魂縛の煉獄界
剣が振り下ろされる瞬間。
シラキは奇妙な感覚に包まれていた。
それは口惜しさもあるが、どこか冷たく、まるで眠っているかのような感覚。
死への様々な感情と共に、身を挺して自分をかばうソリフィスへの感謝と信頼。
穏やかで波のない感情を味わっていた。
ソリフィスは必死だった。
ただ自らの主を生かすために、全て投げ捨てる覚悟だった。
しかし自らのできることはやり尽くし、できたのは結果を変えることのない身代わりだけ。
怒りと口惜しさに満たされた気持ちでその剣を睨んでいた。
ルティナは動揺していた。
神殺しの剣は、自らの最悪の過去を連想させる武器だ。
その力も分かっていたが、動揺して何もできなかった。
そして今抜け出せない拘束に縛られ、シラキが殺されようとしている。
神の子の禁を破り、神としての力でシラキを助けるか。
迷ったまま、決断することができなかった。
命尾はシラキのように穏やかな心で、事態を受け入れていた。
今このときに命を投げ出すことに、欠片のためらいもなかった。
一抹の残念さを胸に命尾は飛び出した。
そのとき、その場は静寂に包まれた。
全員がその状況に驚いていた。
先ほどまで命尾が捕まっていた場所では、未だ健在の鎖が拘束していたはずの相手を見失い、音を立てて地面に落ちた。
「な……!?」
サブナックが驚愕の声を上げる。
それと同時に命尾がか細い声で、しかし力強くつぶやいた。
「"私の愛する人"……!!!」
その言葉と共に、すさまじい炎が立ち上った。
噴火のように立ち上る炎の柱の周囲を、バネのように炎が円を描いて走る。
眼前にいたサブナックはその炎に引き込まれ苦悶の声を上げた。
そしてその近くでは、命尾が貫かれたままの剣をそのままに崩れ落ちる。
「命尾!!!」
シラキが直前までの、穏やかな精神状態を完全に忘れたかのような声を上げる。
神殺しの剣は命尾の胴体の中央部分に侵入しており、素人目に見ても致命傷である。
命尾はむせて口から血を吐きながら、弱々しい声でシラキの声に答えた。
「ます、たー」
「命尾、まって、喋るな、今…く、くそ!」
シラキが自分の不調も忘れて命尾に回復魔法をかけようとし、そして自らの体が動かないことを思い出す。
焦燥したシラキが震えるように体を動かそうとするが、拘束している鎖にジャラジャラとした音を立てさせる事もできない。
ソリフィスはそれで我を取り戻し、体に力を込める。
ルティナも神殺しの剣による拘束がとけ、命尾に駆け寄り手をかざして回復魔法をかけるが、その表情は悲痛なものだ。
「ごめ、んね……話せ、なかった」
「っ…ルティナ」
懇願するようなシラキの声に、ルティナはその表情を曇らせる。
「ダメ……この剣で切られたら、もう」
そうは言いつつも魔法の行使を止めないルティナを見て、シラキは命尾の死を覆らせることが不可能であることを悟った。
「命尾」
「ます、たー」
命尾は体を震えさせながら、しかしシラキをまっすぐに見つめた。
そして出会ってから半年以上、今までで一番の笑顔を浮かべて言った。
「ありがとう」
その言葉を残し、命尾は息を引き取った。
そして平時は非常に珍しい、しかし終末が始まって以来、すでに誰もが聞き慣れた音が世界に鳴り響いた。
『地上に生きる者達よ、煉獄の試練、等しく訪れ、先代の庭へと至れ』
『ワールドスキル"魂縛の煉獄界"が発動されました』
そして、シラキの体を赤紫色の煙が包み込んだ。
シラキがサブナックの襲撃を受けているとき。
状況が加速しているのは、シラキの周囲だけではなかった。
北大陸における、唯一の港町。
そのほとんどを深い雪に閉ざされた大陸で、最大規模の町の正面、激しい戦闘が繰り広げられていた。
「オラァ!"断空斬"!!"剣舞の旋風"!!!」
片側で爆発するかのような風圧が走り、それと共に亡者達がそろって上下に両断され、反対側では直径十メートル程の竜巻が走り、飲み込んだ者を切り刻みながら進んでいく。
それらを生み出したのは、押し寄せる亡者達の中心を、まるで無人の野を行くが如く駆け回る男。
イノセントクロウズの戦士、"大戦士"泰虎だ。
浪人風の出で立ちをして、その刀を振り回す泰虎は亡者を次々と蹴散らし、その一角、中心を完全に制圧している。
しかし包み込むように押し寄せる亡者の群れは、泰虎一人で押し返せるものではない。
