に毒でもある。
大気中の魔力が濃すぎるところにいると体調を崩しやすいし、過剰摂取も毒だ。
しかし魔物は魔力に適応しているため、もちろん限度はあるが、多くて困るということはない。
しかし人魔問わず成長すれば総魔力量も親和性も増加するため、これ自体は同じ土俵に立っているとも言える。
最も違うのは、魔力が持つ意味だ。
亜人種はどれだけ魔力を使っても、一日休息をとれば大部分を回復できる。
健全に生きている限り、亜人種にとって魔力とは無限リソースに近いのだ。
一方の魔族にとって、一日の休息などは大した意味を持たない。
魔族が一度魔力を使い切ってしまえば、完全回復までにどれくらい時間がかかるか分からない。
魔力を保持した肉を食らう、吸血鬼であれば血を吸うなど、ただの休息ではなく、自ら魔力を補給する作業が必要なのだ。
総魔力量が多い者ほどその傾向は顕著で、それ故に強者ほど全力では戦いたがらないところがある。
強大な魔族が多くの部下を持つのには、そういった事情もあるのだ。
強力な魔族ほど回復が難しいところがあるのであるが、実はシラキの眷属にはあまり関係がない。
ダンジョンそのものからバックアップを受けていることに加え、普段から魔力の塊と言うべき魔草、魔物の木の実といった食物を食べている。
低レベルの魔物なら一日で回復するし、最高レベルのソリフィスでさえ数日あれば全快する。
故に、この傾向が目立つ唯一の存在がアテリトートだ。
ルティナは基本的に人としての力しか使わないし、ディレットも今は人間モードのため、回復が早い。
純粋な吸血鬼であるアテリトートが、今シラキのダンジョンで最も回復に時間がかかるわけだ。
そんなわけで、アテリトートは今日も長いティータイムを楽しんでいた。
話のお相手はルティナ。
時間は夜、シラキの自由時間である。
自由とは言っても、普段の修行は誰に強制されているわけでもない。
魔物達も普段から訓練にいそしんでいるが、それも自主的に始めたものだった。
この世界において、普段から鍛錬にいそしむ存在が珍しいことは言うまでもないことである。
「シラキの眷属全員のレベルが上がるのはあなたのせいよね。シラキが方針をすべて決めているのと関係があるんじゃない」
魔物のレベルというのはそうポンポンと上がる物ではない。
基本的に魔物は人より長寿であるが、長い時を生きられる者ほどその成長は緩やかになる。
シラキの眷属達は、比較的成長の早い種族と比べてもなお早いペースで強くなっている。
「自身の認識もあると思いますよ。家族、と口にしたこともありましたが、まるで自分の体の一部のようです」
ルティナは他者を育てることのできる女神であり、今その力はシラキに向かっている。
故に眷属達がシラキと近しい存在であるほどに、ルティナの権能の恩恵を強く受けるようになる。
「稀有な認識の有りようね。もとより人間だってそこまで他人に歩み寄ることはできない。あるいは、一種の依存なのかしら」
そう言ってから、アテリトートは自分が今発したばかりの言葉を吟味する。
「なるほどね。その精神性こそが複数人ユニゾンという無茶を可能にしている」
「でも、そのせいで別の心配もあります。わかります?」
「完全な融合。自我が融解し、自分がだれか分からなくなる。ユニゾンと言えばこのリスクを述べるのが定番だけど、ありえるかしら」
これはよく言われる冗談、怪談話のたぐいである。
ユニゾンは維持するのに労力を労する状態であり、永続的な融合など起こらない。
少なくとも記録に残っている中では、ユニゾンで完全な融合を果たした者など存在しない。
「実戦になると、彼らの在り方は自然すぎるんです。まるで最初からそのような一人の存在であったかのように。
本来あるべき他人であるという認識が、あの三人には希薄なんですよ」
「皮肉ね。お互いに心を許しあっているからこその危難」
「命尾がいたころはまだ。彼女は明らかに異色の…他の眷属達と違って、シラキさんを確かに別人と定義してました」
ルティナは今はいない最初期組の一人の顔を思い浮かべる。
改めて考えてみると、命尾は眷属の中でも若干方向性の違う個性を持っていた。
「アテリはどうですか。何かすぐに仲良くなってましたが、シラキさんのこと」
「驚いたわ。彼、ずっと穏やかなのよ」
戦っているときの彼は恐ろしい。不利な時ほど特に、心底楽しいかのような笑顔を浮かべているのだ。
自分が追い込んでいるはずなのに、相手は楽しそうに、しかもどんどん動きのキレを増していく。
