『煉獄の熱帯雨林』
目覚めたら、それはどことも知らぬ場所だった。
一瞬困惑するが、すぐに神の伝達があったことを思い出す。
体を起こして周りを確認してみると、そこはどんよりと暗い森の中。
曇っているからとか、木で日の光が遮られているからと言った理由では無さそうで、暗い黄緑色のスモッグで覆われているのではないかと言った様子だ。
その上まるで水の中かのように無数の木の葉が宙を漂っており、更に見通しを悪くしている。
地上付近には木の葉が漂っていないが、高低差が激しい地形の上に、大きな木が立っているため、見えるのは精々十数メートル程度。
木々は厚く苔に覆われており、地面も草と言うよりは苔の比率が多い。
サッカーボールほどの大きさをしたぼんやりと光る球体を持つ花や、グロテスクな赤い質感をした花など、見慣れない植物が多数。
ジャングルみたいな様相だ。
鼻で吸った空気のにおいは少々しけっており、俺は顔をしかめる。
「あー…」
立ち上がって考える。
どこだここ。
目が覚めたら知らない場所にいたとか、これで二、いや三回目だな。
何となく息苦しいのは……空気中の魔力が濃いのか。
とはいえこの場所の空気はとてもじゃないが体に良さそうとは言えない。
そして状況確認の途中、自分の体を見下ろして違和感に気付く。
体が動く。
神の伝達が起こった当時、俺は全く体が動かなかったはず。
それが軽く動かしてみても、全く消耗した様子が見られない。
魔力を動かしてみるが、こちらも全く問題なし。
理由は分からないが、少なくとも体調は普段通りの状態まで良くなっていた。
それより問題はあの後どうなったかだな。
思い返せば、怒りや悲しみ。
あるいはやるせなさと言った感情が、どこか現実感のないままにわき上がってくる。
きっと、命尾はだめだったのだろう。
傷は間違いなく致命傷だったし、しかもその傷を付けたのはあの剣だ。
あの剣、本物の神殺しの剣かどうかはともかく、対峙しただけで異常な存在感をひしひしと感じた。
命尾はあの場で命を落としたと考えて良いだろう。
そう、俺達を……いや、俺をかばって。
俺はその場に尻餅をついて、上を見上げる。
思った程じめじめとしていない苔が柔らかく俺を受け止め、そして見上げた上には色の付いた空気と木の葉、そして何十メートルもある木々の枝葉だけがあった。
「命尾」
言いようも無い感覚が胸を埋めていく。
それは悲しさであり、寂しさであった。
しばらくそうしていたが、周囲の森には一切の変化もない。
風はなく、飛ぶ鳥や虫はおらず、地上を歩く動物もいない。
まるで舞い踊る木の葉以外、時間が止まっているかのようなその場所で、俺は深くため息をつく。
人生で未だ味わったことのなかった、いや、あまり実感しないでいた感情を心に感じながらも、自分の冷静な部分が思考を再開する。
ずっとこうしているわけにはいかない。
自分一人投げ出された状態で、あの後どうなったのかも定かでない。
出撃させていたハースティ達がどうなったのかも分からないし、のんびりせずに行動を開始しなければ。
俺は足下から水晶の柱を伸ばし、エレベーターのように上昇。
巨大な木々の枝葉を突き抜け、空の下まで上がる。
そうして最初に思ったことは、どんよりしているのは森の中だけではなかったと言うことだ。
黄緑色の煙、と言うか霧、あるいはスモッグか。
それは森の中だけのようで、飛び出したら空気に色はなく、遠くまでよく見える。
しかし空は曇っており、結局明るいとは言えない雰囲気だ。
周りも見渡す限りのジャングルで、周囲の木々や地形の高低差のせいで、影になっている部分は見えない。
というか、どっちに行ったら良いのかも分からん。
まずいな、どうやって帰るんだこれ、というか帰れるのか?