そうやっておぞましい程の数で、文字通り波のように押し寄せる亡者に向かって、空から氷の槍が降り注ぐ。
「"冷峰の吐息"」
大きさ数メートルという菱形の氷柱が、亡者の波の先頭を撫でるようになぎ払っていく。
それを起こした張本人、青い炎をその身に纏い、空を自由自在に駆ける青い鳥。
魔王"氷帝"ソルロンだ。
泰虎が中央を跳ね返し、ソルロンがその他をなぎ払い、残りを騎士や冒険者達が倒していく。
そうやってこの町は防衛されていた。
ソルロンは魔王の中でも若く、特にフットワークが軽い。
彼は魔族と亜人族の間にある溝にも構わず、自ら都市の防衛を支援し、この地域を歩く亡者達を殲滅していた。
元々人口が少なく、重要度の問題で多くの戦力を送ることができないこの町は、それほど戦力が多くない。
そんな町は、ソルロンと泰虎の活躍により守られており、亡者達を十分に押し返していた。
しかし、そんな中で響き渡る"神の伝達"。
その声と同時、空を舞っていたソルロンから、赤紫色の煙が噴出する。
いや、ソルロンだけではない、地上で戦う戦士達の内の一部も、自身の体から赤紫の煙が吹き出していた。
吹き出した煙がそのまま本人を包み、そしてそれが晴れると、その場所には誰も残っていなかった。
そしてソルロンが消失した事を確認した泰虎は、状況の悪化を悟り、更に派手に暴れ出すのだった。
中央大陸の中心地点にある都市。
溢れる亡者の波が都市に押し寄せているが、そんな中、ある一角には亡者が寄りつかず、ぽっかりと空いている。
その中、都市側にいるのは冒険者パーティー"フース"の五人。
そしてもう一人、茶色の毛皮でできたコートを羽織った青年、イノセントクロウズのリーダー"駆け回る伝説"ノウルスだ。
そんな六人が対峙しているのが、二体のドラゴン。
黒と紫色でグラデーションした禍々しい邪竜、レベル9のカーネルだ。
更にその二体に加え、後ろには暗い紫色のドレスを着た少女、死神"狂える様に歌う闇"メアリーが立っている。
当初戦況は亜人族有利であり、都市を守る戦士達が亡者の進撃を押し返していた。
城壁を破壊するキャッスルイーターや、移動砲台である"ランチャースコーピオン"と言った大型モンスターも魔法によって打ち倒し、亜人族は完全に優勢に事を運んでいた。
しかし、死神メアリーが現れた事で、一気に押され始める。
メアリーの歌は戦場全体に響いており、それを聞いた人の一部は錯乱し、亡者は強化されたのだ。
劣勢に立たされたことを確認した生きる伝説であるノウルスは、フースの五人と共に突撃。
城壁からの援護を受けてメアリーに肉薄した六人は、冥界の歌を歌い続けるメアリーと、邪竜二体を同時に相手し、互角の勝負を繰り広げていた。
「"天狼牙"!"アイアンテイル"ッ!!!"涯煉"!!」
竜の翼と尻尾を生やしたノウルスが空から猛烈な勢いで邪竜に斬りかかり地面にめり込ませると、その場で回転し、横から飛びかかってきたもう一体の邪竜の顔を自前の尻尾で強烈に叩きつける。
巨大な質量と体積を持つドラゴンを吹き飛ばす程の攻撃であり、魔物レベル9の邪竜であってもただではすまない攻撃だ。
しかもその攻撃の直後に上級応用魔法"涯煉"を放ち、メアリーを攻撃する。
「"嵐の暴虐"!!!」
「"エフイヤージュ"」
浪人風の出で立ちをしたがっしりとした男・虎紅が、地面にめり込んだドラゴンに飛びかかり、手に持った身の丈以上の大きさのバトルアクスを叩きつける。
その横では、ダークグレーの服装をした猫耳の少女・シクロが、頭を叩かれた方のドラゴンに向かって目にも留まらぬ速さの連続突きを繰り出す。
「"岩戸圧"!」
「"フレアクロス"!!」
更に飛びかかった二人と入れ替わるようにして、二つの上級応用魔法が放たれる。
暗い色のローブを着込んだ女性・シェーラが、二回の攻撃によって更に地面にめり込んだ竜を地面に沈め、凶悪な圧力を駆ける。
青と黄土色を基調とした神官服を着た金髪の女性・ラフリアが、巨大な十字を描く炎を叩きつける。
「"旋律・堪え忍ぶ戦士達"」
そして綺麗な紫色の頭飾りを付けた男性・グリムが、小さなハープで魔法の旋律を奏でる。
一パーティーに一人を加えた編成だが、彼らは慌てることなく連携していた。
戦況は彼らが邪竜達を押しており、一見優勢に見える。
しかしハープで短い旋律を奏で、全員の防御力を上げたグリムが舌打ちをして言う。
