ただ一つの形見に感謝を込めて
無色透明な水晶が乱立していた広大な洞窟の中。
目の前で一つ残っていた水晶が砕けるのを見て、メアリーは目を丸くした。
「まさか、あの怠惰な男が脱出するなんて」
洩らした言葉には、驚きの念が籠もっている。
それだけシラキが目覚めたことが意外だったのだ。
そして横で小さく笑うペレに目を向ける。
「ペレは、分かっていたの?……この状況が」
「ふふ、そりゃあね。仮にも神の子に選ばれた者が、あなたの言う通りなだけの人間な訳ないでしょう?」
クスクスと幼い少女の様に笑いながら言うペレを見ながら、メアリーはなお驚きを隠せない。
険悪な雰囲気をしていた場において、メアリーはシラキが目覚めないないことを理解していた。
水晶に閉じ込めた者達の見る夢を半ば共有しているメアリーには、誰が出られて、誰が出られないかはある程度分かっているのだ。
神の子と行動を共にする人間が、よりにもよって死神の中では群を抜いて殺傷力の低い自分の能力で死ぬ。
それがあまりにも滑稽で、ペレに状況を洩らしていたのだが、まさかこうなるとは思っていなかった。
メアリーから状況を聞いたペレは、シラキの自力での脱出が絶望的なことをあえて口にし、待っていてはいけないことを敵に知らせた。
それ自体はメアリーにも分かっていたことである。
ペレとメアリー、そしてレオノーラは、他の死神達とは違って親密だ。
メアリーはこの大鎌を持った少女が、敵を助けるような発言をすることも分かっていて状況を教えたのだ。
"夢見る闇"は囚われている間、外から干渉することができない技だ。
この水晶に囚われているという状況においては、例え神の子だろうが邪神だろうが、それを外から砕くことなどできない。
外側から呼びかけると実は中に届かないことはないのだが、だからといってそれで中から出られるかと言えばそんなことはない。
だからペレの言葉を聞いて、彼らがシラキを取り囲み祈るように目を閉じたときも、メアリーは無駄なことだとしか思わなかった。
それがどうだ、この状況は。
眠ったまま息を引き取るまで間もなくと言った状況だったシラキが、彼らに祈られた途端、まるで何の障害もないかの如く目を覚ました。
それほどまでに自らの行動理由を他人に依存していることもそうだが、それだけではない。
他人に依存したものでありながら、それだけの力を発揮したことにメアリーは驚いたのだ。
もちろん世にその存在を知らしめるような人物であれば、他人から強大な力を得る者もいるだろう。
だがそのような存在は、基本的に土台として確固たる強さを持っているものだ。
間違っても世界全体で下から数えて0.1%以下しか死なない技で死にかける様な弱者ではないのだ。
そもそも"夢見る闇"は"外側からの干渉"を受け付けない技だ。
例えそれが神の子であっても、外側にいる以上眠るシラキに影響を及ぼし得るはずがない。
メアリーは目の前の状況が全く理解できなかった。
見れば、目覚めたシラキが立つこともできずにしゃがみ込み、眷属達に支えられている。
最終的には衰弱死する夢の中で死にかけていたのだから、それだけ消耗しているのだ。
「何よ…意味わかんないわ」
それまで不気味で嫌らしい笑みを浮かべていたメアリーがここに来て始めて不満のある表情を見せる。
そんなメアリーの肩に乗り、レオノーラが慰める。
「ふふ…そういうこともあるって事ね」
ペレが無邪気に、楽しそうに笑う。
そんな中、ルティナとディレットが三人の死神の前に出る。
倒れていたシラキはソリフィスの背に乗せられていた。
「待たせたわね。まだやる気なら相手になるわよ」
好戦的な、そしてどこかうれしそうな笑みを浮かべたディレットが言う。
三人の死神を前に、二人は悲壮さの欠片も感じさせない。
「もう寝てるヤツは残ってないわ。夢は終わりよ」
