銀の爪に映る
シラキのダンジョン
第五回層 雲中庭園
見た目とは裏腹に確かな感触を返す白い雲を踏みしめ、俺は真っ正面を見つめる。
百メートル以上の距離を離して対面しているのは、強敵になるほど本来の役割と遠ざかる我らが特攻隊長、レフィル。
彼は重要な戦いではいつもユニゾンしているが、本来の役割はウルフ隊の隊長である。
「絶対に必要です」
ルティナが強くそう言い、この模擬戦は始まった。
模擬戦自体はしょっちゅう行っている。
一対一のこともあれば、複数人の時もあり、自分が前面に立つこともあれば、横で見ているだけのこともある。
そんななかでも、今回は一等気合いの入った模擬戦だった。
雲中庭園の四隅を見れば、高さ三十メートルはあろうかという巨大な桜が咲き誇っている。
これはルティナの能力であり、桜を支柱とした結界だ。
効果は最強の盾と言われるルティナらしく、攻撃を防ぐもの。
「致命傷はすべて私が防ぎます。存分にやってくださいね」
そうルティナが宣言したとおり、今この階層の攻撃はすべてルティナが無効化可能になっている。
死神は常識外れな能力を持っている者ばかりだと言うが、ルティナの能力も大概である。
とはいえ純粋な無力化ではなく、あくまでルティナが力を消費して相殺しているだけらしいが、それはそれでルティナの力の強さを表している。
戦闘の内容は、非常にスピーディーなものになった。
戦闘開始と同時、こちらに向かって疾走するレフィル。
その加速の前では百メートルなどあってないがごとし、こちらが何もしていないうちに接近される。
俺がギョッとして左へと飛びすさると、その横をレフィルが駆け抜けた。
ウエポンズビースト、闘気で構成されたレフィルの爪が、俺のすぐそばを通り過ぎる。
そしてレフィルが走り抜けただけで生まれた風にたたきつけられて、俺は体勢を立て直すのに時間を要する。
止まることなく走り続け、半弧を描いて再び突撃してくるレフィル。
対してこちらは上級魔法を用意する時間すら与えられず、あり合わせの中級応用魔法を放つことしかできない。
蛇のように飛びかかる十数本の電撃をレフィルは速度を落とすことなく躱しきり、そのまま攻撃を仕掛ける。
避けきれない。
俺は横へ走りながらも、観念して防御特化の刀"暗幕の外の守護者"を鞘に入れたまま構え、防御の姿勢をとる。
攻撃を受け大きな音が響くとともに、俺は斜め後方へと吹っ飛ばされる。
百メートル以上吹き飛び、着地した俺に向かって、インパクトと同時に一気に減速したレフィルが再度走り出す。
俺はしびれて握力をなくした右手から刀を放し、横へと全速力で走り出す。
コートオブファルシオンで翼を形成し、バフと風魔法を用いた、半ば飛行とも言える全力疾走だ。
レフィルは直線での速度こそすさまじいが、そこまで急激に方向転換できる訳ではないはず。
案の定その一回レフィルは攻撃することなく通り過ぎるが、それで問題が解決したわけではなかった。
レフィルのウエポンズビーストは、全体で三メートルはある大きな腕だ。
背中のあたりを付け根に腕が伸び、一メートル以上ある手のひらと爪へとつながる。
レフィルは右側の爪を地面の雲に押しつけ、まるで振り子のようにして急激なUターンを果たした。
かなりの速度を保ったままこちらに走り出したレフィル。
状況は悪化した。
追いつかれることが
助走のない状態から駆けだしての攻撃ならなんとかよけることができたが、今回はそうはいかない。
今回のレフィルの攻撃は今までで最も速度が乗った攻撃で、そしてこちらはすでに走ってしまっている。
止まった状態からならともかく、すでに疾走している状況から直角に横に曲がるこはできない。
下手に方向転換したところで、レフィルには先ほど使っていた爪技がある。
そして翼を使っているとはいえ、ソリフィスとユニゾンしていない素の俺にそこまでの飛行能力はない。
空に逃げないのもこれが理由で、高速で飛びかかられたらまず避けられない。
しかもレフィルは俺より足が速い!
横と上では避けきれず、かといってこのまま逃げてもすぐに追いつかれる。
ならば、腹をくくって迎撃する!
レフィルは速度と攻撃力は高いが、魔法に対する防御力は相当低い。
そして点での攻撃が避けられるのなら、面で攻撃するまで!
