死神トリオ
"滅亡の大地"が攻めてきてから大体三ヶ月。
ダンジョンに侵入者が現れたのと、神の伝達が鳴り響いたのは、ほとんど同時だった。
ゆっくりと流れていた時が、激流となって襲いかかった。
『漆黒の炎纏いし不死鳥、"デスフェニックス"が出現しました』
『業を測る者、死神"煉獄よりの使者"が光臨しました』
『孤高の騎士、死神"儚き少女が見た夢"が光臨しました』
『弱き者よ、立ち止まる者よ、沈みゆく者よ、定まらぬ者よ。儚き幻の中で眠れ』
『ワールドスキル"夢見る闇"が発動されました』
その瞬間、第三階層の崖の上にいた俺の意識は途切れた。
所々に層のような模様の付いた柱が立ち並ぶ、広大な洞窟。
その中で、まるで虫の卵のように乱立する六角形の結晶。
無色透明なそれの中には、一つにつき一人の人間が入っていた。
いや、人間だけではない。
その他の亜人族や魔族達、大きな結晶にはドラゴンも入っていた。
そんな中、一人だけ水晶に囚われずにたたずんでいる少女が一人。
髪の色やドレス、そしてリボンに至るまで暗い色に統一された少女、死神"狂える様に歌う闇"メアリーだ。
規則正しく並んでいる十数個の水晶は、無数に置かれている他の水晶群とは距離を置き、固まって配置されている。
その水晶群の中に入っているのは、シラキやルティナを初めとした、シラキのダンジョンの面々だ。
並んでいる順番に規則性は見られないが、先頭ではシラキが眠っている。
その中の二つの水晶に、前触れも無くヒビが入る。
音を立てて砕け散った水晶の中から、出てきたのは人と魔物が一人ずつ。
「今までだったら……まずかったかもしれないわね」
そう言ったのは、六本のフサフサとした尾を揺らす、大型犬ほどの大きさの狐。
六尾のフォックスシャーマンにして、シラキの眷属達の司令塔、命尾だ。
「同感です」
もう一人、その言葉に同意したのは、藍色のローブを身に纏い、自分の身長と同じくらいの杖を持った少女。
大きな魔力をその身に宿し、一切の緊張を感じさせない出で立ちをしている、フェデラだ。
普段首の後ろでまとめている灰色の髪は、戒めを解かれてまっすぐに下がっている。
「あなたは以前でも大丈夫だった様な気もしますが……あれ、その髪の毛、どうしたんです?」
「ちょうどほどいていた時でしたから……それより命尾さん」
控えめに答えたフェデラは、その視線をメアリーに向ける。
促された命尾が、未だ水晶に囚われたままのシラキ達をかばうように前に出る。
フェデラもそれにならいメアリーと向き合うと、メアリーの方が口を開いた。
「速いのね…三分と経ってないんじゃないかしら」
「これはあなたのワールドスキルの影響ですか」
そう聞く命尾から普段の陽気さはなりを潜め、冷たい雰囲気を漂わせている。
それに対しメアリーは、どこか凶兆を意識させる微笑を浮かべたまま答える。
「そうね…これは夢に捕らえる技。出てくるのが遅れれば遅れるほど、肉体と精神に悪影響を及ぼす…あなたたちは速かったけれど、他の人達はどうかしらね?」
命尾は無表情のままメアリーから目をそらさず、フェデラはどこか心配そうに眉をひそめる。
「私は死神。"狂える様に歌う闇"メアリー。よろしくね」
不気味な笑みを浮かべたまま、その小さな手を胸に当てて、死神は自己紹介する。
「そう……死神とよろしくしたいとは思わないけど、それはマスター次第ですね」
一方の命尾は目を細めたままそう言い、横にいるフェデラに目を向ける。
「フェデラは……大丈夫そうですね」
「黒結晶になれていますから……どこか、それに近いものを感じます」
フェデラが答えたのは、メアリーから放たれる威圧感にも似た恐怖についてだ。
一般人であれば、腰を抜かして動けなくなってもおかしくないくらいの威圧感。
それが彼女達に、恐怖として感じられていた。
しかし二人とも、それを意に介した様子もない。
「他の方達は」
「どうでしょうね……技の性質上、戦いの強さは関係なさそうだし」
そう言う二人の後ろからは、未だ誰一人出てこない。
「そう警戒しなくても、私はこの技が終わるまで動かないわ。後ろの人達の心配でもしていたらどうかしら」
幼いといってもよく、小さな少女の見た目をしたメアリーは、どこか邪悪に、そして静かに笑い声を上げた。