メアリーが憮然とした表情で言った。
それと共に、空間から闇がにじみ出し、巨大な洞窟が暗闇へと変わっていく。
シラキが目覚めたのは、ほとんど最後だったと言うことだ。
そうして世界の全てに夢を見せていた技は終わりを告げた。
目覚めた者達に衰弱と疲労を残して。
洞窟がなくなり、気付けば元の場所にいたシラキ達はようやく一息……とは行かなかった。
ダンジョンにシャンタルが駆け込んできたからだ。
「リーベックのみならず、リーズエイジの複数の町に向かって亡者が一斉に進軍しています」
ダンジョンの外、第一階層の上にある地上部で話しているのは、五人の男女。
シャンタルに加え力なくソリフィスに背負われているシラキ、そしてルティナに命尾だ。
いつになく真面目な表情をしたシャンタルが言うには、リーズエイジという国全体が攻撃を受けているらしい。
リーズエイジは亡者がぞろぞろと進軍を始めたのをみて、慌てて援軍要請を出しているのだ。
そしてシラキのダンジョンに向かう途中、メアリーの"夢見る闇"が発動。
状況が思っていたよりも切迫しているのではと思い、全力で馬を走らせてきたのだという。
周辺の国もそうだが、シラキの存在やダンジョンの位置などは、ごく一部の人間にしか知られていない。
本来大きな戦力であるシャンタルが伝令に走っているのもその為だ。
まあそもそもシラキはどこにも属していない独立した勢力であるため、誰にでも伝令がつとまるわけではないのだが。
援軍要請を受けたシラキ。
当の本人は現在戦闘不能状態だが、眷属達はほとんど消耗していない。
死者重傷者共に数える程しかいないため、戦力は丸々使えるという状況だ。
シラキ達は軽く相談し、時間をかけずに決定した。
援軍として送るのはハースティ隊とサンダーバード以外のバード全員。
つまり、カミドリ二羽による航空隊プラスライカだ。
それに加え、ワイバーン二体とグリフォン、ヒポグリフ達。
空を飛べる眷属のみであり、それを多く出撃させる編成である。
話ではそれほど余裕がある状況ではなく、付くなら速いほうが良い。
それにダンジョンの守りをほっぽり出すわけにも行かないので、足の遅いのはそろってお留守番である。
「感謝します。この恩はいずれかならず」
「終末が始まってるんだし、助け合うのは当然だろ?」
姿勢を正してお礼を述べたシャンタルに、シラキは笑って答えた。
シラキは当然のことを実行することの難しさを思い、シャンタルは分かっているからそれを感謝した。
消耗した馬を預かり、シャンタルはヒポグリフの背に乗せる。
馬は魔物を見て大分怯えていたが、シラキが首の辺りを撫でると、すぐにおとなしくなった。
「だ、大丈夫でしょうか」
「ああ、身を任せていれば大丈夫。結構頭良いんだ」
シャンタルは他の人間達の例に漏れず、魔物に騎乗するという経験は初めてらしい。
割と心配そうにしているシャンタルに、だらーんとソリフィスの背に乗せられたままのシラキが答える。
ヒポグリフはその胴体が馬なのもあり、比較的人が乗りやすい。
リースやフェデラが乗ることもあったし、ヒポグリフの方も多少は慣れているのだ。
シャンタルはしっかりとした乗馬技術があるし、下手にヒポグリフを従えようとしなければ問題ない。
従うわけでも従わせるわけでもなく、気遣いで人を乗せられる辺り、魔物らしくない。
シラキだけでなく、ルティナやディレットも、彼らのそんなところが好きなのだが。
それほど時間をかけずに準備は完了し、小高い場所で出発する彼らを見送る。
空を飛ぶ彼らの速度は速く、見ている内に小さく見えなくなっていった。
「さて、それではマスターには休んでいただかないと!」
しばらくその場にとどまっていたのだが、命尾がいつもの元気な声で言う。
「ですね。まあ二、三日休めば元通りです」
「それって大分、いや決して短くないよね…」