そう思いながら周りのジャングルを眺めていると、後方で木々の揺れる音がする。
そちらを振り向いてみれば、巨大な蛾が飛び立ったところだった。
普通の蛾よりも胴体が大きく、大きさは五メートルから十メートル程はあるだろう。
黄色や茶色と言った色で彩られた羽を羽ばたかせ、こちらに向かって一直線に飛んでくる。
俺はすぐさま地面の水晶を下げ、地面に着地して構えるが、木々を揺らす音は俺のいた場所を素通りし、去って行った。
俺を狙っていたわけではなかったのかと思ったところで、衝撃。
衝撃に前に押され、蹈鞴を踏みながら確認してみれば、左脇腹に後ろから長さ一メートル程の石の槍が突き刺さっていた。
「いっっっ、くそ!」
俺は刺さった槍を左手で押さえながら跳躍し、目の前の大木の幹に垂直に着地。
アームのように水晶を伸ばして木の幹に立ち、同時に脇腹に刺さっている槍も水晶で固定する。
それらを瞬時に行い、先ほど攻撃された場所を確認してみれば、そこにはまるで鏡餅のような形をした生物がいた。
肌の色は茶色く、手足は細く短く、そして頭に黄色いヘルメットのような物を付けた生物。
その生物の細い目と目が合うと、その生物はまるで水のようになった地面の中へと沈んでいく。
ノームが地面に潜るときと同じだ。
「逃がすか、ガイアストライク!」
俺は手を出し、魔法を発動する。
今さっき生物が潜った直後の地面を空中に持ち上げる。
ガイアストライクはこういうことだってできるんだ。
そして未だガイアストライクの効果で、硬い岩になりきっていない巨岩から這い出し、落下した生物に炎属性中級応用魔法"ブレイズランス"をぶち当てる。
少なくとも人間ではない声で悲鳴を上げながら、火だるまになった生物は崩れ落ちた。
俺はそれを確認すると木に立ったまま脇腹の状態を確認する。
幸い傷はそれほど深くなく、大体五センチ程であり、おそらく内蔵もそれほど傷ついていない。
水晶を解除すると同時に勢いよく引き抜き、そしてすぐに中級回復魔法をかける。
「痛い」
痛い。
しかしダメージ的には回復魔法をかけておけば、完治とまでは行かないまでも十分大丈夫な状態まで回復できる。
この程度で済んだのは、ひとえにコートオブファルシオンのおかげだろう。
これがなかったら普通に貫通していたかも知れない。
俺の防御力というヤツは、魔法に対しては強いが物理に対しては大したことない。
先ほどの攻撃は魔法ではなかったのだ。
レフィルがいれば避けられたかも知れないし、命尾がいれば攻撃前に感知できたかも知れない。
それにソリフィスがいれば今よりも傷は浅く済んだだろう。
しかしこの場所にいるのは未熟で半人前以下の人間一人だけ。
頼りになる仲間達がいない以上、自分で頑張るしかないのだ。
傷を治し、地面に戻った俺は周囲に生命探知を掛ける。
傷のせいで大分精神的に疲れたが、また奇襲をかけられたらたまらない。
そう思っていたら思いっきりこちらに向かってくる生物の反応があった。
俺がそちらを向くと、ちょうどブーンという羽音が聞こえてくる。
「蜂?!」
現れたのは、体長三メートル程の巨大な蜂。
とはいえ、同じ蜂でもニードルビーとは似ても似つかない。
蜂にある毛のようなものもないし、トゲは五十センチはあるし、そもそも両腕にもデカいトゲが付いている。
正直うんざりした。
何故こんなのとやり合わなきゃならんのだ。
俺はうへぇと心の中で言いつつ、回復中に来なかっただけ良かったと思いながら戦うのであった。
「あー……はぁ」
俺は岩と木の根に挟まれた、周りから見えない場所でため息をついた。
移動しながら戦い続けて一時間。
巨大蜂を倒した後も戦いっぱなしであり、撃墜スコアはすでに百を超えている。