「やった、やったぞぉー!!」
草の一本も生えていない、荒廃した荒れ地の真ん中で、若い男が叫んでいた。
地面には草一つ生えておらず、大小様々なクレーターができており、壮絶な戦いの後であることを物語っている。
「はっ!ははは!どうだ見たか冥界の怪物め!これが僕の力だぁ!!」
狂乱したように叫ぶ青年。
そこから離れた位置で、仰向けに倒れている青髪の青年を、蛇のような目をしたエルフの女性が治していた。
そんな二人に対し、褐色の肌をした少女が近づき、何事か話している。
そんな三人からまた少し離れた場所に、二人の神の子がたたずんでいた。
黒く焦げ、炭のようになってしまった両手を力なくぶら下げて、ガリオラーデが話しかける。
「あいつ、ここで殺しておくか?」
話しかけられたルティナは、億劫そうに答えた。
「別に……止めないけど……私はどうでもいいわ」
「そうか…まあ、いいか」
あの時私は、嫌な相手と関わりたくなかった。
そして、自分にさえ関わらなければどうでもいいと思っていた。
疲れていたし、ようやく戦いが終わったという気持ちもあった。
結果的には、それはどうしようもない間違いだった。
荒れ果て、壊れた墓石の前で。
巨大な黒い影の巨人がのたうつ目の前で。
私は神殺しの剣を突き刺した。
刺された男から、理解できないとでも言うかのようなかすれ声が漏れて、それが最後になった。
最悪の日だった。
音を立てて水晶が砕け散り、薄紅色の髪を持つ少女が目を開けた。
ルティナが水晶から脱出したとき、命尾とフェデラの他に、ソリフィス、レフィル、ディレットの三人がすでに目覚めていた。
周りを見れば、シラキの眷属の主要メンバーの半分はまだ水晶の中だ。
「シラキさんは、まだ?」
「ああ、我が主はまだだ」
ルティナの疑問に、ソリフィスが答える。
目覚めた全員が水晶の前、メアリーの対面に集まっており、そこに向かってルティナが歩き出す。
「で……死神ね」
顔を伏せたまま歩くルティナに、メアリー以外の全員があれ?という顔をする。
全員がすぐに気付くくらいには、今のルティナの様子が普段と違っていた。
「神の子のルティーヌ。何百年経っても変わらな!?」
その瞬間、一陣の風が吹き抜けた。
そのとき、何が起こったのか分かった者は、この場に一人もいなかった。
そう、この場には。
目にもとまらぬ速さでルティナが切りかかり、そしてそれを宙に浮かんだ盾が防いでいた。
「炎帝荒天花」
そのまま、間髪を入れずに発動される炎属性大魔法"炎帝荒天花"。
炎の竜王が好んでよく使うとされる大魔法だ。
その場の誰も言葉を挟めぬままに、その場に大輪の業火の花が咲く。
「んなっ!?」
「女神殿!?」
命尾、ソリフィスが驚愕の声を上げる中、最初に正気に戻ったのはフェデラだった。
「皆さん下がって!!」
その声に従い、あっけにとられていた全員が後ろへと下がる。
打ち合った二人がいた場所では、ドドドドド、という音が忙しく断続的に続き、炎の花が車輪のように回転していた。
花の中心から、蛇のような炎のドラゴンが頭をもたげ、轟音が更に激しくなる。
巨大な炎が、開いた状態からチューリップの様に花弁を持ち上がると、中心にいるドラゴンの頭がその大口を開き、炎の花の中、メアリーとルティナがいた場所へと突進した。
その光景から来る熱が、下がったはずの面々ですら感じられる。
フェデラが注意したからこそ全員無事だったが、そうでなければ巻き込まれていたかも知れない。
突然の味方を巻き込みかねない様な攻撃。
そのあまりにもルティナらしからぬ行動に、人ならざる者ほど驚愕を受けた。
その後轟音に紛れて何かが割れるような音が響き、その少し後、炎の中からルティナが吹き飛ばされて出てきた。
自分で起こしたものとは言え、あれだけの業火の中から出てきたルティナは無傷であり、その服に焦げあと一つ付いていない。
そして同時に幻のように消えた炎があった場所には、光線のように光るバリアが張られていた。
一つ六十センチほどの半透明な光の盾を、全方位に重ねて配置したようなそれがフッと消え、中から複数の人影が出てくる。、
一人は、この事態を引き起こした張本人、死神のメアリー。
もう一人は、緑色の髪に自分の背丈を超える巨大な鎌を持った少女、死神"煉獄よりの使者"ペレ。