俺は風魔法を打ち切り、生まれた少ない時間で魔法を生成する。
「熱線砲ぉぉぉぉおおおおおおお!!」
足を止めて向き直り、放ったのは炎属性上級応用魔法、"熱線砲"。
効果は単純明快、熱による極太光線だ。
その太さは直径十メートルにも及び、さらには弾速もかなり速い。
代わりに威力は低いのだが、レフィルのように魔法防御力が低い相手には有効なはず。
しかし俺が約一秒ほどして熱線砲を放ち終えたときに見たのは、平然と熱線を回避して、こちらに飛びかかるレフィルだった。
どうやって避けた!?
いや、それよりもヤバい!!
斜め上から振るわれる爪に対し、俺はとっさに前方に転がるようにしてこれを回避する。
背中にあったコートオブファルシオンの翼が布きれのように切り裂かれる。
危なかった。
とっさに動いたのが功を奏して助かったが、そうでなければ、あのちぎれた切れ端が俺の未来だった。
当然だが、相対するレフィルは本気である。
ルティナの能力が効いているとはいえ、それで自分が無事で済むことを実感できるわけではない。
感じたのは、このまま続けてもいずれは確実に引き裂かれるという焦燥だ。
しかしこちらの焦燥に気づいたわけでもあるまいに、今までヒットアンドアウェーで一撃離脱を繰り返してきたレフィルが離れない。
上からの攻撃で地面に突き刺さったウエポンズビーストの爪を起点に、減速してこちらへと向き直る。
そこからこちらへと飛びかかるまでの時間は、走っていたときの速度からは考えられないほどに早い。
普通の人間がやったら、加速度で気絶するんじゃないかというような切り返しだ。
俺はわずかに生まれた隙に咲雷神を発動し、"黄玉の乱れ紅葉"を引き抜きレフィルに斬りかかる。
そうして俺は、レフィル相手に物理白兵戦を仕掛けたことを後から反省するのであった。
「すっげー速い!強い。すごい!!」
IQを落としながらも手放しで賞賛する。
ルティナがこの模擬戦を強く推した理由は、すぐに理解することができた。
レフィルとの戦いはこの後も何回か続けたが、結局こちらがぼこぼこにされる結果に終わった。
二戦目は散弾をばらまきまくったが難なく突破されて一発KO。
三戦目はレフィルの遠距離攻撃が直撃してやられた。
これは非常に単純な闘気弾なのだが、レフィルのあのスピードが初速につくため、弾速がとんでもないことになっていた。
撃たれてから避けられないのはまるで"涯煉"のようで、どうやって避ければ良いのかわからない。
まあレフィルは射撃の腕自体は上手でもないので、動いていない的くらいにしか当てられないらしいが。
知らないとおっそろしい攻撃だが、知ってても恐ろしい。
四戦目は咲雷神をかけたまま遠距離戦を挑み、かなり良い線行ったのだが、一瞬の隙を突かれて敗北。
レフィルは爆発力があるし火力も高いので、ワンパン即死があり得る。
基本的にレフィルの方が強いので、普通に戦っているだけでは勝てないのだ。
五戦目にレフィルの進行方向直前に結晶でトゲの壁を作り、レフィルがそこに突っ込んでようやく勝利を収めた。
速度が速すぎてすぐに方向転換するのは難しいし、そのまま何かにぶつかるだけで大変なことになるという。
ただしレフィルの毛皮と皮膚は見た目とは完全に別物の防御力を持つし、あの速度で走りながら飛んでくる射撃を打ち落としたりする。
すごい。
ようやく一勝したところで、ルティナが満足したような顔をする。
「分かったみたいですね」
「ああ……いや、全くなってなかったな。主体になる俺が、ユニゾン相手の能力を分かっていなきゃいけないのに」
俺はユニゾン能力を用いて複数人の力を結集し、強敵と戦うことができる。
ユニゾン先は現状レフィルとソリフィスであり、彼らの力はそのまま使うことができると言っても過言ではない。
しかし、当然相手の能力をしっかりと把握していなければ、その力を使いこなすことなどできるはずがない。
要するに俺は、今のレフィルの力を正しく把握できていなかったのだ。
前はそうでもなかったが、自分が成長するとともに彼らも成長しており、変化している。
死神と直接対決することになるであろう俺が、せっかくの力を把握できていないなんて、看過できるはずがない。
ルティナがこの模擬戦を強く推したのも当然で、戦ってみなければ分からないものというのが、確かにあった。
あの体格、速度、威圧感……疾走するレフィルの正面に立つのは、相当怖かった。
「では、次はレフィルとユニゾンしてソリフィスとの模擬戦です。レフィルとユニゾンして何ができるのか、そしてソリフィスの能力について、よく見て戦ってくださいね」
「オレの速さ、主なら使いこなせる」
レフィルの簡潔な激励を受け取り、再び模擬戦を行う。
レフィルの能力がなんとなく分かったのだがら、その次はソリフィスと、そして実践である。