出てくる敵は鏡餅や巨大蜂の他にも、巨大な蛾、悪霊、スケルトン、魔法使い、恐竜と様々だ。
基本的に優しい敵はいない。
そろいもそろって強敵だったり厄介だったりする。
普通に戦い続けるのが辛い上に、鏡餅の奇襲を避けるために土の上をなるべく避けて移動している。
巨大な木にお似合いの大きな根っこが付きだしていたり、苔むした巨岩がごろごろと転がっていたりするので、それはまあ良い。
ただ木の上で戦い続けられるほど余裕もないし、土を踏むときは多く、そんなときは生命探知をまめに使って対処。
いつ来るかも分からない敵のために、それも戦闘中に魔法を使わされ続ける苦行。
生命探知を行うための魔力も集中力もバカにならないというのに。
ただ鏡餅本体のレベルは目算で4。
軽装で身を固めたスケルトンは白兵戦ではお話にならない。
その上動きが速いせいで省電力魔法じゃ避けられるし、ガンガン攻められる、ホント辛い。
そのレイピアのような剣ですでに脇腹や左肩を串刺しにされている。
そのとき二度とやりたくなかった火炎魔法自爆をまた使わされたし、切り傷はそこら中にできている。
クッソ、クッソと人生初の悪態連打をやらされた。
レベルは目算で7前後。
悪霊は頭からフード被った半透明の黒い幽霊だ。
正確な時間は分からないが、長く見積もっても十秒も触られていれば死ぬデスハンドしてくる。
俺はデスタッチと呼んでいるが、あれはいわゆる即死技に分類されると思う。
触られて一秒でも吐き気と目眩が来るのでもう一瞬たりとも触られたくない。
てかあれは実際、他の敵と一緒に出現されると本当に厄介だ。
なんてったって触れられている時間が二秒でも、俺の体調がバカみたいに低下するので別の敵に殺されかねない。
触れられるだけでヤバいので、多種族と同時に出たときは強魔法ブッパして先に悪霊を消すことにしている。
レベルは目算で6~7。
ビックモスは近づいただけで毒鱗粉で体調崩す。
上に行かない限りはあまり出くわさないのが幸いなのと、他種族も鱗粉は平気ではないらしく、一緒に出てこないから気が楽。
焼いて殺せるのもプラス、ただし風上を取られるとそれだけで辛い。
レベルは目算で6前後。
魔法使いは厚いローブを着込んでひらひらさせてるせいで横にデカいけど、多分服を除いたら中は細いと思う。
魔力減衰フィールドと魔法反射壁とかいう高等魔法を使ううえ、複数人で出てくる畜生。
こいつは斬り殺すに限る。
あんなのと魔法合戦した日にはバカみたいに時間と魔力を消費する。
まだ全力でバフ掛けて斬り殺す方がマシだ。
レベルは目算で7前後。
恐竜、デカい!ブラキオサウルスみたいなやつだ。
刀は刃が立たない、魔法は効き目薄い、あいつが口から吐く光線はクリーンヒットしたら威力的に余裕で即死!
ぶっちゃけ多彩さをなくしたケントロみたいなヤツだ。
ガン逃げかましたいが後ろから飛んでくるビームが怖すぎて……正直コンティニュー無しのRPGで即死技が外れることを祈るみたいな、とにかく心にくる。
見つけたら見つかる前に逃げよう、見つかったら諦めて戦おう。
レベルは目算で8前後。
蜂?雑魚、以上。
攻撃力高い、そこそこ速い、それなりにタフ、凄く火に弱い。
俺程速くないし、炎魔法で簡単に殺せるし、視覚的にもデカすぎて逆に怖くないので癒し枠。
もう人間大の昆虫くらいなら怖くはなくなった、もちろん気持ち悪い存在ではあるのだが、戦闘中に気にしないくらいには慣れた。
それでもレベルだけ見れば多分6くらい、炎無しだと決して弱くはないんだろうけど、相性ってあるよね。
総評。
死にそう。
と言うか死ぬのも時間の問題。
そもそもここ俺が単体で来て良い場所じゃない。
俺のレベルって7か、良くて8だぜ?