ルティナの見立てにシラキが口をひくつかせて答える。
そうやってダンジョンの入り口に向かって歩いていると、ふと命尾が顔を上げた。
「何か来ます」
その命尾の言葉に、全員が同じ方向を見る。
ちなみにソリフィスはシラキが体を起こせないため、気を利かせて体の向きを変えた。
森の中から歩み出てきたのは、髪は黒く短髪で、整った顔立ちをした男。
黒を基調とし、金色の派手な装飾を付けたローブとマントを身につけている。
どちらかというと細めの体で、身長は180センチを超えるであろう長身だ。
そしてその数歩後ろからは、金色の王冠を頭の上に乗せ、王のような豪華なマントを着けた骸骨が付いてくる。
体を形作る骨は白ではなく金色で、右手には魔術師が使うであろう杖を持っている。
二人とも大きな魔力を放っているが、明らかに前に立っている男の方が主であるという雰囲気だ。
「久しぶりだな、ヒュノージェ」
現れた男が、ニヤニヤとした笑いを浮かべながら話しかける。
知り合いであるらしいルティナは、その男を見た瞬間表情を消し、目を細めた。
「魔王サブナック……何の用ですか」
感情を込めない、しかしどこか不機嫌そうな声で話すルティナ。
ルティナがそのような声で話す姿を、見たことがないシラキは、少し驚いた表情でルティナに目を向ける。
「何の用?…ふっ、クックック」
問われた男……魔王"闇王"サブナックが不気味な笑い声を上げる。
そして動けずにソリフィスに乗せられているシラキの方を見た。
「一つ、神の子の弟子とやらを見てやるつもりだったが…ククク、ずいぶん無様な姿だな」
嘲るように言うサブナックに対し、ルティナは更に目を細め、小さく舌打ちする。
それはギリギリシラキにも聞こえたのだが、侮辱された当人であるシラキは、むしろルティナの様子に驚く。
シラキにとっては、初対面の相手に侮辱されても特に思うところはない。
自身の体たらくにも自覚があるため、否定することもしない。
とはいえソリフィスは冷たく目を細め、命尾に至っては笑顔から殺意が漏れ出している。
「何と戦ってそうなったかは知らないが……ふ、何とも脆弱な弟子だ」
「そんなことを言うためだけにここに来たのなら…!?」
嘲りの言葉を続けるサブナックに対し、明らかに不機嫌な様子で返すルティナ。
しかしサブナックが後ろからある剣を取り出すと、その言葉は途中で止まる。
「まさかっ、神殺しの剣!?」
簡素な、黒に近く青っぽい灰色の鞘に収まっている剣。
鍔の辺りには、赤い宝石がはまっているが、神殺しの剣などと言われる様な仰々しさはない。
だがそれは、純粋な見た目だけを見た場合だ。
それをみたシラキ達は、ルティナを除き、全員が戦慄していた。
神々しい訳でも、禍々しい訳でもない。
まるで巨大な怪物と、あるいは強大な竜と相対したときの様に。
鞘に収まったままのその剣は、ただ厳然と、絶対的な存在感を放っていた。
神殺しの剣とは、武器ランクS、世界に数少ない神器の一つだ。
強大なるその神器の能力は大まかに分けて二つ。
一つは、単純なものとは違う概念的な攻撃力。
この武器で付けられた傷は簡単には治らず、またその斬撃は例え急所に当たらなかったとしても、アンデッドや神の子の肉体にすらダメージを与える。
そして急所を突いたなら、例え誰であろうとその肉体を滅ぼすことができると言われている。
もう一つは、単体の動きを封じる力。
対象の能力に依存するが、どのような相手にも効くとされている拘束。
その力をうけたなら、誰であろうと簡単には抜け出せない。
そして、この剣の存在が、そうそうには起こりえない事態を招いた。
この瞬間、全員の目は、そして意識はその剣に集中していた。
故に、そのとき骸骨が不意を打つのは、それほど難しい事ではなかっただろう。