最後は一人ではなく、身の丈ほどもある盾を持ち赤頭巾を被った可愛らしい少女の人形が、何人も中空に浮かんでいた。
死神"儚き少女が見た夢"レオノーラだ。
先ほどまで一人しかいなかったはずの死神が、この瞬間には三人になっていた。
全員その服の一部を焦がしており、先ほどのルティナの攻撃が確かに命中していたことを表している。
「"煉獄よりの使者"に、"儚き少女が見た夢"。死神のくせにまだ一緒に行動していたんですねぇ」
目を細め、どこか禍々しい笑みを浮かべたルティナが、普段の穏やかさとは打って変わって禍々しくなった声色で言った。
最初にルティナが斬りかかったとき、それを防いだのはレオノーラだった。
しかしルティナは攻撃を防がれた後、すぐさま自分を巻き込んでの大魔法を発動。
本来であればルティナの防御能力を貫き、自身にもダメージが及ぶような魔法であったが、そこはルティナ。
魔力と魔法の扱い、そして防御面に対しトップクラスの実力を持つルティナだからこそ、荒れ狂う魔法の炎の中でも無傷で行動できた。
そして魔法の中で行動できると言うことは、結果として同時攻撃を可能とする。
炎帝荒天花を防ぐために全方位を守っていたレオノーラの盾を、剣の一撃で粉砕。
割れるような音は、レオノーラの盾が破られた音だったのだ。
しかし強大な一撃で盾を破った瞬間、内側から出てきたペレの鎌がルティナを直撃。
ダメージこそ負わなかったものの、ルティナはあえなく吹っ飛ばされて今に至るわけだ。
普段からは見られない様子のルティナに対し、邪気のない様子でペレが答える。
「久しぶりね、ルティーヌ様。いきなり攻撃してくるなんて酷いんじゃないかしら」
「死神が何を言いますか。…でも今のは嫌なものを見せてくれたお礼。あなたたち相手なら、急に斬りかかったりはしないです」
ルティナがその普段と違う表情を引っ込める。
その後チラと後ろに目を向ける。
「急に動いてごめんなさい、少し頭にきちゃって」
「む…ああ、問題ない」
「驚くのでこれからは遠慮して下さいね」
ソリフィス、命尾が平然と答える。
それは彼らの総意とは如何ほどのズレも無かった。
「それで、どうするの。私たちだけで死神三人相手にする?」
「いえ。この場所にいる限り、相手から仕掛けてくることはないと思います。ですよね、煉獄の」
それでも構わない、と言った様子で聞くディレットを止めたルティナが、ペレに聞く。
「ええ、もちろん。まずは全員が目覚めるのを待たないと、ね」
ペレが不敵さと、穏やかさが半々に混ざったような笑みを浮かべて答えた。
丘として一際高いその場所には、大樹がそびえ立っていた。
東京にあるようなビルよりも高く、大きなその木は、青々と緑を茂らせ、悠然と地上を見渡している。
大樹を中心としたその四方には、森があり、谷が有り、湖が有り、自然に囲まれていた。
空には太陽の照らす青空の中を、所々もこもことした雲が泳いでいく。
そんな大樹の頂上、まるで展望台のように円形に枝を敷き詰めた場所の中心。
ベットの天蓋を支える柱のように、頂上を支える四本の幹に囲まれた場所、そこでシラキは眠っていた。
穏やかに寝息を立てて眠るシラキを、その高さとは思えないほどに優しい風が撫でる。
大きな音も無く、髪や服が揺れるだけの場所で、シラキは眠り続けていた。
時間にすれば数十分ほど。
シラキの仲間達が次々と目を覚ましていき、リースとケントロが目覚めたことで、全員が解き放たれた。
最後に残った、シラキその人以外の、全員が。
「私の能力は欲望をかなえるような夢か、弱点を責め立てるような夢をみせる」
死神達とシラキの仲間達は、警戒こそしているものの、お互いに力を抜いたようにして向かい合っている。
そんな異質な空間の中、軽い口調で話すメアリーの言葉に、全員が耳を傾けていた。
「その性質上、突き抜けたヤツほどすぐにそこから出てこれる。結果、魔物に対しては効果が薄い。でも弱くて迷いやすい人間には、この能力はずいぶんと刺さるのよ」
相変わらず不気味な笑みを浮かべた可愛らしい少女、メアリーが自分の能力について説明する。
自身の情報を敵に教えるという、どう考えても悪手である行為を、しかしメアリーは気にせずに続ける。