どう考えても世界が俺に死ねと言っている。
泣いて良いですか。
今までは次々とエンカウントする敵と深夜みたいなテンションで戦い続けて余裕がなかったが、ちょっと休んでみると状況は絶望的だ。
体力は、もう尽きかけているので現在休憩中。
体の傷に関しては、回復魔法を掛けてはいるのだが、応急手当以上治療未満の回復なので、ダメージはどんどん蓄積している。
魔力はまだある、と言うか手持ちの魔力結晶を使わされているのでリソースに限りがある。
食料はブラキオサウルスから剥いだ肉があるので、とりあえずはしのげる。
水は魔法で出せる。
水魔法を使えて心底助かったと思う。
川なんて見つけてないし、あったとしてもそのまま飲めるのかは甚だ疑問だ。
生物の血なんて寄生虫に当たるか、腹を壊すか分からないし、水魔法が使えなかったらそれだけで詰みもあり得た。
とはいえブラキオサウルスの肉だけでどれだけ持つのか、というのもかなり怪しいが、とりあえずすぐには死なないと思う。
何にせよ、とても余裕があるとは言えない状況だ。
「いただきます」
俺は手を合わせ、薄切りにして焼いていた肉を食べる。
食べるための箸も燻すための煙を集める物も、当然水晶製だ。
塩もないので素材の味という名の味のない肉を咬む。
無表情にもぐもぐとしていると、唐突に涙が出かけた。
「ああ……」
きっと、この感覚はそれだろう。
家族のような存在を失い、一人痛みと疲労に耐えながら、味のないモノを食べる気持ち。
「すぅー、ふぅー」
小さく鼻で呼吸をし、自分の感情と向き合う。
「はぁー」
子どもの頃、ある日寂しさで泣いていた頃を思い出しながら、どのくらいの時間そうしていただろうか。
多少の悲しみが収まり、頭が動くようになった俺は、軽い気持ちで絶望していた。
自分がいる場所は不明。
見渡す限りのジャングルの中。
敵はいっぱい、しかも自分と同程度のレベルの敵だらけ。
味方も無し、当然補給も無し。
体を休めながら、かといって気を抜いて休める状況でもない今日この頃。
この場での探知魔法は逆に敵に俺の存在を教えることになりかねないため、気楽には使えない。
一応地面には三重に水晶の壁を作ってあるのでそちらは多分大丈夫だろうが。
暗い気持ちにもなるが、ただ沈んでいても仕方がない。
人は万能とはほど遠く、できないことなど無数にある。
人間、できることをやるしかないのだ。
この"気持ち"に比べたら、今の状況に対する絶望なんて遠い存在だ。
俺は気持ちを入れ替え考える。
この場所に来た以上、帰る方法はあるはずだ。
問題は、それが見当も付かないうえ現実的にできるのかも分からないところ。
この際それは除外しよう。
とりあえず取り得る選択肢は二つ。
この森から出ることを目指すか、あるいはこの森である程度安定して生きていける様になる事を目指すか。
………。
しばらく考えてみたが、どちらを選ぶべきか分からない。
うだうだ悩むのは好きじゃない。
俺は買い物で悩んだら安い方を買うタイプだ。
答えのない悩みは好まないので、今回はコイントスで決めることにした。
……思考があまりまとまっていないが、問題はない。
チーン。
俺は目を瞑り水晶製のコインを親指で弾く。
その気になればキャッチして、好きな方を出すこともできるがそんなことはしない。
俺はコインが地面に落ちた音を聞いてから、ゆっくりと目を開けた。