地面から突き上がった白い鎖が、シラキを乗せたソリフィスと命尾を絡め取る。
普段であればまず捕まらなかったであろうが、サブナックが見せた剣が放つあまりにも大きな存在感が、彼らに隙を生み出していた。
全員の意識が、一瞬にして敵と戦闘する時のそれに切り替わる。
それは動けず、そして初めからまるで相手を警戒していなかったシラキも同じだ。
ソリフィスとシラキ、そして命尾は白い骨でできた鎖にがんじがらめにされ、身動きがとれなくなってしまう。
命尾は鎖に気付いた瞬間全くためらわず、自分の体ごと燃やす勢いで炎を発する。
すでにそれを戸惑いなく行わなければならないくらいには、状況が切迫していると感じたからだ。
それはソリフィスも同じだが、シラキを背中に乗せている状況では、同じ事をするわけにも行かない。
意識はしっかりしているし、魔力が減衰しているわけでもないが、自力で歩けないレベルで衰弱しているのだ。
密着した状態で自分を巻き込むような魔法を使えば、それは満足に防御することもできず、ダイレクトでシラキにダメージが行くことを意味している。
ソリフィスはシラキに負担がかからないように体を動かすが、白い鎖はビクともしない。
「掌握!!」
唯一無事だったルティナだが、サブナックがその一言を言い放った瞬間その表情を厳しくさせる。
「しまっ」
剣が放っていたその存在感の一部が、一瞬にしてルティナに絡みついた。
ルティナは歯を食いしばって抵抗するが、ほとんど体が動かない。
この時の一瞬の出来事で、その場にいた全員が行動不能にされてしまったのだ。
「フッハッハッハッハ!!!どうだ、これが神殺しの剣の力!!一時的にどのような存在でも束縛する権能!!!」
サブナックが高らかに言い放つ言葉の通り、ルティナすらその行動を封じられている。
この場においては、状況は非常に速く動いた。
最初、サブナック側は事前に準備してあったかの様に手際よく動いた。
剣を見せて意識を集中させてからの、骸骨の魔法で奇襲。
魔法を受けた次の瞬間には命尾とソリフィスは行動するが、これとルティナが動きを封じられるのがほぼ同時だ。
骸骨の魔法である鎖はかなり頑丈で、しかも永続的に骸骨側の制御を受けている。
命尾の魔法と骸骨の魔法の押し合いになり、そこだけ見れば命尾が優勢だ。
骸骨は鎖の強化と修復を同時に行っているのだが、それよりも命尾が破壊する方が速く、命尾が抜け出すのも時間の問題である。
それにこの攻防が行われている間は魔法に集中していて、命尾だけでなく骸骨も動けない。
ソリフィスはシラキのこともあり、すぐに魔法による攻撃に転じるが、それとサブナックが動くのがやはり同時であった。
ソリフィスに向かって飛びかかるサブナックは、移動しながらもソリフィスの電撃の槍を剣で打ち消してしまう。
自分ではなく、背に乗せた主の危機を前にしてソリフィスはなりふり構わず行動した。
そのクールな顔を歪ませ、唸り声をあげ、己を全く省みずに行われた攻撃。
それは、シラキが初めて見る、そしてソリフィスが始めて行うような行動だった。
特大の、人を飲み込む程の大きさの涯煉が瞬くように走り、避けられるはずもないサブナックを捕らえ。
そして、打ち消された。
目前まで迫ったサブナックがソリフィスとシラキ、二人を同時に切り捨てようと剣を振り下ろす。
シラキは当然としてルティナも動けず、命尾はまだ時間がかかり、ソリフィスは今まさに無理をして攻撃したばかり。
目の前に振り下ろされる剣に、しかしシラキは何をすることもできず。
ソリフィスがせめてもの抵抗として、自らの頭と羽でシラキを覆い包み。
神殺しの剣は、ソリフィスの目前で、突然現れた命尾の肉体に深々と侵入して止まった。
『地上に生きる者達よ、煉獄の試練、等しく訪れ、先代の庭へと至れ』
『ワールドスキル"魂縛の煉獄界"が発動されました』