まともな手合いからすれば、悪夢のように感じるだろう。
多彩で強力な魔法に、凶悪と言えるほどに高い機動力と攻撃力。
彼の攻めを受けていた時は、大きくレベルの差が開いた格下の相手であるという認識など、欠片も頭に残っていなかった。
しかもあの時は基礎能力で自分よりはるかに劣る相手に追い込まれるという、ある種の屈辱的な状態でありながら、なぜかその状況を悪く感じることがなかった。
今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。
酷く楽しそうに動き回る彼を前に、気づけば自分まで楽しくなっていたのだ。
そんな戦いだったものだから私は、彼はたまにいる、戦いが好きなタイプなんだろうと思った。
勝利でもそのあとに得られるものでもなく、ただ純粋に戦いが好きなのだと。
しかし、ふたを開けてみればどうだろう。
日常の中にある彼は、実に平凡な人間だった。
あの人の枠を外れたような存在とは似ても似つかない。
それどころか、戦士であることすら怪しいほどに、一言でいえば緩かった。
リースウェーデやアルラウネの作った菓子を食べながら歩き回り、レフィルの腹にくっついて寝たり、眷属たちと風呂場で騒いだりする。
体幹は相当鍛えてるはずなのに何もないところでよろけるし、言動にまるで覇気を感じない。
アテリトートは人間からすれば遙かな過去である、数百年前のことを思い起こす。
親友たる深淵の魔術師、グウェン=エバンディスと心身の安定感について話したことだ。
安定した人間は調子のぶれが少なく、コンスタントに実力を発揮できる。
苛立ちや悲しみといった一時的な感情の波から突飛な行動を起こしにくく、平常的な判断ができる。
しかし必然的に凹凸の少ない人生を送りやすいため、刺激により大きく成長する機会が少なく、並外れた能力を持ちにくい。
自分が普段出している以上の能力を発揮しにくく、爆発力に欠けるのだ。
一方不安定な人間は一般的に賢明と呼ばれる様な行動を取れないことが多くあり、普通は起こさないような問題を起こしやすい。
しかし普通の人間なら起こさない、出会わない様な数々の危難を乗り越えて成長し、並外れた力を持つようになる。
当然その多くが若くして命を落とすし、人々に名を知られるようになるのは、本当に一握りの存在だけだ。
「私が価値ある者は一握りだと言ったらグウェンは、"私は安定側よ"って言ったのよねぇ」
ちなみにアテリトートその直後に手のひらを返した。
脈絡のないアテリの言葉に、ルティナが小首をかしげる。
「シラキは安定感というものを持っている、という話よ」
「シラキさんは彼にとって衝撃的な出来事も、次の日には飲み込んでいるすごい人なんです」
アテリトートとしては、褒めたわけでもけなしたわけでもない。
しかし、ルティナは自分のことのように自慢した。
それを見て、アテリトートはクスリと笑う。
「だから起こるとは思えない、と言い切りたいところだけれど。どちらにせよ、よほどのことがないと起こりえないことは確かね」
アテリトートは心配と言うことを全くしていない。
彼女からすれば、シラキがもしソリフィスやレフィルと融合してしまったとしても、それは決して悪いことではない。
むしろ進化であり、魔王の立場から見ても驚くべき飛躍であるとすら考える。
少なくとも彼女は、それぐらい起こりえないと思っていた。
「分かっているかもしれませんが、シラキさんは私の影響を最っ高に受けてしまっています」
よほどのことがない限り。
なお、よほどのことがないとは言っていない。
この女神に、いや神に連なる存在にここまで愛された者など有史以来存在しないのかもしれないのだ。
「あなたの権能は、生命に健全な成長をもたらすんじゃなかった?」
「受けすぎてるのが問題なんですよね。今シラキさんは私から受けた加護…それによる成長を半分も使っていないんですよ」
信じがたい話である。
シラキの戦闘能力はそれだけを見てもランクA-冒険者に匹敵する。
当然、現状戦闘で使われないユニークスキルや能力は含まずにである。
時勢もあるとはいえ、ゼロから初めてわずか一年でそこまで至ったというのに。
「冗談きついわよ」
「本当です。今のシラキさんなら、全く畑違いのジャンルの技術でも、するっと吸収できるでしょう」
シラキを飛躍させたのと同じだけの成長性が、丸々余っている。
それがこの先、一体何に変わるのか。
現状ですらすでに普通じゃない咲雷神よりも、さらにとんでもない魔法を作り出してしまうか。