「チッ、曲の効きが悪い!」
魔力を用いて楽器を演奏することで、味方を補助する魔法が使えるグリム。
しかしこの場には、彼でも、技の音でも、戦場の喧騒とも違う音が常に流れ続けていた。
それは死神メアリーが奏でる旋律。
楽器を奏でるわけでも、歌うわけでもないメアリーの周囲から発され、亡者を強化し、生者を縛る。
大きな打撃を受けた邪竜二体が、その傷を治しながらも立ち上がり、まるでビームのようなブレスを放つ。
邪竜はメアリーの能力で、大きくその力を増しているのだ。
冒険者達はすぐさま反応してこれを回避するが、負けないだけでは状況は良くならない。
驚くべきタフネスを発揮する邪竜に対し、隙を見てメアリーを攻撃しているが、それだけで倒せる程死神は甘くない。
彼らは素の戦闘力だけなら、間違いなく格下である邪竜二体を抜けないでいるのだ。
彼らが持久戦に陥っているとき、神の伝達が響き渡る。
「なっ!?」
「っ!!」
それがノウルスとシクロを連れ去り、状況は一変した。
『渦煙の・狭間の世界』
この場所は幅が直径数キロはありそうな渦が、縦ではなく横を軸として渦が巻いている。
地上もなければ空もなく、しかし下と上、前と後ろの区別だけは付いている空間だ。
ここは地上と冥界の中間に存在している"狭間の空間"、その一部であり、冥界から訪れる亡者達の通り道となっている。
地上へと向かう亡者達は、この空間にいくつも存在してる透き通る虹色の床を踏みしめ、地上へと向かうのだ。
そしてそんな亡者達を、押しとどめているのがドラゴン達となる。
魔族よりも強大な力と魔力を持ち、亜人族よりも賢く揺るぎない心を持つドラゴン。
そんな彼らに生まれながらにして課せられている使命、それこそが終末において狭間の空間で亡者達と戦うことなのだ。
ドラゴン達は延々と沸き続ける亡者達を、この場所でひたすら倒し続ける事で、地上に出現する亡者の数を減らしている。
そんな中、ある場所で立っている、巨大な存在感を放つワイバーン型の赤い竜。
竜王の一人、炎帝竜王ラグラブルクだ。
翼をたたんだままたたずむ彼の側で、白い鱗を持ち、緑色の髭を生やした蛇型の竜がとぐろを巻いた。
「ヴァイベレ」
ラグラブルクは視線を向けることなくその名前を呼ぶ。
「白雪龍や緑甲竜、黄金龍など……複数が抵抗できた様子もなく煙に飲まれた。地上でも"氷帝"や"駆け回る伝説"が消え、巫女も一人減った。直に伝達が来るだろう」
世界を見通すと言われる龍、覚見龍ヴァイベレが厳かな口調で言う。
その口調は聞いた話ではなく、まるで自ら見てきたかのような様子だ。
「ああ、そういえば、地上も見ていたのか。ならば、"煉獄よりの使者"も見えているのか?」
「いや、見えん。ダンジョン内にいるのか、地下深くにいるのか…それより、第四層で青海竜が消えて、残ってる分身がダークヴァルキリーに押されだしたぞ」
「黒撃竜が行くだろ」
ヴァイベレの報告を受けるラグラブルクが平然と返す。
それは興味がないのではなく、そうなるだろうと確信している様子だ。
「それに第五層にディープグリーンタワーが出現し、ヴォルフレイデンにフォトンデストロイヤーが直撃して」
「よし焼こう」
「いや、落ち着け。一緒に周りの亡者も消し飛んだから大丈夫だろう」
先ほどとは打って変わって突飛な方向に走るラグラブルク。
それはまずいと思っているのではなく、単純に感情的な所から来ている。
「フレイが怪我をする前に敵を殲滅しなければ!」
「親バカか貴様は。ヴォルフレイデンは自分で何とかするから座ってろ」
災禍に見舞われる地上を助け、侵入しようとする亡者の大半を撃滅しているドラゴンたち。
偉大にして強大なる彼らの頂点は、いつもと変わらず気楽に過ごしているのであった。
命尾
フォックスシャーマン(六尾)
魔物レベル9
総合A 攻撃B- 防御C+ 魔力量A 魔法攻撃A 魔法防御A すばやさA- スタミナA-
特殊能力
「ただ一つの形見に感謝を込めて」
シラキが死亡するときに発動する。
あらゆる障害を無視してシラキの死因を肩代わりする。
また、シラキを全快状態にする。
固有技
「私の愛する主様」
主のためだけに使う事が可能。
抱いた愛と忠誠心、そして両者の間に存在する絆が強いほど威力を増す炎。
また"ただ一つの形見に感謝を込めて"が発動した場合、状況に寄らず"私の愛する主様"を発動できる。