そしてレフィルとユニゾンし、ソリフィス相手に、またも敗北を続けるのであった。
ソリフィスは常に電撃をまとって宙に浮かびながら戦い、隙のない戦法を近中遠、全距離フルコースで堪能することになった。
実感をなくしていたけれど、ソリフィスは強く、ダンジョンボスの貫禄を感じた。
シラキのダンジョン
ある場所
ダンジョンの中でも人がほとんど立ち寄らないが、誰かがそこにいてもおかしくはない場所。
そんな場所で、二つの人影が立っていた。
「霊木から作られた儀式用のナイフよ」
そう言ってアテリトート複雑な模様の彫られた木製のナイフを放り投げる。
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
放られたナイフを大事そうに両手で受け止め、フェデラは深々と頭を下げる。
それは死峰山で育った霊木を呪術的に加工したナイフだ。
呪術に対する道具としては、世界でもトップクラスの代物である。
これですべての条件が整った。
「あなたは我が友の弟子。この程度、恩の内に入らないわ」
フェデラはフォルクロア王国の宮廷魔術師、グウェン=エバンディスの弟子である。
そしてアテリトートとグウェン=エバンディスは数百年前からの縁があり、友人関係にある。
普通であれば、アテリトートがただの人間に無償で何かを譲ることなどあり得ない。
しかも渡したのは魔王からすれば大したものではないとは言え、それなりに貴重ではある。
しかし彼女たちの関係性と、これからともに宿敵と戦うという状況であれば話は別だ。
「それよりもあなたは確かに呪い、それも"苦遠"とは相性が良い。最高と言っても良いぐらいよ。
でも、それ故にあなたにかかる負担とリバウンドのリスクは大きいものとなる」
「分かっています…でも、必ず役立てて見せます。命に代えても」
フェデラは決意を胸に、目の前の魔王にそう言い切った。
空高く浮かぶ巨大な城、天空城ケイチ。
世界最大の商業の通り道、冒険者と商人と国の要人達が交差する、大陸と大陸を結ぶ道。
上層へ上るほどに出現する魔物が強くなり、未だ誰にも攻略されたことがないという、世界ダンジョンの一つ。
そんなダンジョンの最下層、白い大理石に囲まれた大きな通路を進む、十人ほどの人影。
その真ん中にいるのが、世界でも数少ないランクA冒険者の一人、"研風の巫女"澄香だ。
彼女を守るようにして囲んでいるのは、主にBランク帯上位の冒険者達。
中央大陸に行きたいという澄香のわがままを叶えるため、彼女の友人が手配した者達だ。
周囲を警戒しながら進む彼らの内、集団から少し離れた先頭に立つ冒険者が、何かを見つけたのか立ち止まる。
「敵だ……が、フォックスシャーマンだと?」
先頭を歩いていた冒険者の前に現れたのは、確かにフォックスシャーマンだ。
この天空城ケイチは、世界ダンジョンであるだけあり、下層でもそれなりの魔物が出現する。
高ければレベル9の魔物と遭遇するし、低くてもレベル5未満の魔物を見た者はいない。
故にレベル4のフォックスシャーマンも、そこから成長した複数の尾を持つフォックスシャーマンも、普通天空城ケイチでは見られない。
出会ったのは尾が三つ、魔物レベル6のフォックスシャーマン。
しかも出会ったフォックスシャーマンも、出会った冒険者達に気づき距離をとっている。
「斥候…?」
少しの距離をとっていた冒険者達の本隊が追いつき、魔術師風の冒険者がそう口にする。
お互いに視認していながら、逃げるでも隠れるでもなく、ただ距離をとる。
また、ここからは見えないが、後方を気にしている風でもある。
それはダンジョンで魔物と出会った時、という状況では珍しいものだった。
冒険者達から見ても、その様子は単体の魔物にはあり得ない、斥候のそれだった。
そしてお互いが何のアクションもとらないうちに、フォックスシャーマンの後方から人影が現れる。
それは猫耳にしっぽを持ち、鮮やかな黄土色の帯が目立つ少女だった。
彼女の登場によって、冒険者達に緊張が走る。
距離が開いていたとしても、その力の大きさを感じ取ったからだ。
冒険者達が戦闘態勢をとりつつも、攻撃を仕掛けようとはしていないことを把握した猫の少女は、彼らからは見えない位置にハンドサインを送る。
その後に彼らが見たものは、彼らにとっては見たこともないようなものだった。
冒険者達をそれほど気にした様子もなく、魔物の大集団が横切っていったのだ。
動物族や魔獣族を中心とした、決してレベルの低くない、魔物達の一団。
あっけにとられてみていると、その中のとある魔物が足を止め、澄香をじっと見つめて後方に合図を送る。
そして冒険者達は、その後出てきた魔物に、今日一番の驚愕を味わうことになるのだった。
驚きの遅さ。