ユニークスキルが別次元に到達して、地上の神に近づくか。
眼力だけで敵を殺したり、そこにいるだけで周りの人を幸せにできるようになるとか。
「ユニゾンが完全な融合に変わる可能性だってある」
「別のことに使わせようとはしたんでしょう?」
「してますよ。だから、いろんなことをやってるでしょ」
魔法においては全属性に補助回復その他。魔方陣の作成にポーション醸造、錬金術。
武器はオーソドックスなものだけでなく魔本や双剣、一部の暗器まで習わせ始めている。
知識に関してはこの世界の歴史や文化、地理やダンジョン、魔物生物学からエネルギー学まで。
ルティナは自分のダンジョンにこもりっきりではなく、外の世界を旅させるべきかとも考えていた。
自分のダンジョンから離れるなど、ダンジョンマスターの利点を否定しまくっている。
それでも、この情勢においてもなお、ルティナはそれをまじめに検討していた。
やはり難点は多く、実行には移されていないが。
「流石は主神に選ばれた者、と言っておこうかしら」
この話を聞いても、アテリトートに恐れた様子はない。
しかし一方のルティナは不安を含めた、様々な感情を内に宿していた。
神の子達の庭
鮮やかな花々が所々に集まって咲き誇り、一面に広がる平原。
大きな木の下で丸テーブルを前に腰掛けた男が、難しい顔をして目の前に展開された魔方陣を眺めている。
「駄目だな。何もおかしなことはない、様に見える」
「魔道博士のあなたでも見つけられないような脅威が、本当にあるかしらね」
「普通の魔法じゃないことは確かだ。そして妙にいやな感じがする」
神の子であり、世界最高の魔法使い。
魔道博士の異名を持つガリオラーデが感じるいやな予感とは、もはや予知と同義である。
「これだけの効果をもたらすリスクは大きい。使い続ければ意識が混濁し、体が動かなくなり、それなりの期間目が見えなくなるかもしれん。
だがそれ以上のことはないはずだ。……ない、ようにしか見えない」
「光仙煌頭広界。魔道に関してだけは世界最高峰のガリオンにここまで言わせるとはね」
「だけ言うな。あと、もっと時間があればこれも分かる。はずだ」
しかし、時間はない。
ペレが予告した日は近い。
「セルセリアの話では、ペレは海を渡ったらしい。運んでいた空族をかなり落としたが、ペレとは一当たりしただけで終わったそうだ」
「天使を大勢引き連れて、海で待ち構えて開戦。彼女も大変ね」
つまり、予定通りペレはシラキのダンジョンに襲撃をかけることになるだろう。
時間的にも、余裕的にもガリオラーデは援軍を出せない。
今ガリオラーデは頻繁にデスフェニックスによる襲撃を受けている。
高速で飛来し、燃やすだけ燃やして離脱するデスフェニックスを迎撃するのは難しい。
「しかしなぜ、雷煌竜王はこんな魔法を選んだんだ」
「そうね。かの龍神のことは私もよく知らないから」
そうしてガリオラーデは小さくため息をつくのであった。
第五階層
迷宮型城塞ダンジョン
ペレ戦に備えて階層設定を変え、第五階層に位置している迷宮型城塞ダンジョンを、俺は一人で歩いていた。
幅に広い通路を抜けて、中央が噴水になっている広場に着くと、そこにはディレットが座っていた。
俺が作ってダンジョンのそこかしこに設置している、宝石製の大きなベンチ。
端の方に座っていた彼女は、その長い金髪をなびかせて振り向いた。
「シラキじゃない、こんなところでどうしたの?」
「いや、そろそろ紋章師がこの階層まで来るから」
現在は目下、紋章師達が広範囲にトラップを設置中である。
完全に目先のペレ戦を想定したトラップ設置であり、設置する側の自分たちすら進行不能な置き方をしている。
そのため、この階層もトラップが設置された後は決戦まで封鎖されることになっている。
見納め、というと縁起でもないが。
「そういうディレットは?ベンチに座っておとなしくしてるなんて、珍しい」
ディレットは寝ているときと食事の時以外常に動き回っているような気がする。
実際にはゆっくりしているときもあるのだろうが、イメージ的にはそうだ。
ちなみに彼女は普段はいろいろな部隊と特訓という名の戦闘を行っている。
言い出しっぺは当然彼女本人であり、毎日戦えてうれしいそうだ。
そりゃドラゴンだった頃はそんなに戦いまくれる訳ないわな。
ケントニスも言ってたけど、ドラゴンってすごい長い時間寝てるらしいし。
史上最悪のドラゴンとかエルダー邪竜とかぼろくそに言われているディレットの伝説の数々だが、それだって一つ一つはそれなりに長いスパンで行われたものだ。