「彼はどうかというと……言うなれば両方伴った夢を見ているようね」
自分の発動している夢の中身が分かることなど、どこもおかしくはない。
そういった様子で話すメアリーに、誰も疑問を提示しない。
「ただ、穏やかなだけの夢。そこには争いはなく、変化もない、不動の平穏。怠惰な世界」
「…それが、マスターの望みだとでも?」
「保守的なところはあるけど、厄介事には自分から関わっていく様に見えたけどね」
命尾、グノーシャがそれぞれ否定する。
「さあ、どうかしらね?でも自身が置かれた立場や状況を忘れたとき。彼に自分から、全くの自力だけで立ち上がる力があるのかしらね」
「シラキさんなら、いずれは目覚めます」
「ええ、そうかもしれないわね。その前に力尽きるでしょうけど、ね」
囚われているのが、残すところシラキ一人になってから、すでにそれなりの時間が経過している。
時間が経つにほど問題が深刻化していき、最終的には死に至る夢である。
確かにいずれは目を覚ますかも知れないが、それは特別タフなわけでもないシラキにとって、致命的なほどに時間がかかりすぎる。
「さて、このスキルは世界の生命体全てに等しくかかっているわけだけれど、果たして何人目を覚まさないんでしょうね?」
そう言って周りをメアリーが周りを見渡す。
地上を埋め尽くす程に並んでいた水晶は、すでに三割程にまでその数を減らしていた。
それはメアリーのスキル、"夢見る闇"で囚われた生物の内、すでに七割は覚醒していることを意味している。
「この手の技は戦闘に限らず、高いスキルを持つ者程速く跳ね返す。その人がその力を得るに至った過程が、彼らを目覚めさせる。すでにAランク帯冒険者は全て覚醒し、Bランク帯も大部分が覚醒済み。精神・肉体共に弱い者はすでに死者が出始めているし彼もいつまで持つかしらね」
メアリーの物言いに、数名が若干表情を険しくする。
「シラキさんは、真面目な方です。赤の他人である私を救い、その身を引き取り、可能な時は、一日たりとも治療を欠かしていません。そのような方が、怠惰であるはずがありません」
「違うわ。その男は間違いなく怠惰よ。傲慢では無かったとしても、ね」
フェデラが敵意こそ感じさせないが、しかし確信したような口調で言う。
それに対し、メアリーは含みのある言い方をする。
「ルティナ様との訓練も休み無し、手抜き無し」
「それでいて魔物達に気を配り、自分だけで物事を決めようとせず、必ず他の意見を聞く」
「初見のダンジョンにも突っ込むし、楽しんでるよね」
「自分に後悔しない生き方を目指す男よ」
レフィル、ソリフィス、グノーシャ、ディレットが次々と口を開く。
「そもそも、マスターは自分と全く関係無いこんな世界に来て、わざわざ戦うような人です」
命尾もそれを否定する。
彼女達が見てきたシラキという人間が、あまりにも実直であったからだ。
しかしルティナは表情を険しくし、リースはそんなルティナを不安げに見ていた。
「弊害ね、あなたたちに私のスキルが効かずとも、それ故人間という物を良く理解できていない」
メアリーが僅かに見下すような、あるいは怒るような感情をにじませる。
果たしてそれは、どこから由来した感情であったのか。
一言で言い表せない感情が、死神であるはずのメアリーの中に存在していた。
その横ではペレが目線を落とし、浮かんでいたレオノーラがその肩の上に静かに乗った。
「だからその人は助からない。スキルが始まってから、全く動きがないのよ。自分の力だけでこの夢から抜けられない以上、そのまま死ぬしかないわ」
場に沈黙が訪れる。
そんな中、ルティナは考えていた。
できないかもしれない。
シラキさんは、決して勤勉で実直なだけの人間じゃない。
この死神は動きがないと言った。
それをペレもレオノーラも否定していない。
きっと、彼女達は嘘をついていないし、本当のことしか言っていない。
つまり、シラキさんはこのまま夢から抜け出せないし、そもそも進展していない。
このままじゃシラキさんの死は避けられない。
ルティナは死神達に背を向け、シラキを包む水晶に手を掛ける。
"滅亡の大地"の時と同じだ。
この水晶に対し、他人が干渉することはできない。
ルティナは水晶におでこをくっつけて、無言のまま目を閉じた。