あといい加減なように見えてちゃんと手加減できており、ボロボロにはなっても再起不能になった者は一人もいない。
最初にやり過ぎないように釘を刺してはおいたが、それでもしっかりやってくれていてうれしい限りだ。
ちなみに普段仕事がないように見える救護班も、実際にはしょっちゅうかり出されるため割と大変である。
「別に年がら年中動いてはないわよ。元々、寝てる時間の方が圧倒的に長かったし」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「後は、食べているか飛んでいるか戦っているか…ほぼ寝てたわね」
「寝首をかかれたりしなかった?」
「たまーにね。おかげでアラーム系魔法だけは使えるようになった。攻撃系以外の魔法はね」
「納得した」
俺も同じベンチに腰掛ける。
座ってから横になりたくなり、ディレットの方に頭を向けて横になる。
人一人が余裕で横になれるスペースのある、大きなベンチだ。
作ったときは何も考えずにこのサイズにしたが、役に立ったと言えるのだろうか。
横になるとかなり高い天井が見える。
別に似ているわけでもないのに、なんとなく東京駅で上を見上げた時を思い出した。
「そうだ!ほら、頭乗っけなさいよ」
そう言ってディレットが自分の膝をぽんぽん叩く。
「え…なんで」
「レフィルが大きすぎて枕にならないって言ってたわよ」
崖の上とかでみんなで昼寝するときの話だろう。
確かにレフィルの大きさだと足も太いので枕にはしにくい。
背中の上で寝れるくらいにはレフィルは体が大きいし。
だからおなかに包まれるようにすると大変暖かいのだ。
でも唐突に膝枕する理由にはなってないよな。
「ほら、速く」
「あ、うん」
催促されるままにディレットの膝に頭を乗せる。
やっぱり人とドラゴンだし思考回路の違いがでて……いや、こんなところで出てたまるか。
ディレットが俺の髪に手ぐしを入れる。
そのまま少しして、ディレットは口を開いた。
「それで、何を弱気になっているの?」
割といつも通りにグイグイ来るディレット。
この質問もまた唐突だが、彼女は何もおかしなことはないという様子だ。
「そうみえる?」
「不安そうにしちゃって、通夜かっての」
「そんなにか」
次の戦いは、全員が命を投げ出して戦ったとしても勝てるかどうかは分からない、そういう戦いだ。
何かしている間は良いが、特にやることがない時間になると、ふと考えてしまう。
これからは、もう話すことのできない人がいるのだろうと。
「あんた、たまに暗いわよ。今も、私でも分かるぐらい」
「…ディレットに分かるレベルかぁ」
「……いや、言い返せないけど」
言われなれているディレットも、シラキに言われて苦笑いを浮かべる。
シラキがそのような物言いをするのは、打ち解けている証でもある訳だが。
ディレットが髪を梳くのをやめて、今度は俺の鼻の頭を突っつく。
目の前で動くディレットの手に、俺は目を瞑った。
「ペレがそんなに怖い?……いえ、誰かが死ぬのが、怖い?」
「もう会えないかと思うと、どうしてもな」
「もしかして自分が死ぬのは怖くないけど、仲間が死ぬのは怖い、なんて思ってる?」
「まさか。俺は死ぬどころか怪我も痛いのも怖いぞ。ただ、今回死ぬときはみんなも一緒だろうと思うと、少し気が楽…」
そこまで言って、俺の言葉は尻すぼみで消える。
何を言ってんだこいつ、という気に自分でもなる。
「生きるものは誰しも死ぬ。でも、あなたは死なないわ。少なくとも、私より先にはね。
だから辛気くさい顔してないで、しっかりしなさいよね」
ディレットらしからぬ遠回しな励ましの言葉に、俺はつい笑ってしまう。
「笑うな!」
ディレットが手のひらで俺のほっぺを押して横を向かせる。
顔を赤くしてにらまれても、かわいいだけだった。
「ありがとう」
人間と接するには彼女は不器用だが、それでも励ましてくれたのはうれしかった。
ディレットは、人間のことを理解しているわけではない。
しかし、確実に近づいてはいた。
なにせ、ディレットは自分よりもシラキの命を優先していることに、自分でも気がついていなかったのだから。
ディレットには、他者との別れをさみしがるシラキを、否定できるはずもない。
無意識であったが、ある意味、ディレットはごまかしていた。
そんなシラキに対して、自分が死んでもあなたを生かそうなどという、人間らしいことを言ってしまったことを。